1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 15:38:20 ID:rDKH6xpZ0
魏朝の武帝曹操についてあれこれ語れ。
3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 16:38:50 ID:n3hPPXChO
うまい酒の醸造法を秦上したり詩を詠ませたら最高だったり。
まさに東洋のダ・ヴィンチだな。
まさに東洋のダ・ヴィンチだな。
5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 19:24:31 ID:JI/9gx3k0
孫子と孟徳新書って、関係あったのですか?
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 00:26:30 ID:CwKlDFU10
>>5
孟徳新書は魏武帝註孫子の事だと思われる。
曹操が孫子に注をつけたもんだな。
孟徳新書は魏武帝註孫子の事だと思われる。
曹操が孫子に注をつけたもんだな。
11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 20:13:38 ID:rgGJZHF+0
確か『聊斎志異』に、天帝の罰を受け、犬に生まれ変わった曹操の出てくる話があったよな。
14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 23:37:57 ID:hWCQkQ0Y0
徐州大虐殺って実際はどれぐらいの規模だったんだろうね。
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 14:53:28 ID:M8Yjj2bc0
>>14
中国史全体から見たら、それほどの虐殺とはいえないかもね
中国史全体から見たら、それほどの虐殺とはいえないかもね
19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 19:20:01 ID:W9eTuX6u0
項羽の大虐殺の方が曹操より上かもな。
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/17(金) 23:25:37 ID:ohSXd1rj0
曹操の死んだ長男、生きていたらどんな感じだっただろうね。
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/18(土) 09:34:10 ID:+wD9ZGqa0
妾腹だし、後継者問題がややこしくなったかもな
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 13:03:46 ID:vL7i+j/C0
魏志倭人伝って、曹操の頃?
34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 13:40:01 ID:3LdDmCxy0
正式には魏書東夷伝。
倭から使者が来たのは曹丕の時。
倭から使者が来たのは曹丕の時。
35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 13:59:07 ID:cuR7CF+M0
曹叡のころじゃないの?
36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 14:09:26 ID:+te8Cg+Z0
237年だから曹叡の時だな
37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 16:26:24 ID:I6x++UxWO
曹操はかなり好きで中国史規模で話しても良いと思うが
天下統一してないのが痛い
以下妄想
知名度は
孔明>関羽>曹操
能力は
曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>ry
天下統一してないのが痛い
以下妄想
知名度は
孔明>関羽>曹操
能力は
曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>ry
38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 22:55:22 ID:fq83ccApO
曹操は仮に詩だけでも名を残したよ
42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 07:32:25 ID:4oED5v8T0
三国時代の文学スレッド
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1157242060/
↑を見てると詩才は曹操・曹植に劣るとされてるものの、文学の復興に曹丕の果たした役割は非常に大きなものがあるようだ。
文化的事業という面において三曹の担った役割はもっと評価されてしかるべきという気がする。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1157242060/
↑を見てると詩才は曹操・曹植に劣るとされてるものの、文学の復興に曹丕の果たした役割は非常に大きなものがあるようだ。
文化的事業という面において三曹の担った役割はもっと評価されてしかるべきという気がする。
39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 23:36:49 ID:R9h/KX1G0
天下統一できていれば文句なしだったのにな。
40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 01:05:56 ID:jKWmQNEb0
徐州大虐殺の時点で統一は無理。
43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 15:02:31 ID:n6HmCdud0
>>40
あの程度の虐殺、中国の戦乱期ではそう珍しくないのでは?
天下統一の可否とはあまり関係ないように思う。
あの程度の虐殺、中国の戦乱期ではそう珍しくないのでは?
天下統一の可否とはあまり関係ないように思う。
44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 19:14:04 ID:Pl+IQfsx0
スタートにもそこそこ恵まれ、寿命が短かったワケでもないのに統一できなかった
何ゆえかね?
何ゆえかね?
49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 19:59:20 ID:vTAQtGq80
>>44
それこそ育ちが良かったからじゃないか?
後漢貴族社会で育った曹操は、結局既存のものを否定しながらも抜本的な改革は出来ず、妥協しながら進んでいった
何か新しいモノを作り出すにはもっとパワーがいるし、もっと一直線に進まなきゃいけないのだけれど若い頃から中央政界に居たコトと、多才な才能を有したコトが結果的に足かせになったと
東晋の恒温も同じような印章をうける
天下統一するには程よく中央から離れてるコトと、兎に角統一を先に考える強いバイタリティが必要だったと
それこそ育ちが良かったからじゃないか?
