雑草の言葉

人間社会の潮流のみで考えるのは片手落ち

2010/10/11
Sustainability 26
~経済成長がシフトダウンした理由~
最近、経済成長主義を批判し、脱成長を主張する人が増えてきました。勿論脱成長派はまだまだマイナーな存在です。現時点では世の主流は圧倒的に成長派です。しかし、脱成長派が確実に増えている事も確かです。それは理性で考えれば当然の事だからです。

さて、最近脱経済成長路線を主張する書物なども増えていますが、その論調の多くが最近の経済成長率の低さ、(若しくはダウン)を人間社会の潮流として捉えているのが特徴です。即ち、もう物資は十分に揃ったから更に新しいものは買う必要が無くなり、人間はこれ以上の物質的豊かさを求めなくなってきた・・・という事です。
確かにその傾向がある事は認めます。そのような好ましい傾向は時折、様々な場面で垣間見られるようになりました。現在の先進国での商品は本当に必要があるから買うと言う場合よりも、必要はないけれども買うという行動にシフトしています。企業に踊らされて買わせられているのです。無理に作られた似非ニーズによって買わせられている部分もかなり大きいでしょう。ものが溢れかえった現代社会で、最近の人間は物欲が小さくなって来たと言います。若者の車離れの傾向も見られるようになりました。非常に好ましい傾向です。
 しかしそのような人間社会の潮流だけで語る事・・・人間の意向の問題としてのみ語る事は片手落ちでしょう。成長の限界という観点があまり考慮されていない場合が多いようです。グローバルになった人類の活動は、成長の限界によって常に大きく制限されているのです。開発も経済活動も人口増加も伸びなくなって来たのは成長の限界が近づいてきた、若しくは持続可能な限界を超えてしまった事が大きな要因としてあるのです。
わかり易い典型的な例をいくつか挙げてみます。
先ずは
再生可能な資源の典型例のひとつは水産資源でしょう。現在、魚を必要以上に取り過ぎて、水産資源が減っています。最近まで水揚げ高が増えてきたのは、底引き網等、魚を大量に獲る手段が開発されて普及したからであって、決して水産資源が増えてきたわけではありません。魚はどんどん減っています。
水産資源のような生物の場合、太陽光などと違い、ストックとしての絶対量が減れば減る程、次世代=再生量 も減ってくるので減少スパイラルが始まるとまたたく間に資源のストックも減少します。世界中の海域や湖沼、河川で、絶滅したり殆ど見られなくなってしまった魚介類の例は枚挙に暇が御座いません。つまり再生可能な資源も再生の速度を上回る消費によって再生不可能な方向に進むのです。この結論は至極当然の帰着でしょう。
もうひとつ、再生可能な資源の典型例として、森林についても同じような事が言えるでしょう。

再生不可能な資源については言うに及ばないでしょう。
今話題のレアアース類は勿論、地下資源は全て枯渇に向かっています。鉱物の純度も低くなり、同じ量の鉱物を製錬するのに以前の何倍もの鉱石を精錬しなければならなくなりました。
現代文明を支えている石油も、【石油ピーク説と現代社会について (1)】、【石油ピーク説と現代社会について (2)】で論じた通りでしょう。早晩・・もうすぐ・・石油文明は終わるのです。そして有効な代替エネルギーは無いのです。


経済成長は、GDPの伸びで定義されます。定常状態でのGDPの伸びは零です。資源が減った事による資源の高騰で、GDPが増える・・という矛盾はあり得ますが、経済成長する為には、物資のフローが増えてGDPが増えなければなりません。・・・
現在先進国と呼ばれる国で、経済成長が止まりそうな国が多いのは、物資の消費速度が伸びなくなったという状態ですが、これは人々が賢くなって足るを知ったからだけではないでしょう。限られた資源の枯渇が近づいてきて資源が高騰したり、手に入りにくくなってきているのです。成長する空間が無くなって来たのです。つまり、人類は地球からの制限を大きく感じるまでに成長してしまったのです。だから人類が望む望まざるに関らず、これ以上の成長を続けようとする行為は自殺行為なのです。
地球規模で考えれば、物資のやり取りはゼロサムゲームです。人類の活動範囲がグローバルになり、人類の行う経済のゲームはゼロサムゲームを実感するまでに達したのです。

