goo

前立腺風雲録 最終回

 さて、年も改まって2017年になった。三が日は家でゆっくりした。1月の4日に入院する。こんどは仕切りなおしの入院である。前年の11月に入院したばかりであるから、なれたものだ。入院手続きも実にスムースに終える。なにごともなれというモノはえらいモノである。
 印象深い患者であったのか、看護師さんが、小生のことを覚えていた。「こんどはちゃんと手術を受けましょうね」判っております。わたしも11月に手術を受けたかったです。
 病室に案内されて驚いた。11月と同じ病室同じベッド。手術そのものの様子は、この記事に書いたから、ここでは繰り返さないが、おかげさまで手術は成功した。
 手術してから8ヶ月たった。少量の尿もれはまだあるが、泌尿器の具合は良好といっていい。以前は、夜中に何度もトイレに立って、寝不足をする時もあったが、今は、一度起きるだけ。
 おしっこに行っても、すぐまた行きたくなった。それがなくなったし、頻尿で悩まされなくなった。
 正直、手術して良かったと思う。生まれて初めての手術である。開腹手術ではなく、内視鏡によるレーザーの手術である。だから身体への負担は少ないが、手術は手術である。それに麻酔が半身麻酔ではあるが、脊髄への麻酔。不安であった。さいわい、小生に麻酔をした麻酔医はかなりの腕前の麻酔医であった。なんのストレスもなく麻酔を受けた。
 今は、お酒も飲めて、機嫌よく暮らしている。28回にわたって掲載してきた、この「前立腺風雲録」は今回で終了とさせていただく。
 このカテゴリーが同病で苦しむ人の参考になれば望外の喜びである。最後に、このブログをご覧になっている方々の、ご健康をお祈りする。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第27回

 そんなわけで2016年11月22日の手術は延期となった。この時の入院の診断書は「前立腺感染症」となっていた。自己導尿したさい、細菌が前立腺にとりついたのだ。充分に気をつけて導尿していたのだが、感染してしまったのだ。
 退院するとき、主治医に自己導尿は感染の危険があるから、常時留置バルーンカテーテルを手術が終わるまで装着しましょうといわれれる。
 自己導尿は、必要に応じてカテーテルを自分で尿道に挿入して、尿を排出する。常時留置バルーンカテーテルは、その名のとおり、カテーテルを尿道に24時間入れっぱなし。カテーテルを尿道に入れたり抜いたりしないので、感染の危険はない。
 尿道の先から少しだけカテーテルがのぞいている。その先にフタがついて、そのフタを開くと、おしっこができるというしくみ。入浴する時は、専用の栓があって、その栓でカテーテルの先をふさいで入浴する。
 自己導尿に比べて楽なように見えるが、そうではない。痛い。尿道の先から、常時カテーテルが出ているわけ。座ったりすると、カテーテルが尿道の先の内壁をこする。これが大変に痛い。しょっちゅう、カテーテルの向きを変えたりして、少しでも痛くないようにする。
 寝るときはカテーテルに尿袋をつないで、睡眠中の尿は袋に保存するようにする。小生は布団で寝ているが、これだと尿袋に尿が流れない。レンタルでベッドを借りて、それで寝るようにした。朝、起きると、そこそこの量の尿が袋にたまっている。これだと、夜中におしっこに起きなくてもいい。
おしっこは任意の時刻にフタを開けるだけでできる。夜中に起きなくてもいい。痛いのさえがまんできれば、常時留置バルーンカテーテルも悪いもんでもなさそうだが、やはり常に体内に異物が入っているわけだから、快適ではない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第26回