後漢貴族社会で育った曹操は、結局既存のものを否定しながらも抜本的な改革は出来ず、妥協しながら進んでいった
何か新しいモノを作り出すにはもっとパワーがいるし、もっと一直線に進まなきゃいけないのだけれど若い頃から中央政界に居たコトと、多才な才能を有したコトが結果的に足かせになったと
東晋の恒温も同じような印章をうける
天下統一するには程よく中央から離れてるコトと、兎に角統一を先に考える強いバイタリティが必要だったと
53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 23:21:31 ID:npk1lAni0
>>49
まあ、パワーと言えば、朱元璋なんかの方が圧倒的にパワーがあっただろうね。
パワーとは言っても、どの方向へ使うかにもよるだろうけど。
まあ、パワーと言えば、朱元璋なんかの方が圧倒的にパワーがあっただろうね。
パワーとは言っても、どの方向へ使うかにもよるだろうけど。
45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 19:20:53 ID:EVzNM2oI0
才能がなかった。というしかないな。
そもそも、曹操はそこまでの大物じゃない。
中国史全体から見れば中の中程度。
そもそも、曹操はそこまでの大物じゃない。
中国史全体から見れば中の中程度。
46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 19:33:00 ID:G5Vssdp80
曹操が作った制度は後々まで採用されたけどな
50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 20:03:52 ID:vdbA9lra0
しかし後漢の末期の乱以降、そんなに長期に安定した統一国家の時代というのは、
しばらく無いような気もするが。時代の大きな流れからして、統一が難しかったのかもしれん。
しばらく無いような気もするが。時代の大きな流れからして、統一が難しかったのかもしれん。
51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 20:11:26 ID:vTAQtGq80
いや、時代の流れから言えば五胡の台頭は必然だが
五胡が中原に流れて来たのは、完璧に中原の自滅によるものだと思う
五胡は曹操の政策によって内地に引き入れられた故に、中原指向を持つに至ったが
だからこそ、中原がしっかりとした国家体制であれば中原に入って国家を作るとまでは考えなかった筈
中原の外に一つの国家を作っていたと思われる(取り敢えず、匈奴と鮮卑、巴にテイの半自治区)
五胡が中原に流れて来たのは、完璧に中原の自滅によるものだと思う
五胡は曹操の政策によって内地に引き入れられた故に、中原指向を持つに至ったが
だからこそ、中原がしっかりとした国家体制であれば中原に入って国家を作るとまでは考えなかった筈
中原の外に一つの国家を作っていたと思われる(取り敢えず、匈奴と鮮卑、巴にテイの半自治区)
52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 20:43:13 ID:Pl+IQfsx0
後漢貴族社会で育った限界か…
個人的にはそんな意見は初めて見たな。参考になるよ
個人的にはそんな意見は初めて見たな。参考になるよ
54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 02:42:06 ID:QMF//+gv0
>>49
他に中国を統一した政権は、隋の楊氏も唐の李氏も宋の趙氏も、貴族とまではいわんが社会の上層階級の出だが。後漢の劉氏もそうだね。
で、曹操が貴族社会出だからなんだって?
他に中国を統一した政権は、隋の楊氏も唐の李氏も宋の趙氏も、貴族とまではいわんが社会の上層階級の出だが。後漢の劉氏もそうだね。
で、曹操が貴族社会出だからなんだって?
55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 04:34:57 ID:1v/odRrT0
唐の李氏は八柱国の家柄だけど本拠は晋にあったろ?
楊氏や劉氏にも同じコトが言えて、基盤となる軍事力を中央以外に持ってた
趙氏は五代の軍事閥の中で台頭した家だし
一方の曹家は三代前が宦官として権勢を握ったことから力を得た
つまり基盤となる軍事力を持たず、中央政界、もっと言えば皇帝権力にぶら下がるコトで基盤を得た
これが主な違い
楊氏や劉氏にも同じコトが言えて、基盤となる軍事力を中央以外に持ってた
趙氏は五代の軍事閥の中で台頭した家だし
一方の曹家は三代前が宦官として権勢を握ったことから力を得た
つまり基盤となる軍事力を持たず、中央政界、もっと言えば皇帝権力にぶら下がるコトで基盤を得た
これが主な違い
56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 14:46:44 ID:QMF//+gv0
>>55
んなこといったら、曹氏の本拠だって中央以外の豪族だ。
曹氏はもとからして豪族(ただし規模は小さかったようだが)。例えば袁氏のように、立身する以前は貧家だったなんてわけではないよ。
んなこといったら、曹氏の本拠だって中央以外の豪族だ。
曹氏はもとからして豪族(ただし規模は小さかったようだが)。例えば袁氏のように、立身する以前は貧家だったなんてわけではないよ。
57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/21(火) 15:40:21 ID:wRUQcSRQO
規模が小さいんじゃやっぱ李氏や劉氏と比べられないジャン
つーか曹操も袁紹もその意味じゃ元から軍事力を持ってなかったんだけどな
この二人は後漢末じゃ自力で勢力を切り開いたんだし
元手は中央での名声とか財力とかだけど
公孫サン、袁術、劉表、孫堅、劉焉などは後漢末の動乱の時点で
実動員力を持っていたという点に於いては二人よりリードしていた
曹操、袁紹は反面、中央への繋がりや政治力において他者をリードしてたから
反董同盟における中心人物足りえた
それこそ二人の貴重な財産であり、それを手形に人材や兵力を集めたわけだが
つーか曹操も袁紹もその意味じゃ元から軍事力を持ってなかったんだけどな
この二人は後漢末じゃ自力で勢力を切り開いたんだし
元手は中央での名声とか財力とかだけど
公孫サン、袁術、劉表、孫堅、劉焉などは後漢末の動乱の時点で
実動員力を持っていたという点に於いては二人よりリードしていた
曹操、袁紹は反面、中央への繋がりや政治力において他者をリードしてたから
反董同盟における中心人物足りえた
それこそ二人の貴重な財産であり、それを手形に人材や兵力を集めたわけだが
58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 22:39:28 ID:Z+3QIUdNO
確か貝塚茂樹氏だったと思うけど曹操が統一を達成していれば
安定した長命王朝が成立していただろうって言ってたなあ
安定した長命王朝が成立していただろうって言ってたなあ
59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 22:48:55 ID:2cNyWYaOO
どうだろ?