一方、収入を下げてまでも、ゆったり暮して行こうとか社会に貢献しようと言う人も増えてきました。好ましい傾向です。・・・しかし収入を下げても・・というのはある程度余裕のある層のお話です。一国の中でも、国同士の関係でも、二極化が進み格差が開いている社会では、富裕層の多くは相変わらず物を買いまくっている輩が多く、増えてきている貧困層は、物をあまり買えなくなってきています。物資の所有はゼロサムゲームだから当然の帰結です。否、マイナスサムゲームかも知れません。地下資源のような再生不可能な資源は段々廃棄物になり、使えなくなってきていますし、再生可能な資源も乱獲によって減ってきているのです。経済活動が地球規模になる以前のように、利用されていなかった手つかずの自然領域をどんどん経済圏に組み込んで行って経済成長を続ける事が出来なくなったのです。そんな時代は終わったのです。(・・実ははじめからゼロサムゲームだったのです・・)中国をはじめとするいわゆる新興国の経済成長は続いているではないか・・・と反論が来そうですが、それは、最後で最悪のあがきです。これまでの先進国の例のように環境から搾取して、環境を犠牲にして、経済成長を推し進めているだけです。将来、そのしっぺ返しは何倍もになって跳ね返ってくるでしょう。どの国も今世紀の早いうちに成長の限界にぶつかるでしょう。
成長の限界の前に、人間社会の潮流として物質主義から脱出しているというのなら非常に好ましい状態です。しかし、残念ながら、それよりも人類の無節操な行動によって成長の限界に近付いてきた事、持続可能な限界を超えてしまった事による制約が大きいでしょう。人類の理性で成長の限界より前に経済活動を持続可能な方向に軌道修正出来ればそれほど素晴らしい事は御座いません。最高の解決方法です。しかし今のところその解釈はかなり楽観的です。・・オプティミズムは必要ですが、その楽観によって、対策がゆるくては、現文明が破局を迎える事になるだけです。・・・既に物資のフローは再生可能な限界を超えて消費超過になっているのですから、もっとシビアに現実を直視して考えて然るべきでしょう。つまり成長の限界による制約がどんどん現れてきてそれによって経済は成長出来ないと言う要因です。・・つまりそれは、社会、環境の破局の兆しでもあるのです。人類が望む望まざるに関らず、地球のキャパによって成長の限界に突き当たって成長出来なくなってきているのです。
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Comments 26

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上々

成長とは

19世紀から20世紀にかけてはヨーロッパ社会、その後アメリカと日本の成長の時代と言えるわけですが、それら先進国の国民の生活を豊かにさせたという点に加えて、そのような豊かな国民の人口自体が非常に増加したということも成長を大きくした要因と言うことができます。

これらの国でも18世紀までは人口の増加は一部を除けばそれほど進んでいたとはいえないでしょう。医療・衛生面でもまだ未開同然であったこともありますが、なにより食糧供給の面で不十分であったためです。
それが急激に増加するようになったのはやはり窒素肥料の合成法開発による農産物増産のためと考えられます。

最初はそれらの人口を食べさせるだけでも経済は成長していったと思われますが、増えて行った人々がそれぞれ活発に活動していき、色々な面でどんどんと成長していった。
この点は人口が増えなければ国は不活化すると言う少子化問題に対する論点の当たっている点ではあります。

しかし、グローバル化が行き着いた先はどこにも未開地が無く伸びようがない世界であったということです。
成長に対する制約は資源でもあり、環境でもあります。一番大きな制約は土地でしょう。どこに行っても人間だらけの地球ではどんなにがんばっても生物多様性など守れるはずもありません。せいぜい動物園を作りましょう程度のものです。

しかし、ここで出ている数々の問題点は先進国に大きく責任があるものであり、現在の開発途上国の不満が大きいのも当然です。今後色々の面で双方が衝突する場面が増えてくるでしょう。様々な危険性をはらんでいるところです。

2010/10/12 (Tue) 10:43

guyver1092

欲望の枯渇

 経済成長のみを考えれば、本質的に必要な物(衣食住)は、少なくとも先進国においては十二分に供給されていて、これらを扱う商売はもう限界(これ以上もうからない)ということがありますね。
 趣味等、遊びの部分では、少なくともそれぞれ各人の収入の範囲では、ほしい消費財はもうすべて手に入れているような状態でしょうね。このような状態の中で消費財を売っていこうとすれば、それぞれが持っている消費財を陳腐化させて買い替えをさせるという方法しかありません。この陳腐化の方法とは、自動車でいえばモデルチェンジです。しかし現在では、大企業が貨幣の大部分を集めすぎて、消費者が消費をしようにもできないという事態もあるかと考えます。少なくとも消費者の財布に制限されてた欲望は枯渇しているのでしょう。
 労働分配率を上げて消費者にお金を回せば使えるお金が増えた分だけ消費は拡大し、経済成長できるでしょうが・・・・・
 地球全体を見れば無駄に消費をして資源の枯渇に拍車をかけるという事態になってしまうでしょう。

 現在の人類の資源の消費を考えると、先進国は減ったといってもまだまだ消費しすぎでしょう。私が考えるに、衣食住以外にお金をつぎ込むべきものは、太陽エクセルギー(有効エネルギーとも言います)の回収システム(如何に石油を使わず持続的に農業をするかも含めてです)のみです。人間には遊びが必要ですが、このシステムを考えるを競うのも楽しいのではないでしょうか。

