FAの季節になるといつも繰り広げられる「田舎芝居」にはうんざりさせられる。
中日、藤井淳志については豊浦彰太郎さんが書いている。
中日、藤井淳志は何を怒っているのか?
藤井の件は「FA宣言をしますよ」というそぶりをした藤井に対し、落合GMや、球団サイドが「引き止め交渉」をしなかったというものだ。
藤井は「10年間過ごした球団から何も言われていない。寂しい、悲しい気持ちがある」と怒っているという。メディアは中日の「不誠実」を報じている。
一方で、ヤクルトの衣笠オーナー代行はこんなことを言っている。
報知
FA権を宣言した上での残留は認めない意向を示した。今季は畠山や来季が3年契約の最終年となる石川らを含め、FA権の有資格者が6人いるが、「残る人は(宣言しないで)残っていた。明確なルールはないけど、手を挙げてダメで、残してくださいは虫が良すぎる」と明かした。
この発言はルール違反だ。FA破りである。
FAとは、一定年限をプロ野球で過ごし、試合に出てチームに貢献することで得られる選手「どのチームとでも自由に契約交渉ができる」権利である。
それは見方を変えれば、選手が球団の囲いを離れて「FA市場」に出ることを意味する。
各球団は選手を自由に値踏みできる。
選手も、球団といろいろな条件交渉ができる。
しかしNPBでは、FA権を取得できる年限になっても、自動的にFA状態にはならない。
今年で言えば10月30日から11月10日までの間にコミッショナーあてに「FA権行使をする」旨、文書を送らなければ、選手はFAにはならない。
つまりNPBでは「FA」とは一定年限を経た選手が付与される権利ではなく、自分が「球団を出ても構わない」と決心して行う「選択」なのだ。
当サイトのコメントでもたくさん寄せられているように、「宣言」があることで、選手はFA権を行使することを躊躇する。
市場の厳しい評価にさらされることが怖いという感情もあるだろうが、「世話になった球団に後足で砂をかけて出ていく不忠もの」的な印象を与えることもいやなのだろう。ヤクルトの衣笠オーナー代行のようなコメントを聞けば、彼らの気持ちはさらに阻喪することだろう。
同時に、宣言があることで「出ていかない決断をする余地」も出てくる。「引き留めてくれるなら、残留を考えないでもないよ」というそぶりで「引き留め」を求める選手も出てくる。それがないと言って怒る藤井敦志のような選手も出てくる。
これは日本の労働環境の縮図だ。
終身雇用も年功序列もとっくに破たんしているのに、企業はまだ社員に「無限の忠誠」を求め、社員は企業に「数字以外の評価」を求める。そして企業は、かりそめの「家族」のような一体感をいまだに作ろうとしている。
FAをめぐるドラマは、こうした中途半端な状態のカリカチュアを見ているようで、あまり気持ちが良くない。
実際には、今のMLBのFAは、「選手の権利」だけではなくなっている。
6年未満の選手と、複数年契約選手以外はすべて自動的にFAになるMLBでは、オフに400人もの選手がFAになる。
ほぼ、すべてのチームで3割以上の選手が入れ替わる。
FAになったと言っても、市場価値のない選手には次の契約はない。球団にとってみれば、リストラの手間が省けるようなものだ。
毎年、それなりに実績のある選手が自信は望んでいないのにFA市場に自らを出品し、契約先がないままにMLBから消えていっている。
FAとは、掛け値なしに「現時点での自分の価値」を知ることになるシビアな「決算の場」でもあるのだ。
日本では人間関係は、時を経るとどうしてもウェットなものになる。金や実績や契約だけではない、「情」が顔を出すようになる。
しかし、そのために、チーム内に情実や既得権益や怨恨などさまざまな「感情の塊」がわだかまるようになる。NPBの球団がなかなか変化できず、旧態依然としたままなのは、実力以外のこうした「情」がからむからだ。
日本的な「情」をなくせとは言わない。アメリカ的なるものがすべて良いわけではない。中には醜悪なものもある。
しかし選手の権利であり、野球をよりドラスティックに変えるはずの「FA」がおかしな方向にねじれていくのは、良いこととは思えない。
またそれなりに功績のある選手に、意味のない苦悩を与えるのも酷である。
「FA宣言」は廃止すべきだ。
そうなれば、ストーブリーグはずっと面白くなるはずだ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
2015年武田翔太、全登板成績【チームの勝ち頭、日本一に貢献】
藤井は「10年間過ごした球団から何も言われていない。寂しい、悲しい気持ちがある」と怒っているという。メディアは中日の「不誠実」を報じている。
