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3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/02(月) 13:38:42 ID:b7FE+LD00
儒教ってそんなに悪いか

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 15:41:20 ID:NghaeK200
>>3
「道徳」としては悪くないけど「政治思想」としては村落共同体ぐらいの為政者と住人の顔が見えるぐらいの規模でないと通用しないと思う。

朱子学などの新儒教は道教や仏教などの世界観と世界を説明する理屈をパクって取り込んだ思想なので元々の儒教とはかなり異なった存在になってます。

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/20(金) 01:25:09 ID:4ctUUS5C0
>>35
戦前の日本の精神主義的な傾向は陽明学の間接的な影響によるところが大きいと思う

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/06(土) 01:31:58 ID:cAZIB18z0
>>46
反逆者大塩平八郎や幕末の志士が陽明学を好んだのは、その頃、幕府が朱子学を選考させてたからだけどな。
つまり、右も左も完全に儒教漬け。韓国以上に儒教国家だよ。

まあ、儒教を食わず嫌いしてる奴は、これでも読んで
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1264270163/

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/06(金) 11:17:36 ID:iJWTZ63z0
19世紀後半に清や朝鮮がなかなか近代化できなかった原因のひとつに、儒教思想の影響が大きいとある本に書いてあった。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/06(金) 11:39:28 ID:F3J2D3+pO
中国語文化圏はむしろ「道教」じゃないの?

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/06(金) 12:28:24 ID:TNCbzina0
現代日本人から道徳心が失われたのは、儒教を蔑ろしだしたからだろ、常識的に考えて……。

戦前の国家神道(教育勅語その他)だって、戦争に入るまでは、あれは神道の皮を被った洪武帝式国家儒教だったし……。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 15:41:20 ID:NghaeK200
>>9
日本の庶民の道徳としては江戸時代に発生した石田梅岩の石門心学の方が遥かに影響は大きい。儒教は所詮武士の「教養」に過ぎない。

あと戦前の日本は薩長の首班が欧米の発展はキリスト教が根っこにあると分析して天皇をキリスト教の代わりに使った擬似一神教社会じゃないかと。
天皇の権威をバックにフランス革命以降欧米で主流になった国民国家を形成した訳で。


44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/13(木) 15:06:35 ID:mZIOEjE4O
>>35
>天皇をキリスト教の代わりに使った擬似一神教社会じゃないか

自分もそう思う。
ただそれを企んだ人たちの根っ子には、もうどうしようもなく儒学朱子学臭い物が敷きつめられて、その辺りに因する諸々が後の世に大日本帝国の自滅的状況を招いたのだと思ってる。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/05(土) 12:14:10 ID:nJIYDMvA0
儒と法をほどほどに混ぜ合わせるのがよい。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/23(水) 14:10:46 ID:WLaYqyx20
孔子も法務大臣をやっていた時は厳格な法治でやっていた。
でなきゃ数ヶ月で治安が目に見えて改善されるなんて有り得ないよ。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/11(月) 23:23:13 ID:JYmG7b+E0
孔子さん、かなり鬱陶しい人だったんだろうと思う。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/11(月) 23:35:51 ID:WRoOGWcSO
メシにもイチイチけち付けるからな
海原遊山かと

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 15:32:36 ID:71g19m4c0
>>17>>18
孔子はん、性格上の問題点を変えられれば、受け入れてくれる国があったかもな。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/15(水) 10:30:20.52 ID:aC8NR53F0
>>18
美食を追求したわけじゃなくて、衛生管理を徹底させてただけだと思うが。

