ひねもすのたのた

とりあえず日常かな

台湾海峡危機で…

台湾海峡危機の際、アメリカ側で検討されていた中国への攻撃に関する文書が
機密解除されたらしい。
ちょうど50年経過したからよね。

それによれば、アメリカの軍指導者は中国の軍事拠点である廈門に
核兵器を投下する計画を立てたという。

しかし、当時のアイゼンハワー大統領はこれを却下した。
核戦争の引き金になる、という理由で。
とはいえ、台湾への攻撃がさらに激しくなれば、投下するという選択肢も残っていた。

当時、沖縄はアメリカの占領地だった。
いま読んでいる本によれば、アメリカは沖縄返還の交渉時に、
沖縄に核兵器を保持していることを暗に認めたという。

「ということは沖縄からその飛行機が?」と相方にきいてみると、
「グアムだと思う」との回答。

ABCニュースのネット記事を見たところ、相方の推測どおりグアムだった。
現実に、8月半ば、10~15キロトン(TNT換算。広島が15~20kt)の
核爆弾を積んだB47が5機、グアムから中国に向かって飛び立ったらしい。
ワシントンポストの方がちょっとだけくわしい)

もし投下されていたら、と考えるだけで恐ろしい。
中国の多数の人々が亡くなっただろう。
それだけでなく、中国は台湾だけでなく沖縄も報復目標とみて
核兵器を落としたかもしれない。

歴史に「もし」はない、という。
でも、「もし」と考えずにはいられない。
そして、「もし」と考えることによって、次の悲劇を未然に防ぐことができる、そんな気がする。

・関連記事
米軍再編支援法=日本不沈空母らしい


☆明日から6日まで出かけてきます。
コメントのお返しも遅くなりますm(_ _)m
  • [No Tag]

Comment[この記事へのコメント]

嘉手納基地は本当に広いです。 

こんにちは。はじめまして。
愚樵さん、Lightさんのところから来ました。
今日はちょうどコザ(沖縄市)、嘉手納を通ったのですが、やはり嘉手納基地は広大です。そして、敷地内の米軍住宅はあまりに優雅で、恵まれています。
一方、コザを通ると、アメリカの商業文化を写し取ったような、外国人ばかりが目立つ表通りと、裏路地のごちゃごちゃした猥雑さの対比が際立っていて、その印象は、やはり、今だに『アメリカの植民地』です。
とはいえ、軍用地地主の人達をはじめ、沖縄県民にもかなりの‘お金’が流れ込んでいるはずなのですが、そのお金はどこへ消えているのだろう…。
アメリカ文化と日本の内地企業文化の狭間でよどんでいるこの県の、「沖縄らしさって?」
などなど、道行く風景から、いろんなことを、とりとめもなく考えていました。
ところで、基地の一部で「キャンプ・TORII」というゲートがあるのですが、なぜか神社鳥居が二つ、ゲートになっています。
いつも思うのですが、あの意味を知りたい…。
と、ほんとうにとりとめのない独白になりましたが、(しかも記事にほとんど関係がない!)
鬱陶しければ、削除してください。

基地と沖縄 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.05.06 20:46 
  • [編集]
naoko さん
ようこそいらっしゃいませm(_ _)m
コメントは愚樵さんやお玉さんのところでも拝見しています
(お玉さんのところは最近、議論についていっていない…^^;)

私は沖縄には行ったこともなく、歴史も一通りのことしか知りませんでした。
さめさんやgonさんや、その他の方々のブログを拝見して、
そのことの罪深さを感じています。

で、まだまだ勉強中ですが、よろしくお願いします。
>印象は、やはり、今だに『アメリカの植民地』
沖縄はいろいろな歴史、いろいろな人間が入り交じっているのですね。
沖縄が基地から自立するのは、まだまだ難しいのでしょうか。

沖縄の方々が望む沖縄のあり方、世界的な安全保障の問題、
政治的・経済的な問題、考えなくてはならないことは
いろいろあるとは思うのですが、
まずは私たちが沖縄の声に耳をこらさなければ、と思っています。。。

いろいろ教えていただけるとうれしいです。

>神社鳥居が二つ
不思議ですね!

お言葉に甘えて 

沖縄本島を名護からさらに少し北上した西海岸に、三つの島が並んでいます。本島に近い方から奥武島・屋我地島・古宇利島と並んでいます。
奥武島と呼ばれる島は南部にもあるのですが、どちらも墓地の島です。小さな島全体が沖縄風の巨大な墓で埋め尽くされています。
一般に、西・南の方角は、内地と同じで「黄泉の国」がある方角とされており、沖縄では「ニライカナイの方角」となっております。
しかし、ある意味、死者の島ということで、長年忌諱の対象だったことも確かです。
その島の西にある屋我地島は、ハンセン氏病患者の施設「愛楽園」があります。
一般に、西・南は穢れを流す方角ともされています。そして、ハンセン氏病患者の方々は、死者の島のさらに西側に流されたのです…。(ハンセン氏病患者の施設は、宮古島にもあります。そのため、口さがない人は、宮古を‘ライの島’と言うこともあります。)
そして、その先、最も西に位置し、ある意味、最果ての島といえるのが、古宇利島なのです。

最近、これらの島々が橋で結ばれています。
そのため、誰でも手軽に古宇利島まで渡れるようになり、本島と違って汚されていない美しい砂浜を求めて、観光客が屋我地島・古宇利島には溢れていました。
特に、直線で数キロ(?)に及ぶかと思われる長い橋の向こうに見える古宇利島は、大変に美しい島です。
長い間、人間社会に打ち捨てられていた「神の島」の風情があります。

その古宇利島の橋を渡ってすぐ左にある公園内の売店で、玉城さんという方が、昔ながらの手作りの製法で作られた『黒糖』を売っています。
那覇に住んでいたのだけれど、橋ができたので島に戻られたのだそうです。
黒糖は、本当に優しい自然な味がしました。
機会があれば、お立ち寄りください。

「黄泉の国」ですか… 

  • えあしゃ 
  • URL 
  • at 2008.05.07 22:41 
  • [編集]
naokoさん
どうもありがとうございます。

>どちらも墓地の島
“死”は、敬うべき存在でも恐れられる存在でもあったのでしょうか?
沖縄は生と死をもっとも身近に、そして真剣に考えられる土地なのかもしれませんね。

>ハンセン氏病患者の施設「愛楽園」
実は以前、沖縄のハンセン病についてちょっとだけブログで取り上げたことがあります。http://airsha.blog113.fc2.com/blog-entry-168.html
(最後の方)

よい意味で取り上げたのですが、やはり差別意識はつきまとうものなのですね。

でも、お話をうかがっていると、沖縄には"土地の力"を感じるなあ。
とつい言ってしまうのも、知らない者の驕りなのかもしれません。
沖縄には観光ではなく、行ってみたいですね。

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