円安・株高の順風を受ける安倍政権。アベノミクスは好調な滑り出しを見せているが、シティグループ証券エコノミストの村嶋帰一氏は日本を良く知る投資家ほどこの流れに乗っていないという。その理由とは。
(聞き手は渡辺康仁)
2012年の貿易赤字は過去最大になりました。アベノミクスが期待を集めていますが、日本経済の力は確実に弱まっています。
村嶋:東日本大震災後に原子力発電所の稼働が止まり、火力発電で代替したことが貿易収支の悪化要因になったことは間違いありません。しかし、震災前の2010年と2012年を比べると、火力発電の燃料となるLNG(液化天然ガス)の輸入額は2.5兆円程度しか増えていません。これが仮に2010年の水準に戻ったとしても6.9兆円の貿易赤字が解消されるわけではありません。貿易赤字の要因は他にもあると考えるべきです。1つは、リーマンショック以降、世界経済の足取りが重くなり、所得効果を通じて輸出が減少したという側面です。それに加えて競争力の低下も見逃すわけにいきません。電機関連の製品が典型例ですが、携帯電話を含む通信機器はここ5年で年率1.5兆円弱程度、輸出が減少しています。テレビを含む音響・映像機器も大きく収支が悪化しました。
このところの円安・ドル高で音響・映像機器はある程度のプラスの効果が出てもおかしくありません。アジア通貨に対する円高による価格競争力の低下が問題であれば、円安でプラスの効果が出てきます。より事態が深刻なのは携帯電話を含む通信機器です。さらに円安が進んだとしても、日本人が国産の携帯電話を買うようにはならないでしょう。むしろ円建ての輸入価格が上がることで貿易赤字の拡大要因になってしまいます。
輸出競争力の低下には構造的な要因があるのでしょうか。
村嶋:リーマンショック後に対アジア通貨で急激に円高が進んだことが影響しています。さらに言うと、震災後に日本企業のサプライチェーンが壊れたことで、海外メーカーは日本製以外の中間財で自社製品を作れるかどうかを試した可能性が高いと思っています。日本製品はモノ作りに欠かせないという前提条件を疑う動きが広がっているのでしょう。
この2カ月半の円安が輸出数量の回復や輸出価格の持ち直しにつながっていくと思いますが、ドル建て取引の割合は輸入が7割なのに対して、輸出は半分です。初期反応としては円安に伴って貿易収支は悪化します。少しずつ持ち直していくとしても、それだけで貿易黒字には戻ることはありません。
避けられない家計部門の痛み
日本は輸出立国と言われてきました。貿易赤字の構造は受け入れていくべきものでしょうか。
村嶋:日本で稼ぐか、海外で稼ぐかは企業にとって一義的な問題にはなりません。日本の産業立地条件が悪化したり、為替が円高になったりすることで、国内生産が望ましくないということであれば海外に出ていくのは当然のことです。産業の発展段階から見ても、国が豊かになって生産要素の価格が上がれば海外で作るのは避けられない流れとも言えます。ただ、これまでの大幅な円高でそうした動きが過度に強まってしまったという側面もあります。
仮に生産拠点の移転に伴う貿易収支の悪化が避けられないとしても、それはマクロ的には重要な意味合いを持っています。今のところ所得収支の黒字で経常収支は黒字を保っていますが、経常収支も赤字が定着すれば、海外からファイナンスする必要が出てきます。国内の金利形成への影響などかなり大きな問題をはらむ可能性が出てきます。避けられない方向だとは思いますが、それに伴う経済的な帰結はかなり深刻なものになり得ます。
ただし、経常赤字になるのはまだ先のことだと思っています。2020年に接近しないと恒常的に経常収支が赤字になることは考えにくいでしょう。この2年ほどの円高で企業が海外展開を進めましたから、いずれ所得収支を押し上げることになります。貿易収支は半ば慢性的に赤字になると思いますが、経常収支はかなり小幅ながら黒字を維持していく可能性が高いと見ています。
日本経済には「六重苦」がのしかかっていると言われますが、かねて円高のマイナス面を指摘していました。
村嶋:レトリックの問題はあったにせよ、安倍晋三首相の一連の金融政策を巡る発言を受けて円安になったということは、一応、正しい方向です。私の理解では、企業部門をまず強化して、企業が所得を生み出せる状況に持っていく流れだと思いますので、政策を遂行する初期段階で家計部門にある程度の痛みが出てしまうのは避けられません。
円安で輸入物価が上がって、家計の購買力が低下した時に安倍政権に対する国民の支持率は維持されるのでしょうか。あえて悲観的なシナリオを書けば、インフレによって高齢者の生活のレベルが低下するかもしれません。その場合、安倍政権への支持が低下することもあり得ます。
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