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1: 世界@名無史さん 2010/12/30(木) 20:24:35 0
インドネシア、カンボジア、シンガポール、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、東ティモールの歴史について語るスレです。








282: 世界@名無史さん 2015/05/28(木) 21:42:34.97 0
東南アジアってインド文明圏というわりには、当のインドは大陸というか中東との結びつきが強くて異質だよね

289: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 19:55:01.83 0
タイとかベトナムとかカンボジアとかあの辺りがインドと中国の影響を受ける前の独自の文化ってどんなのがあったの?
英語でもいいからそういうのを解説してるサイトがあったら教えて

290: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 20:55:28.78 0
9世紀以降でないと、文字記録が少ないし、インドの影響が入る前を客観的に知る方法は難しいな。

291: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 21:42:01.77 0
バーンチエン遺跡の文化とドンソン文化、後はフィリピン系のチャンパー人の文化くらいか
バーンチエン遺跡はメコン川流域の文明だそうだが、なんで黄河文明やインダス文明みたいに発展しなかったんだろう
仮にも大河だし流域で農耕も可能だったのに

バーンチエン遺跡は、タイ・ウドーンターニー県・ノーンハーン郡にある古代文明の遺跡。バーンチエン遺跡では土器を中心に動物の骨なども見つかっており、黄河文明・メソポタミア文明とは違った、東南アジア独自の文明として注目を集めている。

土器には独特の渦をもった幾何学模様をもつものがあり広く知られている。なお、紀元前数千年というタイの有史以前の時代のものであり、文明の主である民族は今のところ不明とされている。


ドンソン文化は、ベトナム北部の紅河流域を中心に成立した東南アジア初期の金属器文化。
ドンソン文化は、共伴する中国遺物の年代により、紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて続いたとされる。

293: 世界@名無史さん 2015/08/03(月) 13:19:16.69 0
タイ族が南下する前や華人が南下して越南に流れ込む前って資料ほとんどないよね?
真臘の風物を書き残した明の役人はいたらしいけど
そのころの真臘ってすでに中国の文化圏に入ってたんだろうか

341: 世界@名無史さん 2015/12/07(月) 02:01:42.95 0
もしメコン川流域に生まれたバーンチエン文化が発展を続けて文明レベルにまで達していたら、インドとも中国とも違う東南アジア独自の文明が生まれてたんだけどな
ドンソン文化じゃ地理的に北寄りすぎて話にならなかった

342: 世界@名無史さん 2015/12/07(月) 02:10:45.07 0
>>341
東南アジアは人口希薄地域だからそれはちょっと難しいな。
今ではけっこうな人口集中地域になってるけどそれはつい最近のことで。
二~三百年前までは独自文明など築けるほどの人口が居なかった。

343: 世界@名無史さん 2015/12/07(月) 09:33:50.53 0
>>342
因果関係が逆で、人口が少ないから文明が発展しなかったのではなく、文明が発展しなかったから人口が少なかったんじゃないの?
余剰生産が無ければ人口は増えないし、文明と呼べるレベルの安定した農業生産が無ければ余剰生産は生まれない
もし黄河文明がバーンチエン文化程度のレベルで停滞して終わってたら、中国は近代まで人口希薄地域のままだっただろう

344: 世界@名無史さん 2015/12/08(火) 00:10:07.17 0
相乗効果もあるだろうね。

345: 世界@名無史さん 2015/12/08(火) 16:15:41.21 0
文明が発達して町が発展すると町の人用に余剰生産が加速するだろう。
北米のインディアンのように強い動機がないと余剰生産をしないこともある。

397: 世界@名無史さん 2017/02/28(火) 15:58:26.76 0
上の方でバンチェン文化の話が出てるが、黄河流域が今みたいに木も何も無い広大な平原になったのは春秋戦国以降のことで、殷周の頃は木が覆い茂ってたんだよな
象やサイが野生し、密林が延々と広がり、蒸し暑くて雨が豊富、古代の黄河流域は東南アジアとほとんど同じ自然環境だった
だったら黄河文明が発展できたのにバンチェン文化が発展できない理由なんて無いはずなんだよな、少なくとも自然環境の問題では絶対にない

