411n6e1mWIL







5: 世界@名無史さん 2008/07/03(木) 23:10:59 0
全権委任法は期限が切れるごとに更新していたの?

全権委任法は、ヴァイマル共和政下のドイツ国において1933年3月23日に制定された法律。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による事実上の一党独裁制の下、アドルフ・ヒトラー首相が率いる政府に、ヴァイマル憲法に拘束されない無制限の立法権を授権した。


7: 世界@名無史さん 2008/07/04(金) 19:27:22 0
>>5
1937年1月30日に4年延長
その後は形跡なし
戦争に突入し合法性もへちまも無くなったんじゃないか

8: 世界@名無史さん 2008/07/04(金) 19:50:23 0
>>7
こういうことは戦争中でもきちっとやるドイツ人らしくないな。

全権委任法

1943年には『政府立法に関する指導者命令』(総統命令)によって、全権委任法の権限を今後も政府が行使すると規定された。この措置により全権委任法自体は延長されず失効したものの、その効果は政府が保持し続けることとなった。この命令では「国会がこの措置を批准することを留保する」という文言が存在したが、国会は1942年4月以降開かれず、批准措置はとられなかった。

12: 世界@名無史さん 2008/07/05(土) 20:55:05 0
元皇太子を亡命先から呼び戻したのはラーテナウだったっけ?

13: 世界@名無史さん 2008/07/06(日) 01:13:37 0
>>12
シュトレーゼマン内閣時代の1923年11月11日に帰国してるけどそれ以前にラーテナウが尽力してたということは確認出来ない
そうだとしても不思議ではないが

29: 世界@名無史さん 2008/08/01(金) 22:33:30 0
ディートリッヒがズボン履いてパリを訪問したとき、パリ警視庁は風俗びん乱で検挙しようか迷ったという
この時代のドイツって風俗、文化の最先端だったかも
実際、バウハウスからの亡命者が、アメリカに世界初のガラス張りのビル建設している

30: 世界@名無史さん 2008/08/01(金) 23:09:09 0
>>29
それが平均的ドイツ人から反感をかったのかなあ・・・
ハイパーインフレで資産を無くした人も多かったし

594: 世界@名無史さん 2009/09/05(土) 22:54:07 0
>>30
東西ドイツ統一直後のドイツでも、ガラス張りのビルが嫌われて、石造りの建物が流行ったな
あの頃が、ヘルムート・コール首相の絶頂期

31: 世界@名無史さん 2008/08/01(金) 23:11:03 0
まあ、この時代のドイツは、大都市(とくにベルリン)と他の地域は、全くの別世界だよなあ。

46: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 02:27:16 O
大戦後ドイツ共和国は、共産主義あるいは社会主義武装組織による暴力デモ、ストライキが頻発し治安は酷く悪化していたし、当然経済活動も停滞した。
(そもそもヴァイマール政府自体が武装蜂起によってなされたもので、当時ドイツで武装蜂起による政権への圧力は一般的に取り得る手段として認識されていた)
ナチ党も初期は上記の武力による革命を指向したが、合法的手段へ方針を転換して不安定な社会に失望していた民衆の支持を得た。
また社会の安定と経済の再生を掲げ、反社会的活動を続けていた社会党共産党(党の私兵組織を有した)を弾圧し、またそれらの組織を支持しない大多数の国民もナチ党を支持した。
結果的にはナチ党もユダヤ人弾圧など極めてイデオロギー的な政党であって、はっきりいって同じ穴の貉に過ぎなかったが、ドイツを混乱から脱却させただけその他の党組織よりマシに見える


48: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 07:56:31 0
ナチスはクーデター目指してた時代より合法的に選挙に打って出た時代の方が犯罪性が強くなるのが面白いところだな

49: 世界@名無史さん 2008/08/05(火) 05:05:21 0
この時代、特にハイパーインフレの時は合法、非合法を問わず破壊的な政治運動が高揚したのは事実
国民からすればベルサイユ条約に基づく戦時賠償がその原因と感じられたのでは
(政府も失政の責任回避のために誘導した可能性も有るか、文献を当たったが見つけられなかったが)

その後共和制を支持する、しないを問わずベルサイユ条約改定は上下一致、左右一致の国論となった
こういう中で責任を引き受けたシュトレーゼマンは政治家として凄いと思う
本質的に(戦前の政治姿勢をみれば一目瞭然)ナショナルリストだとしても非難する理由はないと思う

52: 世界@名無史さん 2008/08/05(火) 06:36:52 0
>>49
国民の目にはそう見えたんだろうな
本当はカイザーが乱発した戦時国債が敗戦で紙切れになったことが原因なのに

79: 世界@名無史さん 2008/09/09(火) 01:04:26 0
ぶっちゃけ誰かがベルサイユ条約に対して大ナタを振るわないとガタガタのままで復活できなかったんじゃないの?