論語の「切り方の正しくないものは食べない」
というのを曲解したのが後世の美食家・海原雄山みたいな奴らなんだろうが、冷蔵庫の無い時代なんで、肉の削ぎ落としが拙かったら腹壊して死ぬだろ。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/02(金) 21:07:14 ID:FXEKp0xxO
よく儒者は尭・舜を聖人とし、禅譲を理想としてますよね。
しかし、一方では帝王の世襲を前提として容認し、後継ぎが幼少だったり愚鈍だったりしても、よくもり立てれば忠臣とされますよね。
プリミティブに徳治主義を貫くならば、世襲制を批判し無ければならないと思うのですが、この辺りの矛盾を明快に説明してる儒者っているんでしょうか?
儒者が「聖人」とする人に、尭・舜や文王・武王・周公旦などいますが、これらの人達の行動はそれぞれ矛盾しているように思えます。

天下の大半を押さえていても「暴君」紂王に仕えた文王と、その紂王を放伐した武王が同じ「聖人」のカテゴリーで賞賛されては、結局、勝者や権力者が自身に都合がいい場合に文王と武王の規範を使い分けることができてしまいます。
つまり、新たに王朝を興すときは尭・舜や武王の規範で自己正当化し、王朝を興した後は文王や周公旦の規範を臣下に強いるといった感じです。

このダブルスタンダードを克服しようとした儒者は居るのでしょうか?

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 10:18:51 ID:0SpX1XhD0
>>24
儒教は帝王の思想なんじゃないかな?
つまり勝者に都合のいいというか、そういう下地を用意したようなものだと思う。
血で血を洗う戦争を勝ち抜いた勝者へ道理を強引に繋ぎ合わせるための思想にも見えるな。
古代の帝王をその思想の「聖者」として祭り上げておけば更にいいカモフラージュにもなる。
最近はどう食い違ったか三国魏の曹操は儒教の虜にはならなかったと言われてるが、絶対家長主義なんかも持ち合わせてるから十分に儒教概念の中にある人なんだよね。
権力者は必然として差別社会の頂点に立ってるから儒教からは逃れられんでしょ。
儒教の本質は寧ろ、専制君主、世襲制などを骨格とした差別主義で、逐一横並びの徳治主義は老荘思想への接近から生まれたものなんじゃないかな?
儒も老荘も、やはりそれなりの妥協をして歩み寄りを見せているみたいだしね。


31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/04(日) 15:50:58 ID:AaozInnx0
>>24
その手の矛盾に究極の楔を打ち込んだのは荘子。
万物斉同説にたどり着かない限り世の二元論は延々と続くよ。
まあ、人間は感情ありきの生物だしダブルスタンダードでいいんじゃない?

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 18:06:33 ID:In2CaH9vO
儒学がというより、この世は、ダブルスタンダードで成り立っている。
時代劇で、幕府転覆を図る集団が、悪役として出てくる。
じゃ、彼らと幕末の志士達との違いは?
ある時まで正しいとされたものが、ある時を境に間違いとされることはざらにある。

ある人物を忠臣として讃え、ある人物を創業者として讃える――別に不思議なことはないと思うが。
要は、その人物が何を成し遂げたのか?なんだよ。
自身の得た(もしくは持っている)権力で時代を切り開き、国民に安定をもたらしたのなら、それを必要以上に批判する事は出来ない。
儒学だって同じ。
それをダブルスタンダードと呼ぶのなら、何事でもダブルスタンダードを孕んでる。
明確な線引きなんてこの世にはないし、ドコでもグレーゾーンはある。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 18:34:01 ID:In2CaH9vO
で、孟子は極端な民本主義者で、その部分は孔子すら凌駕している。
『民を貴しと為し、社ショクこれに次ぎ、君を軽しと為す』
『一夫チュウを誅するを聞く、未だ君をシヒするを聞かず』
と主張してる。

だからといってドコまで君であり、ドコからが一夫となるかの線引きはない。
政権が安定してれば、凡夫ですら君主としてつとまるが、命運の尽きた国家なら、英主たれども支えきれない時もある。
じゃ、いつから権力奪取して良くて、君主を盛り立てていかないとダメかは、孟子には書いてない。