2010/10/12 (Tue) 21:22

雑草Z

経済成長の要因

    上々さん

 上々さんの御指摘、ごもっともです。
人口増加が経済成長の大きな要因であり、人口が増える余地が無くなって来た事も成長の大きな要因であると私も思います。実はその事も書こうと考えていたのですが、記事が長くなったので書き落としてしましました。しかし、上々さんが非常に納得のいく上手いまとめ方をされて下さいました。

>急激に増加するようになったのはやはり窒素肥料の合成法開発

これは上々さんならではの観点ですね。私の抜けている部分でした。なるほどそうかと思います。そして、

>最初はそれらの人口を食べさせるだけでも経済は成長していったと思われますが、増えて行った人々がそれぞれ活発に活動していき、色々な面でどんどんと成長していった。

この表現で、ここ数世紀の成長の大きな要因を的確に表現していますね。


>人口が増えなければ国は不活化すると言う少子化問題に対する論点の当たっている点ではあります。

これは経済成長主義が破局に繋がるという事の証の一つですね。飽和するまでのねずみ講のような論理です。指数関数的増加の後にやってくるものは、上々さんのおっしゃるところの

>どこにも未開地が無く伸びようがない世界

ですね。

>成長に対する制約は資源でもあり、環境でもあります。一番大きな制約は土地でしょう。

ここの分析も上々さんならではですね。一つの的確な見方かと思います。土地の利用の飽和も深刻な問題です。開発の余地が無いのに経済の為(・・という名の利権・・)に開発して、環境破壊がされています。

2010/10/13 (Wed) 00:45

雑草Z

Re:欲望の枯渇

    guyver1092さん

>欲望の枯渇

 とは、またguyver1092さんならではの面白い表現ですね。言い得て妙です。

>本質的に必要な物(衣食住)は、少なくとも先進国においては十二分に供給されていて、これらを扱う商売はもう限界

全くその通りだと思います。いわゆる先進国では今でも十分に過剰ですね。


>それぞれが持っている消費財を陳腐化させて買い替えをさせるという方法

広告代理店をはじめとするイメージ戦略、ニーズの創出という洗脳がどんどん出てきたわけです。市場原理主義のダークサイドです。

>地球全体を見れば無駄に消費をして資源の枯渇に拍車をかけるという事態になってしまう

ここの部分が一番重要で、実は
無駄な消費による地球からの制限=成長の限界
が既に人間活動に大きく制限を加えていると言うのが本記事の主題です。舌足らずだったかもしれませんが、人間社会の潮流として、成長戦略から降り始めた部分よりも、現時点では成長の限界からの制約のほうが大きいと言う事です。
 脱成長を主張する最近の書物やサイトが、地球のキャパから来る成長の限界という最も制約を受けるファクターの部分にはあまり触れずに、人類社会の兆候としてニーズの減少からの脱成長を論じているものが多く感じましたので、成長の限界を根底に置いて論じなければならないと言う意味でこの記事を書きました。

>お金をつぎ込むべきものは、太陽エクセルギー(有効エネルギーとも言います)の回収システム(如何に石油を使わず持続的に農業をするかも含めてです)のみ
>人間には遊びが必要ですが、このシステムを考えるを競うのも楽しい

非常にguyver1092さんらしい独創的な発想です。もう少し具体的に検討したい部分ですね。 

2010/10/13 (Wed) 01:10

上々

生活の豊かさ

前のコメントではついつい「豊かな生活」なんて書いてしまって、本音が出ました。
生活の豊かさとは何かと言えば、精神的なものはおいておくとしても、衣食住の豊かさであることは間違いありません。
衣食について言えば、昔とは比べ物にならないほどの良質でバラエティー豊かな物を享受できます。
また住については日本ではまだ不十分とはいえ、日本の以前の状況よりは広く快適にはなっています。
特に家電製品や自動車などは生活の様式自体の変質を起こすほどに浸透しています。この辺は「電化社会の罠」と言う文章を書いているのですが、まだ完成しておりません。

このような衣食住に関する商品が欲望の対象とならなくなったと言うのはどういうことか。決してそれらを享受することを止めたと言うわけではないはずです。
しかし、電化製品などは通常の買換え需要以外には強制的買い替え政策等を除けば、確かに自分自身でも「欲しいものがない。」のは確かですね。

もし、このようなものがあれば多少無理をしてでも買いたいというものを想像してみると、普通の物はないですね。
強いて言えば、ドラえもんの道具でしょうか。どこでもドアとか、タケコプターとか、スモールライトとか。
その位インパクトのあるものなら買っても良いかと思いますが、結局もはや通常のものには食指が動かなくなってしまったということでしょうか。