80: 世界@名無史さん 2008/09/09(火) 02:00:09 0
そりゃ賠償金の返済予定が1990年代だからな。
賠償金要求を途中で辞めたからベルサイユ条約はチャラwwwとか抜かしてるやつが居るが、そのままだと再軍備したドイツが対仏開戦しそうだから止めただけとしか思えない。

英仏が善意でそんな事するわきゃねえだろと

81: 世界@名無史さん 2008/09/09(火) 02:09:53 0
しかしまあ、なんであんな、「極右か極左以外は売国奴」みたいな雰囲気の国になったんだか。
しかも共和国成立のかなり初期から。

82: 世界@名無史さん 2008/09/09(火) 12:30:04 0
>>81
比例代表制選挙が原因。

個人で立候補できないから中道右派や左派の付け入る余地がまったく無い。
一人や二人なら頑張れば議会に送り込める勢力はゴロゴロ居たがそいつ等に参政権与えなきゃそうなって当然

83: 世界@名無史さん 2008/09/09(火) 17:25:16 0
>>82
SPD(ドイツ社会民主党)とかは普通に組織で選挙やってたんじゃない?
むしろ、比例代表のせいで、少数政党が乱立し、安定した政権がつくれなかったからだと聞いたが
だから戦後、得票数の下限が定められたと

123: 世界@名無史さん 2008/09/14(日) 15:19:51 0
しかしワイマール共和国のガラガラポンポン度合いは何なんだろうか
あと亡霊かゾンビのような社会民主党の陰湿さも
ナチスドイツ誕生の原因作った張本党なのに戦後の政権与党って・・・・・・・・・・・

145: 世界@名無史さん 2008/10/22(水) 22:39:36 0
俺が中学の時の世界史の教科書
「ワイマール憲法は当時では一番民主的な憲法です」
こういう記述ちょっと著者の主観が入ってないか?

出版社は捨てたから分からないが・・・

147: 世界@名無史さん 2008/10/23(木) 01:03:18 0
「当時」だからなー。
評価の難しいところ。

148: 世界@名無史さん 2008/10/23(木) 01:05:45 0
まあ、憲法と内容と理念はともかく、体制としてはさっぱり民主的じゃなかったしねえ。

150: 世界@名無史さん 2008/10/23(木) 01:26:26 0
左右の極が強くなりすぎて機能不全に陥ったな。

155: 世界@名無史さん 2008/10/26(日) 01:44:07 0
ナチか共産党かどっちかを政権内に取り込まないと行けないような状況になったのは悲劇だよな。
まだナチの方がましな感じするし。

ブリューニングの政策にもう少しヒンデンブルクが我慢してればって部分はあると思う。
「飢餓宰相」って仇名されるブリューニングも大概だが。

156: 世界@名無史さん 2008/10/26(日) 03:00:36 0
>>155
ヒンデンブルグは80代の老人で多くを期待するほうがそもそもムリ
ブリューニンク内閣の成立も議会で1/3の議席を占める社会民主党の政権離脱で多数派の形成が不可能になったからだが、首相任命の経緯はともかく議会での消極的支持派の獲得(かなり居ただろうに)に努力した様子もない(はなから48条に頼る姿勢が明確)

当時のドイツの経済は外国資本の投資に依存する度合いが高く巨額の賠償支払いが財政を圧迫した
恐慌の影響は深刻

戦後出版された「回想録」にはこの辺のことはどう書かれているのだろう?

ブリューニング

ドイツの政治家,政治学者。30年 P.フォン・ヒンデンブルク大統領から首相に任命され経済恐慌の克服に努めたが不況を打開できず 32年辞任。その間非常大権を連発して国会軽視の慣習をつくりワイマール体制崩壊の一因として批判を受けた。


157: 世界@名無史さん 2008/10/27(月) 00:33:52 0
ブリューニングは議会の支持を失った時点で一度辞職を申し出てるんだよね。
それをヒンデンブルクが許可せずに所謂「大統領内閣」の樹立に踏み切った。
そこまで信任してるならとことん行けば良かったんだけど。

ブリューニングのやったことはドイツ経済の悪化を放置して賠償金支払いの能力がないことを連合国に知らしめ、賠償義務を解消しようっていう危険な政策だけど、ナチや共産党の統治と較べてどっちがましか?って考えると難しいんだよね。