295: 世界@名無史さん 2015/10/20(火) 08:40:39.51 0
「アンコール|NHKスペシャル アジア巨大遺跡」では、当時のインドシナ半島は、各国が平和と協調にあった、という演出をしていました。クメール帝国も、巨大な首都を中心とする広域国家として描かれていました。
日本で出ている通史などでは、マンダラ国家論など、常時各地勢力が戦争と勢力を拡大縮小させマンダラ的な国家であったという説があったと思います。

以下質問です。

1.NHKで描かれた平和国家共存の時代像とマンダラ国家論は整合性がとれる
ものなのでしょうか?
2.現在の最新学説ではマンダラは否定され広域統一国家説となっているのでしょうか?
3.それとも、クメール帝国だけが特別に広域長期安定国家だった、というのがNHKの見解、或いは最新学説なのでしょうか?

コメントしていたのがジャック・アタリとかジャレド・ダイアモンドとか、東南アジア史の専門家ではない人たちだったので、東南アジア史の学問的にはどうなのかと思い、質問させていただきました。

マンダラ論とは、1982年にアメリカの歴史学者オリバー・ウォルタースが著書『東南アジアから見た歴史・文化・地域』で提唱した、近世以前の東南アジアにおける国家の形態論である。

古代から近世にかけての東南アジアは、ヨーロッパの父系性社会とは違い父系性と母系性の両性社会であり、社会的地位は血筋だけでは決まらずに、常に権力の内部で血縁間抗争が行われていた。このため、世襲による巨大な王国は成立しにくく、権力者は常に実力を示し続けざるを得なかった。しかし、原始社会のような実力だけでの権力では広域支配を維持することはできないため、権力の図式は、地方ごとにおける小さな主権、それをまとめる中規模な主権、更にそれをまとめる大規模な主権となった。
そしてその裾野は往々にして重複しており、あたかも曼荼羅図のような、どこまでが中央の支配する領域か明確ではない重層的かつ多重的な権力による連合国家の形態がみられることとなった。歴史年表上で見る限りはどこかの王権に支配されていそうな都市が独自に中国に対して朝貢を行っていたり、現代人にはひとつの国家と認識される内部で都市同士が領域の主導権争いを行うなどの現象はこのシステムによって説明ができるとされる。



298: 世界@名無史さん 2015/10/20(火) 13:29:52.80 0
>>295
その番組みたけど、いちおうマンダラ国家論と整合性はとれるでしょ
小→中→大と多層的な臣従関係が時々に応じて緩やかに組替えられていくというなかで、大のレイヤーを一時期クメール朝が占めたのは間違いじゃない、11-12世紀頃の話ね

ただ、番組だけみると600年も長期安定した広域統治をしてたように勘違いしかねない内容
また、多宗教を取り込んだ観音菩薩信仰でそれを平和的に成し遂げたというミスリーディング
当たり前だが各王の征服戦争あってのことで、観音菩薩はしょせん臣従民の慰撫のためのもん

301: 世界@名無史さん 2015/10/21(水) 02:01:04.93 0
ディスカバリーかヒストリーチャンネルか忘れたけど、そっちのアンコール遺跡特集のほうが遥かに良質。
衰退の原因はよく分かっていません、とかじゃなくて水路インフラのメンテナンスを怠ったことを理由に挙げる。
それもNHKが激賞したバガン遺跡同様の、歴代の王ごとに寺院建設へ金を回す選択が悪手だったと指摘。

303: 世界@名無史さん 2015/10/21(水) 07:17:29.67 0
アンコール・トムが一切無視されて、ナレーションでは、アンコール・ワットとアンコールを使い分けているけど、アンコールの中心都市がアンコール・ワットで、CGだとワットの堀で水遊びに思えてしまう
アンコール・トム(Angkor Thom) は、かつてのクメール王国の古代首都アンコールに位置する、巨大な城郭都市の遺跡であり、クメール王国の最後の首都であった。