 さて、早く来てほしいような、来てほしくないような手術の日、2016年11月22日の前日11月21日が来た。この日の午前10時には病院に行かなくてはならない。
 異変は深夜に起きた。深夜2時ごろ、とつぜん身体がガタガタ震えだした。体温を測ると38度。風邪をひいたのだろうか。アホは風邪ひかんというが、小生はあまり風邪をひかない。だから風邪ひきの経験は乏しいが、どうもこれは風邪ではなさそうだ。
 布団の中でじっとしていると、だいぶん楽になった。今日は入院の日である。いずれにしても、ただごとではない。医者に診てもらう必要がある。
 朝になった。かなり楽になった。タクシーを呼んで神鋼記念病院へ。入院手続きをして、病室へ案内される。すぐ、主治医が病室に来た。深夜の異変のことは看護師に話してある。
 自己導尿のさい細菌に感染したのだろう。深夜から早朝にかけての発熱が多い。今夜から明日の朝にかけて発熱しなければ、予定通り手術しましょうといわれる。
 ところが、その夜、12時ごろ、ふるえ、発熱。体温は40度となった。とうぜん、手術は中止。導尿を、細菌感染の少ない常時留置バルーンカテーテルに替えてもらう。自己導尿による感染症ではあると思うが、万が一、他の感染症ではあってはいけないので。病室を4人部屋から個室へと移される。部屋代は4人部屋と同じ。
 抗生剤を投与してもらって、ふるえ、発熱は治まった。少し、経過観察をして、完全に菌が抜ければ退院となった。
 今回は手術は中止となったが、仕切り直しの手術をいつするかを、主治医と相談。できるだけ会社を休みたくない。正月休みをひっかけたい。と、いうわけで、病院の仕事始めの日、1月4日入院5日手術としてもらった。1週間程度の入院が必要。7日8日9日は会社休みだから、この日程だと4日ほど休めばいい。
 新年4日再入院を約して、常時留置バルーンカテーテルをつけて、小生は、とりあえず退院したのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第25回

 なにごとも慣れというモノはエライもので、どんなことでも慣れれば、さして苦にならないのである。
 自己導尿。めんどうくさがりの小生が、よく、こんなめんどうなことをやっていたものである。
 1日に1回、カテーテルの消毒液を替えてやらなければならない。そして1日に5回、自己導尿する。これは、どんなにめんどうでも必ず実行しなくてはならない。めんどうだから1回休み。1回ぐらいはいい。でも、尿は確実に膀胱内にたまっているのである。膀胱はだまっているが、負担がかかっている。
 導尿すれば尿の量を記録しなくていけない。飲んだ水分の量も記録。導尿に失敗して出血することもたびたび。休日に外出するときは、駅のトイレや居酒屋のトイレで導尿する。
 こんなことが一生続くかと思うと暗澹たる気持ちになる。導尿はめんどうだし痛いし出血するからイヤなことばかりだが、いいこともある。排尿を自分でコントロールできるのだ。ふつう、尿意をもよおせば、ある程度はガマンできる。しかし、限界がある。トイレにかけこまなければ、あるいは、どっかで立ちションしなくては、おもらしだ。このころの小生はそれがない。1日中でも排尿しなくてもすむ。そんなことをすれば膀胱に悪いが。
 なにか、集中して仕事をしている。あとひと息できる。ところが出物はれものところ嫌わず。おしっこがしたくなった。しかたがない仕事を中断してトイレへ。これがない。はれものはともかく、出物のうちのおしっこは、仕事ができてから、導尿に行くということができるのである。
 落語会や映画を観るとき、可能な限り通路側の席に座るようにしていた。入院前の小生は頻尿だ。中側の席だと、途中でおしっこがしたくなればがまんできない。ごめんやっしゃ、ごめんやっしゃといって、人の前を通ってトイレに行かなくてはいけない。実に迷惑そうな顔をされる。それの心配がなくなった。どの席でもOKである。
 11月22日手術予定である。早く、この日が来てほしいような。できるだけ来てもらいたくないような。なんとも落ち着かない日々を過ごしていたのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第24回

