日本マクドナルドがこの1月4日からはじめたという「ENJOY! 60秒サービス」を、私はまだ経験していない。

 ご存知でない方のために、一応解説しておく。

 「60秒サービス」は、日本マクドナルドがこの1月4日からはじめたキャンペーンで、内容は「会計終了から商品を渡すまでの時間を砂時計で計り、60秒を超えた場合はバーガー無料券を、60秒以内でもコーヒーSサイズの無料券をプレゼントする」というものだ。ちなみに、期間は1月末まで。日本全国のマクドナルド各店で、午前11時~午後2時の間に実施しているのだそうだ。
 
 当初、この話を、私は、まったくの冗談だと思っていた。

 というのも、ファーストフードのチェーン店は、私の知る限り、昔から、心ない都市伝説の宝庫だったからだ。

「◯◯チキンって、アレだろ? もも肉を優先的に確保するために、六本足のニワトリを開発したところだよな?」
「うちの親戚の知り合いが◯◯バーガーに養殖ミミズを卸してるんだけど、何に使うのかと思って、ある日納入後に覗いてみると……驚いちゃだめだぞ……」
「知ってるか? ××のポテトってぶどうみたいに木の枝から鈴なりにぶら下がる品種らしいぞ」
「これ、ホントの話なんだけど、近所に△△のフランチャイズが来て以来、なぜなのか近隣のネズミが凶暴化してて、ヤツら猫を威嚇するわけなんだよ」
「で、◯◯スムージーの原液の中に落ちて、3カ月後に発見された作業員は、なにもかも溶けて、大腿骨の一部しか残ってなかったんだそうだ」

 もちろんみんなデマだ。
 ファーストフードには、そういうデマを呼び寄せる何かがある。

「きのうマックで並んでる女子高生が話してるのを聞いたんだけどさ」

 という決まり文句の後に続く話も、ほとんどすべてデタラメばかりだ。
 現代の人間は、気まぐれな与太話や、もっともらしい駄法螺をアンプリファイする結節点として、ハンバーガーショップを選ぶ。それだけ、ファーストフード店の店頭が、人々に親しまれ、危ぶまれ、愛され、結局のところ隅から隅までよく知られているということなのであろう。

 であるから、この「60秒ルール」のエピソードをはじめて聞いた時、私は

「よくできたデマだ」

 と、感心したのである。
 なにより、

「いかにもマクドナルドがやりそうなキャンペーンだ」

 と思わせる、その力加減が絶妙だと思った。

 アメリカ由来の速度至上主義と日本原産の過剰サービス傾向の呪われた結婚。そのハイブリッドなペーソス。店員をベルトコンベアの末端と考えるロボット流通思想へのそこはかとない皮肉。世界のトヨタが工場生産の中で作り上げたジャストインタイムという究極の効率化哲学を、外食産業という最もアナログなサービスの現場に配置してみせたプロットの見事さ。チャップリンのモダンタイムズを一世紀ぶりにアップデートするネズミ車システムの荒業。素晴らしい着想ではないか。

「ははは。で、60秒で食材を提供できなかった時は、店員がピエロの扮装で土下座をするのか?」
「お前、これ冗談だと思ってるのか?」
「だって、ホントのはずないだろ」

 ところがどっこい、これが、本当の話だったのである。テレビを見るときちんとCMもオンエアされている。

 いや、びっくりだ。
 われわれは、どうやら既に冗談から駒が出る段階に到達していたのである。

 今回は、「サービス」ということについて考えてみたい。
 最初に断っておくが、私は一私企業としての日本マクドナルドの施策に対して苦言を呈したいのではない。
 これから書く話は、あくまでも、わが国のサービス業一般の話として考えてほしい。

「注文から一分間でメニューが配膳できなかったら」

 という設定は、たしかにどうかしている。
 行き過ぎだとも思う。

 が、この行き過ぎは、日本マクドナルドという特定の企業に備わった固有の性質であるわけではない。より普遍的なものだ。

 接客にたずさわる人間が、王と奴隷の物語に適応せねばならないこの設定は、ある時期から、わたくしどもの社会のほとんどすべての顧客サービスの現場で、多かれ少なかれ共有されている、実に厄介な問題だ。

「お客様は神様です」

 という、この根拠不明な虚構が、われわれを苦しめている。

「誰が得をするんだ?」

 と、ほとんどすべての者がそう思っているのに、現場はそれをやめることができないでいる。

 顧客と売り手の間には、利害の移動に伴って、暫定的な上下関係が発生する。
 これは仕方のないことだ。
 が、顧客と売り手は、それでもなお人間と人間である。
 神と人間や、王と奴隷ではない。

 なのに、この国では、いつの頃からか、顧客と売り手の間に、商品の受け渡しおよび金銭の授受という関係を超えた、圧倒的な身分差のようなものが仮託されるようになっている

 間にカネと商品を挟んでいるだけのことなのに、それだけのことで、対等な人間としてのマトモな会話が成立しなくなる。
 これは、とてもおそろしいことだ。

 もちろん、すべての顧客が専制君主のようにふるまうわけではない。
 が、たとえ100人に一人でもそういう客がまぎれこんでいる以上、売り手の側は、服従の姿勢を崩すわけには行かなくなる。
 かくして、クレーマーが生まれ、モンスターペアレントがその発言力を拡大する。

 おそらく、平成に入ってから、にわかに注目を集めはじめたこれらの人々は、顧客を神ないしは王としてもてなす接客マナーが生んだ鬼っ子だ。

 彼等は、自分たちの言説の正しさに立脚してものを言っているのではない。
 「顧客」であり「買い手」であるということの、「身分差」を背景に、有無を言わさぬ要求を突きつけている。

 こんなことが可能なのは、言葉や言説の正否よりも、ただただ市場的な立場の優劣だけを絶対とする狂った接客マナーが背景にあるからだ。そう考える以外に解釈が見つからない。

 価格競争には限界がある。
 品質の競争にも物理的な帰結として越えられない壁がある。
 が、サービスの競争には終点が無い。
 しかも、サービスには資本がかからない(と少なくとも雇用主はそう考えている)。

 そんなわけで、あるタイプの職場では、労働者の「サービス」が野放図に搾取されることになる。
 考えてみればあたりまえの展開だ。

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