889年に即位したヤショーヴァルマン1世は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設した。その後ヤショダラプラは一旦放棄されるが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世は再びアンコールに遷都し、東バライの南にプレループ寺院を建設した。1006年に即位したスーリヤヴァルマン1世は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設した。

12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。


305: 世界@名無史さん 2015/10/21(水) 19:28:14.28 0
アンコール・トムがないから王宮や貴族はどこに住んでいたんだよということになる。
アンコール・ワットのお堀の水は、何らかの理由、例えば神聖だから使えないのかもしれないが、水路が発達して水田に使われまくっていましたというなら。各区画で貯水用のため池を作る必要性がない。

308: 世界@名無史さん 2015/10/30(金) 14:48:39.19 0
・水路は排水用で給水用でないという説がある
・石橋はアーチ式でないので橋脚が多くて水運が期待できない
・防御的要素が低いので平和的だったと解釈される

309: 世界@名無史さん 2015/11/08(日) 14:01:53.49 0
アーチ技術は伝わらなかったみたいだね

310: 世界@名無史さん 2015/11/08(日) 22:58:00.19 0
アーチ技術は高低差のある地形で使う
平地だから必要なかったのでは
アンコールワット内の建築では使っていたんじゃなかったかな

314: 世界@名無史さん 2015/11/10(火) 09:52:41.87 0
高低差で使うアーチって
水道橋のことかな・・・

315: 世界@名無史さん 2015/11/10(火) 10:01:46.71 0
中国のアーチ型水道橋ならこんなもんだが
まあ、確かに高低差を乗り越えるために建造したんだろうな

no title

316: 世界@名無史さん 2015/11/10(火) 10:14:17.83 0
で、アンコールワットの場合、アーチ構造と行っても、交通用の橋か、水道橋の意味かで変わってくるな

318: 世界@名無史さん 2015/11/10(火) 14:17:19.30 0
そもそもこの話の起こりは>>308
橋脚が多くて水運が期待できない、となってるので水道橋と関係ねえ

328: 世界@名無史さん 2015/11/13(金) 15:14:39.65 0
マラッカはモンスーンが始まり、モンスーンの終わるところ。
というのはどういう意味ですか。
年中、穏やかな気候といういみですか

331: 世界@名無史さん 2015/11/13(金) 15:41:02.73 0
トメ・ピレス(.ポルトガル出身の薬種商。同国のインド・東南アジアの 商館員。ポルトガル初の中国使節の大使)が、自身の著書『東方諸国記』で言っていたのです。

モンスーン文化というのを素人にもわかるように教えてください

334: 世界@名無史さん 2015/11/13(金) 18:52:05.55 0
>>331
その意味なら東南アジア文化でしょ。
「東アジア」(中華文化圏)と「南アジア」(インド文化圏)に挟まれたその他という認識でしかない。
しかし当てはまりがどちらにも属さないのでモンスーン文化としたんだろう。
「東南アジア」の中心的な国家・民族・文化がないので表現しようがないのだろう。
中心から外への文化の波及ではなくて、地理的要因による共通因子のくくりとして、それをモンスーンとしたネーミングでしょう。

352: 世界@名無史さん 2016/01/08(金) 00:43:22.18 0
インドネシアからマダガスカルへの移住が起こった時期はインド文化の移入されていった頃と一致する様だが、インド化した政権が原住民を圧迫する様な拡大をしたのだろうか?

普通なら東のニューギニア方面へ追いやられると思えるところを、はるか西のかなたに新天地を見つけるという発想
当時のボルネオには稀に見るチャレンジャーな船乗りが歴史に名を刻むことなく生きていたに違いない

404: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 20:58:21.50 0
>>352
> インドネシアからマダガスカルへの移住


遠路はるばる移住した理由というか動機がわからないんだよね。
天変地異とか大規模な山火事でもあったんだろうか?

405: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 21:14:24.08 0
>>404
貿易

406: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 21:17:06.65 0
>>405
マダガスカルに移住してからは、農業が主体の暮らしだが。

408: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 21:39:08.90 0
移住は何回もあったと聞くが、みんなボルネオから行ったの?

