2種類の強さ
記事を投稿した市民記者の揚げ足を取ったり、人格攻撃をしたり、イデオロギー的にレッテル貼りをしたりするだけのオピニオン会員というのは、オーマイニュースのような市民ジャーナリズムにとっては、マイナス要素の大きな存在です。なぜならば、オピニオン会員による揚げ足取りや人格攻撃、レッテル貼り等に市民記者が嫌気がさして新規の記事の投稿を躊躇するようになると、市民ジャーナリズムは成立しなくなるからです。
もちろん、数少ない新規記事に対して多数のオピニオン会員が従来にもまして執拗に揚げ足を取ったり、人格攻撃をしたり、レッテル貼りを繰り返したりするようになれば、アクセス数は従前の水準を維持できるかも知れませんし、ひょっとしたらアクセス数が向上するかも知れません。しかし、そういう陰湿な言論の場にまともな企業は広告を出そうとは思わないでしょうから、広告収入を基軸とするオーマイニュースとしてはそれは選択しにくいように思います(オーマイニュースは、2ちゃんねるのようにアダルト系の企業からの広告を取ってくるというわけにもいかないのでしょうし。)。
したがって、オーマイニュースとしては、執拗かつ陰湿な攻撃に対して毅然としていられる強さを持てない市民記者を切り捨てるか、正々堂々と批判する強さを持てないオピニオン会員を切り捨てるかを選択せざるを得ない状況にあることがわかった段階(まあ、やる前から予想はできていたのですが。)で、合理的な選択を行ったということができるでしょう。佐々木さんは、市民会員に執拗かつ陰湿な攻撃に対して毅然としていられる強さを求めておられますが、むしろオピニオン会員に正々堂々と批判をする強さを持つことを求める方がハードルが低いのではないか(したがって、そのような強さを持たないオピニオン会員にご退場頂いても、いずれそのような強さを持つオピニオン会員が新たに現れてその穴を埋めることが期待できるのではないか)と思うのです。
オーマイニュースの記事や佐々木さんの記事を読んでも、市民記者の多くは、自分の記事が批判されること自体を許せないと言っているわけではないように見えます。問題は、他人の意見を批判する際に一般に求められる礼節が守られていないことに市民記者の多くが耐えられないことにあるように見えます。そして、それは仕方がないことだと思うのです。卑劣かつ執拗な誹謗中傷に耐えて新規に記事を投稿してくれる優秀な人材を集めてそしてつなぎ止められるほどの原稿料だって支払っていないのですから。
ウェブ2.0というのが、無責任な誹謗中傷にひたすら耐えてせっせとコンテンツを作成しアップロードする利他的な人々を大量に用意しなければ成立しないものだとしたら、おそらくは実現しないかまたは程なくして終焉を迎えてしまうのではないかと思えてなりません。
【追記】
essaさんのご意見は抽象的にはわからなくはないのですが、自分たちの思想傾向に合致しない記事ないし合致しない人の書いた記事に対して執拗に足取りや人格攻撃、レッテル貼り等を繰り返してそのような記事を投稿しにくいような雰囲気をオーマイニュースの中に醸成しようとし、そのための必須要素としてオピニオン会員の匿名性の保障を求めていた(一部の)オピニオン会員と、そのようなオピニオン会員が放任されている場所では新規に記事を投稿する気になれないとしてそのような悪質なオピニオン会員への対処を求めていた(一部の)市民記者との間の間で事後的な調整をする余地があったのかという疑問が多分にあります。
もちろん、市民記者に強くなれと要求するのは簡単ですが、それで終わらしていては、強くなれない市民記者は去っていってしまうだけのことで、オーマイニュースは、一部のオピニオン会員に牛耳られた、死んだメディアになってしまう虞が多分にあります。実際、オーマイニュース編集部が今回とった措置に反対する方々がオーマイニュースの市民記者に突きつける要求は、少なくとも一部のオピニオン会員のお眼鏡には適わない記事を投稿したいと考える市民記者にとっては、相当にハードルの高いものであり、それゆえ、そのような要求を編集部から突きつけられたら、市民記者がほとんど残らない状態になる虞が相当あったのではないかと思うのです。
私は、オーマイニュース編集部は、真剣に妥協策を模索し、真剣にアイディアを求めたのだとは思うのですが、結果的には、双方とも妥協可能な妥協策が提案されなかったので、対編集部匿名性に拘泥するオピニオン会員の切り捨てという措置を講ずることにしたのではないかと想像しています。「良いアイディアが寄せられたらそれを採用する」程度のポジションで広く意見を求めることというのは十分ありだとは思うのです。
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Commentaires
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「住所氏名を把握された後でなければ意見を言うことが許されないということであれば会員はその組織への帰属意識を暗に期待されていることを意識せざるを得ません。」というのは間違いです。
自分の発言に現実社会での自分の評価をかけてまでの責任を持てる人が「ネットで目覚めた人」には思いの外少なかったというだけのことでしょう(それでいて、市民記者に対しては、誹謗中傷に耐えることまで望むのはどうかなあと思いますが。)。
Rédigé par: 小倉秀夫 | 26/11/2006 09:33
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2006/10/post_dfb6.html#comments
この記事でも申し上げたんですが、気づいてもらえなかった可能性もあるので、もう一度。
例の記事ですが、褒めていただいてありがとうございました。励みになります。
Rédigé par: トニオ(音羽理史) | 26/11/2006 02:19