6月のはじめ頃、ある食事会に誘われた。

 主旨は、「レバ刺しとのお別れ会」ということらしい。牛の生レバーが違法になる前に、最後の食べ納めをしようではないかという、なかなかおくゆかしい集まりだ。

 なるほど。
 が、私は、ちょうどスケジュール的にむずかしかったこともあって、参加を辞退した。

「レバ刺しはお好きじゃなかったですか?」
「えーと、まあ、あんまり食べない感じでしょうかね」

 本当のことを言えば、生のレバーは生まれてこの方食べたことがない。そう言うと、なんだかケンカを売っている感じになるので、曖昧に答えた次第だ。

 レバーは、生でなくても、基本的には食べない。牛であれ豚であれ、あるいは鶏でも馬でも、まず箸はつけない。というよりも、端的に述べるなら、レバーは大嫌いだ。

 絶対に食べられないということではない。でも、よほど追い詰められない限りは口をつけない。ということはつまり、当方としては、今回の生レバー最終試食会については、自分を追い詰めなければならない理由が見つからなかった以上、お断りするほかに選択肢がなかったのである。
 
 食べ物の話題は微妙だ。
 私の場合、正直な話をすると、たいていカドが立つ。

 だから、ふだんは、なるべくこの手の話には触れない。話題が出た時には、適当に調子を合わせて、自己主張は避けるようにしている。でないと、必ずや面倒くさい展開になるからだ。

 大勢で食事に行くのも、そんなわけで、本当は苦手だ。

「あれ? ミノは食べないんですか?」
「ええ、こういうのはあんまり」
「ホルモンも?」
「まあ、特にすすんで食べる感じじゃないです」
「ハチノスはどうです?」
「……食べたことないんで……」
「……つまりアレですか? 内臓系は何も食べないってことですか?」
「無理にと言うことなら食べられないこともないんですが……あの、今日のこの会は、無理をする会なんですか?」
「いや、誰もそんなことは言ってませんよ」
「無理に食べろとは言いません。でもほら、こんなおいしいもの食べないのはもったいないと思って」
「そうですよ。だって、内臓の無い牛はいないでしょ。肉だけで歩いてる牛なんて見たことありますか?」
「おまえそれ関係ないだろ? すいません。こいつ酔ってます」
「でもモツを食べないっていうのは、人生の半分を損してますよ」
「そうそう。さっき食べたこと無いっておっしゃってましたけど、食べたことのないものをどうしてきらいだと判断できるんですか?」

「……っていうか、食べたことの無いものは食べないわけです」
「そんなこと言ったって、一生卵焼きとハンバーグってわけにもいかないでしょ?」
 
 気がつくと説教をされている。
 それが私は面倒くさいというのだ。

 たしかに私は偏食家だが、誰に迷惑をかけているわけでもない。だから、できれば放っておいてほしいのだ。私は私のタマゴヤキを食べる。あなたはあなたのコノワタを食べる。私は食べない。それだけの話じゃないか。

 が、中高年の人間のうちには、食べ物の話になると冷静さを失う者が3割ぐらいは含まれている。彼らは、他人の偏食を許すことができない。

「こんな食べ方して、お魚に申し訳ないと思わないの?」
「ははは。なるべく上手に食べようと思ってるんだけどね」
「上手とかヘタとかじゃなくて、まんなかへんほじくっただけじゃない」 

 実に面倒くさい。

 今回、レバーについて、私は、自分の立場からだけの話をしようと思っているのではない。
 むしろ、仲裁を買って出るつもりでいる。

 そこのところをどうかわかってほしい。私はレバーの味方ではないが、規制派の提灯持ちでもない。生レバー再稼働を訴えるつもりもないが、脱レバーのためのロードマップづくりを迫る気持ちも持っていない。

 食べ物の話をする時には、自分と意見の違う立場を、最大限に尊重しなければならない。でないと、ささいな見解の相違が、やがて不毛な人生観の押し付け合いになり、最終的には人格攻撃の応酬になっていたりする。大人になった人間は、こういう消耗はぜひ回避すべきだ。

 なのに人々は、食べ物がらみの口論を、遊戯として楽しみがちだ。
 たしかに、食べ物の好みで言い合いをすることは、親しい間柄で節度を持ってやりとりしている分には、絶好の時間つぶしになる。それに、グルメ談義は、誰もが参加できる罪の無い話題として、必ず盛り上がる便利なコンテンツでもある。

 が、最初のうちは和気あいあいと進んでいるかに見える議論も、あるポイントを超えると、そこから先は、険悪な罵り合いになる。必ずそうなる。レバーの話は、どうやらこのポイントにさしかかっている。特に今回の場合、法律の制定過程の不透明さや、業界の利害がからんでいることもあって、議論のテーブルは完全に荒みきっている。

 なので、せめて、私のような、第三者が立ち会うことで、多少は論点を整理できるんではなかろうかと思って、あえてクビを突っ込むことにした次第だ。
 
 なぜなら、食べ物の話は、独善に陥りやすい話題だからだ。

 というよりも、グルメの世界は、実体としては偏見に過ぎないものが「教養」ないしは「見識」として美化されている不可思議なピラミッドみたいな世界だ。だから、夜の酒場には、普通の問題については、冷静な論客の立場を保持できているのに、話題が食い物となると、俄然ケンカ腰になる人間が大量に出没しているのである。

「四国のうどんを神聖視してる連中って、一種カルトみたいなもんだよな」
「うどんのおかずがうどんだって言うんだからもう全然話ができない」
「でも、オレに言わせれば、おまえらみたいな蕎麦っ食いの江戸っ子談義の方がずっとカルト色強く見えるけどな」
「て、てめえ」
「変な啖呵切るなよ。勘違いした噺家じゃあるまいし」

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