 導尿の日々を過ごすのである。1日に5回、自己導尿を行う。小生は自然排尿ができない。導尿をしないと尿が膀胱にたまり、腎臓に悪影響して、腎不全となる。最悪、人工透析だ。また、そうなる前に膀胱が破裂する。
 導尿に使っている再利用型カテーテルは、1ヶ月使用できる。1ヶ月で新品と交換しなくてはならない。かかりつけの小田泌尿器科で新しいカテーテルをもらっているが、かかりつけの医院で新しいカテーテルをもらえば、1万円近くの導尿指導料を納めなくてはいけない。導尿用カテーテルはネットでも買える。ネットで買えば、導尿指導料は不要だが、小生は月に1万円払っても、小田泌尿器科でカテーテルをもらっていた。これから、なにかと小田泌尿器科でお世話になることだし、自分の体内に挿入する器具である。ネットで購入したモノは、やはり不安である。かかりつけの医師から直接手渡してもらった方が安心である。
 PSAが12。前立腺癌を疑うには充分な数値である。もちろん前立腺肥大でもこの数値はでる。手術うんぬんいう前に、まずMRIを撮りなさいと小田先生にいわれる。神鋼記念病院の予約を取ってもらった。
 会社を午後半日有給休暇として、神鋼記念病院へ行く。MRIを撮ってもらう。小生、X線はいうにおよばず、CT、エコー、内視鏡、MRIと身体の中をのぞきこまれる経験は豊富である。この中で一番つらいのは内視鏡である。胃、大腸、膀胱と3種類の内視鏡の経験があるが、膀胱が一番痛かった。X線、CT、エコーはべつだんどうということもない。MRIは痛くもかゆくもないが、大きな音がするので、初めて経験される方はびっくりするかも知れない。それに狭いところに入れられるので閉所恐怖症の人は少ししんどいかも知れない。
 MRIの結果、癌の兆候はない。さらに確実を期すには針生検をしますかと、神鋼記念病院の医師に聞かれる。この医師が、のちの入院時の小生の主治医となり、手術の執刀医(刀は使わないレーザーの手術だから、執レーザー医というのかな)となった先生である。
 針生検は8年前にもやったし、1日は検査入院する必要がある。1ヶ月も入院していて、退院して日もたっていないので、もう会社を休みたくない。針生検はしないことにした。
 前立腺癌の心配はなくなった。これで小生の泌尿器の不具合は前立腺肥大であるとはっきりした。MRIの画像に映っている小生の前立腺はたいへん大きくはれ上がっている。軽症の前立腺肥大なら薬で治療することも可能だが、小生ぐらいになると手術が必要である。
 手術となると最低1週間は入院しなくてはならない。で、問題はいつ手術するかだ。小生の会社での.立場は契約社員である。正社員としては定年退職して、やってる仕事は同じだが、契約社員として働いている。その契約の更新は9月になされる。まだ、しばらく働くつもりだから小生は契約を更新するつもりである。従って、9月以前の手術はまずい。9月以降となる。
 諸般の事情を考慮して11月の手術とした。有給休暇の消化をできるだけ少なくしたい。11月は、3日と23日が祝日である。このどちらかの日をひっかけることにする。で、結論として、2016年11月21日入院22日手術とした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第23回