してみると、現在の科学技術も実は行き着くところまで行き着いたということなのかもしれません。

それがちょうど資源制約の明らかになる現在と重なったと言うことも歴史の皮肉の一つと言えるのでしょうか。

2010/10/13 (Wed) 14:33

地下水

Re:生活の豊かさ

 人間の本当に消費したいものは何でしょうね?
 欲しいものは例えば「癒し」だと思います。渓流、木陰、木漏れ日、そよ風、お花、波の音、お散歩、お茶、果物狩り、談笑、お風呂、清潔、防虫、安眠・・・。必ずしも自然に負荷をかけて大量消費するものと重ならないのではないでしょうか。

2010/10/13 (Wed) 16:29

雑草Z

Re:生活の豊かさ

    上々さん

>生活の豊かさとは何かと言えば、精神的なものはおいておくとしても、衣食住の豊かさである

なるほど、ずばりと来られましたね。そして

>自分自身でも「欲しいものがない。」のは確か

実感しますね。私も売っている製品でこれと言って欲しい商品は直ぐには思いつきません。

>強いて言えば、ドラえもんの道具

なんだか上々さんらしからぬご発言ですが、言いたい事は伝わってきます。ドラえもんの道具はよく知りませんが、

>その位インパクトのあるものなら買っても良いかと思いますが

と言う事ですね。

>現在の科学技術も実は行き着くところまで行き着いたということなのかもしれません。

そう思った事は御座いませんでしたが、言われてみれば確かにそうかも知れません。そして、それ以上のインパクトのあるものは、実用化したら負の面も沢山あって非常に危険なものでしょうね。文明崩壊に導く道具かも知れません。

>それがちょうど資源制約の明らかになる現在と重なったと言うことも歴史の皮肉の一つと言えるのでしょうか。

皮肉と言うよりも、もしかしたら僥倖かも知れません。・・その為には成長の限界からの縛りを痛感して、文明崩壊して行く以前に降りる事でしょう。エコカー補助金やエコポイントのように必要のないもののニーズを作り出して買わされているうちに環境カタストロフィーが始まれば、本当後悔し切れない愚かな皮肉ですね。

>「電化社会の罠」

期待しております。完成したらこちらで載せて頂けるのでしょうか?当方が先日書いた【電気依存社会】とはまた違った切り口のような感じで、楽しみです。

2010/10/13 (Wed) 21:13

雑草Z

Re:Re:生活の豊かさ

    地下水さん

>間の本当に消費したいものは何でしょうね?

「消費」と言えば、食料品のようなものでしょうから成長(増加)の必要は全くありませんね。定常状態で地球のキャパに余裕があって永続出来る範囲で無ければなりませんね。
地下水さんのおっしゃるように、自然に負荷をかけて大量消費するものではないでしょうね。・・・それは経済成長主義者と言う名の金融資本主義家の戦略でしょうか?

>渓流、木陰、木漏れ日、そよ風、お花、波の音、お散歩、お茶、果物狩り、談笑、お風呂、清潔、防虫、安眠・・・。

いいですね。本当にそれらがあれば十分に幸せです。

2010/10/13 (Wed) 21:21

上々

タイムマシン

ドラえもんの道具と言うのは、ずっと子供の付き合いでアニメを見ていましたので、結構なじんでいました。
中でも本当にあれば良いなと言うのはタイムマシンか、自分が行けなくても昔の時代の様子を見られる道具ですね。
歴史の本当の所がどうなのか、知りたいところがたくさんあります。まあ現代の出来事でも本当の所は判らないことが多数ですので、仕方のないことですが。

さて、生活が「豊か」というのは、絶対的な判断でもあり、相対的な判断でもあります。現代の中流以上の(こう注釈を入れなければならなくなったのは確かでしょう)日本人の生活は昔であれば王侯貴族の生活で、しかもかなりの面では彼らが持たなかったものも所有しています。(テレビ・エアコン・冷蔵庫等)
昔の王侯貴族は使用人や奴隷にさせていたことを、今の人はエネルギーを使って機械にさせています。
ただし、それは成果としてみれば人がやっても機械がやっても変わるものではなく、単に自分の時間が持てると言うだけです。

生産性が向上し、おそらく奴隷制が確立したためにブッダ・キリスト・孔子の大思想家たちが思索する時間ができました。
今はもっと多くの人間がそれ以上の時間の余裕を持てているはずですが、凡人の哀しさでしょうか。

ちょっと話がずれましたが、現代の「文明の利器」は人に時間の余裕を作り出すものと、新しい文化を作り出すものの両方があると言うことです。
そして、すでに時間の余裕は十分すぎるほど作られ(その代わりに余った時間?はお金を稼ぐのに費やされ)、作り出されるべき新しい文化は大衆迎合の低俗なものばかりになってしまったという現実です。

