2025-11-29

謝罪することと、許してもらうことを混同してる人が多い

君ら、気付いてるか。世の中に「謝罪できてない人」が物凄く多いってことに。

いや、謝罪言葉を言ってる人はいる。「ごめんなさい」「申し訳ない」「すみません」。そういう言葉を、毎日、誰かしら言ってる。でも、その「謝罪」は、実は「謝罪」じゃなくて「許してほしいという懇願」なんだ。その違いを理解してない。だから人間関係が壊れるんだ。

謝罪とは何か

まず、定義から始めよう。謝罪とは何か。

謝罪とは「自分の過ちを認識し、相手に対して、その過ちが相手に与えた苦痛や損害に対して、責任を認め、その過ちを繰り返さないという決意を示す」という行為だ。

重要なのは相手に与えた苦痛や損害」という部分だ。つまり謝罪は「相手のために」するものなんだ。相手の痛みを理解し、その痛みに対して「申し訳ない」という気持ちを示すんだ。

ところが、多くの人は「謝罪」を「自分が罪から解放されるための儀式」だと思ってる。つまり謝罪することで、相手が許してくれて、自分も楽になる」という、自分中心の思考をしてるんだ。

その差は、でかい。天と地ほどの差だ。

許してもらうことの誘惑

ここが、本当に大事なんだ。人間は「許してもらう」ことに、ものすごく誘惑されるんだ。

なぜなら「許してもらう」ことで「自分の罪悪感が消える」から自分が起こした過ちについて、ずっと自分の心の中で葛藤してた。その葛藤から解放される」という誘惑だ。

から人間は「相手謝罪する」という行為を通じて「相手から許しをもらう」ということを求めるんだ。つまり謝罪」が「許しの獲得」という目的に、すり替わっちゃうわけなんだ。

その結果、こういうことが起きる。

相手が「ごめんなさい」と言う。だけど、相手の目は「許してくれ」という懇願で満ちている。つまり「俺の罪悪感を消してくれ」という懇願だ。

相手は「自分の過ちに対して申し訳ない」という気持ちじゃなくて「自分が許されないままでいるのが、つらい」という自分勝手な気持ちをぶつけてくるんだ。

そして、被害者は「あ、この謝罪は、本来謝罪じゃないな」と気付く。だから、いらついてしまう。怒ってしまう。「ちょっと待てよ。お前は、何を謝ってるんだ」って思っちゃうわけなんだ。

許しは、相手が決めるもの

ここからが、本当に本質的なんだ。

許しは「相手が決めるもの」なんだ。加害者が「許してほしい」と言ったからって、被害者が「わかりました、許します」と言わなきゃいけないわけじゃない。

しろ、許しは「被害者権利」だ。被害者は「許す」という選択もできるし「許さない」という選択もできる。その選択は、完全に「被害者自由」なんだ。

まり謝罪する側ができることは「相手に対して、自分の過ちを認め、その過ちについて申し訳ないという気持ちを示す」ということだけなんだ。それ以上のことはできない。

許すか、許さないか。それは、相手が決める。加害者には、それを強要する権利は、ない。

ところが、多くの人は「謝罪すれば、許してもらえるはず」という幻想を持ってる。あるいは「謝罪すれば、許してもらう義務相手にある」みたいに思ってる。

違うんだよ。そんな義務は、被害者にはない。被害者は「許す」ことも「許さない」こともできる。その自由を持ってるんだ。

謝罪義務。許しは選択

ここが、本当に大事ポイントだ。

もし、お前が誰かに対して、過ちを犯したのなら。お前は「謝罪する義務」がある。それは、絶対だ。逃げられない相手が「謝罪を受け入れます」と言うまで、ずっと謝罪し続ける義務がある。

だけど、許してもらう義務は「相手にはない」。相手は「許す」ことも「許さない」こともできる。その選択は、完全に「相手自由」なんだ。

から謝罪」と「許し」は、別の問題なんだ。混同しちゃいけない。

本当の謝罪とは

本当の謝罪とは「相手が許すか、許さないか」という相手の決定に対して、受け入れるという姿勢だ。

まり謝罪して、相手が許してくれたら、嬉しい」という気持ちでもなく「謝罪して、相手が許してくれなくても、仕方ない」という気持ち謝罪することなんだ。

言い換えれば「自分は、相手に対して、この過ちについて永遠に責任を感じ続ける」という覚悟を持つことなんだ。その覚悟が、本当の謝罪につながるんだ。

から、本当に謝罪できてる人は「許してほしい」という言葉を口にしない。相手が「許す」という決定を下すまで、黙って待つ。そして、許してくれなかったら、その状態を受け入れる。その潔さが「本当の謝罪」なんだ。

日本文化謝罪

ここで、面白いことに気付く。日本文化では「謝罪」が美徳とされてる。何かあったら「とりあえず、謝っとけ」みたいな風潮がある。

でも、その「謝罪」は、本来謝罪ではなくて「許してほしいという懇願であることが多い。つまり社会的儀式としての謝罪」が「本来謝罪」にすり替わっちゃってるわけなんだ。

その結果「謝罪すれば、全て許される」という幻想生まれる。から謝罪したのに、許してくれないのか」という被害者への怒りが生まれるんだ。

これは「謝罪」という言葉本質を忘れちゃってるから

相手尊重することの本質

もし、お前が本当に相手尊重してるのなら。相手の「許してくれるかどうか」という決定を尊重する必要があるんだ。

相手が「許す」と言ったら「ありがとうございます」と言う。相手が「許さない」と言ったら「わかりました。その決定を受け入れます」と言う。その潔さが「相手尊重する」ということなんだ。

謝罪したのに、許してくれないのか」という怒りは「相手尊重してない」ということの表れなんだ。相手の「許さない」という権利侵害しようとしてるからだ。

結論

結論としては「謝罪」と「許し」は別の問題だってことだ。

謝罪は、加害者義務。許しは、被害者選択。その違いを理解することが、本当の人間関係を作る第一歩なんだ。

もし、お前が「謝罪することで、許してもらいたい」と思ってるのなら。それは「本当の謝罪」じゃない。その思いを捨てることから始めろ。

そして「相手が許すか、許さないか」という決定に、完全に身を委ねる勇気を持つんだ。その勇気が、本当の謝罪につながる。

それが、人間関係を修復させる、本当の道なんだ。

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