ぼくは希薄な人間関係のなかで育ったせいか、漫画の読みすぎか、人間が鑑賞用の絵にに見えるという癖があった。
漫画の人物はたいてい表情が誇張されて生き生きしているが、そこにいる誰かに話しかけても返事があることはない。読者の自分は常に存在に気づかれない。
現実の人間には大したことを話しかけているわけではなく、例えば母親に、今日は好天だねとか、学校のテストがどうだったとか、衣服は必要かとか、他愛のない話だけだ。
ただみな忙しくて興味のない話に返事をするのも面倒臭いのか、会話になることはなかった
クラスのみなはいつも、どこかか向こうのほうで、自分以外の相手と笑いあっていると思っていた。
話しかけかたを工夫しても事態が変わらなかった結果、ぼくの脳は、人は会話の相手ではないと認識し始めた。人間はただ鑑賞用の生物であると。人に対する心遣いや、承認要求は不要なもので、権利主張は一切無駄であり、ただ誰かが何かを要求してきたときに身を守れればいいのだと。
人の風貌は千差万別で興味深いとは思っていたが、鑑賞用の映像と同じだった。
だから、稀に誰かから話しかけられたり、話を聞こうとされるなどというときは、心のなかで驚いて、漫画の中の人が何のつもりだろうと、警戒心を抱きつつ、目を丸くしてしまうのだ。
…というやや病んだ心理を持ったクマ男が、鑑賞用に裸にした母親を自宅に監禁し立てこもる事件が発生した。民事不介入の警察は動かなかった(ただしフェイク)