むしろ曹丕が長生きしなきゃダメだと思うが
むしろ曹丕が長生きしなきゃダメだと思うが
60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/25(土) 18:04:53 ID:cGRV8QG+O
んで曹叡は早死にしないとな。
61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/26(日) 23:06:28 ID:aa83NeyM0
統一を達成しても、その後の余命はあまりないし、
安定した政権基盤を作るのは難しいのでは?
安定した政権基盤を作るのは難しいのでは?
65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/27(月) 11:07:03 ID:6ntpcs0pO
曹操によって統一が達成されれば軍事力はいずれ削減されるだろうし一人の家臣が絶大な権力や兵権を握るという異常事態は起こらないと思うけど。
69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 20:55:09 ID:O59vmOA50
中国史学者の碩学、故宮崎市定博士は著書の中で中国は分裂傾向の時代と
統一へ向かう傾向の時代があると説いておられる。
まさに後漢末は分裂傾向の時代で曹操ならずとも統一には難しい時代であったと思われる。
また、曹操の兵力は中国伝統の歩兵であり、戦術で勝利するタイプであった。
そう考えるならば曹操のかわりに明の洪武帝であったとしても光武帝であったとしても
統一は困難であったと思う。
曹操は中国史上はずせない人物。
統一へ向かう傾向の時代があると説いておられる。
まさに後漢末は分裂傾向の時代で曹操ならずとも統一には難しい時代であったと思われる。
また、曹操の兵力は中国伝統の歩兵であり、戦術で勝利するタイプであった。
そう考えるならば曹操のかわりに明の洪武帝であったとしても光武帝であったとしても
統一は困難であったと思う。
曹操は中国史上はずせない人物。
72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 22:20:13 ID:Pov3OjQG0
血統と運と世渡りの上手さを持った光武帝や
野心と知力、時の運、大胆さと慎重さを併せ持つ洪武帝に較べると
曹操はどうしても小物。較べる相手を間違っている。
野心と知力、時の運、大胆さと慎重さを併せ持つ洪武帝に較べると
曹操はどうしても小物。較べる相手を間違っている。
76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 05:45:30 ID:p7PhN3cO0
曹操は自前の地盤も持ってなくて、門生・故吏もいなかった曹操が台頭したのはまず第一に曹操の知力・行動力のおかげ。
せきろくは曹操のこと悪く言ってるが曹操がたぐいまれな人物であったことは確か。
せきろくは曹操のこと悪く言ってるが曹操がたぐいまれな人物であったことは確か。
77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 08:14:08 ID:lRgaRmSl0
曹操の一門衆はものすごく人材が揃っているだろ。
譜代の家臣は関羽と張飛だけで地縁血縁も皆無な劉備に比べたら恵まれすぎ。
譜代の家臣は関羽と張飛だけで地縁血縁も皆無な劉備に比べたら恵まれすぎ。
82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 11:11:59 ID:JkzELdGc0
>>77
一門衆を取りまとめたのも、一門から指導者と認められたのも曹操のちからだろ。
例えば曹仁なんかは最初は曹操に従わずに独自行動を行っていた。
劉備が一門の協力を得られなかったのは当人のせいだろうに。それから、劉備は
一門の援助は得られなかったが、侠社会の後援と商人の援助を受けている。全く
無援からのスタートなわけではない。特に馬商人鉄商人の支援って、これ現代で
例えれば軍需産業の支援を受けたようなもの。
一門衆を取りまとめたのも、一門から指導者と認められたのも曹操のちからだろ。
例えば曹仁なんかは最初は曹操に従わずに独自行動を行っていた。
劉備が一門の協力を得られなかったのは当人のせいだろうに。それから、劉備は
一門の援助は得られなかったが、侠社会の後援と商人の援助を受けている。全く
無援からのスタートなわけではない。特に馬商人鉄商人の支援って、これ現代で
例えれば軍需産業の支援を受けたようなもの。
87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 18:14:05 ID:sgQz0yS20
>>82
劉備の一門衆に、曹操一門程の人材がいたとは思えんのだが…。
夏侯氏は元々上流階級だし、教育を受ける環境が劉備一門とは段違い。
それゆえに有能な人材も多く排出でき、その一門の力を曹操は最大限利用できただろうし。
劉備の一門衆に、曹操一門程の人材がいたとは思えんのだが…。
夏侯氏は元々上流階級だし、教育を受ける環境が劉備一門とは段違い。
それゆえに有能な人材も多く排出でき、その一門の力を曹操は最大限利用できただろうし。
89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:08:43 ID:Y3ddZrgNO
>>87
曹嵩の実家とされる夏侯氏は名門とは思えないが、曹氏は当時かなりの権門で財力も相当なもの
曹操は例えたら
祖父は政界の黒幕
父は大臣経験者
一族も政界財界の有力者揃い
劉備は田舎町では顔役の町会議員の孫がいいとこ
曹嵩の実家とされる夏侯氏は名門とは思えないが、曹氏は当時かなりの権門で財力も相当なもの
曹操は例えたら
祖父は政界の黒幕
父は大臣経験者
一族も政界財界の有力者揃い
劉備は田舎町では顔役の町会議員の孫がいいとこ
90: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:29:04 ID:p7PhN3cO0
>>89
曹操の祖父は宦官だろ。
その宦官の巨万の富で曹操の父に売官で大尉の位を買った。
その一族の正解財界の有力者とやらをあげてくれよ。
曹操の祖父は宦官だろ。
その宦官の巨万の富で曹操の父に売官で大尉の位を買った。
その一族の正解財界の有力者とやらをあげてくれよ。
101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/01(金) 02:57:21 ID:viMWnSOt0
