『経済成長』考 <前半>
そもそも経済とは何でしょうか。経済とは現在「人間の活動の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動」、「衣食住など物財の生産・流通・消費にかかわる人間関係の全体である。」等と定義されています。この定義にしたがい、過去と現在を考えてみます。
人類は約20万年前に現生人類に進化したと考えられていますが、初期人類時代は基本的に狩猟採取による自給自足社会でした。上記の定義によるとこの時代はまだ経済がないことになります。
交換(経済社会)が始まったのは約7万5千年前の火山による急激な寒冷化の時代に、生存戦略として始まったという研究成果があります(『なぜ人類になれたか』参照)。具体的には、食糧難のときに助けてもらった場合、余裕が出来た時に返すという、時間差での交換だと考えられているようです。現在でもアフリカではこのような助け合い(交換)がなされているそうです。
また経済成長とは、ネットで検索すると『経済の規模が拡大することを、経済成長という。国の経済規模は、GDP(国内総生産)の大きさで表される。』等の文章が見つけられます。上記の水槽の例から、また、歴史的にもイースター島のような文明崩壊の例から考えるとこの経済成長には物理的な制限があると考えざるをえません。
しかし、日本の江戸時代は日本という閉じた系の中で限界まで経済成長した後、少なくとも江戸周辺の武蔵野では、疎林であった所に森林を育てました。歴史から考えて経済成長は最終的に文明を環境ごと破壊する悪しき存在であるとは言い切れないようです。
そこで思考実験として、文明崩壊しない経済成長が存在しえるかどうかを検討してみました。
検討内容は文明崩壊に向かう経済成長を悪い経済成長、文明崩壊を起こさない経済成長を良い経済成長と定義し、現代社会[悪い経済成長]と、これの対比として、貨幣の代わりに資産として森林を溜める社会を仮定し(税法、会計基準を変える等をして)[良い経済成長]、この二つを対比させてみることにしました。この二つを取り巻く環境は、現代そのままで、森林を破壊して農地にし、これを収奪しきって、砂漠として放棄し続けている状況としてみました。
悪い経済成長は、森林を破壊し、都市と農地に変換しており、農地は損耗のため放棄されます。「経済の規模が拡大する」との定義から考えて、人類社会の外にある森林を、人類社会の中に取り込み、収奪した残りを砂漠として廃棄しています。したがって、農地の損耗を補える条件を備えた森林が無くなれば(農地が、人類の人口を支えられないぐらいまで減少すれば)、文明維持に必要な人口を維持できなくなり、文明は崩壊するでしょう。
それに対し、良い経済成長は、廃棄された荒れ地を森林に変換して蓄積するので、理屈上はもう一度農地にすることも可能です。したがって、良い経済成長は文明崩壊を起こさないであろうと考えられます。しかし、財産として蓄積した森林をもう一度農地にし、損耗したら廃棄するのはまさにマッチポンプで、実際に行うには無意味です。また、地球の面積が有限ということを考慮すれば、森林を増やす速度と、農地を廃棄する速度が同じになった時点で経済成長はできなくなります。地球の面積という、物理的な制限により、経済成長はどうあがいても不可能であろうという結論になります。
ここまで考えたところで、私は森林とともに1万数千年の間存続し、ただの一種類の生物も絶滅させなかったといわれる縄文時代を思い出しました。縄文人は、生態系と対決せず、溶け込む狩猟採取生活をしていたと考えられています。しかし縄文人は少なくとも、三内丸遺跡周辺では栗を栽培していたようです。森林自体が農地であったとも考えられるでしょう。日本列島に最初に縄文人がたどり着いたところから、日本全土に広がるまでを考えてみます。縄文人の数がゼロから最盛期には26万人まで人口が増えています。≪人口の超長期推移≫また、交易も行われていたようです。≪縄文時代の再考≫
縄文時代も経済成長をしていたのです。
そこで縄文時代を参考に、極相林自体が農地であり、人間が生態系の一部として存在している社会でかつ、現代のような貨幣経済である社会を仮定してみます(森林自体も金額で表せる)。このような社会であれば、新天地全てが、入植者の財産と見ることが出来ます。この社会では、経済成長は人間が、その地域に広がることそのものとなります。財産としては、広がる前も、広がった後も価値として全く変わらないことになります。この社会では、極相林の生産力の上限までなら人口を増やすことが出来切るでしょう。しかし、人口が森林の生産力(太陽エネルギーを固定できる能力)を超えると、過去の滅びた文明と同じく、生態系を劣化させ、養える人口が減少し、最終的には文明崩壊するでしょう。文明崩壊を回避するためには、森林の生産力を超えないように人口のマイナスフィードバックをかけなければならないということになります。
以上の考察をまとめると、経済成長は、理屈上は、ある一定の条件下では成長でき、場合によっては生態系も豊かに出来るでしょうが、無限に続けることは不可能であるとの結論が導き出されます。
以上、ここのサイトの大きな主題である「反経済成長」に関して、このサイトの常連である HN guyver1092さんに書いて頂いた『経済成長』考の前半です。私とは違った切り口での議論の展開となりました。この続きである後半は次回アップする予定です。
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