 六甲アイランド甲南病院を退院した。その日から自己導尿の日々が始る。小生は自然排尿できないのだ。場合によっては一生自己導尿しなくてはいけない。
 導尿用具一式は次の通り。まず、自己導尿用カテーテル。これは再利用型カテーテルと使い捨てカテーテルの2種ある。小生は2種類持った。常時、使うのは再利用型カテーテルだ。これは1ヶ月使える。
 カテーテルがないと排尿できない。破損すれば非常に困る。使い捨てカテーテルは予備としておいて置く。それに使い捨てカテーテルは外出時、常に5本は持ち歩いている。なんらかの理由で帰宅できない場合に備えてである。もちろん会社にも、10本はロッカーに入れておく。
 消毒液と消毒綿。再利用型カテーテルは、こういう形をしている。カテーテル本体はプラスチックの管に入っていて、その管には消毒液が入っている。カテーテル本体は常時、液につかっている状態である。この消毒液は1日に一度、新しい液に入れ替えなければならない。潤滑ゼリーと計量カップも必要である。
 自己導尿の手順はこうである。まず、導尿する前には必ず手を洗う。尿道口を消毒綿で消毒する。尿道口とカテーテルの先端に潤滑ゼリーを塗る。尿道を真っ直ぐ立てる。カテーテルをゆっくり挿入する。カテーテルの先端で尿道の内壁をこすらないように気をつける。カテーテルがいっぱい尿道に入ったら、そっと下に向けて排尿する。出た尿は計量カップで受けて計量ノートに記録する。
 この導尿を1日に5回。だいたい最長で5時間間隔で行う、最初と最後は、起床時と就寝前に行う。小生の場合、起床時が午前4時。2回目は午前9時。3回目午後1時。4回目午後5時。就寝前が午後10時に導尿をしていた。起床時と就寝前は自宅で行うが、2回目3回目4回目は会社でした。そのため、会社にも導尿用具を1セット置いていた。外出時は駅のトイレや、友人たちと飲酒している時(もちろん小生だけノンアルコールビールである)は、店のトイレで行った。
 飲んだ水分量と出た尿の量はノートに書いて記録する。ときどき、導尿を失敗して出血する。小生のごときめんどうくさがりにとって、自己導尿は大変な負担である。でも、これをしないと健康を損ねる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第22回

 2016年6月15日、1ヶ月におよぶ入院を終え、六甲アイランド甲南病院を退院した。翌日、16日、外来で同病院の泌尿器科を受診する。この日は外来患者あつかいだから少々待たされる。診察を受ける。この病院での診察加療はこれで終わり。今後は小田泌尿器科に通院しなさいということ。
 6月17日。小田泌尿器へ初めて行く。JR六甲道駅の近く。血液採取をし、六甲アイランド甲南病院の紹介状を見てもらう。前立腺の肥大はかなり大きい。膀胱のためにも手術をした方がいい。手術を強くすすめられる。
 親戚に前立腺肥大の手術をした人がいる。その人にどうだったか聞く。その人は手術して良かったとのこと。私も手術する意志をほぼかためる。その人は県立西宮病院で手術していた。
 小田先生に「手術するとなると、どこの病院ですか」と聞くと、神鋼記念病院を紹介するとのこと。しらべると、この病院、前立腺肥大手術では兵庫県で2番目の実績。親戚が手術を受けた県立西宮病院は4番目である。こんな病院なら安心であろうと安堵する。で、いつ手術するかだ。手術時期は、諸般の事情をかんがみ先生と相談しながらおいおい決めるとする。なんせ小生、手術なるモノを受けるのは生まれて初めて。身体にメスを入れられるのは初めてである。そのことを先生にいうと、神鋼記念病院での手術はメスは使わない。ではナニで切るかというとレーザーで切るとのこと。マイクロサイズのジェダイが小生の体内でライトサーバーを振るうのかな。フォースとともにあらんことを。親戚の人の手術は電気メスだったそうだ。
 6月18日、六甲アイランド甲南病院の紹介状を持って冨田クリニックに行く。このクリニックは胃潰瘍持ちの小生にとっては、かかりつけの消化器のクリニックである。何度も胃潰瘍の出血で神戸中央市民病院に紹介され入院させてもらった。血液の採取。
 1週間たって両方の医院に血液検査の結果を聞きに行く。まず、小田泌尿器科。PSAが12。高い目である。この数値だと前立腺癌を疑うべき。8年前の針生検で癌の心配なしといわれましたが、とういうと。8年もたてばもう一度検査する必要がある。もちろん前立腺肥大でもPSAが高くなる。神鋼記念病院でMRIを受けることにする。
 冨田クリニックでは、まだ貧血は完全には治ってない。造血剤を処方される。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第21回

