限界を共通認識出来たときが定常社会への移行のチャンス
現代社会では、「人間には無限の可能性がある」のような価値観が人類の永遠の真理のように言われています。「やってやれないことはない。」「やる気になれば何でも出来る。」のような表現が好まれ、それがさも素晴らしいことのように言われています。それに対し「人間には限界がある」という表現はネガティヴなものとして受け止められる場合が多いようです。
「人間には無限の可能性がある」のような価値観は人類が古来ずっと持っていたと漠然と考えられているかも知れませんが、決して人類が昔より持っていた普遍の価値観ではないでしょう。それどころか、この膨張志向の社会が産み出した徒花とも言えるのではないでしょうか?
限界を乗り越える達成感のみが人間の幸福であるとすれば、そして限界を乗り越えられないことを敗北と考えて苦痛であるとすれば、人間はなんて悲しい存在でしょう。限界が存在するのは当然ですし、それで人間が不幸になるわけではありません。限りある範囲で工夫してやっていく事のほうが、やり甲斐も感じるのではないでしょうか?
限界をしっかりわきまえていない人間が今日の社会問題、環境問題を産み出したとも言えましょう。
これまで人間は数々の限界を乗り越えて上手くやってきたから、これからも十分にやっていける・・・といった楽観論も蔓延っていますが、それは認識ミスです。限界を乗り越えたのではなく、単にまだ限界に達していなかっただけです。今まで工業も経済も人口も膨張出来たのは、限界を超えて来たからではなく、まだ人間活動の規模が地球の許容量に比べて小さかったからに過ぎません。
以下ここの記事【脱成長元年】に戴いたコメントです。(HN ピノコさんより・・)
「もう限界が来ていることは誰しも感覚的には知っていると思います。
でも、洗脳された旧い観念のつまった頭では、それに変わる可能性が見つからず捨象してしまうしかないのだと思います。だから、不安ばかりが募っていく。女が子どもを産まなくなった(産めなくなった)のも、その表れだと思います。」
現代の人々誰しもが、限界に達していると知っているとすれば、もう転換の期が熟したと言えましょう。・・・即ち、膨張を止めると言う人類史上初の大転換の時期を迎える準備が出来たということです。「大転換」と表現致しましたのは、このパラダイムシフトは、農業の発見や産業革命と並ぶ、若しくはそれらを凌ぐ大きな転換を意味するからです。
そう、現在多くの人々が、地球に対する人間活動の容量が限界に達したことを感じ取っているのです。「経済成長、限りない成長」なんて連呼しているのは、金融資本家や財閥、その傀儡である政治家達でしょう。・・・大衆もそのように叫ばれると、現状を脱したいという欲求から、経済成長政策に同調してしまう人は沢山います。「洗脳された旧い観念のつまった頭」とは膨張社会に慣れ切って、これからもまだまだ経済成長が可能だと考えているお目出度い人達の事でしょう。彼等は、もう既に限界に達している地球に気づかないのか、気づいていても、自分達の築いてきたものが崩れるのが嫌で、ずるずると膨張路線を引きずっている状態です。つまり限界が見えない愚か者、若しくは見えても見えない振りをして突き進もうとするドンキホーテが社会を動かして、大衆はそれにかき乱されて、社会は「成長」という名の崩壊路線をひた走っているのです。
困ったことに、社会を動かしている人々の殆どが経済成長フェティシズムであるということです。それは、経済成長が自分達にとって都合がいいからでしょう。経済成長を煽ることは更なる金儲けの手段なのです。投資家なんてまさに経済成長の落とし子と言えましょう。彼らは経済成長を煽って、無理に経済成長をしようと画策しています。その為に政府を操って公共事業だとか補助金だとかと税金を湯水の如く投入させています。その手法は、外見上は違っていても、使い古された方法であり、見せかけの経済成長を達成し、その結果国家を借金漬けにし、環境も社会も破壊しているのです。挙げ句の果てにそれでも成長出来なくなれば、株式などを売り抜けた後に、いきなり不況を作り出し、恐慌にして経済を一端ダウンさせてリセットし直して、そこからまた成長の階段を上り始めるというとんでもない事までやっています。・・そのような資本家、財閥などの金持ちの横暴が世界中で蔓延ってきました。そんな強欲な金融資本家達は、経済成長志向時代という 歴史の中の特異な時代=狂気の時代 の生き残りと考えていいのではないでしょうか? ・
努力すれば努力するほど大崩壊に近づいていく経済成長路線という名の膨張路線にずるずるしがみつく事はもう止めるべきでしょう。もう降りる時期です。そして、限界から目をそらして、逆効果になる対策=経済刺激策・・・をすることは、現実逃避ですし、状況を更に悪化させるばかりです。薬漬けのドーピング社会に、もっと有毒なドーピングを施しているだけです。そんな逆効果の対策は早くお仕舞いにして、地球の容量と現状をしっかり見極め、限界を認識すべきでしょう。そこから永続可能な社会への移行が始まるのです。
問題は…「出来るか否か」ではありません。「間に合うか否か」です。
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