人間社会の潮流のみで考えるのは片手落ち
最近、経済成長主義を批判し、脱成長を主張する人が増えてきました。勿論脱成長派はまだまだマイナーな存在です。現時点では世の主流は圧倒的に成長派です。しかし、脱成長派が確実に増えている事も確かです。それは理性で考えれば当然の事だからです。
さて、最近脱経済成長路線を主張する書物なども増えていますが、その論調の多くが最近の経済成長率の低さ、(若しくはダウン)を人間社会の潮流として捉えているのが特徴です。即ち、もう物資は十分に揃ったから更に新しいものは買う必要が無くなり、人間はこれ以上の物質的豊かさを求めなくなってきた・・・という事です。
確かにその傾向がある事は認めます。そのような好ましい傾向は時折、様々な場面で垣間見られるようになりました。現在の先進国での商品は本当に必要があるから買うと言う場合よりも、必要はないけれども買うという行動にシフトしています。企業に踊らされて買わせられているのです。無理に作られた似非ニーズによって買わせられている部分もかなり大きいでしょう。ものが溢れかえった現代社会で、最近の人間は物欲が小さくなって来たと言います。若者の車離れの傾向も見られるようになりました。非常に好ましい傾向です。
しかしそのような人間社会の潮流だけで語る事・・・人間の意向の問題としてのみ語る事は片手落ちでしょう。成長の限界という観点があまり考慮されていない場合が多いようです。グローバルになった人類の活動は、成長の限界によって常に大きく制限されているのです。開発も経済活動も人口増加も伸びなくなって来たのは成長の限界が近づいてきた、若しくは持続可能な限界を超えてしまった事が大きな要因としてあるのです。
わかり易い典型的な例をいくつか挙げてみます。
先ずは
再生可能な資源の典型例のひとつは水産資源でしょう。現在、魚を必要以上に取り過ぎて、水産資源が減っています。最近まで水揚げ高が増えてきたのは、底引き網等、魚を大量に獲る手段が開発されて普及したからであって、決して水産資源が増えてきたわけではありません。魚はどんどん減っています。
水産資源のような生物の場合、太陽光などと違い、ストックとしての絶対量が減れば減る程、次世代=再生量 も減ってくるので減少スパイラルが始まるとまたたく間に資源のストックも減少します。世界中の海域や湖沼、河川で、絶滅したり殆ど見られなくなってしまった魚介類の例は枚挙に暇が御座いません。つまり再生可能な資源も再生の速度を上回る消費によって再生不可能な方向に進むのです。この結論は至極当然の帰着でしょう。
もうひとつ、再生可能な資源の典型例として、森林についても同じような事が言えるでしょう。
再生不可能な資源については言うに及ばないでしょう。
今話題のレアアース類は勿論、地下資源は全て枯渇に向かっています。鉱物の純度も低くなり、同じ量の鉱物を製錬するのに以前の何倍もの鉱石を精錬しなければならなくなりました。
現代文明を支えている石油も、【石油ピーク説と現代社会について (1)】、【石油ピーク説と現代社会について (2)】で論じた通りでしょう。早晩・・もうすぐ・・石油文明は終わるのです。そして有効な代替エネルギーは無いのです。
経済成長は、GDPの伸びで定義されます。定常状態でのGDPの伸びは零です。資源が減った事による資源の高騰で、GDPが増える・・という矛盾はあり得ますが、経済成長する為には、物資のフローが増えてGDPが増えなければなりません。・・・
現在先進国と呼ばれる国で、経済成長が止まりそうな国が多いのは、物資の消費速度が伸びなくなったという状態ですが、これは人々が賢くなって足るを知ったからだけではないでしょう。限られた資源の枯渇が近づいてきて資源が高騰したり、手に入りにくくなってきているのです。成長する空間が無くなって来たのです。つまり、人類は地球からの制限を大きく感じるまでに成長してしまったのです。だから人類が望む望まざるに関らず、これ以上の成長を続けようとする行為は自殺行為なのです。
地球規模で考えれば、物資のやり取りはゼロサムゲームです。人類の活動範囲がグローバルになり、人類の行う経済のゲームはゼロサムゲームを実感するまでに達したのです。
一方、収入を下げてまでも、ゆったり暮して行こうとか社会に貢献しようと言う人も増えてきました。好ましい傾向です。・・・しかし収入を下げても・・というのはある程度余裕のある層のお話です。一国の中でも、国同士の関係でも、二極化が進み格差が開いている社会では、富裕層の多くは相変わらず物を買いまくっている輩が多く、増えてきている貧困層は、物をあまり買えなくなってきています。物資の所有はゼロサムゲームだから当然の帰結です。否、マイナスサムゲームかも知れません。地下資源のような再生不可能な資源は段々廃棄物になり、使えなくなってきていますし、再生可能な資源も乱獲によって減ってきているのです。経済活動が地球規模になる以前のように、利用されていなかった手つかずの自然領域をどんどん経済圏に組み込んで行って経済成長を続ける事が出来なくなったのです。そんな時代は終わったのです。(・・実ははじめからゼロサムゲームだったのです・・)中国をはじめとするいわゆる新興国の経済成長は続いているではないか・・・と反論が来そうですが、それは、最後で最悪のあがきです。これまでの先進国の例のように環境から搾取して、環境を犠牲にして、経済成長を推し進めているだけです。将来、そのしっぺ返しは何倍もになって跳ね返ってくるでしょう。どの国も今世紀の早いうちに成長の限界にぶつかるでしょう。
成長の限界の前に、人間社会の潮流として物質主義から脱出しているというのなら非常に好ましい状態です。しかし、残念ながら、それよりも人類の無節操な行動によって成長の限界に近付いてきた事、持続可能な限界を超えてしまった事による制約が大きいでしょう。人類の理性で成長の限界より前に経済活動を持続可能な方向に軌道修正出来ればそれほど素晴らしい事は御座いません。最高の解決方法です。しかし今のところその解釈はかなり楽観的です。・・オプティミズムは必要ですが、その楽観によって、対策がゆるくては、現文明が破局を迎える事になるだけです。・・・既に物資のフローは再生可能な限界を超えて消費超過になっているのですから、もっとシビアに現実を直視して考えて然るべきでしょう。つまり成長の限界による制約がどんどん現れてきてそれによって経済は成長出来ないと言う要因です。・・つまりそれは、社会、環境の破局の兆しでもあるのです。人類が望む望まざるに関らず、地球のキャパによって成長の限界に突き当たって成長出来なくなってきているのです。
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