2025-05-18

悪人は仲間を必要とする

あるときラビ弟子からこういう質問を受けた。

「神に敬虔な者が、神に祈り、正しい行いをするように、まわりの人に強く誘いかけないのはどうしてですか?」

ラビは聞き返した。

しかし、私たちはいつも良いことを行うように、正しく生きるように、人びとにすすめているではありませんか」

しかし、悪者が人びとを悪事に誘うほうがずっと強い力を持っていますし、また、人を悪いことに誘い入れて仲間を増やそうとするときに、私たちよりももっと熱心にやっています

と、弟子は言った。そこで、ラビは答えた。

「正しいことを行っている者は、一人で歩むことを恐れない。しかし、悪いことをしている者は、一人で歩むことを恐れるからです」

解釈タルムード文脈

この話は明確に倫理孤独関係について語っています

タルムードの中でも、人間の行動、衝動、そして善悪に関する多くの議論があります

以下のような概念と重ねて読むとより味わい深くなります

1. イェツェル・ハラ(悪しき傾向)とイェツェル・ハトーブ(善なる傾向)

タルムードブライタ:ベラホット 61b)はこう述べています

「人には2つの傾向がある。イェツェル・ハラ(悪の傾向)とイェツェル・ハトーブ(善の傾向)。」

イェツェル・ハラは、外へと誘い出す衝動を持ち、他人をも巻き込もうとします。

まり自己の悪を正当化するためには仲間を必要とする。これはまさに弟子の観察と一致します。

2. 正しき者の孤独

タナハ(旧約聖書)にも似た思想が表れています

「義人はその誠実によって歩む。」(ミシュレ箴言20:7)

また、伝道の書(コヘレト)にもこうあります

「一人でも立ち得る者がいる。しかし、二人は倒れにくい。」(コヘレト 4:9-12

これらはラビの「一人で歩むことを恐れない者」の話と共鳴しています

義人は、たとえ孤独でも、真理と善に基づいて歩む力を持っている、というのが聖書的な視点です。

まとめ

この話は私たちに問いかます

  • あなたは、善を行うことにおいて孤独を恐れないか
  • 仲間を求めるとき、それは善に基づくか、悪に基づくか?
  • あなたの「情熱」はどこに向けられているのか?

このタルムードの話は、善は静かに、確かに歩むが、悪は仲間を求めて騒がしくなるという心理的真理を教えてくれます

ラビの答えは、本当に強い者とは一人でも正しい道を歩ける人間である、というユダヤ倫理観を表現しています

「善き人に付き従え。悪しき者から離れよ。」(アヴォット 1:7)

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