2010/10/14 (Thu) 14:05

雑草Z

Re:タイムマシン

 やはり、ドラえもんはお子さんと一緒に見られていたのですね。私が子供の頃はやっていませんでしたが、もう2~30年続いているのでしょうね。
 タイムマシンの話は矛盾だらけで、つじつまが合わないので好きではないのですが、
 確かに昔の時代の様子は観たいものですね。自分自身の子供の頃の様子も観てみたいですね。

>歴史の本当の所がどうなのか、知りたいところがたくさんあります。

 未来予測は、明日の天気でもよく外れるし、エコノミストも外してばかりですが、過去の事も不確実な事ばかりだと思います。
地球の歴史も生物の進化の過程も怪しい事ばかりです。
 そんな長いスパンで無くとも、色々な「史実」と呼ばれているものも怪しいものが沢山あるでしょう。

>生活が「豊か」というのは、絶対的な判断でもあり、相対的な判断でもあります。

そうですね。絶対的な部分が結構あるようですが、実際は相対的な事で一喜一憂しているのではないでしょうか?

>ちょっと話がずれましたが、

いえいえ、歴史に造詣の深い上々さんならではの歴史的考察を興味深く読ませて戴きました。

>生産性が向上し、おそらく奴隷制が確立したためにブッダ・キリスト・孔子の大思想家たちが思索する時間ができました。

特にこのあたり、鋭く、面白い洞察ですね。その意味では思想家達も「哲学」と言う贅沢をしていた事になりましょうか?

>すでに時間の余裕は十分すぎるほど作られ(その代わりに余った時間?はお金を稼ぐのに費やされ)、作り出されるべき新しい文化は大衆迎合の低俗なものばかりになってしまった

このあたり、確かに現状を反映していますね。それこそ、「生活向上に伴って発生した『皮肉』」と言えそうです。 

2010/10/14 (Thu) 22:21

上々

IT

電気の持つもう一つの大きな意味の情報についても一言。
情報は産業社会の初期から競争者との差別化、すなわち人より儲けるためには大きな意味を持っており、早馬や伝書鳩などで少しでも早く情報を得たものが儲けると言うことになっていました。
そんな中で電信の発明は極めて重大な意味を持ち、これを制したものは経済競争・また軍事の面でも優位に立ちました。

電気と言うのは周波数・振幅等の属性を用い人間の五感に感じられる情報を電気化しさらにそれを電気の速度(光速と同じ)で伝播するために地球上であればほぼ瞬時と感じられる速度で情報を伝えます。
最初の頃は電信のようにオンオフのみの信号でしたので、モールス信号のように文字だけの情報でしたが、どんどんと伝達精度が上がるとともに音声の波形や映像信号まで送れるようになり、送れる情報量が莫大なものになりました。

しかし、その使用目的は相変わらず金儲けであったり、軍事的優位であったり、100年前の電信時代と変わりません。また極めて発達した画像処理であっても見るのはポルノで、成人映画をそろえたVHSがソニーに勝ったそうです。
10年ちょっと前、携帯電話が爆発的に普及した頃、この現代科学技術の粋を集め、莫大な資本を投入したもので、世の中の若者どもが何とつまらない話をしているのかとあきれたことがあります。

科学技術それ自体は一見真っ白な状況で発達していきますが、それを使う側のどろどろとした欲望ですぐに真っ黒や真っ赤やピンクに染まってしまいます。

このような高度なIT社会は石油高騰下の世界ではかなり衰亡するでしょうが、電気は相当先まで生き延びますのである程度は残って行くでしょう。
実際に人や貨物が行き来するのは難しくなった時代で情報だけが行き来することがあり得るのかどうか、そんな世界で行くこともできない外国の情報を見る気がするかどうか、疑問ではありますが。

2010/10/15 (Fri) 13:35

雑草Z

Re:IT

    上々さん

>電気の持つもう一つの大きな意味の情報

なるほど、IT技術は電気の技術ですね。現在、電気の技術の重要な位置を占めていますね。
 上々さんのおっしゃるように、情報を制したものが経済競争でも戦争でも優位に立ってきたわけですね。

>その使用目的は相変わらず金儲けであったり、軍事的優位であったり、100年前の電信時代と変わりません。

言われてみればそうですね。経済、金儲けと軍事が今でも社会の重要事項なのでしょうね。

>極めて発達した画像処理であっても見るのはポルノで、成人映画をそろえたVHSがソニーに勝ったそうです。

VHSとベータの競争は、ビデオ(テープ)自体の良し悪しではなく、陣営の参加企業の総シェアなどの要因で語られてきましたが、そういう裏事情もあったのですね!