>>90
曹嵩は確かに宦官だが、清流士大夫にも聞こえた人傑でもある。
正史でも彼のコネが若い曹操を救った。
曹嵩は確かに宦官だが、清流士大夫にも聞こえた人傑でもある。
正史でも彼のコネが若い曹操を救った。
106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/01(金) 23:08:32 ID:tFcpSSIHO
門生故吏関係がそこまで大きなウェイト占めてるなら、陰脩が天下取ってるよ
107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/01(金) 23:26:41 ID:e57J0lPc0
>>106
門生故吏関係はこの時代は非常に大きい。
役人にも三種類あって、皇帝から直々に任命される「命官」。
命官から「へきしょう」によって個人的に資質を認められて役人になる「属吏」。
現地採用で後のショリの元となる郷官があった。
また序列として「秩」と言う序列もあった。
トウタクが首都を占領したのも軍事的背景があったから。
当時、太守でも牧でもなかった曹操は自前で軍事的組織を作らねばならなかった。
また、三公で門生故吏関係で有名な袁一族の方が曹操よりもスタート地点は高かった。
それでも袁一族は曹操に滅ぼされる。
やはり、曹操の軍事的才能が一番大きかったのだろう。
門生故吏関係はこの時代は非常に大きい。
役人にも三種類あって、皇帝から直々に任命される「命官」。
命官から「へきしょう」によって個人的に資質を認められて役人になる「属吏」。
現地採用で後のショリの元となる郷官があった。
また序列として「秩」と言う序列もあった。
トウタクが首都を占領したのも軍事的背景があったから。
当時、太守でも牧でもなかった曹操は自前で軍事的組織を作らねばならなかった。
また、三公で門生故吏関係で有名な袁一族の方が曹操よりもスタート地点は高かった。
それでも袁一族は曹操に滅ぼされる。
やはり、曹操の軍事的才能が一番大きかったのだろう。
109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/02(土) 00:57:30 ID:KguBPMgSO
>>107
門生故吏関係が極めて大きいと言ってるが、門生故吏関係の無い曹操が袁紹に勝ったということは、門生故吏なんて乱世ではそれほど大きな影響でもなかったんじゃないのか?
曹操最強という結論ありきで語るから矛盾に気付かないのか?
門生故吏関係が極めて大きいと言ってるが、門生故吏関係の無い曹操が袁紹に勝ったということは、門生故吏なんて乱世ではそれほど大きな影響でもなかったんじゃないのか?
曹操最強という結論ありきで語るから矛盾に気付かないのか?
118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/02(土) 15:46:04 ID:LHdjhsU60
地盤もないのに自費で数千人程度の小軍閥を編成できるだけの財力を持ち、曹操を評価した橋玄は曹騰の人脈に繋がる人物なのだから、金もコネもずいぶん恵まれてるよ。
155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 20:14:16 ID:ScmJeGW80
歴史の教科書では曹操の存在感ほとんどないな
曹丕の方が著名だ
やっぱ初代皇帝の肩書きはでかいな
曹丕の方が著名だ
やっぱ初代皇帝の肩書きはでかいな
156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 20:21:33 ID:rm5pkE0d0
>>155
まぁ、歴史の教科書ではセキロクや劉裕すらのらないからな。
まぁ、歴史の教科書ではセキロクや劉裕すらのらないからな。
159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 21:16:56 ID:PmPQ2Xeb0
>>155
後に繋がる制度作りということでは曹丕はかなりの業績残してるよな。
後に繋がる制度作りということでは曹丕はかなりの業績残してるよな。
157: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 20:30:41 ID:K3j/CdUKO
歴史の教科書に本当に必要なのは「どんな時代だったか」であって人名じゃないからな
161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 22:02:06 ID:QFRY3/ZqO
劉裕は南朝の君主の中で唯一載ってたような。
166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 11:43:16 ID:8slVRdeh0
>>161
土断で少し出てくるね
土断で少し出てくるね
175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 06:20:59 ID:FEMw5NZl0
>>166で質問した後で調べてみたんだがwikiによると北魏の孝文帝が部分的に取り入れて貴族層の形成を図っている
元々は門地に関係なく官吏を任用するために作られた法なのに皮肉だよなぁ
元々は門地に関係なく官吏を任用するために作られた法なのに皮肉だよなぁ
162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/03(日) 22:14:19 ID:VuQOP4Bl0
教科書で習った九品中正法が陳羣の発案なんてコーエーの武将事典見るまで知らんかったよ
165: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 09:06:31 ID:+6GPF9id0
>>162
九品中正法ってw
宮崎市定氏の「九品官人法の研究」読んだのか?
九品中正法ってw
宮崎市定氏の「九品官人法の研究」読んだのか?
166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/04(月) 11:43:16 ID:8slVRdeh0
>>165
宮崎先生の「大唐帝国」では
「九品官人法は宋代以後、普通に九品中正と称せられ、九品中正制度という名の書物や研究も
多く発表されたが、本来の名称にしたがって九品官人法と呼ぶほうが適当である」
とあるな
それつながりで質問なんだけど九品官人法って結局は後、南朝貴族政治の温床みたいになったけど俗に五胡といわれる北朝側でもこの制度は生きてたのかな?
