日本を代表する製造業が軒並み厳しい状況に追い込まれている。例えば、家電産業ではパナソニックは7500億円以上の赤字を2期連続で出し、ソニーはTV事業が8期連続の営業赤字、本体の最終損益も4期連続のマイナスだ。シャープは存続も危ぶまれる状況。2013年3月期決算の業績見通しは、営業赤字が1550億円に、当期赤字は4500億円と2年連続で過去最悪を更新している。シャープは「コンサルなど外部の知恵も集め再建の道を探っている」というが、どう再建するのか。今回は個別分析ではなく、日本企業の復活の道筋にフォーカスして、ブレークスルーパートナーズの赤羽雄二氏に話しを聞いた。

 赤羽氏にお願いした理由は、国内外の大企業再建に携わってきた実務者だからだ。コマツの技術者を経て、1986年からはマッキンゼーで韓国LGグループの経営改革に取り組んできた。マッキンゼーでは一般に数カ月から半年程度のプロジェクトが大半を占める中、10年もの長期に渡り、トップと一緒に改革を実践してきた経験を持つ人はそれほど多くはない。日本では4年間、大手消費財企業の組織運営と改革に携わった。2000年からは日本のベンチャー育成に注力してきたが、今年からは再び、大企業の課題解決にも取り組み始めた。「いよいよ日本が危機的な状況になってきた」からだ。

(聞き手は瀬川明秀=日経ビジネス)

日本をけん引してきた大企業が苦しんでいます。製造の現場が海外にシフトし、あらゆる産業がサービス化していく産業転換が進行しているとはいえ、変化に対応する前に、「弱点」が一気に吹き出てきたように見えます。

赤羽雄二(あかばゆうじ)
 東京大学工学部を1978年3月に卒業後、小松製作所で建設現場用の超大型ダンプトラックの設計・開発。86年、マッキンゼーに入社、1990年から10年半にわたってフルタイムで韓国企業、特に財閥の経営指導に携わる。2002年1月、ブレークスルーパートナーズ株式会社を共同創業。IT・ソーシャルメディア・スマートフォン・クリーンテックなどの分野のベンチャーを支援。そのほか経済産業省「産業競争力と知的財産を考える研究会」委員、総務省「ITベンチャー研究会」委員、総務省「ICTベンチャーの人材確保の在り方に関する研究会」委員などを勤める。現在、1社あたり500万円出資、オフィス・サーバー無料提供のインキュベータである、ブレークスルーキャンプ by IMJ 運営統括ブログも運営。

赤羽:トヨタなどの自動車産業、パナソニック、ソニー、シャープ、キヤノン、リコー、ブラザー、カシオ、オリンパスなどの家電・電子機器産業、日立製作所、三菱電機、東芝などの重電・電機産業、富士通、NEC、沖電気などのシステム・機器産業、新日鉄などの製鉄産業・・・かつて栄光に輝いていた企業たちがみな元気がありません。

 産業構造が変わり「もはや製造業の時代ではない」と言われる方もいらっしゃいますが、日本の大企業はこれまで世界の多くの市場でブランドを確立し、大きな利益をもたらしてきました。日本国内でも大きな雇用を生み出してきました。このまま人材を抱えこんだまま倒れれば本当に大変です。

 何万人もの人を採用できるサービス、IT企業には限りがあります。また、雇用のミスマッチもあります。世界中でインターネットやIT関連の企業が爆発的に成長していますが、日本企業の名前を聞くことはほとんどありません。一部の企業のみです。

 大企業の低迷は、雇用不安さらには日本の将来への不安感にまでつながっていると思います。

日本人は昔から「マネジメントが苦手」

 何ゆえに、いまこの時期なのでしょうか?

赤羽:円高、震災ショック、エネルギー不足、世界経済の低迷、中国問題など外的な悪材料がそろっています。ただ、それはきっかけに過ぎません。何ゆえ今か、というよりも「よくぞ、いままでもった」と見ています。日本企業の競争力が低下してきていることは前から指摘されてきたことです。ただ、私としては「低下したのではなく、実はもともと低いのではないか」という仮説を持ち始めました。

といいますのは?

 もともと日本は、ムラ社会をベースにしています。村で暮らす人たちにとっては、チームワークが大事で、強い自己主張をせずに協力し合うことをよしとしてきた社会です。それに加えて、手先が器用で、徹底的に工夫することもいとわない人が多い。種子島の鉄砲のように、あっという間に見よう見まねで大量生産できる高い能力があります。箱庭、盆栽など、限られた空間でのきめ細かな工夫を重ねることもできます。集団での力強さ、能力の高さは、高度成長期の大量生産に特に発揮されました。

 一方で、日本のリーダーが優れているのか、といえば実は違うのではないかと最近は考えています。最近の大企業リーダーに関しては、ご存知の通りです。政治家、官僚も尊敬できるリーダーはまずいません。明治以降の日本軍の歴史を見ると、多くの場合、戦略がお粗末。兵站の混乱、諜報戦の感度の低さなど、だめなリーダーが指揮する組織の典型です。

 日本はチームワーク、団体行動が重要な大量生産は得意でも、成熟期の方向転換、不確定な時代での舵取りは苦手なのではないか、というのが私の最近の考え方です。

 リーダーの問題以外にも、社会全体の保守性の問題があります。不思議なことに、日本はリーダーがいなくなり、「上」がいなくなった混乱期だけ、若者が出てきて元気になるのです。幕末の混乱、終戦直後しかり。日本は組織、社会としての「上」がいない時に成長します。戦後成長してきたのも、年寄りたちがいない混乱期ゆえ、誰もがチャンスがあったのです。ライバルとなる国も周辺にはいなかったし、米国の購買力が一気に伸びた時代です。この追い風にのって輸出で急成長し、終戦23年後の1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で世界第2位に達しました。

 日本企業は、90年代までは比較的順調に発展して来たと思いますが、このプロセスの中で、優れた経営者がいたのでしょうか。

 確かに、現場でのエピソードは豊富です。社長が現場で指揮を執り、「もっと小さなモノを作れ!」「軽いものを作れ!」「もっと安くいいものを作れ!」という掛け声で、世界中で売れる家電・半導体・携帯電話・自動車・鉄鋼等を開発し、事業を拡大してきました。ところが、事業を大きく右から左にかじ取りする大胆な意思決定で成功した企業は、実はそれほど多くなかったのではないでしょうか。もちろん本田宗一郎さん、松下幸之助さんなど素晴らしい経営力・人間力をもった経営者はいらっしゃいましたが、あの時代だから大成功したわけで、現代の経営者に求められている経営の判断ができたのかどうかは未知数です。

 ですから「昔の日本人経営者は素晴らしいのに、今の連中はなぜできない」と言うのは簡単ですが、ちょっと違うのかも知れません。もともと日本人は、あるいは日本人の組織は、今の大企業が必要としているような経営の舵取りに必要な意思決定、ダイナミックな方向転換、システム構想力は苦手だったのかも知れないと思い始めています。

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