>高度なIT社会は石油高騰下の世界ではかなり衰亡するでしょうが、電気は相当先まで生き延びますのである程度は残って行く

そうですね。現代社会のシステムの大部分は電気に依存してますから、電気は、人間社会にずっと残るでしょうね。電気が永遠に使用可能かどうかは難しいところですが、現在の石油を燃やす火力発電はもとより、原子力発電や風力発電、太陽光発電などは永続出来ないでしょうね。火力発電のしっかりした代替はまだまだ存在していませんね。  
 
>科学技術それ自体は一見真っ白な状況で発達していきますが、それを使う側のどろどろとした欲望ですぐに真っ黒や真っ赤やピンクに染まってしまいます。

絶妙な表現ですね。今回のコメントは一つの記事として載せたいくらいに思います。 

2010/10/15 (Fri) 21:13

上々

そこで経済成長

電化社会について長々とコメントを致しましたが、ここで経済成長と言う本記事のテーマに戻るわけです。
政治経済界でもかなりのメンバーは石油や鉱物資源の制約をうすうす感づいているものと思いますが、その中であくまでも経済成長に捉われている人々のすがる所が電化および情報になるわけです。
これらは石油が乏しくなろうとかなり遠い将来まで生き延びることはできると思うのですが、それを使って成長ということが可能かどうか、まあせいぜい少し抵抗はできるがと言う程度ではないかと思います。

どうももどかしいのは、例えば石油価格が3倍、石炭が2倍となった状況でどのような社会が営むことが可能かと言うことを考える指導者が居ないことです。景気回復とか経済成長とかできないことを言うだけではダメでしょう。(実際に金をつぎ込んで実施されるのはもっと困ります)
まあそういった真の指導者が出てきても民主政治では国の指導者に選ばれる見込みはありませんが。

2010/10/16 (Sat) 08:54

雑草Z

Re:そこで経済成長

 上々さんのコメントの内容が面白くて興味深くお返事させて頂いておりましたが、ここの記事のコメントからはちょっとっずれているかな・・・とも感じていました。なるほど、ここで繋がったわけですね。

 石油や鉱物資源の制約ははじめからあるわけですのに、切迫して来た現在でさえ、まだそこを考慮できない(・はるか先と楽観している・・)政治家や経済人、企業人には困ったものです。うすうす感じても

>あくまでも経済成長に捉われている人々のすがる所が電化および情報になるわけです。

あくまで「成長ありき」で成長の限界を無視する姿勢は非常に困ったものです。成長洗脳はそれだけ強固なのでしょう。・・
 電化と情報で成長戦略を考えていると言う事も、言われてみれば、そのような兆候は既に現れていますね。そしてその弊害も出ています。オール電化住宅なんて愚もその一つでしょう。「電子化」は確かにメリットも大きいですが、これまた色々弊害がありますね。電子化によって金融商品もフットワークが軽くなり、次々に商品が出て巨大に膨らみました。その結果のバブル肥大で崩壊の衝撃も大きくなったとも言えましょう。

>例えば石油価格が3倍、石炭が2倍となった状況でどのような社会が営むことが可能かと言うことを考える指導者

おっしゃるように、このような指導者は早急に必要かと感じました。現在は、そうなってから対症療法的にしか対処出来ない指導者ばかりかも知れません。

>真の指導者が出てきても民主政治では国の指導者に選ばれる見込みはありません

国民の間にも経済優先主義が蔓延っていますからね。でも、そろそろ経済成長フェティシズムが如何に愚かか、一般庶民のほうから気づいてくるかもしれません。

2010/10/16 (Sat) 11:38

上々

赤字財政の罠

またちょっとずれさせますが、以前に「赤字財政の罠」と言う本を読んだことがあります。
10年以上前の本ですが、書いてある内容は今でも全く同じように通用するもので、当時よりさらに赤字の額が増えただけです。

その中にある文では、民主政治では赤字削減は不可能ということです。
緊縮財政というのはどうしても国民に耐乏を強いますので、国債をさらにばらまいても景気刺激策のほうが人気を取り、選挙で有利になると言うものです。

バブル崩壊後の政治と選挙はまさにこの通りの経過をたどっています。もしも赤字国債を発行せずに均衡財政を守っていたら今どれだけましな政治ができていたか。
その反省もなくいまだに公共事業に金をと言い続けているバカ者どもが多い今日この頃です。

2010/10/17 (Sun) 09:13

雑草Z

Re:赤字財政の罠

またまた興味深い横道有難う御座います。ちょっとずれているようで、人間社会の潮流の話になっていますし、経済成長論の話にもしっかり繋がりますね。

>民主政治では赤字削減は不可能

これは国民の殆どが、アリとキリギリスのキリギリスばかりと言う前提でのお話ですね。そんなキリギリスばかりならやっぱり文明は崩壊するしかないでしょうか?・・キリギリスは必ず来るであろう冬を想像出来ないのでしょうか?・・冬の恐怖を知って、アリのように堅実に生きるキリギリスは現れないのでしょうか?