北魏なんかは曹魏の後継者を意識してたようだけど官吏登用システムも引き継いだのだろうか
詳しい人教えてください
宮崎先生の「大唐帝国」では
「九品官人法は宋代以後、普通に九品中正と称せられ、九品中正制度という名の書物や研究も
多く発表されたが、本来の名称にしたがって九品官人法と呼ぶほうが適当である」
とあるな
それつながりで質問なんだけど九品官人法って結局は後、南朝貴族政治の温床みたいになったけど俗に五胡といわれる北朝側でもこの制度は生きてたのかな?
北魏なんかは曹魏の後継者を意識してたようだけど官吏登用システムも引き継いだのだろうか
詳しい人教えてください
175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 06:20:59 ID:FEMw5NZl0
>>166で質問した後で調べてみたんだがwikiによると北魏の孝文帝が部分的に取り入れて貴族層の形成を図っている
元々は門地に関係なく官吏を任用するために作られた法なのに皮肉だよなぁ
元々は門地に関係なく官吏を任用するために作られた法なのに皮肉だよなぁ
192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 18:59:11 ID:19LLDfCj0
中国史に於ける英雄のランク的には
中ぐらいというのに異存はないけど、
後世に与えた影響はそこそこ大きいよね。
中ぐらいというのに異存はないけど、
後世に与えた影響はそこそこ大きいよね。
193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 19:11:12 ID:59amBW100
>>192
例えば?
俺には全く思いつかんので。
仏教や道教の伝達にもカスリもしてないしな。
例えば?
俺には全く思いつかんので。
仏教や道教の伝達にもカスリもしてないしな。
194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 21:03:04 ID:Ur4UZfrAO
>>193
孫権に負けて江南勢力の伸長を許したお陰で江南開発が更に進み六朝時代の基礎ができた
かなりの影響
孫権に負けて江南勢力の伸長を許したお陰で江南開発が更に進み六朝時代の基礎ができた
かなりの影響
196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/07(木) 21:36:37 ID:ecjL7l990
魏武註孫子兵法 あとは文学史上、三曹の存在は抜きに語れない。
242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/08(金) 20:06:28 ID:sM7Mc7LI0
李世民を一回りちっちゃくしたイメジー
247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/09(土) 02:47:57 ID:1LqH3oVt0
そらまあ曹操は統一出来なかったし
274: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/09(土) 23:06:05 ID:zU9JQ6Db0
道教的な目線から見ても文学の発展に貢献した三曹といっても文昌帝君や蒼頡の威光には遥かに及ばない上左慈のエピソードで曹操は笑い者にされてる。
やっぱりブルジョワなインテリなんて人気がないんだよ。
一部の日本人にはどうして曹操はウケがいいのかな?
やっぱりブルジョワなインテリなんて人気がないんだよ。
一部の日本人にはどうして曹操はウケがいいのかな?
275: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/09(土) 23:55:44 ID:zQF517ay0
とりあえず、三国演義で悪者にされている反動かな?
その反対で、諸葛亮は評価を落とされているように思えるし。
三国志というカテゴリーに、三国演義をもとにした小説から入った経緯から、曹操はその時代トップの傑物という認識が、いまだに濃厚。
他の時代をみて好きな人物を見つけたけど、後漢末期に果した曹操の業績にまでケチをつける気はさらさらない。
「時代に冠絶する」英雄なんてものは、実際には存在しないのではないかというのが、最近の持論。
あくまで、生きた時代であり果した役割であり。 他の時代、他の政治背景、他の地域で同じあるいはそれ以上の業績を残せるかは、想像・妄想の域をでることはないからね。
ただし、そういう想像・妄想を掻き立てさせられる、将来への可能性をもった人物は大好きだ。
その反対で、諸葛亮は評価を落とされているように思えるし。
三国志というカテゴリーに、三国演義をもとにした小説から入った経緯から、曹操はその時代トップの傑物という認識が、いまだに濃厚。
他の時代をみて好きな人物を見つけたけど、後漢末期に果した曹操の業績にまでケチをつける気はさらさらない。
「時代に冠絶する」英雄なんてものは、実際には存在しないのではないかというのが、最近の持論。
あくまで、生きた時代であり果した役割であり。 他の時代、他の政治背景、他の地域で同じあるいはそれ以上の業績を残せるかは、想像・妄想の域をでることはないからね。
ただし、そういう想像・妄想を掻き立てさせられる、将来への可能性をもった人物は大好きだ。
278: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 06:45:55 ID:uaChZMAq0
一部の日本人に曹操のウケがいいのは、演義と正史の対比の影響もあるだろうけど、
吉川三国志で魅力ある悪役として書かれてから始まったことだと思う。
あれに影響を受けて他の三国志小説でも、ただの悪役だった曹操に人間性を見出すようになったんだし。
現地では相変わらず蛇蝎の如く嫌われてるらしいな。
記念館とか作ろうとしても資金繰りに苦労するんだとかw
>>275
実際、後漢末~三国時代に限定すれば、
曹操がその時代のトップだというのには異論はないよ。
他に曹操以上の業績を残した人がいたら教えて欲しいぐらいだ。
吉川三国志で魅力ある悪役として書かれてから始まったことだと思う。
あれに影響を受けて他の三国志小説でも、ただの悪役だった曹操に人間性を見出すようになったんだし。
現地では相変わらず蛇蝎の如く嫌われてるらしいな。
