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吉高由里子さんが主人公の紫式部(まひろ/藤式部)を演じるNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)が、12月15日放送の第48話「物語の先に」で最終回を迎える。毎年恒例の時代考証へのインタビュー、今年も国際日本文化研究センター名誉教授の倉本一宏さんに苦労した点やドラマの裏話などをたっぷり聞いたので、<上><下>に分けて紹介する。今年も多くの人物が登場したため、演じた俳優名とともに一覧表や系図をつけた。ドラマをご覧になった方は、登場人物の顔やセリフを思い浮かべながらお読みいただきたい。
大石さんとの際限ないやり取り
――今回の大河ドラマの考証は、どのように進められたのですか。
2022年5月11日に、NHKから「再来年の大河ドラマを紫式部と藤原道長でやる」という発表があり、私にも多くの出版社から執筆依頼のメールが来ました。制作統括の内田ゆきさんからメールで時代考証をお願いしたいという話が来たのはその2日後です。しばらくして脚本家の大石静さん、チーフ演出の中島由貴ディレクター、内田さん、私の4人でオンラインでの打ち合わせをしました。
大石さんと直接お話ししたのはその1回だけですが、それからはリサーチャー(調査員)を介して問い合わせや相談がメールで来るようになりました。大石さんは最初は平安時代の歴史や宮廷貴族のことを知りませんでしたから、すごく基礎的な質問が来ました。とりあえず答えると、答えに対する再質問が来て、さらに答えると、さらにさらに細かい質問が来て……というふうに、際限のないやり取りが、ほぼ毎日続きました。
「おかしいことはおかしい」
こうしてできた脚本の原案に赤字(直し)を入れ、最初の台本(白い表紙なので「白本」)ができあがると、私のほかに衣装、小道具などをチェックする風俗考証の佐多芳彦さん、そして内田さんや中島さんら制作スタッフ20~30人が参加して「考証会議」が開かれます。『光る君へ』1話には50余りのシーンがありますが、会議では白本をたたき台にして、1シーンずつ「ここはこうしたい」「いやそれはおかしい」と意見をぶつけ合います。
私の師匠の土田
会議で出た意見は大石さんに伝えられ、それを反映した第2稿(表紙が青くなって「青本」)が送られてきます。さらに私がいろいろ指摘して、最終稿にあたる「完本」の製本前のファイル(「完本準備」)が送られてきますが、まだおかしいところがあるので赤字を入れ、ようやく俳優さんたちに見せるきれいな表紙がついた台本(完本)ができるわけです。
メール文字数、『源氏物語』54帖を上回る
――1話ごとに原案、白本、青本、完本という4種類の台本をつくるのですね。
それが48話分ですから大変です。台本ができても仕事は終わりません。実際に動いてみると生じる疑問もあって、収録現場からメールや電話で「アクセントは合っているか」「こんな動きをしていいか」といった問い合わせが来ますから、答えないといけない。収録して編集が終わるとDVDが送られてきます。基本的にもう撮り直しはできませんが、私は全部見て、おかしいと思ったところは指摘しました。1回だけ、せりふの位階に間違いがあって、次の収録の時、俳優の方にそこだけしゃべってもらって直しています。土曜の再放送ではそちらが放送されました。
考証会議が始まるまで、私はほかにも何人か時代考証の先生がいるのだろうと思っていました。ところがオンラインで会議に参加して出席者を見回しても、時代考証はどうやら私1人しかいない。第1話の白本ができて、考証会議が始まったのは22年12月でしたが、私のパソコンには、その時点ですでに2900行、11万字以上にのぼるメールのやりとりの記録が残っています。ちなみに、最初の顔合わせから2年半で、『光る君へ』関連でやりとりしたメールは約3万3000行、132万字になり、『源氏物語』54
まひろと三郎の出会いは時代「交渉」の産物だった
――すごい仕事量ですが、考証全体を通じて最も気をつけたのはどんなことでしたか。
『光る君へ』は平安貴族を描いた初の大河ドラマで、脚本の大石さんだけでなく、制作陣も平安時代のドラマは初めてでした。考証会議にはNHK時代劇のご意見番のような方も参加しているのですが、その方も含めて時代劇を知るスタッフの頭の中にあるのは江戸時代で、風俗考証の佐多さんも、どちらかというとご専門は中世の武家装束です。平安時代を知ってもらい、江戸時代をベースにした時代劇の発想を変えてもらうことに心がけました。
例えば、ドラマの最初の方に登場する盗賊の直秀は、原案の段階では屋根から屋根へぴょんぴょん飛び移っていたんです。江戸の長屋の屋根を飛び移る盗賊のイメージがあったのでしょうが、平安時代の寝殿造りは隣の建物まで10~20メートルは離れています。「屋根から屋根に飛び移るのは無理です」と申し上げ、直秀は塀の上に座って話すようになりました。
「平安時代の貴族の姫が外をほっつき歩いたり、
まひろ(紫式部)と三郎(藤原道長)が最初に出会うあのシーンは、『源氏物語』の若紫の帖のオマージュ(敬意を払ったシーン)でもありますが、若紫は逃げた鳥を追って庭にも出ていないのに、まひろは鴨川の河原まで追いかけており、そんなことはありえません。でも、知恵も出さずに「だめだ」と言うだけでは、何も進みません。制作陣とギリギリまで交渉して、妥協点を見つけ出すのも時代考証の仕事だと思います。時代考証は、時代「交渉」という字の方がふさわしいかもしれません。
「古文訳考証」は実資の愛人役も
――ドラマの中で詠まれた和歌や『枕草子』『源氏物語』などは、国文学の研究者がたくさんいます。考証にあたって、歴史学と国文学のすみわけはしていたのですか。
ドラマのタイトルバックとともに毎回クレジットされる「考証」担当者は、考証会議に出席していた私と佐多さんですが、それ以外にも建築、芸能、平安料理、漢詩、和歌平安文学などの「考証」がアドバイスをしていたようです。現代語の古文訳を考証した千野裕子さん(学習院大学准教授)は俳優でもあり、ドラマでは藤原実資の
「時代」考証が私1人だったのは、私が『源氏物語』『栄花物語』など文学の論文も書いているので、1人で済むかな、と思ったからかもしれません。しかし、文学の解釈は歴史学者の仕事とは違います。『源氏物語』の解釈についての質問も私のところに来ましたが、聞かれたことしか答えず、私の方から古文の解釈に踏み込むことは避けました。
私と他の考証の方と見解が異なり、どちらが正しいのか、となった時は、大石さんとスタッフにお任せしました。正直言うと、ドラマの中の現代語訳や読み方に違和感を感じたこともありましたが、国文学に詳しい人は、私の考証にも、ここが足りない、違うという人はいたでしょう。
「幼なじみで恋仲」にがくぜん
――ドラマでは、『源氏物語』のような貴公子と姫の恋愛模様も描かれましたね。
脚本家や制作陣は、ドラマは面白くなければいけないと思っていますが、私は面白いかどうかではなくて、史実に合っているかどうかをチェックするのが仕事です。舞台は1000年前の宮中の話ですが、実は道長や朝廷関連の史料(古記録)はたくさん残っているんです。その反面、紫式部関連の信頼できる史料は少なく、特に宮中に仕える前の史料は全くなく、どうしようもない。紫式部の歴史的評価は、歴史学界では「最高の文学を書いた人」くらいしかできないのではないでしょうか。紫式部の生涯を真面目に研究している歴史学者はいないと思います。
正解がないところを面白く創作するのは構わないとはいえ、時代考証を引き受けて全体のあらすじを最初見た時に、紫式部と道長が幼なじみで恋仲になると知ってがくぜんとしました。でも、すでに制作発表時に公表していることは、もう変えられません。私は自分の頭の中で、ドラマを「政治パート」と「恋愛パート」に分け、政治パートは「リアル(現実)パート」、恋愛パートは「フィクション(架空)パート」と割り切って考えることにしました。
「恋愛パート」でも生かされた考証
実はこれは、1000年前も同じだったのかな、とも思うんです。私は『源氏物語』は、皇位継承と政治闘争と浄土信仰が根幹となる、非常にシリアスな物語と捉えています。光源氏が若い頃に罪を犯し、年を取ってからその罰を受ける、そして死後に宇治の姫君がそれを
私は時代考証として『光る君へ』を非常に重い皇位継承と宮廷政治のドラマにしたいのに、ほとんどの視聴者は紫式部と道長の恋愛パートを楽しんでいる。人間の気持ちは1000年の時を経ても同じなんだなあ、と思い至って感動しました。同時に、50年近い研究成果をドラマに注ぎ込んでいる歴史学者として、こんなに努力をしても喜んでくれる視聴者はあまりいないのだなあという絶望感も味わいましたが。
――そうは言っても、時代考証がいないとドラマは作れません。恋愛パートでも先生の考証は生きていますよね。
ドラマに出てくる平安京のいろいろな場所の設定は、すべて私が提案しました。まひろの父、藤原為時には病気の
「石山寺で源氏物語を書いた」は伝説
――ドラマで紫式部は石山寺に参籠して、道長と偶然再会しています。貴族の姫はめったに外に出なかったのに、かなり活動的ですね。
当時の女性貴族が石山寺に参籠したのは史実ですが、紫式部が参籠したことを示す史料はありません。石山寺で源氏物語を構想したというのは後世に生まれた伝説で、紫式部は石山寺で『源氏物語』を書いてはいません。でも、如意輪観音の夢告げを得るために、貴族は今の石山寺にある「源氏の間」のような部屋に籠もりましたから、紫式部が参籠したというのは、まったくあり得ないことではありません。
紫式部が平安京を出たという確実な記録があるのは越前(福井県)だけです。石山寺や宇治、須磨や明石に行った可能性はゼロではありませんが、大宰府には絶対行っていないと思います。行っていないとすると、なぜ『源氏物語』にあんなにしっかり須磨や明石の情景を書けたのか、不思議です。行っていなくても想像はできるし、当時の貴族は行ったことがない土地の和歌を詠んでいますが、あれだけ書けるというのはすごいことです。
貴族の姫は外出しないと言っても、下級貴族の姫だった若い頃は近所は歩いたかもしれないし、宮中に出仕してからも里帰りすることはありました。でも、宮中の女房になったら徒歩ではなく、牛車を借りて移動したと思います。京の道端には牛や馬の汚物や死体がありました。それを見ただけで「
女性の名前を訓読みした理由
――大河ドラマの時代考証では、例年「名前」、特に女性の名前に苦労しているようです。『光る君へ』は女性の名前を訓読みしていましたね。
当時、女性の名前を「ていし(定子)」とか「しょうし(彰子)」と音で読むことはまずありませんでした。今、学問の世界で音読みが定着しているのは、後世に読み方がわからず、便宜的に音読みしたのが広がったからです。訓読みするなら誰が読んでも「さだこ(定子)」「あきこ(彰子)」なのに、音読みしてきたのは、平安時代初期に文徳天皇(827~858)の女御となった藤原明子(828~900)の例があるからです。
明子は珍しく読み方がわかっていて、「あきこ」ではなく「あきらけいこ」と読むんです。明子が「あきらけいこ」なら、定子も「さだこ」ではないかもしれない。ドラマでは呼び方を決めないといけないので「さだこ」「あきこ」と訓読みしています。おかげで「あきこ」が3人(詮子・彰子・明子)もいることになってしまいましたが、それが正解かどうかは誰にもわかりません。
女性で「○○子」という名前がつくのは、位をもらうか、天皇や皇太子の妻である
幼名はあったはずですが、もちろんわからない。多分、外からは「為時の中の君」と呼ばれていたと思います。ドラマには出てきませんでしたが、紫式部には姉がいますが、長女は「
「ききょう」はしっくりこなかった
一方、道長の幼名はまだ公表されていなかったのですが、実は「三郎」ではない幼名がつけられていました。恥ずかしくてその名前は言えませんが、「まひろはもう仕方ないけど、道長にこの名前は絶対やめてほしい」と要望しました。「じゃあどんな名前にしますか」と聞かれたので、「三郎か五郎にしたら」と言ったら、三郎になりました。道長は藤原兼家と嫡妻(時姫)の三男で、2人の異母兄を加えれば兼家の五男です。私は「五郎」の方がかわいいと思ったんですが。
清少納言の名前が「ききょう」というのも私はしっくりきませんでした。紫式部の屋敷跡という説のある京都の
登場人物が「藤原だらけ」で分かりにくかったという声もあったようですね。考証会議では人物の登場時に官職と姓名をテロップで示したらどうかと提案しましたが、「見ている人はわかる」ということで採用されませんでした。
登場させたかった藤原超子
――ドラマに出すべきだと思っていたのに出せなかった人はいますか。
まず、藤原
藤原
もう一度元子が妊娠してはまずいと考えた道長は、元子の参内を阻んだりして、一条天皇から強引に遠ざけています。元子を巡る宮中の複雑な後宮情勢を描けて面白い、と提案したのですが、描く時間がないということで数秒間だけの登場にとどまりました。
一条天皇をめぐっては、定子の妹、
御匣殿は道隆の娘で伊周の妹でもありましたから、皇子が生まれていたら、道長と伊周の政争にも影響したと思います。しかし、御匣殿は妊娠中に体調を崩し、母子ともに命を落としてしまいます。道長にとっては幸運でしたが、こうした複雑な宮中の状況をもっと克明に描いてほしかったですね。
『光る君へ』
【総合】日曜午後8時/再放送 翌週土曜 午後1時5分【BS・BSP4K】日曜午後6時【BSP4K】日曜午後0時15分
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