 自己導尿もだいぶん慣れてきた。多少、出血はするが、自己導尿を始めて日が浅い人はいたしかたないとのこと。おいおい出血もしなくなるだろう。
 入院して1ヶ月になろうとしている。そろそろ退院の算段をする必要がある。初めて外出許可をもらう。6月11日のことである。病院のまわりを1時間ほど歩く。暑いのにびっくりする。5月に入院して約1ヵ月。病院内はエアコンが効いていて室温はいつも一定。久しぶりに外気にふれて、気温の変化に驚く。
 6月15日に退院の予定となった。退院前日、外出して散髪に行く。ついでに書店に立ち寄り本を買う。この病院、六甲アイランド甲南病院は六甲ライナーのアイランドセンター駅に直結している。そこから六甲ライナーに乗れば、JR住吉まで10分ほど。1ヵ月ぶりに乗り物に乗る。
 住吉のジュンク堂に行く。その時買った本がこれ。久しぶりに乗り物に乗って病院から離れて外出。ジュンク堂で1時間ほど過ごす。活字中毒者としてはいやされる時間である。
 さて、15日になった。小生、今まで何度か入院したことがあるが、退院する日というのはうれしいものである。今までは胃潰瘍の出血での入院であったので1週間ほどの入院であった。それが、今回は1ヶ月の入院となった。しかも、最初は憩室の出血だから消化器内科での入院。途中から前立腺肥大による排尿障害。泌尿器科へと変わった。長期かつ波乱万丈の入院であった。退院がひときわうれしい。
 退院したあとも、消化器と泌尿器科の診断を受ける必要がある。消化器はかかりつけの冨田クリニックにかかるつもり。泌尿器は8年前は芦屋の吉田泌尿器科で針生検を受けたが、あそこは午後6時まで。会社をフライングぎみに飛び出してなんとか間に合う。もっと近く、遅くまでやっている泌尿器科を探した。灘区の小田泌尿器が良さそう。JR六甲道の近くだし7時30分までやっている。
 冨田クリニックと小田泌尿器科への紹介状と、自己導尿用の用具一式を持って、2016年6月15日に退院した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第20回

 自己導尿を始めた。直径4ミリほどの樹脂の管を、尿道に挿入して尿を排出するのである。小生の膀胱は弱っていて、尿を排出する力はない。試しにトイレに立って自然排尿を試みたが、尿は1滴も出ない。導尿をしなければ、尿はどんどん膀胱にたまって膀胱が破裂する。そうなる前に、腎臓に負担がかかり腎不全になる。そうなると人口透析を受けなくてはいけなくなる。
 自己導尿は必ずマスターしなければならない必修科目となった。最初は看護師がやってくれる。女性の看護師も導尿をしてくれるが恥ずかしさはない。今後の自分の身体の重大事である。導尿の手技の習得に必死である。
この導尿指導、男性の看護師がやってくれることが多い。この病院の男性看護師はどの看護師も大変に良くしてくれた。そのうちのAさんという若い男性看護師さん。非常に優しく親身なってくれた良い看護師さんであった。彼の親身な指導によって、導尿というなれないことができるようになった。
3日ほど、看護師が導尿してくれた。これからは自分でしなさい、ということになった。最初は見ていてくれる。だいじょうぶと判断したら、自分ひとりでやる。看護師に頼っていれば、いつまでたっても退院できない。
自己導尿の手順はこうである。導尿用カテーテルは一回り太いプラスチックの管に入っている。管の中は消毒液が充填されている。カテーテルは常時、消毒液に浸っているわけだ。
 導尿を行う前に、必ず手を洗う。カテーテルを管から引き抜く。尿道の入り口とカテーテルのゼリーを塗る。滑らかに挿入するためだ。アレをまっすぐ上に立てる。そこにカテーテルをまっすぐ、静かに挿入していく。あくまで、尿道もカテーテルもまっすぐである。カテーテルの先が尿道の内壁に接触しないように気をつける。内壁を傷つけると出血する。なれないうちは、導尿するたんびに出血していた。
この自己導尿を、1日に5回行う。もちろん、摂取した水分と、導尿で出した尿の量は記録する。自己導尿が自分でちゃんとできるようになれば退院といわれる。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第19回


