素粒子の謎に迫り、橋や貨物を透視する「ミューオン加速器」開発

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編集委員 増満浩志

 ミューオンという素粒子がある。電子の兄弟のような素粒子で、「ミュオン」あるいは「ミュー粒子」とも呼ばれる。エジプトのピラミッド内部をミューオンで「透視」したというニュースなどで、名前を聞いたことのある人は結構いると思う。

 でも、至る所にある電子と比べると、ミューオンは影の薄い存在だ。上空から地上へ降ってくるが、その数は手のひらの面積に毎秒1個ほど。寿命が短く、通常は発生してから2マイクロ秒(100万分の2秒)ほどで別の粒子へ変わってしまう。

大谷将士助教(茨城県東海村のJ-PARCで)
大谷将士助教(茨城県東海村のJ-PARCで)

 そんなはかない命のミューオンを人工的に作り出して加速する技術の開発に、高エネルギー加速器研究機構の大谷 (まさ)() 助教(39)(加速器科学・素粒子実験)が挑んでいる。成功すれば、素粒子理論の大きな謎に迫る実験や、構造物の内部を高精度で透視する検査技術につながると期待される。

加速には二つの難題…短い寿命と「中間的な重さ」

 茨城県東海村にある加速器施設「 (ジェイ)PARC(パーク) 」には、世界的にも少ないミューオン生成の設備がある。このミューオンを光速の約90%まで加速する装置の開発が、2028年の完成を目指して進む。大谷さんらの研究チームは15年に設計を始め、21年から実機の製作に入った。17~18年には試験的な装置を使い、ミューオンの加速を世界で初めて成功させている。

 素粒子実験では、原子を構成するありふれた粒子の電子か陽子を加速し、他の粒子と衝突させることが多い。この2粒子と比べ、ミューオンの加速には大きな難しさが二つある。一つは言うまでもなく、寿命が短いこと。生成したミューオンが生き残っている間に、加速して利用するまでのすべてを終えねばならない。加速に時間をかけても消えたりしない電子や陽子とは、訳が違う。

 もう一つの難しさは「電子と陽子の中間的な重さであることです」と、大谷さんは説明する。電子は軽いので、スピードの上限である光速の近くまで一気に加速できる。これに対し、ミューオンと陽子の質量は、それぞれ電子の約200倍と約1800倍。これらを効率的に加速するには、速度が上がるにつれて加速装置の構造を段階的に切り替える必要がある。ミューオンは陽子より軽い分、速度の上がり方が急なので、その切り替えも急激になるという。

完成した2段目の加速装置「IH-DTL」。ミューオンは右から左へ進む(J-PARCで)
完成した2段目の加速装置「IH-DTL」。ミューオンは右から左へ進む(J-PARCで)

 製作中の加速器は、全長約40メートルの直線形。「線形加速器」といわれるものだ。その内部では、構造の異なる4種類の加速装置が次々と連結されている。ミューオンの速度がまだ小さい段階では陽子加速器の技術を活用し、光速に近づく最終段階では電子加速器の技術を基にミューオン用の改造を施すなど、既存技術と新技術を巧みに組み合わせた。1段目と2段目の実機が出来上がり、今は3段目の試作機を製作している。

止めてから加速する日本独自技術で、高品質のビームに

 この40メートル加速器が完成すると、素粒子理論の大きな謎に迫る実験が始まる。その謎とは、ミューオンの「異常磁気能率」という性質が、理論値と測定値で食い違っていることだ。現代物理学の根幹を成す「標準理論」のほころびを示す可能性があるが、これまでの測定は精度に問題がある。

 というのも、ミューオンは高速の陽子が何らかの物質に当たった結果として発生し、その時点では速さや向きに幅がある。つまり、発生した多数のミューオンが、広がりのあるビームとなって進む。今までの測定は、このビームを実験に使っていた。

大谷さんが右手で示す青い屋根の場所に、加速器の1段目と2段目を設置する計画だ(J-PARCの物質・生命科学実験施設で)
大谷さんが右手で示す青い屋根の場所に、加速器の1段目と2段目を設置する計画だ(J-PARCの物質・生命科学実験施設で)

 J-PARCの実験では、日本独自の「ミューオン冷却」という技術を使い、発生したミューオンの動きを一度ほぼ止める。それから再び加速すると、エネルギーや向きが均一なビームとなる。大谷さんは「懐中電灯のように広がって進む光から、レーザー光線に変わるようなもの」と例える。ミューオンを止めるのに数百ナノ秒(1000万分の数秒)、加速にも数百ナノ秒という早業だ。

 このビームによって、異常磁気能率の測定精度が飛躍的に高まる。その結果、「やはり理論値と違う」と確認できれば、宇宙に存在する暗黒物質(ダークマター)の影響など、標準理論を超えた説明が必要になってくるという。

可搬型の装置で、自然のミューオンより高精度の透視を

 大谷さんは、40メートルのミューオン加速器の製作を進める一方、トレーラーなどで持ち運べるよう10メートル程度まで小型化する研究も22年に開始した。目指すのは、土木構造物や貨物などをミューオンで高精度に透視する技術だ。

 ミューオンは「ほどよい透過力をもった粒子」なのだと、大谷さんは語る。「たとえばニュートリノは透過力が高すぎて何でも通り抜けてしまい、透視に使えない。逆にエックス線や電子線は、コンクリートなどの奥深くまで届かない」

 この「ほどよい透過力」を生かし、空から降り注ぐ自然のミューオンを使って透視する技術が進んできた。ピラミッドや福島第一原発の内部、火山のマグマなどを捉える研究のほか、港湾でコンテナ内の密輸品を監視する装置が製品化された例もある。

 ただ、空からのミューオンは、エネルギーや向きが不均一で、粒子の数が少ない。持ち運びの可能な小型加速器でミューオンを照射すれば、「均一なビームにより、物質の形や種類を見極める精度が高まる。粒子数も多いので、短時間で透視できる」と大谷さん。コンテナ貨物の検査をはじめ、橋などの構造物が健全かどうか調べる点検など、期待される用途は幅広い。

 ミューオンによる透視技術の将来性には、政府も注目している。国家的に重要な技術の開発を官民で進める「経済安全保障重要技術育成プログラム(Kプログラム)」の対象分野にも挙げられた。ミューオンのビームを安定供給できる研究施設は、J-PARCと大阪大を含めて世界に5か所しかなく、ミューオンの加速に成功したのはJ-PARCだけ。間違いなく日本の強みといえる技術だ。

高専で加速器づくりを指導

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