「ボスは経営者というよりも事業家だった」。そう語るのはダイエーで副社長などを歴任し、創業者中内㓛氏の長男である潤氏だ。ボスと呼ぶ㓛氏の強烈なリーダーシップのもと、「価格破壊」をスローガンに戦後の流通革命を成し遂げたダイエー。その原点と栄枯盛衰を語った。

1955年生まれ。ダイエー創業者中内㓛氏の長男。80年にダイエー入社。89年代表取締役副社長。99年に退任し2000年までダイエーホールディングコーポレーション社長を務めた。03年から学校法人中内学園理事長。(写真=山本 尚侍)
1955年生まれ。ダイエー創業者中内㓛氏の長男。80年にダイエー入社。89年代表取締役副社長。99年に退任し2000年までダイエーホールディングコーポレーション社長を務めた。03年から学校法人中内学園理事長。(写真=山本 尚侍)

中内潤氏:1957年、大阪市の千林駅前にダイエーの1号店がオープンしました。現在のコンビニくらいのサイズの店にお客さんが入りきらず外で並んでいたと聞きます。

 初日から大盛況となった理由はその安さにあります。日用雑貨を中心に、人々の日々の生活に欠かせないものを圧倒的な安さで売っていました。

 ボス(父親の㓛氏)が全国各地の安く卸してくれる問屋を走り回っては、品物を買い占めていました。どこからか情報を仕入れてきては現金を片手に、すぐに問屋さんへ仕入れに行っていたそうです。

メーカーの価格支配をひっくり返した

 当時はメーカーに価格決定権があり、一つひとつの商品に定価が書いてあった時代です。圧倒的に立場が強く、価格を支配していました。

 ダイエーはそれをひっくり返した。店舗では、例えば定価が120円の商品には手書きで100円と書かれたラベルを店員が貼っていたのを覚えています。

 今のようにSNSのない時代、そして生活も落ち着いていない時代。少しでも安いものを買おうと、口コミを頼りにたくさんの人々が店頭に集まってきました。

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