米ニューヨーク州立大学バッファロー校で助教授を務めている筆者は先月、『世界の経営学者はいま何を考えているのか(以下、「世界の~」)』という本を上梓しました。この本では、米国を中心とした海外の経営学で、今どのような最先端の研究がなされ、どのような知見が得られているかを、日本のビジネスマンの方に興味を持ってもらえそうな話題に絞りエッセー風に紹介しています。幸いなことに、今のところ多くの方から好評をもって迎えられているようです。

 しかし実は執筆時には構想していたものの、その本ではどうしても、面白くても書きれなかった話題がいくつか残っていました。日経ビジネスオンラインのこのコラムで数回にわたって、本とは別の切り口から「世界の経営学のフロンティアの知」を紹介していきたいと思っています。

 とはいうものの、この第1回と次回だけは研究の話題ではなくて、「なぜ米国の経営学者はピーター・ドラッカーを読まないのか」という話題をとっかかりにして、みなさんの多くが恐らくご存じない、「米国のビジネススクールが解決できていない課題」について、私論を交えてお話しようかと思います。

ドラッカーもジム・コリンズも学者は「スルー」

 「世界の~」の第1章で、私は「米国の主要なビジネススクールにいる教授の多くは、ピーター・ドラッカーの本をほとんど読まない。ドラッカーの考えにもとづいた研究もまったく行われていない」と書きました。この部分に、私が思っていた以上に大きな反響をいただきまして、いまだに「本当なんですか」と聞いてくる方もいらっしゃいます。

 もちろん、これは事実です。米国の経営学研究の最前線にどっぷりつかってきた私が見た実態です。

 そもそも私自身、実はドラッカーの本をほとんど読んだことがありません。

 もちろん色々なメディアを通じてドラッカーの名言はいくつか知っていますし、お気に入りの名言もあります。しかし、ドラッカーの本は私の研究室の書棚には一冊もありません。念のため、さきほど何人かの同僚のオフィスを見せてもらったのですが、やはり彼らの書棚にもドラッカーの本はありませんでした。

 この際だから告白してしまいますが、日本のビジネスマンに有名なジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」も私は読んだことがありません。おそらく私だけではなく、アメリカのビジネススクールの研究者の中でも、「ビジョナリー・カンパニー」を重宝して読んでいる人はそう多くはないのではないでしょうか。仮にそれなりの数の人が読んでいても、少なくとも「ビジョナリー・カンパニー」をもとに研究をしている、という経営学者はほとんどいないはずです。

 ここで私は、ドラッカーがダメだとか、意味がないとか言いたいわけではありません。というか、そもそもろくに読んだことがないのですから、批判する資格はないのです。

 これだけ多くの人が注目するのですし、私自身もドラッカーの名言は好きなので、「ドラッカー本」はきちんと読めば素晴らしい本なのでしょう。日経BP社が翻訳書を出版しているジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」シリーズも多くの日本の経営者に影響を与えているようですので、米国で学者が読んでいようがいまいがそんなことは関係なく、「実践への示唆を与える優れた啓蒙書」という意味で素晴らしい本なのだろうと思います。

 ただ私がここでお伝えしたかったのは、ドラッカーを読まなくても、コリンズを知らなくても、米国のビジネススクールのアシスタント・プロフェッサー(助教授)は務まる、という事実なのです。

 では、なぜこのような事になるのでしょうか。

 その最大の理由は、「世界の~」でも書いたのですが、やはりドラッカーは名言ではあっても科学ではない、ということに尽きると思います。

 現在、米国の経営学は「社会科学になる」ことを重視しており、そのために「企業経営の真理の探究」を目指しています。そのために必要なのは、しっかりした経営理論の構築と、その理論から導かれる仮説を、統計分析や実験などのなるべく科学的な方法で検証することだと考えられているのです。ドラッカーは名言かもしれないけれど、科学的な裏打ちがないので、米国の経営学者は参考にしないのです。

世界中で普及する経営学の「科学化」

 そして、この「科学を目指す経営学」というトレンドは今世界規模で急速に普及してきています。

 たとえば、国際的な経営学会の規模は年々拡大しています。世界最大の経営学会であるアカデミー・オブ・マネジメントの2012年の年次総会には世界85ヶ国から9300人を超える経営学者が集まりました。3~4年前の参加者は8000人以下でしたから、この勢いだと1万人を超えるのはすぐでしょう。

 このような国際的な学会や学術誌での知識交流を経て、「科学を目指す経営学」の標準化が世界中で急速に進展しつつあるのです。 

 さて前置きが長くなりましたが、今回と次回ではこの「ドラッカーを読まない米国の経営学者」という前提を知っていただいた上で、書籍では書けなかった議論に踏み込んでみようと思います。

 それは、私のような駆け出しにはやや大胆なテーマですが、世界の、そして日本の「ビジネススクールはどうあるべきか」という話題なのです。

 この大きなテーマを理解していただくために、まずは議論の背景をお話します。それは米国の大学について、です。

 米国の大学というのは、非常におおまかにいって2種類に分かれます。それは「研究大学」と「教育大学」です。前者は教育だけでなく研究を重視する大学で、後者は教育のみに注力します。

 米国には現在2774の四年制大学がありますが、そのうちで「研究大学」と呼ばれる大学はほんの一握りです。そして日本でも比較的名の知られているような大学は、研究大学であること多いのです。

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