>もしも赤字国債を発行せずに均衡財政を守っていたら今どれだけましな政治ができていたか。

おっしゃる通りです。赤字国債の乱発は1970年代あたりから始まるようですが、高度経済成長の後の日本の経済成長は、実は赤字国債の分だけ+αと言う、情けない現実もあるようです。つまり国の借金で見かけの経済成長を達成していたと言う事です。現在の景気対策も全くそのままですね。

>その反省もなくいまだに公共事業に金をと言い続けているバカ者どもが多い今日この頃

民主党政権の事業仕分けで、無駄な公共事業も無くなってくるかと思いきや、その分をエコカー補助金とかエコポイントとかその他諸々の補助金に充てています。結局、自民党のゼネコンとの癒着が減って、自動車業界と電機業界との癒着が強くなった・・と言う事でしょうか。ばら撒き財政に変わりないのにはがっかりです。

2010/10/17 (Sun) 18:05

上々

どこでもそんなもの

日本人だけがキリギリスと言うわけでもなく、アメリカ人などは太ったキリギリスですし、公務員の給与抑制策にストライキをしているギリシャの公務員なども同様でしょう。

運が良ければこうなるという甘い見通しをやめて、このまま赤字を放置すればこうなると言う数字を挙げてだからこういう政治をしますと言えば選挙民も判ってくれる、と思ったら大間違いかもしれません。
やはりとにかく景気刺激のばらまきを唱える政党に負けてしまうのではないかと予想しています。

2010/10/18 (Mon) 12:32

雑草Z

Re:どこでもそんなもの

そうですね。日本だけではなく多くの国がキリギリスであり、目先の快楽を選んでしまうのでしょうね。人間に限らず全ての生物がそうとも言えそうですが、アリはどうなんでしょうね?(笑)。・・・・まあ本能なのでしょうが、アリとかハチとか社会を作ってその社会での個別の役割のある動物(昆虫)って面白いですね。人間は本能が弱まった分、理性で先の事を考えるのでしょうが、・・・税金は自分の金ではなく、貰ったものが得・・・と言う考え方がある限り、税金の浪費、理不尽な使い方は無くならないでしょう。

 話がかなりずれました。日本よりもお気楽な国も沢山ありますね。よく日本のマスコミは日本の社会を欧米と比べて遅れているように言いますが、欧米のほうが日本よりも酷い事は様々な面で沢山ありますね。欧米が何の先進国かと言えば、金融資本主義とか市場原理主義、経済成長フェティシズムの先進国と言えましょう。即ち持続可能な社会を近代的な方法で破壊してきた先駆者とも言えましょう。

2010/10/18 (Mon) 21:37

上々

近代以前の理想社会

産業革命が起こる前の時代の理想的な平和な社会という概念がどのようなものか、庶民の感覚の記録はなかなか見つかりませんので、よくわかりませんが、おそらく景気が良くなれば良いなどと言う希望はなく、いつまでも変わらない暮らしができることと言うのではなかったでしょうか。

それすらままにならず、しょっちゅう飢饉や疫病があり、どんどんと人が死んでしまって行くような社会だったのですが。

人々が皆飢えずに暮らしていける社会になると言うこと自体が実は経済成長の必要性だったかもしれませんが、食物が行きわたったらそれ以上と言うことはなかったかもと思います。
(実はそうでもないとも考えるのですが、複雑になるので、ここはこれで止めておきます)

2010/10/19 (Tue) 13:15

雑草Z

Re:近代以前の理想社会

確かに近代以前の庶民がどの位平和で幸福であったかと言う事に関しては、よく分からないし解釈も色々でしょうね。封建社会が圧政で、庶民は苦しめられていたか・・と言えばそうとも言い切れないみたいですし・・。
 日本の江戸時代などでは、疫病や飢饉が起こったりしない時代は結構平和で、庶民も豊かな暮らしをしていたと言う記録も残っているみたいですね。

>人々が皆飢えずに暮らしていける社会になると言うこと自体が実は経済成長の必要性だったかもしれませんが、

その意味では、ここまで成長すると言う目標値、目安の値があっって然るべきですね。現代のように限りない経済成長を求めるのは本末転倒です。それは成長が無ければ成り立たない産業、金融業などが出来たから成長神話が必要になったのでしょう。

2010/10/19 (Tue) 21:27

上々

イスラム金融

成長が無ければならないというのは、金融が利子を伴うものであるからという可能性は強いですが、イスラム金融というものは利子は認めない(宗教的な制約で)ということで、現代の利子が伴いしかも複利であると言うものが普遍的であると言うことではないようです。

