慣れ
どんなに文明の利器を開発して利便性を追及しても、慣れてしまうのです。そして、パーキンソンの法則よろしく、発明された文明の利器を目いっぱい使う事を工夫して(・・実は「工夫」と言う名の「無駄」)それが日常生活になっていくのです。そして、現在一時的に色々な物がどんどん手に入るから、打ち上げ花火のように、物を浪費しているだけです。
お風呂を例に考えています。・・・「文明の利器」なんて呼べる程のものではありませんが・・・
薪を燃やして燃料に使っていた頃は、普通の一般家庭で、入浴は2~3日に一度でした。ガスで沸かす風呂が出来て、次第に毎日入浴する習慣になりました。そしてシャワーが出現して、朝シャンなんてお馬鹿な習慣も現れました。シャワーを浴びるのもお風呂の使用と考えると、一日に複数回お風呂を使用する人々が沢山出現しました。ドーピングと考えていいでしょう。根底には極端な清潔症などがあるようです。
では、一日複数回お風呂に入っていた人が、また2~3日に一度の入浴に戻るのは無理か・・・と言われればそんな事は無いでしょう。登山などで、2~3日山小屋やテント生活して風呂に入らなかった経験が何度かありますが、なんて事はありません。3日ぶりくらいに入るお風呂は気持ちのいいもので、感動があります。(・・それが山の温泉ならまた格別です。・・関係ありませんが・・)状況がそうなれば、2~3日に一度のお風呂の生活何て直ぐに慣れるものでしょう。
自家用車、電子レンジ、・・・みんなそんなものでしょう。・・まあ、携帯電話やパソコンのドーピングにはどっぷり浸かってしまった人が多いので(私もです。)なかなか抜くわけにはいかないと感じるかも知れませんが、それだって、そういう状況になれば、案外簡単に抜けるものでしょう。
そして、肝心な事は、そのような状況は早晩必ず来ると言う事です。例えば、消耗品である自家用車を現在のような状態で使って行く事は不可能でしょう。燃料の石油も有限ですし、材料の地下資源も有限です。共に枯渇に向かっています。ハイブリッドカーにしようが、燃料電池車にしようが、電気自動車にしようが、状況は変わりません。・・いや、かえって資源を浪費する可能性が高いのです。
エコロジカル・フットプリントが持続可能な限界を超えてしまった現在、望む望まざるに関らず、人類はある程度まで利便性を抜いて行かざるを得ない状況です。それに気付いている人が少ないのか、または経済界が口封じしているだけでしょう。
「文明の利器」と言うドーピングを続け、どんどん開発して慣れて行き、持続不可能になって滅びていくより、どんどん文明の利器を抜いて行って慣れて、十分に持続可能なレベルで社会を構築した方が人類ははっぴいに違いありません。経済成長なんてふざけた破滅への思想は早急に脱却しなければならないでしょう。
これからの社会は利便性の追求ではなく、人間が慣れる事が出来るレベルまで文明の利器を如何に抜いて行くかを考える時代にシフトして行く事になるでしょう。
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