409: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 21:41:25.99 0
他にも島はたくさんあるのに、なんでボルネオ?

410: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 22:17:56.27 0
もっと手前のスリランカやモルディブには漂着しなかったんだろうか。

415: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 23:10:20.91 0
>>410
スリランカには、古代からシンハリ王国がある。
インド亜大陸からの移住者も多く、人類未踏の地ではなかった。

411: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 22:32:06.04 0
正直オーストロネシア系の拡大は気に入らんな
ユーラシア大陸が印欧系やセム系やトルコ系に席巻されて多様性が無くなったのと同じで、マダガスカルにはバンツー系以前の古い民族、太平洋にはオーストラロイドやネグリトが住んでて欲しかった

413: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 22:45:08.24 0
>>411
移民のおかげでマダガスカルには、黒人とマレー系が混血した独特の人種がいる

414: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 22:45:59.49 0
どっちが一番乗り?

416: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 23:11:49.29 0
>>414
マレー系のほうが早いと言われている。

アフリカ大陸とマダガスカル島は、ものすごく離れている。

418: 世界@名無史さん 2017/04/01(土) 23:15:12.73 0
あと、マダガスカルにはアラビア人も流入している。

421: 世界@名無史さん 2017/04/02(日) 09:50:11.88 0
季節風のおかげでエジプトやペルシャとは普通に往き来してたんだから、ちょっと足を伸ばせばアフリカだ。

海洋民族にとっては、意外とたいしたことない。

428: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 12:28:02.53 0
むしろなんでオーストロネシア人はオーストラリアに進出できなかったの?
インドネシアとかニュージーランドには普通に進出してるのに、オーストラリアにだけは全く進出してないとか意味不明なんだが

431: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 12:40:43.52 0
焼畑農業が基本なので、森林がないと

434: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 14:08:18.82 0
大陸北部・西部からの入植は旨味のない土地だからやる意味がない
沃土の大陸南東部には途上のグレートバリアリーフが邪魔していけない
ってとこじゃないの

435: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 14:12:52.56 0
オーストラリア大陸西部は大農場主一家が所有してて、独立国を名乗ってるんじゃなかったっけ?
むしろ超肥沃だと思うんだが

437: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 15:38:20.13 0
自称ハット・リバー公国のことかい?
23人しか住んでない灌漑式近代農地を超肥沃というのは無理がある。

438: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 15:38:26.32 0
オーストラリア周辺は海流がきつくて、大昔の船じゃ渡りにくい。
唯一、渡りやすいのはニューギニア島から群島づたいに北東部のヨーク岬半島に入るルートだけど、ここは現代でも横断するのは命懸けと言われるほどの大砂漠地帯。

440: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 19:01:02.24 0
>>438
オーストラロイドは普通にオーストラリアに定着できたのに?
たかだか数千年前にしか遡らないディンゴを一緒に連れてきてることから、オーストラロイドもオーストロネシア人もそう条件は変わらないことが分かるが

441: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 21:39:32.43 0
>>440
それは、インドからの移住者

442: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 21:41:37.11 0
インドからオーストラリアに移住
インドネシアからマダガスカルに移住

地理的には交錯している

443: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 21:48:28.22 0
要するに、インドネシアで船を浮かべると、風と海流に乗ってマダガスカルに行ける。
でも、オーストラリアには行かない。
しかも、そこは熱帯雨林の民にとっては過酷すぎる砂漠の世界。

444: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 23:10:14.96 0
オーストロネシア人は農耕民なので持ってる作物が育たないとこへは入植せんよ

445: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 23:14:41.74 0
>>444
ポリネシアの小島の住民も農業やってるの?
そこらへんにはえてるバナナやヤシを食ったり、海で魚を採ったりして暮らしてるイメージしか無い

446: 世界@名無史さん 2017/04/03(月) 23:43:00.73 0
タロ芋育てるだろ

458: 世界@名無史さん 2017/04/04(火) 22:48:08.65 0
魚釣りより、農耕のほうが安定した食料確保につながるのは言うまでもない。

引用元: ・東南アジアの歴史


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