記念館とか作ろうとしても資金繰りに苦労するんだとかw
>>275
実際、後漢末~三国時代に限定すれば、
曹操がその時代のトップだというのには異論はないよ。
他に曹操以上の業績を残した人がいたら教えて欲しいぐらいだ。
282: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 11:49:44 ID:ABe+giAy0
>>278
>現地
反対にインテリ層は魯迅の影響か曹操を再評価してる。
てか、曹操擁護するとインテリっぽく見られるw
庶民層では正史と演義の違いも知らない人が殆どだ。
それ以前に、三国志が日本ほど人気ないしね
>現地
反対にインテリ層は魯迅の影響か曹操を再評価してる。
てか、曹操擁護するとインテリっぽく見られるw
庶民層では正史と演義の違いも知らない人が殆どだ。
それ以前に、三国志が日本ほど人気ないしね
279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 07:54:10 ID:BrtLRGfA0
魏晋南北朝の貴族制および官僚制から、唐宋変革後の官僚制とでは、中国王朝の性質が一変している。
その変革の担い手であった後周の世宗は、曹操がかすむほどの苛烈、速度、断行をもって時代の舵取りをした。
曹操のように詩とか残していないが、普通にたしなんでおり(時代性か?)、風流もあったが、いかんせん短命。
織田信長の人生を5年でやったという感じ。
魏晋南北朝に興味があるのは、変革前主流だった貴族制と、それをぶち壊す土壌となった府兵制。
曹操の屯田策がそのパイオニアになるんだよね。
その変革の担い手であった後周の世宗は、曹操がかすむほどの苛烈、速度、断行をもって時代の舵取りをした。
曹操のように詩とか残していないが、普通にたしなんでおり(時代性か?)、風流もあったが、いかんせん短命。
織田信長の人生を5年でやったという感じ。
魏晋南北朝に興味があるのは、変革前主流だった貴族制と、それをぶち壊す土壌となった府兵制。
曹操の屯田策がそのパイオニアになるんだよね。
316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/10(日) 22:55:31 ID:skKZj6Kv0
詩の方面では評価されてないか?>曹操
まあ三国志で引用されるのは劉備がらみの方が多い気がする
符堅が王猛のことを孔明といったり、晋の皇帝が桓温に諸葛武侯のように支えてくれと遺言したり
簫摩可が関羽張飛の再来と呼ばれたりな
まあ三国志で引用されるのは劉備がらみの方が多い気がする
符堅が王猛のことを孔明といったり、晋の皇帝が桓温に諸葛武侯のように支えてくれと遺言したり
簫摩可が関羽張飛の再来と呼ばれたりな
390: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 18:24:16 ID:F2rEBQkr0
曹操が曹参の子孫ってのと、
劉備が劉邦(劉勝)の子孫ってのは、
どっちが信憑性高い?
劉備が劉邦(劉勝)の子孫ってのは、
どっちが信憑性高い?
391: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 18:26:22 ID:r7+/FDxtO
>>390
どっちもどっちだが、敢えて言うなら劉備
曹参の直系の子孫なら平陽に住んでてしかるべきじゃないかね?
どっちもどっちだが、敢えて言うなら劉備
曹参の直系の子孫なら平陽に住んでてしかるべきじゃないかね?
398: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/14(木) 01:38:58 ID:2mrfx8LZ0
>>390
曹参の家系は他にちゃんとあります。ついでに言うと夏侯嬰の子孫も他にあって、[言焦]の曹氏、夏侯氏は別ものです。ただあくまで家系の話なので、もしかしたら庶系の流れなどがあるかもしれません、という程度であってその意味では劉備の家系と大して変わらない。少なくとも、後漢末に曹騰が出てくるまではほとんど歴史の記録に出てこなかった一族ですからね。
曹参の家系は他にちゃんとあります。ついでに言うと夏侯嬰の子孫も他にあって、[言焦]の曹氏、夏侯氏は別ものです。ただあくまで家系の話なので、もしかしたら庶系の流れなどがあるかもしれません、という程度であってその意味では劉備の家系と大して変わらない。少なくとも、後漢末に曹騰が出てくるまではほとんど歴史の記録に出てこなかった一族ですからね。
392: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 18:37:28 ID:3/tabJii0
曹操って夏侯嬰の子孫じゃなかったっけ
393: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 20:14:52 ID:r7+/FDxtO
>>392
夏侯嬰の直系の子孫なら汝陰にいるはずだとか、そもそも孫氏に改姓してるとか問題がある
夏侯嬰と夏侯惇たち(曹操も含め)の先祖同士が親戚だった、くらいの関係はあったんじゃない?
夏侯嬰の直系の子孫なら汝陰にいるはずだとか、そもそも孫氏に改姓してるとか問題がある
夏侯嬰と夏侯惇たち(曹操も含め)の先祖同士が親戚だった、くらいの関係はあったんじゃない?
395: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/13(水) 20:31:55 ID:BRPOYVjP0
孫資・孫礼 < 夏侯嬰の子孫
403: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/14(木) 08:50:47 ID:TN0HjYRu0
それなら、曹無傷の子孫じゃね?
404: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/14(木) 08:53:19 ID:VspRBtbmO
>>403
根拠はないが、イメージ的になんとなくその可能性のほうがありそうだ
根拠はないが、イメージ的になんとなくその可能性のほうがありそうだ
434: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/15(金) 22:38:41 ID:3TaGgdIV0
ところで、曹操の負の側面とかないのかな?
