「ボスは経営者というよりも事業家だった」。そう語るのはダイエーで副社長などを歴任し、創業者中内㓛氏の長男である潤氏だ。ボスと呼ぶ㓛氏の強烈なリーダーシップのもと、「価格破壊」をスローガンに戦後の流通革命を成し遂げたダイエー。その原点と栄枯盛衰を語った。
中内潤氏:1957年、大阪市の千林駅前にダイエーの1号店がオープンしました。現在のコンビニくらいのサイズの店にお客さんが入りきらず外で並んでいたと聞きます。
初日から大盛況となった理由はその安さにあります。日用雑貨を中心に、人々の日々の生活に欠かせないものを圧倒的な安さで売っていました。
ボス(父親の㓛氏)が全国各地の安く卸してくれる問屋を走り回っては、品物を買い占めていました。どこからか情報を仕入れてきては現金を片手に、すぐに問屋さんへ仕入れに行っていたそうです。
■本連載のラインアップ(予定)
・1930年、金解禁:田中秀征氏(元衆院議員・元首相特別補佐)
・1939年、賃金統制令:能村盛隆氏(大和ハウス工業常務執行役員)
・1946年、戦後復興:島西智輝氏(立教大学教授)
・1946年、日本国憲法制定:西修氏(駒沢大学名誉教授)
・1950年代半ば、高度経済成長:吉川洋氏(東京大学名誉教授)
・1961年、国民皆年金:浅野史郎氏(元宮城県知事、元厚生相年金課課長補佐)
・1971年、ニクソンショック:行天豊夫氏(元大蔵省財務官)
・1972年、ダイエー流通革命:中内潤氏(元ダイエー副社長)(今回)
・1973年、石油危機:田中浩一郎氏(慶応義塾大学教授)
・1982年、IBM事件:田原総一朗氏(ジャーナリスト)
メーカーの価格支配をひっくり返した
当時はメーカーに価格決定権があり、一つひとつの商品に定価が書いてあった時代です。圧倒的に立場が強く、価格を支配していました。
ダイエーはそれをひっくり返した。店舗では、例えば定価が120円の商品には手書きで100円と書かれたラベルを店員が貼っていたのを覚えています。
今のようにSNSのない時代、そして生活も落ち着いていない時代。少しでも安いものを買おうと、口コミを頼りにたくさんの人々が店頭に集まってきました。
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