コレが儒学初期のイメージ。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 22:24:29 ID:wKdgN4nX0
>>28
いつから、じゃなくて、「聖人」だけが権力を前の王朝から受け継ぐ(奪取する)権利がある、というのが基本のイメージ
で、孟子のころ~前漢あたりまでの儒者は、「五百年聖人説」を唱えていた
これは「聖人」は五百年に一度現れる、というもの
一応孟子はいつなのかを示しているわけだ

ちなみに「聖人」周文王から五百年で「聖人」孔子が生まれた、というのが儒者の主張
彼らによると孔子は周から権力奪取して天子になってもよかった人物なのだ
(だからのちに王侯に追尊されたり天子の儀礼を使用するようになる)
そこからさらに五百年後というと前漢半ば~末期であり、王莽が皇帝として一度は支持された背景にもおそらくこの五百年聖人説がある

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/03(土) 23:11:39 ID:In2CaH9vO
孟子自体が矛盾だらけの書物だからね。論理が破綻してるトコあるし。
性善説を説きながら悪を認めてるし。

儒学を学問として捉えず、著者の思考を読み解く鍵として読むと、面白いんだ。
なんか知的ゲームみたいなんだよ。

その説の矛盾を突かれて、どう弁明しているか?
その考えに至った経緯と、それゆえに出でた結論。
その遍歴をたどったりすると、けっこう考えさせられる。

孔子のとく聖人と、孟子のいう聖人には、微妙な差があるし。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/04(日) 19:58:29 ID:WeeXvxzHO
>>24ですが、みなさんレスありがとうございます。

オイラ自身、全く矛盾の無い思想(イデオロギー)にはお目にかかったことはないので、矛盾の有無自体はそれほど問題にするつもりはありません。
ただ、殉教者のような「忠臣」が出てくるくらいなら、文王と武王の行動の矛盾を内心でどう折り合いをつけていたのかが気になったわけです。

司馬遷は『史記』で、紂王を放伐した周の粟は食わぬとして餓死した伯夷・叔斉について、「天道、是か非か」と嘆じていますが、この問題を儒家はどう解決しようとしたのか、大きなテーマだと思います。

伯夷・叔斉を天命を理解出来なかった愚か者として批判しているならまだいいんですが、宋学なんかだと至徳の人とされてますし、かといって孔子が理想とした周朝を簒奪者とするつもりも無いみたいですし。

後世の異国人たるオイラには、どんな理屈で整合性を保とうとしたのか不思議に思えるわけですね。
やっぱ、この矛盾は無視して思考停止してたのかな?
ここを儒家に敵対するような思想集団から突っ込まれでもしないと、なかなか論理的に発展しないのかな?

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/05/15(水) 10:56:01.93 ID:aC8NR53F0
>>32
孔子が伯夷叔斉を褒め称えたのは、よほどの乱世でもない限り、彼らの取った行動と言うのが、宗室を守る傍系家臣の姿として間違いではなかったからだよ。
三桓氏が伯夷叔斉のようであれば、魯に揉め事なんか起きてないぞ。と言うだけの話だろ。
あと、周公旦は三監の乱がおきるまで殷王室を分離すらせずに残していた。
三監の乱が起きた後でも社稷を滅ぼしてしまわなかった。
これは周公旦がエライと言う話でもあるけど、殷の王室が滅びに際してヤケッパチにならず、伯夷叔斉が犠牲になって殷の遺風を示してくれたからだという所が大きい。

太平洋戦争の後、昭和天皇がヤケッパチになって皇居を枕に近衛兵と討死にとかした場合、皇太子殿下や宮様連中が同じように我欲を張ったら、アメリカも皇統を滅ぼさざるを得なくなるだろう。
社稷(国体)を守るということが戦いに負けた後も、さらに重要だという事を伯夷叔斉の故事が伝えてるって話だよ。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 12:23:04 ID:2E0IBS1gO
節を貫いた伯夷たちはエライ
暴虐の紂を倒して天下を統一した周王もエライ
どっちもエライ、ってある意味単純なスタンスだよね

