約束する。ずっとタキオンの事を見てる。ずっと支える(タキモル♀)
- 2022/01/16
- 18:14
クラシックレースを間近に控えたある日、私の担当ウマ娘であるアグネスタキオンが顎に手を当てて何やら思案していた。
「ふむ……。モルモット君、ちょっといいかい?」
私はいつものようにタキオンの世話を焼くために彼女の元へと駆け寄った。
「どうしたの? 何かあった?」
私がそう言うと彼女は少しだけ困ったような顔をして言った。
「いやね……最近よく夢を見るんだ……」
「どんな夢なの?」
「あぁ、実は──私が皐月賞の後で走れなくなる夢さ」
「えっ……」
タキオンが走れなくなる……?
私の動揺とは裏腹にタキオンは淡々と続ける。
「夢の中の私は皐月賞で脚を壊したようでね。そのまま回復せずに引退するんだ」
私は思わず言葉を失った。それはあまりに残酷な夢だ。もしそんな事になったら私は正気では居られない。きっと壊れてしまう。
「だが安心してくれたまえ。今の所そのような兆候はないからね。ただの夢だと分かっているのだが、妙にリアリティがあって気味が悪いんだよ」
「……」
「だから、これからしばらくの間モルモット君には私の体調管理をより一層厳重に行って欲しいと思っていてね」
口調はいつも通りでもその表情は真剣だった。それだけ夢の事が不安なのだという事が伝わってくる。
私は彼女の事をぎゅっと抱きしめると耳元で囁いた。
「大丈夫だよ。絶対にそうならないように私が全力でサポートするから」
「うん……ありがとう……」
***
その後しばらく経ってもタキオンの様子に変化はなかった。それどころか以前より調子が良いように見えるほどだ。
トレーニングにも意欲的に取り組むようになり、毎日楽しそうな笑顔を浮かべている。しかしその一方で私はずっと胸騒ぎを感じていた。
「ねぇタキオン。本当にどこか身体の具合悪かったりしないよね?」
「ん? どういう意味だい?」
「うーん……なんだか最近無理してるんじゃないかなって思ってさ……」
「はっはっは! おかしなことを言うものだね君は!」
「そ、そうだよね……ごめん変なこと聞いて」
「あぁ、心配してくれてありがとう。お礼と言っては何だけど今度実験に付き合って貰おうかな」「それはお礼じゃないと思うけど、うん分かったよ。じゃあその時になったら呼んでね」
「ああ、楽しみにしているとも」
そう言ってタキオンは笑みを深めた。
***
皐月賞当日。私はタキオンと一緒に中山レース場へと向かう。レース前の控え室に入ると既に大勢の記者たちが詰めかけていた。
皐月賞を前にしてもタキオンは一切緊張した様子もなくいつも通りのマイペースさを貫いている。こういうところが彼女らしいと言えば彼女らしい。
そしてレースが始まる。タキオンのレース運びは完璧だった。最後の直線で先頭に立ちそのままゴールイン。文句なしの勝利だった。
脚は問題なく機能しているようだ。少なくとも今日明日で故障するような事はないだろう。それでもクールダウンやマッサージは欠かせないが。
控え室で待機していた私の元へタキオンがやってきた。
「モルモット君! 見ててくれたかい!?」
満面の笑みで駆け寄ってくる彼女を優しく抱き留める。
「もちろん! すごかったよタキオン!!」
すると彼女は嬉しそうに尻尾を振って私の胸に顔を埋めてきた。彼女の頭を撫でながら、私は安堵のため息をつく。
(良かった……。これならきっとダービーだって大丈夫だ)
私は自分の事のように喜んだ。皐月賞を終えたタキオンはそのまま日本ダービーへ出走することになった。
私はトレーナーとしてタキオンの健康面を管理しつつ、同時にメンタル面でもケアを行う必要があった。皐月賞での走りを見る限り同期でタキオンのスペックに敵うウマ娘はいない。ならば後は本番でどれだけ実力を発揮できるかに掛かっている。
懸念であるタキオンの脚については正直分からないことが多い。
皐月賞後に行った精密検査では脚自体に異常はなく、至って正常だという診断結果が出た。しかし原因不明の怪我をするウマ娘の例も過去にはある。油断はできない。
ある日、私はタキオンの実家に赴き、両親への挨拶を行った。彼女の両親はタキオンの脚の事を非常に気にしており、皐月賞の勝利を何度も感謝された。私はやや押され気味になりながらも、今後も最善のサポートを続ける事を約束した。
その日はタキオンの実家に泊まる事になったのだが、夜中にタキオンが会いにきた。
「どうしたのタキオン?」
「ちょっと話があってね……。入ってもいいかい?」
「うん、いいよ」
タキオンは枕を持って部屋へと入ってきた。
「一緒に寝ても構わないだろうか……」
私は少し驚いた。普段のタキオンならこんな事は言わないはずだ。
「珍しいね、そんなこと言うなんて。何かあったの?」
「いや……ただなんとなく不安になってね。それでモルモット君の顔を見たくなったんだ」
「……そっか。じゃあ今日は特別だよ」
私は布団を上げてタキオンを招き入れた。
「ふぅン……」
隣に横になるとタキオンは私の顔をじっと見つめてきた。まるで品定めでもされているような気分になる。
その行動の意味は分からなかったが、やがてタキオンは私の体をぎゅっと抱きしめた。
「ダービーは、最も運の良いウマ娘が勝つと言われているが、さて私はどうだろうね?」
「絶対勝てるよ。私が保証する」
「はっはっは! 随分な自信じゃないか! ……だがそうだな。モルモット君の言葉を信じよう」
タキオンは私の胸元に顔をうずめる。
「あぁ、なんだか落ち着くなぁ……」
彼女の吐息がくすぐったくて思わず身を捩ってしまう。
「もう、くすぐったいよ」
「すまない……もう少しだけこのままで居させてくれないか」
タキオンは私の背中に回した腕の力を強めた。
「……うん」
「ありがとう」
それからしばらくタキオンは黙っていたが、やがて口を開いた。
「モルモット君はさ……どうして私がここまで頑張れると思う?」
「……えっと……それは……」
「私はね……走る事が好きだからだよ」
「……そう」
「だから、もっと速く走りたい。いつまでも走っていたい。その為にはどんな努力でも惜しむつもりはない」
「……うん」
「モルモット君……私はね……本当は怖いんだよ」
「うん」
「もしこの脚が壊れてしまったら……走れなくなってしまったら……そう考えると不安で仕方がない」
微かに震える彼女の体を優しく抱きしめる。いつもの不敵さは消えて、力を込めたらたちまち壊れてしまいそうだった。
「それでも、私は前に進み続けるよ。そうしないと……きっと後悔するから」
「……」
「だから、モルモット君にはずっと傍で見ていて欲しい」
「分かってる」
「これからも、私を支えて欲しい」
「約束する。ずっとタキオンの事を見てる。ずっと支える」
「ありがとう」
「だから、安心して走っておいで」
「あぁ、そうする」
タキオンはそう言うとゆっくりと目を閉じた。穏やかな寝息が聞こえてきたのを確認して私も目を閉じる。
夢の中にいるもう一人の自分に、現実の彼女が負けないよう、強く願う。