 六甲アイランド甲南病院の泌尿器科外来で診察を受ける。小生は外来患者ではなく入院患者なので、あまり待たされず診察室に呼ばれる。
 まず、常時留置カテーテルを抜かれる。ホッとする。1週間尿道に管を突っこまれたままで過ごしてきたわけ。なれはしたが、さすがに尿道に異物がないのは楽である。これでカテーテルは不要になったかといえば、そうではない。これからは自己導尿をしなさいとのこと。
自分でカテーテルを尿道に挿入して尿を出すのである。痛そう。写真が、その自己導尿用のカテーテルである。プラスチックのチューブにカテーテル本体が入っている。本体の直径は4ミリほど。やわらかい樹脂製であるが、これを自分で尿道に入れるのかと思うと憂鬱である。
はじめのうちは看護師がやってくれるとのこと。やり方をマスターしたら自分でしなくてはならない。そんなことをいつまでやる必要があるのか。できれば早々にやらなくてもいいようになりたいものだ。入院中のことだけだと思っていた。
「自己導尿、どれぐらいやらなくてはなりませんか」こう聞くと、医者は衝撃的なことをいった。
「一生」
「え!?」
「これからずっと自己導尿をやってもらわなくてはいけません」
「私は普通におしっこができない身体になったのですか」
「はい。あなたの膀胱は尿が溜まりに溜まって、パンパンになっていました。風船が膨らみきった状態でした。あと少し遅ければ破裂してたところです。そこから尿を抜いたのです。パンパンの膀胱がからっぽになりました。膀胱は弛緩しています。尿を排出するは力はありません」
「治らないのですか」
「治る可能性もあります。でも難しいです」
「つまり普通におしっこができなくなったのですか」
「今のところは。自己導尿で普段どおりの生活をしている人もけっこういますよ」
 小生は管を尿道に突っこまないと排尿できなくなってしまった。
「世界の盗塁王福本豊」さんが、国民栄誉賞を打診された時「そんなんもろたら、立ちしょんべんもでけへんがな」といったとか。小生は、国民栄誉賞をもろてへんけど、立ちしょんべんができない身体になってしまった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第18回

 大腸からの出血は止まった。憩室は一段落したといっていい。主治医の見立てである。毎日のようにおこなっていた大腸の内視鏡もしなくなった。治療の主眼は消化器から泌尿器へと移ったのである。
 常時留置カテーテルが尿道に挿入されたままだ。当初は痛く気持ち悪かったが、二、三日もするとなれた。尿は尿袋に自動的に溜まる。看護師が定期的にそれを捨てに来る。捨てる時、尿量も計る。
 尿量が減っている。不自然な状態だという。カテーテルを交換してから順調に尿が出るようになった。どうもカテーテルが詰まっていたらしい。カテーテルは入れっぱなしの時は違和感はあるが痛みはさしてない。ところが入れられる時は痛い。トラブルなく入れっぱなしの状態が続いて欲しい。
 尿の出が順調なのが二日ほど続いた。その日、午後から尿量が極端に減少した。夜になると、ほとんど袋に溜まらなくなった。下腹が張っているような気がする。深夜、これはまともじゃない。というので当直の医師がポータブルのエコーを持ってベッドまで来てくれた。エコーをかける。「コアグラ」が膀胱内のカテーテルに詰まっている。との診断。急きょ、カテーテルを抜く必要がある。その医師と看護師2人。3人がかりでゆっくりとカテーテルを抜く。大きな「コアグラ」ようするに血のかたまりが出てきた。そのあと大量の尿が。カテーテルが尿道か膀胱の内壁に触れて出血して、それがかたまったらしい。
 また、詰まるといけないので、もう少し太いカテーテルにしましょう。太めのカテーテルを入れられる。さすがに痛い。痛かったが、その後はコアグラが詰まることはなく、尿の出は順調になった。
 1週間たった。泌尿器科の受診。8階の病室から1階の泌尿器科外来まで、看護師が連れて行ってくれる。泌尿器科の受付で、小生を連れてきてくれた病棟の看護師から泌尿器科外来の看護師に引き渡される。そこでしばし待たされる。平日の午後ではあるがけっこう外来の患者が多い。小生のように、入院中の他科の患者も何人かいた。小生のように複数の疾病で入院している人はめずらしくないのだな。
 診察室に呼ばれる。常時留置カテーテルを抜かれる。これからは自己導尿しなさいといわれる。
 自己導尿。自分でカテーテルを尿道に突っこんで尿を排出するのである。なんか痛そう。それは、どれぐらいの期間やるのですかと聞く。衝撃的なことをいわれる。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第17回