ただし、イスラム教でも利子は認めないものの利潤というものは容認しており、そもそもアラブの交易というものは多くの利潤を上げていました。

安定した循環社会を形成するうえでは利子と言うものは邪魔なだけです。そうなると投資と言うこと自体ができなくなるということになるのかどうか。
イスラム金融と言う物も研究してみる価値はありそうです。

ただし、現在のイスラム金融の元手となるものはアラブの石油利潤によるものであり、このような石油バブルがなければどうなったかと言うことは考える必要もありそうです。

2010/10/20 (Wed) 12:32

雑草Z

Re:イスラム金融

イスラム金融に関してはよくわかりませんが、マネーゲームんのような実態のない金融取引が御法度なだけ、バブルのような実態のない経済になる可能性は低く、その意味で堅実な金融業かも知れません。でもまあ、利潤は認めている訳で、金利の別な形と見れない訳でもなさそうですね。金融業の本来の(・・正当な・・)形と言えるかもしれません。

上々さんのおっしゃるように

>安定した循環社会を形成するうえでは利子と言うものは邪魔

であると思います。兎も角、現代資本主義諸国が目標ラインのある経済成長ではなく、無限に続く経済成長の状態が必要なのは、金融業からの要請もある事でしょう。商売としての金融業は経済成長を前提としなければ成立しにくいでしょう。

2010/10/20 (Wed) 22:34

上々

金融業

昔の冒険的な商業への投資と、その成功からの利潤還元という話はまあ置いておいて、近代からの産業への投資ということだけから考えると、やはり拡大再生産が前提となるわけです。
投資を受け入れて設備を増やし、原料購入を増やし、生産量を増やし、それを売って利益を上げ、その中から投資家に利子をつけて還元するということでしょう。

石油や鉱物資源の資源制約が厳しくなってくると、この中の購入資源の値段が上がることになりますので、利益も上がらず利子還元もできなくなります。
実はリーマンショック以降の世界不況は金融破綻と言われていますが、それ以前に極度の石油高騰があり、その影響が大きいのではと言う分析もあります。

なお、こういった製造業への投資ではなく現代の金融への投資については金額ばかり肥大して本質が見にくくなっており、また実世界への悪影響も増大していますが、これこそ本当のバブルそのもので、世界全体の心理が冷えて我に帰れば成り立たないことは歴然かと思います。

2010/10/21 (Thu) 13:53

雑草Z

>拡大再生産

拡大再生産こそが経済成長主義の根幹でしょうね。期間限定の拡大再生産ならば意味も見出せるでしょうが、ずっと拡大再生産の状態が必要な社会構造は、有限の地球では命取りの発想です。必ず破局するねずみ講のようなものでしょう。その意味では、実態のないようなマネーゲームのほうがまだましかもしれません。
 実体経済が伴うと、急激なバブル経済にはならないでしょうが、資源の枯渇や環境汚染を伴う事になり、経済破綻ばかりでなく、環境破壊も伴う事になるでしょう。

>世界全体の心理が冷えて我に帰れば成り立たないことは歴然

それがバブル崩壊ですね。現在、世界中で冷え込みが始まっています。(・・少なくとも、欧米や日本のようないわゆる「先進国」で・・)それを旧態依然とした経済界や産業界、官僚や政治家たちが必死で成長路線を維持しようとしています。そのような輩は早く退いて貰うしかありません。

2010/10/21 (Thu) 21:21

上々

実体経済

図らずも話が実体経済と金融の関連に行ってしまったのですが、巨額の浮遊する投資が実体経済を圧迫して困ると言うのが一般の論調ですが、ここでおもに話をしているのは、実体経済自体が資源制約と環境汚染のために大問題となっているということなんですね。

それを出来る限りソフトに絞って行って着陸させようと言うのに、おそらく虚業のマネーはひどく邪魔になるでしょう。

虚業マネーと石油マネーの代理戦争がアラブをめぐるテロ戦争なのかもしれませんが、今後ますます激化していく可能性はあります。

2010/10/22 (Fri) 13:31

雑草Z

Re:実体経済

>実体経済自体が資源制約と環境汚染のために大問題となっているということなんですね。

そうです。実体のないバブル経済は、経済システムで考えたときにいつか破裂すると言うことが問題になりますが、実体を伴って成長を続けることもそれはそれで非常に危険だということです。
 現在、バブルを収めて実体経済に戻して成長戦略を考えよう・・・という論調が多いようですが、実体経済を成長させること自体が破局への道でしょう。

2010/10/22 (Fri) 23:25
☘雑草Z☘
Admin: ☘雑草Z☘
無理に経済成長させようとするから無理に沢山働かなければなりません。あくせく働いて不要なものを生産して破局に向かっているのです。不要な経済や生産を縮小して、少ない労働時間で質素にゆったり暮らしましょうよ!「経済成長」はその定義からも明らかなように実態は「経済膨張」。20世紀に巨大化したカルト。
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