彼のやったことの結果として議会から超然としたパーペンやシュライヒャーの内閣が出来ては潰れ、議会に圧倒的な勢力を保有するナチ党に政権を委ねるという選択が不可避になった。
功罪の評価が難しい人物ではある。

162: 世界@名無史さん 2008/10/31(金) 23:10:53 0
>>157
ご指摘の通りだと思う

聖職者(確か)だから政治的柔軟性に欠けてたのかな
現在だから尤もらしいことが言えるけど・・・

163: 世界@名無史さん 2008/11/01(土) 15:03:34 0
現在、ワイマール憲法がワイマール共和国の中でどのように運用されていったか(?)みたいな事について調べてるんですけど、いい文献とかありますかね?
一般的に「当時最も民主的」みたいないいかたをされるワイマール憲法を保持しているにも関わらず、なぜ14年で崩壊したのかっていうのを憲法に重点を置いて考察したいなー、と思ってるんですけど。
あと、もしこれに関していろいろ意見があったら是非教えて下ると嬉しいです。

164: 世界@名無史さん 2008/11/01(土) 19:18:36 0
>>163
ちょっと古いがE.アイク「ワイマール共和国史」(全4巻・ぺりかん社)を勧める

そもそも憲法の条文だけで国政がうまくいくことはない
それを可能にする社会的経済的条件が必須(結果的にこの憲法のいわゆる民主的諸規定は政治経済の不安定さを助長した)
またそれを支える政治勢力が必要だが、社会民主党(特に左派)はこの憲法秩序よりも社会主義を志向してた
穏和保守党(人民党、中央党)は明確に帝政に反対する政党とはいえなかった
積極的支持は民主党ぐらい
国家人民党、共産党ははいうまでもなく反対の立場


>なぜ14年で崩壊したのか

というよりも上記の理由で14年しかもたなかったともいえる

勿論反論は有るだろうけど

165: 世界@名無史さん 2008/11/01(土) 21:47:06 0
>>164
ありがとうございます。
ちょうどその本借りてて、読もうとしていたところw

>それを可能にする社会的経済的条件が必須(結果的にこの憲法のいわゆる民主的諸規定は政治経済の不安定さを助長した)

これっていうのは例えば、比例代表制導入のせいで、しょっちゅう入れ替わる大連立組まなきゃいけなくなって、結果、内政の混乱を増長させちゃった、みたいなことですよね?


>またそれを支える政治勢力が必要だが ~

まだそれ程深く調べてない為、完璧に理解出来なくて申し訳ないのですが、そもそもあの憲法を積極的に支持していたのは民主党だけで、あとの政党はそれぞれの理由で不満の残る憲法であった。
憲法制定した段階で既にワイマール連合とかいう微妙に考えが異なる与党が成立して、お互い妥協せざるを得なかった=プロイスの案がほぼそのまま採用された、みたいな考えでおkでしょうか?

そういった理由からそれぞれに不満があるから、自分達に都合のいいように憲法を拡大解釈していった、みたいな事があれば(特に基本権全般と48条で)憲法に主軸をおいて論文かけそうですけど、そういう資料が十分にないとちょっと難しそうですね。

166: 世界@名無史さん 2008/11/01(土) 22:30:40 0
>>165
>これっていうのは例えば、比例代表制導入のせいで、しょっちゅう入れ替わる大連立組まなきゃいけなくなって、結果、内政の混乱を増長させちゃった、みたいなことですよね?
 
それも勿論有るがたとえば労働者の会社の経営に参加出来る権利(共同決定権)とか、人民発議の規定とか
象徴的なのは初代大統領エーベルトに対する誹謗中傷(政治的プロパガンダ)の名誉毀損に対する裁判で、名誉毀損は認められたが傍論だが戦時中に彼が指導したストライキは反逆罪に相当する(戦時中でも罪に問われていない)との判決が出てる
(勿論司法官自身の政治的立場が反映してると見てるが)

留意すべき点は
1.いわゆるヴァイマル連合が議会多数派を形成したのは9回の議会選挙で2回(ヒトラー内閣でのものを含む)
2.2代大統領ヒンデンブルクは明確な帝政派
つまり国民の中でも支持者が多数では無かった事

167: 163 2008/11/01(土) 23:05:01 0
>>166
度々ありがとうございます。
しかし、自分の勉強不足で今一つかめないorz

・ヴァイマル連合が議会多数派を形成したのは2回
これはどういう意味で問題なんでしょうか?
憲法制定時の多数派がその後殆ど支持されていない=憲法もそれ程支持されていない?
それは違うかw