一方で、ヤクルトの衣笠オーナー代行はこんなことを言っている。
報知
FA権を宣言した上での残留は認めない意向を示した。今季は畠山や来季が3年契約の最終年となる石川らを含め、FA権の有資格者が6人いるが、「残る人は(宣言しないで)残っていた。明確なルールはないけど、手を挙げてダメで、残してくださいは虫が良すぎる」と明かした。
この発言はルール違反だ。FA破りである。
FAとは、一定年限をプロ野球で過ごし、試合に出てチームに貢献することで得られる選手「どのチームとでも自由に契約交渉ができる」権利である。
それは見方を変えれば、選手が球団の囲いを離れて「FA市場」に出ることを意味する。
各球団は選手を自由に値踏みできる。
選手も、球団といろいろな条件交渉ができる。
しかしNPBでは、FA権を取得できる年限になっても、自動的にFA状態にはならない。
今年で言えば10月30日から11月10日までの間にコミッショナーあてに「FA権行使をする」旨、文書を送らなければ、選手はFAにはならない。
つまりNPBでは「FA」とは一定年限を経た選手が付与される権利ではなく、自分が「球団を出ても構わない」と決心して行う「選択」なのだ。
当サイトのコメントでもたくさん寄せられているように、「宣言」があることで、選手はFA権を行使することを躊躇する。
市場の厳しい評価にさらされることが怖いという感情もあるだろうが、「世話になった球団に後足で砂をかけて出ていく不忠もの」的な印象を与えることもいやなのだろう。ヤクルトの衣笠オーナー代行のようなコメントを聞けば、彼らの気持ちはさらに阻喪することだろう。
同時に、宣言があることで「出ていかない決断をする余地」も出てくる。「引き留めてくれるなら、残留を考えないでもないよ」というそぶりで「引き留め」を求める選手も出てくる。それがないと言って怒る藤井敦志のような選手も出てくる。
これは日本の労働環境の縮図だ。
終身雇用も年功序列もとっくに破たんしているのに、企業はまだ社員に「無限の忠誠」を求め、社員は企業に「数字以外の評価」を求める。そして企業は、かりそめの「家族」のような一体感をいまだに作ろうとしている。
FAをめぐるドラマは、こうした中途半端な状態のカリカチュアを見ているようで、あまり気持ちが良くない。
実際には、今のMLBのFAは、「選手の権利」だけではなくなっている。
6年未満の選手と、複数年契約選手以外はすべて自動的にFAになるMLBでは、オフに400人もの選手がFAになる。
ほぼ、すべてのチームで3割以上の選手が入れ替わる。
FAになったと言っても、市場価値のない選手には次の契約はない。球団にとってみれば、リストラの手間が省けるようなものだ。
毎年、それなりに実績のある選手が自信は望んでいないのにFA市場に自らを出品し、契約先がないままにMLBから消えていっている。
FAとは、掛け値なしに「現時点での自分の価値」を知ることになるシビアな「決算の場」でもあるのだ。
日本では人間関係は、時を経るとどうしてもウェットなものになる。金や実績や契約だけではない、「情」が顔を出すようになる。
しかし、そのために、チーム内に情実や既得権益や怨恨などさまざまな「感情の塊」がわだかまるようになる。NPBの球団がなかなか変化できず、旧態依然としたままなのは、実力以外のこうした「情」がからむからだ。
日本的な「情」をなくせとは言わない。アメリカ的なるものがすべて良いわけではない。中には醜悪なものもある。
しかし選手の権利であり、野球をよりドラスティックに変えるはずの「FA」がおかしな方向にねじれていくのは、良いこととは思えない。
またそれなりに功績のある選手に、意味のない苦悩を与えるのも酷である。
「FA宣言」は廃止すべきだ。
そうなれば、ストーブリーグはずっと面白くなるはずだ。
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2015年武田翔太、全登板成績【チームの勝ち頭、日本一に貢献】
現状ではFA宣言が、球団に対する忠誠心の踏み絵のようになってしまっている。ファンの一部にも宣言をした選手、出て行った選手を悪くいう傾向があります。こういう間違ったウェットさが、選手の流動性を下げ、ストーブリーグを詰まらなくするばかりか、順位の固定化にも一役買っているというのに。
このあいだ、引退した亀田興毅が「俺はボクシングの商品。文句をいうのは自由」と発言していて感心したのですが、野球はチームスポーツゆえに、こういったシビアな価値基準が鈍っているのでしょうか。
野球選手はまず個人事業主であり、ユニフォームの前にバットとグラブを供として食っていくのが仕事だと、改めて認識してほしいものです。