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25/11/2006

匿名による虚偽の「内部告発」に「言論で対抗する」ことの困難性

 言論には言論で対抗するべきといういわゆる対抗言論の法理というのは、いわゆるニフティ訴訟の前後には一時盛り上がりました。しかし、ネット上での名誉毀損に対しては対抗言論で対応すべきであって訴訟等で対処するのは間違っているとする考え方は下火になっています。実際、我が国では、企業等の不祥事についての内部告発方法としての、「ネットへの匿名での企業についてのネガティブ情報の流布」を法的な保護に値するものとしては認めませんでした(cf.公益通報者保護法)。

 実際、「言論には言論で対抗」できる領域というのはせいぜい「オピニオン」に関する部分に限られるのであって、「内部告発」されるべきものとして予定されている「事実」の存否については、その「事実」が存在すると主張する側から情報源を含む証拠が提示されないネット上の言論に言論で対抗することは大抵の場合困難です(例えば、「私は、N大学の教員ですが、同僚のM教授は、こういったら何ですが頭のできが良くない子供をお持ちの地元の弁護士にこっそり働きかけて、N大学法科大学院に裏口入学させてあげるといって、1人あたり1000万円ものお金をもらっています。しかも、裏口入学させるなんて言うのは全くの嘘っぱちで、1000万円もらえるだけもらってあとは知らんぷりです。騙された弁護士も、『私は息子の裏口入学を画策しました』なんてとても恥ずかしくて言えないから泣き寝入りです。」なんてネット上で匿名で流布された場合には、M教授もN大学も、この種の「内部告発」の外形を有するネット上の匿名「言論」に「言論で対抗せよ」といわれたって、どうしようもありません。この種のネガティブ情報の流布に対抗するには、情報の発信源を特定して訴訟を提起するなどしたが、その者はしかるべき根拠を提示できなかったという事実をもってする以外にはないのが通常です。)。「ネットへの匿名での企業についてのネガティブ情報の流布」を法的な保護に値するものとしては認めるとすると、企業としては、「ネットへの匿名での企業についてのネガティブ情報の流布」に対しては、一種の天災として、自社にとって致命傷とならずに通り過ぎていくことをひたすら祈るより他なくなっていくことでしょう。したがって、内部告発者の保護制度を導入するにあたって、「ネットへの匿名での企業についてのネガティブ情報の流布」を法的な保護に値する内部告発手法として位置づけなかったのは当然のことだったのです。

 虚偽の「内部告発」が流布されても対抗手段が事実上存在しない環境のもとでは、虚偽の「内部告発」により社会的評価が低下した企業等に本来向かうべき人材なり顧客なりが当該企業を回避してしまうという意味で市場を歪めますし、これが政党や政治家に向けられたときは本来その政党や政治家に投票していたであろう有権者が当該政党や政治家への投票を回避してしまうという意味で民主主義を歪めることになります。したがって、企業や公人等は虚偽の「内部告発」等を甘受すべきと言う見解は、市場経済や民主主義が、一部の市民によるストレスの発散や、対抗勢力による陰謀工作のために歪められても構わないということを意味することにも繋がります。

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