・ヒンデンブルクは明確な帝政派で、多数に支持されていたわけではなかった。
自分の読んだ文献(確か平凡社のドイツ帝国の興亡)には、「ヒンデンブルク」という過去の栄光である存在をドイツ国民が支持した。
という感じの記述があって、そういった意味でヒンデンブルクや右派政党がその後国民に支持されていったのかな、と思っていたのですが。

168: 世界@名無史さん 2008/11/01(土) 23:34:30 0
>>167
少なくても主要な事実はご存知のようだし文献もそれなりに読まれてると感じる
俺の主要な意見は書いたつもりだ

今度は貴方の番

169: 163 2008/11/02(日) 00:11:03 0
>>168
自分の意見、というか思ったのが、確か第48条の発動頻度ってヒンデンブルク時代よりむしろエーベルト時代の方が多くて、そしてエーベルト時代はそれなりに意図された働きをしていた。
しかしヒンデンブルク時代には権力分立を崩壊させる原因になってしまった。
この間における解釈の違いは
初期・・・警察や司法なんかじゃどうにもならなかった場合に限り行使されるべき
後期・・・立法府や政府の活動を妨げる、危害を加える障害の発生(議会による法律の拒否、さらに緊急命令の撤廃)によっても行使される
という感じでどんどん拡大解釈されていってる経緯があって、共和国の歴史に於いて、どのように拡大解釈されていったのか、という点。
あと、48条によって基本権も制限化だったはずなので、それについてもどのように行使されたのか、見たいな事かけば多少はそれっぽくなるかなー、とは思っています。

なんか期待されていたようなことかけなくてすいません。

ヴァイマル憲法

第48条:公安の安全及び秩序に著しい障害が生じ、或いはその虞がある時は、大統領は障害回復のために必要な措置を取り、この為に武力介入ができる。また、この為に大統領は国民の基本的人権の全部、又は一部を暫定的に停止することができる。


170: 世界@名無史さん 2008/11/02(日) 01:24:41 0
結局大統領が首相を任命するわけで、その点日本の旧帝国憲法と似てる。
社会の一体性というか、国民的合意が存在しなくなって極右・中道・極左が拮抗した時には大統領が首相を指名するのは仕方ない。
それが緊急避難を逸脱してヒトラーの首相指名にまで至ったこと(ナチ党は未だ過半数を制していなかった)は結局下部構造としての経済と上部構造としての国民意識が崩壊した結果じゃないかね。

まさか大統領ヒンデンブルクで首相テールマンてわけにはいかないだろうし。

171: 163 2008/11/03(月) 10:03:09 0
>>170
ありがとうございます。
なんかちょっと見えてきた気がしますw
憲法48条云々以前に、議会がどんどんとっちらかっていくことによって、議会の権限がどんどんなくなっていった、ていうようなことでしょうか?
それが進行していく事によって、大統領政府、最終的にはヒトラー政権を容認してしまう結果になってしまった、というような。

224: 世界@名無史さん 2008/12/09(火) 19:44:53 0
ヒンデンブルクって帝政復活したがってたはずなのに、とうとう死ぬまで実行しなかったな。
非常大権を行使しまくってた二期目のブリューニング内閣あたりで、さっさと帝政復活しとけば自らの老耄による迷走もヒトラー内閣の出現も避けられたのにな。

225: 世界@名無史さん 2008/12/09(火) 20:10:39 0
>>224
帝政を復活させられるほどの民意も基盤も政治力も存在しなかった>ヒンデンブルグ
彼の帝政復活志向は、個人的な願望以上の物ではなかった。

226: 世界@名無史さん 2008/12/09(火) 20:14:47 0
素人考えなんだけど、シャイデマンが先走って帝政廃止を宣言したりせず、立憲君主制の下でエーベルト内閣で乗り切っておけば、極右が暴れることもなかったんじゃないの?

ゼークトがいれば、とりあえず軍部はなんとかなったろうし、極左は鎮圧できるし。

227: 世界@名無史さん 2008/12/09(火) 20:20:52 0
>>226
> 素人考えなんだけど、シャイデマンが先走って帝政廃止を宣言したりせず、立憲君主制の下でエーベルト内閣で乗り切っておけば、

極左が大暴れして革命起こっただろうねどのみち。

引用元: ・ヴァイマル共和政時代のドイツ国



ワイマル共和国史 1
ワイマル共和国史 1
posted with amazlet at 19.06.19
エーリッヒ・アイク
ぺりかん社
売り上げランキング: 513,804