適当に思いついたところでいくと、
・キョウドなどの華北定住化を促進し、五胡十六国の種を撒いた
・屯田制により農民の不自由民化を促進した
…とか。
いや、いずれも現代的価値観で歪みまくった評価(言いがかり)なのは分かってます。
あくまで、例として。
適当に思いついたところでいくと、
・キョウドなどの華北定住化を促進し、五胡十六国の種を撒いた
・屯田制により農民の不自由民化を促進した
…とか。
いや、いずれも現代的価値観で歪みまくった評価(言いがかり)なのは分かってます。
あくまで、例として。
435: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/15(金) 23:07:27 ID:r0Tdw8/l0
>>434
領内の統治が安定せず、反乱が絶えなかった。
(征服から十年以上経ち、本拠地に定めた冀州でも反乱を起こされている)
領内の統治が安定せず、反乱が絶えなかった。
(征服から十年以上経ち、本拠地に定めた冀州でも反乱を起こされている)
437: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 15:16:17 ID:0e4QL0l50
>>435
魏フウの乱をいっているのなら、あれは民乱ではなかろう。
魏フウの乱をいっているのなら、あれは民乱ではなかろう。
438: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 15:42:17 ID:wftaGfPsO
>>437
匈奴は曹操が今までより一段と内部に近付けた
太原王氏と交流するほどご近所になったのは曹操による
組織の再編までやってるので完全に支配下におけた、と過信したのかもしれない
東北では烏丸を内徙
これは新興勢力鮮卑に南下による勢力拡大のチャンスを与えた
またテイも関中に内徙
いわゆる五胡の大部分は曹操が飛躍の機会や叛乱の芽を与えたようなもの
逆に言うと目先目先でやってかなければいけない苦しい状態だったとも言えるのではないか
匈奴は曹操が今までより一段と内部に近付けた
太原王氏と交流するほどご近所になったのは曹操による
組織の再編までやってるので完全に支配下におけた、と過信したのかもしれない
東北では烏丸を内徙
これは新興勢力鮮卑に南下による勢力拡大のチャンスを与えた
またテイも関中に内徙
いわゆる五胡の大部分は曹操が飛躍の機会や叛乱の芽を与えたようなもの
逆に言うと目先目先でやってかなければいけない苦しい状態だったとも言えるのではないか
439: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 16:16:14 ID:hnpdmyyC0
>>437
蘇伯・田銀の乱のことなんだが。
蘇伯・田銀の乱のことなんだが。
443: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 20:45:55 ID:vGggT+oA0
歴史学的には、まず中国に於ける郭沫若らの曹操論争があって文学的な評価が進み、その流れを受けて日本でも、京都大学の谷川道雄、川勝義雄が中心となって曹操の再評価が進んだ。
川勝らの曹操ないし曹魏政権、魏晋南北朝理解に対して、長崎大学の矢野主税などが疑問を呈したが50年代から70年代の間に活発な議論があって、80年代にはほぼ川勝氏の見解が支配的となった。
90年代以降、行き過ぎた曹操の再評価に対して抑制する動きが多く、またあわせて川勝氏の理解に対しても修正する動きが見えている。しかし歴史学的に、曹操の評価は高く中国古代中世史上、最も重要な人物の一人として理解されている。
川勝らの曹操ないし曹魏政権、魏晋南北朝理解に対して、長崎大学の矢野主税などが疑問を呈したが50年代から70年代の間に活発な議論があって、80年代にはほぼ川勝氏の見解が支配的となった。
90年代以降、行き過ぎた曹操の再評価に対して抑制する動きが多く、またあわせて川勝氏の理解に対しても修正する動きが見えている。しかし歴史学的に、曹操の評価は高く中国古代中世史上、最も重要な人物の一人として理解されている。
444: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/16(土) 21:42:18 ID:lrR0tlsm0
あくまで、魏晋南北朝隋唐をひとつの塊としてみた場合、曹操の占めるウェイトが大きいというのは理解できる。
しかし誰かのように、中国至上最高にして唯一の傑物と見ることはできない。
唐中期以降は中国政権の様相が変わるので、曹操の歴史に果した役割は終わりを告げるから
どの時代でも同じことができただろうなどという想像は無意味。
しかし誰かのように、中国至上最高にして唯一の傑物と見ることはできない。
唐中期以降は中国政権の様相が変わるので、曹操の歴史に果した役割は終わりを告げるから
どの時代でも同じことができただろうなどという想像は無意味。
463: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/27(水) 23:02:41 ID:+ecdSzK20
日本で曹操の人気が上がってきたのは、今の日本人の観念を理想化したような人物像だからじゃないか?