しかし反乱者として断罪された董卓にさえ命がけで死体を埋葬しようとした部下がいたように、主に殉じるという行為と儒教的規範は接してはいても同一ではないんだと思う
主に殉じるというのは任侠的なメンタリティが根底にありそうな気がする

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/14(土) 22:19:37.21 ID:QXH6iVIR0
「教」とつくと宗教くさくなるね。
儒教は宗教じゃないから分類がいろいろめんどくさいことになる。
儒教は教義が人間社会における「徳」なので、どう考えたって宗教じゃないんだが。

道教は、老荘なら単に思想だが、後世に神様になっちゃって宗教になった。
仏教も「禅」は思想や哲学だが、信仰の対象の木彫りや金属の彫刻を拝むような、人間の行動規範としては本来意味のないことをやって宗教化した。

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/15(日) 01:56:29.69 ID:U1PLfDTE0
>>71
儒教は一言で総合的に言えるようなもんじゃない。
孔子も董仲舒も朱子も日本の儒学も全部儒教だかんね
それらで内容も大きく違う

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/15(日) 12:13:32.37 ID:CirZQARD0
儒教が宗教なら、ソクラテスやマキャベリは宗教たりえるんですか?

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/02/02(日) 21:59:32.45 ID:f/Wynm+a0
儒(じゅ)の起源については、胡適が「殷の遺民で礼を教える士」[9]として以来、様々な説がなされてきたが、近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。
東洋学者の白川静は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え、そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子とした[10]。



この起源を見ると、明らかに宗教だな。
先祖崇拝教からはじまってる。
日本の神道ですら先祖的な立場の古代の偉い人物を神として祀った形跡がある。
儒教には学問的側面は強いが本来宗教かもしれない。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/02/03(月) 22:28:51.24 ID:x+T18Ap20
孔子以前はそうかもしれないね。

ただ孔子は違うよね。

孔子は、「怪力乱神を語らず」なもんで。
伝統的な呪術や神様をあからさまに嫌ってたよね?
そこに神秘性なぞはかけらもなく、鬼神は敬して遠ざける(敬遠の故事)ものだし。

神がいない思想を宗教と呼べるのかまずそこから。

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/10(土) 07:45:00.00 ID:eaxsLYRb0
>>103
嫌ってたんじゃなくてそれにすがるなってことじゃないの
人事を尽くして天命を待つ的な感じで
そういう人知を超えたものに対してどうこういっても始まらない
ましてや頼みごとなどとんでもないってことだと思う

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/24(木) 15:23:43.15 ID:3kn4uQJJO
孟子も荀子も儒家だけど、孟子は性善説で荀子は性悪説。最終的に儒教はどちらを採用しているのでしょうか 。

性善説も性悪説も環境が人格形成に影響を与えるという点では一致しているけど、性善説は人間は生まれながらに徳を供えていて、悪いものを見たり聞いたりせず親やコミュニティが仁愛をもって大切に育てれば必ず善い人間になるという立場であるのに対し、性悪説は人間の本性は邪悪で親や師が何が善で何が悪であるかを教え鋳型に流し込んで形を作らなければ邪悪な本性を剥き出しの手の付けられない大人になるという立場を取っています。

まったく正反対だがどちらも儒家です。

最終的な儒教の立場は性善説と性悪説のどちらでしょうか。

142: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/24(木) 23:08:40.66 ID:k02GXNq40
荀子の性悪説における悪とは邪悪ということではなくて欲望に負ける弱さのことです。それを教育し礼によってしつけるのが荀子の思想です。
これを学んだ韓非子は法によって人の行動を律する法家の理論を完成します。
韓非子の理論は同門の李斯によって始皇帝の元で実践されることになります。

学問的には南宋の朱熹が孟子を高く評価したことで孟子が主流という扱いになってます。

引用元: ・【忠君愛国】儒教思想を語る【三綱五常】