 中央市民病院への転院準備をする。ところが、昨夜、導尿によって、膀胱にたまっていた尿をすっかり出してもらったら、だいぶん事態は好転した。どたんばになって転院は中止。とりあえず、この六甲アイランド甲南病院の泌尿器科を受診する。泌尿器科を受診しながら、大腸憩室の経過観察をすることになった。
 午後、泌尿器科で診察を受ける。膀胱に尿が満タンにたまっていてパンパン。導尿がもう少し遅ければ膀胱が破裂していた。ある意味、憩室が出血して良かった。で、なかったら、病院に入院せず、おしっこの出が悪いなあと日常生活を送っていて、とつぜん膀胱が破裂。命にかかわることになる。ゾッとする。
 膀胱の内視鏡を受ける。それまでに大腸の内視鏡を6回受けた。どっちが痛いか。人それぞれと思うが、小生は膀胱の内視鏡の方が痛かったな。
 まず、膀胱にガンはない。しかし、膀胱の内壁がかなり荒れているとのこと。発熱の原因はこの膀胱の荒れだと判る。導尿をしつつ、しばらく薬を服用して様子をみることになる。
 親戚に前立腺肥大で手術した人がいる。その人は夜中に尿意を感じてトイレに行くが出ない。尿意はすれどもおしっこが出ない。大変に苦しい。救急で病院へ行って導尿してもらうと700ccほど尿が出てすっきりしたそうだ。その人、小生の話を聞いて、よく7リットルもたまっていたのに、平気でいたなと、感心された。金がたまるのならいいが、おしっこをためても自慢にはならない。
 一週間後の泌尿器科受診まで、常時留置カテーテルをつけられる。尿道にカテーテルを入れ、チューブを通して袋に尿をためる。これは寝るときもずっと24時間つけっぱなし。尿道に管が常にある状態。常時尿意を感じる。遠慮なく尿をすればいいが、ものすごく違和感を感じる。尿は、意識して出さなくても、自然に出ているらしく、知らぬ間に尿袋に尿がたまっている。
 これで、小生の身体には、点滴、24時間心電図に加えて、常時留置カテーテルがくっついた。点滴スタンドの上の方には点滴薬、下のほうには尿袋。こういうかっこうでガラガラと点滴スランドを押しながら売店に新聞を買いに行くのである。
 憩室の出血は止まっている。快方に向かっている。食事もジュースだけだったのが、おかいさんを食べるようになった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第16回

 熱は下がり始めた。でも、まだ平熱ではない。腰はあいかわず痛い。大腸の出血は下がっている。
 頻尿はあいかわらず頻尿。たびたびおしっこに行くが、少ししか出ない。ちょっと出る。また行きたくなる。ちょっとでる。また行きたくなる。これのくり返しだ。さすがに普通でないと思う。
 主治医は消化器の医師で、泌尿器は専門外だがとことわって、ひょっとすると発熱は腎臓から出てるのではないかとの見立て。腎臓結石の疑いがあるとのこと。泌尿器と相談するとのこと。
 もし前立腺の手術が必要なら、レーザーの手術ができる神鋼記念病院に転院も考えなくてはならない。
 再び造影剤入りのCTを受ける。前立腺が大きくはれているため、膀胱におしっこが大量にたまっている事が判明。前立腺がダムになっていて膀胱がいっぱい水をためたダム湖ということだ。
 膀胱がこういう状態だから、腎臓に負担がかかり、それが発熱の元であると判った。血液検査の数値にもそれが出ている。クレアチニンの数値が異常に高い。腎不全一歩手前というところだった。
 その夜、生まれて初めての導尿をしてもらう。尿道にカテーテルを入れて、尿を排出する。ものすごくたくさんの尿が出た。尿瓶一つでは足らず、何個もの尿瓶に尿を出す。この時出た尿の量、7リットル。膀胱がパンパンにはれていた。もう少し遅れると膀胱が破裂していたかもしれない。
 レーザーの手術はあとでやるとして、泌尿器と憩室出血の治療が喫緊の課題である。ついては先進医療ができる中央市民病院へ転院することになった。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第15回

