昨年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝で、中国と韓国が反発を強めている。米国からも「失望」という表現を使われるなど、国際世論の逆風に晒されている。今後の隣国関係にどのような影響を及ぼすのか、津田塾大学国際関係学科の萱野稔人准教授に聞いた。

(聞き手は金田 信一郎)

隣国の中国、韓国との国境紛争が激しくなってきました。

萱野 稔人(かやの・としひと)
津田塾大学国際関係学科准教授。1970年愛知県生まれ。2003年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了(パリ大学哲学博士)。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『超マクロ展望 世界経済の真実』(集英社新書、共著)など

萱野:国境紛争に限らず、中国や韓国との関係悪化はしばらく続くでしょうね。15年前と比べるなら、このかんにどれだけ中国や韓国との関係悪化が進んだかがわかると思います。私たちも、もはやそれに慣れっこになってしまいました。とりわけ中国・韓国との国境紛争が解決の方向に進むことは当面ないでしょう。むしろ、解決というよりは、これ以上状況を悪化させないよう現状維持に努めることをまずは考えたほうがいいぐらいです。

 ただ、関係悪化は何も日中・日韓のあいだだけの話ではありません。歴史問題ひとつとっても、実は中韓のあいだの対立のほうが根深い。高句麗は朝鮮民族の独立国家だったのか、中国史のなかの単なる地方政府に過ぎなかったのか、といった論争や、満州はもともと朝鮮民族の土地だったのではないか、といった論争ですね。

 これは韓国にとっては自国民のアイデンティティにかかわる相当大きな問題です。朝鮮民族はユーラシア大陸において陸続きの場所にありながらも一度も中国には統合されなかった、独立した文明をもった民族だ、というのが彼らの民族的アイデンティティになっていますから。

中国としては朝鮮半島を「属国」とする考え方がある、と。

萱野:属国というか、ただの一地方だった、と。実は中国の国内にも多くの朝鮮民族がいますから、中国も彼らを完全に独立した民族だとあまり認めたくないわけです。それを認めてしまうと、チベット族やウイグル族の問題に加えて、新たな民族問題を抱え込むことになってしまいかねませんから。

 中国としては、国内の朝鮮民族はただの「国内マイノリティー」だという位置づけにしておきたい。ただ、そうなると朝鮮民族は「中国にインテグレート(統合)されるべき存在だ」という話にもなっていく。韓国からしたら当然受け入れられる話ではありません。

 要するに、中韓の歴史問題は「朝鮮民族とはそもそも何か」という問題にかかわっていて、ものすごく根深い歴史問題なんですよ。

日本にいては見えにくいポイントですね。

萱野:北朝鮮の問題がありますからね。国境問題にしたって中韓の対立は本当はかなり根深いのですが、北朝鮮問題という切迫した問題があることで、なかなか前面にはでてきません。

その北朝鮮なんですが、独裁政権として国際社会からは孤立しており、唯一の外交ルートが中国だとみられています。その北朝鮮も「朝鮮半島は中国の一部」という見方は受け入れませんよね。

萱野:そこは棚上げじゃないですか、取りあえず。北朝鮮と中国はそんな話ができる状態にない。だから、話題に上がっていないのでしょう。逆にいえば、もし朝鮮半島の統一ということがあれば、中韓のあいだの歴史問題はものすごく大きくなる可能性が高いということです。

 ところで、北朝鮮と中国との関係でいえば、今回の張成沢(元国防委員会副委員長)の処刑は、中国にかなり大きな衝撃を与えているはずです。

それは外交のパイプが消えたという意味でしょうか。

萱野:それもありますが、もっと大きな意味があります。張成沢は中国の支援を受けながら、中国式の改革開放路線を北朝鮮でやろうとしていた人物でした。

日中開戦の可能性

中国が自分たちと同じような経済発展の道を、北朝鮮にも歩ませようとした。

萱野:そう。中国政府は彼をつうじて、中国式の改革開放路線で北朝鮮経済を国際社会に軟着陸させようと考えていたんです。だけど金正恩が、改革開放路線じゃなくて、あくまでも国家が主導で経済を発展させていくという方針を選んだんですね。具体的には軍主導です。市場経済導入じゃない、と。そこで路線対立が生まれて粛正したというのが、事の成り行きでしょう。

 今年の「新年の辞」で金正恩は経済建設の重要性を強調しましたが、同時に、軍部が経済事業に関与する度合いをどんどん高めています。報道によれば、昨年1年間に北朝鮮メディアが伝えた金正恩の動静の約4割が軍関係のものであり、なかでも最近は軍の経済事業に関するものが目立つそうです。金正恩体制は、市場経済を導入する改革開放路線ではない、違う経済発展の道を選んだのです。

 市場経済化というのは、要するに軍の利権と経済を切り離す、ということですね。経済の脱権力化、ということです。これには軍の利権に手を突っ込むということが不可欠です。それがいかに困難か、ということを張成沢の処刑は明確に示しました。張成沢は核やミサイルの開発よりも経済再建を重視していたといわれていましたから、どこかで軍の利権ともぶつかったのでしょう。これは、汚職や腐敗をなくし中国経済に市場的な健全性を導入しようとする習近平国家主席にも何らかの教訓を与えたと思います。

ということは、北朝鮮経済の今後は厳しそうですね。

萱野:大変です。経済だけでなく、国際社会からの孤立という点でも厳しくなるでしょう。今回の粛清が東アジア地域の情勢に与えるインパクトは予想以上に大きくなると思います。

どこかと軍事衝突を起こす可能性はないんでしょうか。

萱野:衝突という点では、北朝鮮と周辺国とのあいだで起きるよりも、日中のあいだで起きるほうが可能性が高いかもしれませんね。少なくとも諸外国からはそちらのほうを懸念されている。といっても、それも(確率は)低いと思いますが。あるとすれば、尖閣諸島をめぐって不測の事態が起きることじゃないでしょうか。

何かのはずみで、ぶつかってしまった、と。

萱野:それで、引くに引けなくなるところまでいってしまうと最悪ですね。ただ、中国政府もそこまでは望んでいないはずで、国内の世論に対してメンツを保てる範囲に収まるように状況をコントロールしようとしていますが。

 コントロールという点でいえば、今回の張成沢の粛清は、中国にとっては、今後どこまで北朝鮮が自分たちの路線に従うのか、という大きな疑問を突きつけられた出来事だったでしょう。

自分たちの思いと全然違うところにいってしまって、コントロールが利かないと。

萱野:なにせ、金正恩は就任以来一度も中国を訪問していませんし。だから中国政府としても真意を測りかねているところでしょう。単に新しい国家指導者が自分の権力基盤を強化しただけ、というにはとどまりません、今回の粛正は。

なるほど、ちょっと表層的に見ていました。

萱野:そうしたことを考えていくと、やはり首相の靖国参拝はやってはいけないことだったと思います。

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