溢れる才能で他者を退け、出世道を駆け上がっていく姿は仕事重視な人にはまぶしく見えるんだろうな。
中国の場合は、曹操に限らず「不義不忠」な人間は忌み嫌われてるよ。
まあ、確かにそんなことする奴は人間として褒められたもんじゃないしな。
独特な仙人思想もあるような国だから感じ方も日本人と違うんでしょ。
溢れる才能で他者を退け、出世道を駆け上がっていく姿は仕事重視な人にはまぶしく見えるんだろうな。
中国の場合は、曹操に限らず「不義不忠」な人間は忌み嫌われてるよ。
まあ、確かにそんなことする奴は人間として褒められたもんじゃないしな。
独特な仙人思想もあるような国だから感じ方も日本人と違うんでしょ。
464: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 12:18:09 ID:1kdzBspu0
曹操や上の王安石なんかが嫌われるのは、不義不忠というだけではなく、
歴史記録の担い手たる士大夫層にとってどうだったか?というのがある。
例えば、単純に不義不忠というのなら、ほとんどの王朝創始者はそうなる。
曹操などは不義はほとんどしていない。不忠な行為は表向きにはしていない。
むしろ袁紹や劉備のほうが、献帝に対してはよほど不忠だった。
歴史記録の担い手たる士大夫層にとってどうだったか?というのがある。
例えば、単純に不義不忠というのなら、ほとんどの王朝創始者はそうなる。
曹操などは不義はほとんどしていない。不忠な行為は表向きにはしていない。
むしろ袁紹や劉備のほうが、献帝に対してはよほど不忠だった。
465: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 16:51:59 ID:k2HEA6rI0
屯田制なんかは豪族たちにはあまりウケが良くなかったもんな。
名門豪族の代表格である司馬懿が権力握ってからはすぐ廃止されたし。
つーか伏皇后廃したのは不義ではないのかな。
名門豪族の代表格である司馬懿が権力握ってからはすぐ廃止されたし。
つーか伏皇后廃したのは不義ではないのかな。
466: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 18:59:08 ID:wTyNisof0
ほとんどの王朝創始者が不義不忠の輩というのは間違いないだろうね。
曹操も漢朝の臣でありながら、魏を建国し「魏王」などと名乗ってるあたり十分な不義を働いてるよ。
民衆人気を得て時代の英雄を神として称える道教では、王朝の創始者よりも庶民出の武将、知恵者、無欲な道士
などを神として崇めることが世の常になっていた。
英雄から神に昇華するような存在に王候貴族出身者がほぼ居ないあたりも
当時の中国の国民性が伺えるんじゃないかな~。
日本での曹操の人気はやっぱり感性の違いじゃない?
曹操も漢朝の臣でありながら、魏を建国し「魏王」などと名乗ってるあたり十分な不義を働いてるよ。
民衆人気を得て時代の英雄を神として称える道教では、王朝の創始者よりも庶民出の武将、知恵者、無欲な道士
などを神として崇めることが世の常になっていた。
英雄から神に昇華するような存在に王候貴族出身者がほぼ居ないあたりも
当時の中国の国民性が伺えるんじゃないかな~。
日本での曹操の人気はやっぱり感性の違いじゃない?
468: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/28(木) 22:49:23 ID:NQ+CAsjZ0
中国でも曹操の見直しは十分にされたけどね。
でも一般層は日本と違って正史はあまり興味ないらしく、
結局一般的な認識までは覆らなかった。
でも一般層は日本と違って正史はあまり興味ないらしく、
結局一般的な認識までは覆らなかった。
472: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 00:31:30 ID:9uGMUB8N0
曹操のエピソードで有名なヤツ
官渡の戦いで勝利した後に敵が逃げ去った陣地に残っていた、
袁紹への内通を約束した文書を中身を見ずに焼き払って
「戦中はオレでさえ袁紹に勝てると思わなかった・・・
他の奴なら尚更だろう」と言ったというエピソードからは
人物としてのスケールのデカさを感じるね
中国で後々そういったエピソードのある奴いるのか?
官渡の戦いで勝利した後に敵が逃げ去った陣地に残っていた、
袁紹への内通を約束した文書を中身を見ずに焼き払って
「戦中はオレでさえ袁紹に勝てると思わなかった・・・
他の奴なら尚更だろう」と言ったというエピソードからは
人物としてのスケールのデカさを感じるね
中国で後々そういったエピソードのある奴いるのか?
473: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 00:54:08 ID:kaHEctogO
>>472
後々ではなく、後漢の初代光武帝が既にやってる
実はそのエピソードは光武帝からパクったのです
後々ではなく、後漢の初代光武帝が既にやってる
実はそのエピソードは光武帝からパクったのです
474: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 01:38:44 ID:pMUQdnVW0
曹操は劉秀、というか先人に倣ったところが結構有名だよね
475: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 18:14:09 ID:8gMABH320
秀吉の辞世の句としている「人生朝露の如し」ももとは曹操の「短歌行」からきてるんだな。
酒にたいしては当に飲むべし、
酒にたいしては当に飲むべし、
477: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:13:06 ID:6ZnMCvuYO
詩作が出来る君主ってのは曹操が初めてなんじゃない?
478: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/31(日) 19:29:37 ID:kaHEctogO
漢書には漢武帝作の賦があったことが記録されてるようだが
479: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/01(月) 12:32:04 ID:GemR3Jg10
対酒当歌 人生幾何
譬如朝露 去日苦多
酒に対しては当に歌うべしだね。
譬如朝露 去日苦多
酒に対しては当に歌うべしだね。
448: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/17(日) 13:56:01 ID:e5S3BZ4sO
統一達成してたら中国史上でも屈指の皇帝と評価されてたかもね
455: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/20(水) 23:53:46 ID:zo5VhKRZO
曹操ほど時代によって評価が激変する人物も珍しいね
引用元: ・【治世の能吏】 曹操 【乱世の姦雄】
積極的に虐殺しておきたい利用が、曹操にあるとも思えんしね。