 2016年5月30日。5月14日に入院したから半月が経った。15年前の憩室出血では1週間の入院ですんだ。ところが、今回は2週間過ぎても退院できない。この間、大腸の内視鏡を5回受けた。この日も、朝、少量の鮮血が出血した。
 主治医はもう一度内視鏡をする必要があるとの判断。もし、このまま出血が止まらなければ、手術も選択肢に入れなければならないとのこと。
 手術となると、大ごとである。小生、胃や腸からよく血を出す人だから、かかりつけの消化器の専門医がある。家人に、その専門医に相談に行ってもらった。
 専門医は手術をすすめた。手術した方が治りが早い。難しい手術ではないし、後遺症も残らない。とのご意見。
 この日の夕方、6回目の内視鏡を受ける。すでに出血は止まっている。クリップを外し、止血剤を投与された。これで、止血しなければ手術しましょうということになった。
 実は、大腸の憩室ばかり気にしていたが、もっと大きなトラブルが小生の身体にあったのだ。
 数年前から頻尿だった。小便に行っても、すぐまた行きたくなる。夜中に3回か4回目をさましてトイレに行かなくてはならない。トイレにいっても少ししか尿が出ない。残尿感が残ってすっきりしない。
 特に入院してから頻尿がひどくなった。入院以来ずっと点滴を受けている。24時間途切れなく液体を体内に注入しているわけだ。だから頻尿は点滴のせいだと思った。夜も安眠できなくなった。
 大腸の出血は止まったようだが、別の症状が出てきた。発熱。38度。腰が痛い。腰が痛くてベッドで仰向けになれない。発熱は風邪のため。腰痛は2週間もベッドに寝ているのだから寝腰だと思っていた。
 ともかく、頻尿と腰痛でベッドで寝れない。病室を抜け出し、ディルームで一晩過ごしたこともあった。もちろん、担当の看護師にいった。貼り薬をくれ、氷枕をしてくれた。主治医はなにかあると判断、造影剤入りCTを撮り、血液検査をしてもらった。そして憩室の影に隠れていたアレが姿を現したのである。
 今まではマクラ。次回からいよいよ本題に入る。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

前立腺風雲録 第14回

 3回目の大腸の内視鏡を受けた翌日は、出血はとりあえず止まった。このまま出血しなかったら、2日か3日様子を見て、絶食から流動食にしましょうということになった。絶食から解放されるのはうれしい。
 と。喜んでおったが、少量、にじむような出血。微量なので、内視鏡はせず様子をみることになった。完全には止血していないが、血圧も低血圧から正常な血圧に上がり、貧血も解消された。全体としては快方に向かっているといっていいだろう。
 入院して10日目。まだ少量の出血。一進一退といったところ。結局、また内視鏡を受けた。5回目である。止血クリップをし直し、止血剤の投与を受ける。
 絶食からの解消準備かかる。いきなり流動食というわけではない。最初は重湯からだが、その前段階として、ジュースを飲む。三食ともジュースとなる。出血は止まっている。
 入院生活は退屈なものである。本を読んでいるが、テレビも観る。このころテレビを一番にぎわせていたのが、前東京都知事の舛添ネズミ男である。テレビをつければ「厳正なる第3者の目で」というネズミ男のいいわけが聞こえてきた。ま、あのころにかっこうのおもちゃであったな。舛添ネズミ男は。
 大腸の憩室は一進一退を繰り返しながら、内視鏡を受けながらも、治療は進んでいったのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