2026-05-12

バグる

ぼくは希薄人間関係のなかで育ったせいか漫画の読みすぎか、人間が鑑賞用の絵にに見えるという癖があった。

漫画人物はたいてい表情が誇張されて生き生きしているが、そこにいる誰かにしかけても返事があることはない。読者の自分は常に存在に気づかれない。

現実人間には大したことを話しかけているわけではなく、例えば母親に、今日は好天だねとか、学校テストがどうだったとか、衣服必要かとか、他愛のない話だけだ。

ただみな忙しくて興味のない話に返事をするのも面倒臭いのか、会話になることはなかった

クラスのみなはいつも、どこかか向こうのほうで、自分以外の相手と笑いあっていると思っていた。

しかけかたを工夫しても事態が変わらなかった結果、ぼくの脳は、人は会話の相手ではないと認識し始めた。人間はただ鑑賞用の生物であると。人に対する心遣いや、承認要求不要もので、権利主張は一切無駄であり、ただ誰かが何かを要求してきたときに身を守れればいいのだと。

人の風貌千差万別で興味深いとは思っていたが、鑑賞用の映像と同じだった。

から、稀に誰かからしかけられたり、話を聞こうとされるなどというときは、心のなかで驚いて、漫画中の人が何のつもりだろうと、警戒心を抱きつつ、目を丸くしてしまうのだ。

…というやや病んだ心理を持ったクマ男が、鑑賞用に裸にした母親を自宅に監禁し立てこもる事件が発生した。民事不介入警察は動かなかった(ただしフェイク)

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん