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気候変動を食い止める切り札として、水素エネルギーへの期待が高まっている。化石燃料から作る「グレー水素」ではなく、再生可能エネルギーを活用して作る「グリーン水素」が望ましい。しかし、大きな問題がある。淡水を電気分解(電解)する現在の製法は、淡水を潤沢に得られる場所でしか使えないことだ。海水を電解する技術もあるが、高価な希少金属のイリジウムが欠かせない。
筑波大学数理物質系の伊藤
通常の陽極は塩素で急劣化
「水の電気分解」といえば、中学校の理科実験でもおなじみの反応だ。水に少量の水酸化ナトリウムを加えて電気を流すと、陰極から水素、陽極から酸素が発生する。
ところが、海水の場合は塩化物イオンが溶けているので、陽極で塩素ガスや次亜塩素酸が発生してしまう。酸素を発生する反応より、塩素を発生する反応の方が速いためだ。これによって陽極の電極は急速に劣化する。長寿命で性能の良い「DSA」(登録商標)という電極が数十年前から実用化されているが、イリジウム、白金、ルテニウムといった白金族の貴金属が酸化物として使われており、コストが高い。
とりわけイリジウムは「生産量が限られるうえ、様々な用途に使われ、物理的に足りない」(伊藤さん)。こうした貴金属を使わずに水を電解できる陽極の開発が、世界的な課題となっている。
卑金属だけの「9元合金」で高耐久性を実現
伊藤さんは4年ほど前、卑金属(貴金属でない金属)だけを組み合わせた合金で陽極の電極を作る研究に着手。名古屋大学、高知工科大学との共同研究で昨年12月、海水の電解に長期間使える高耐久性の電極を開発したと発表した。
開発したのは、チタン、クロム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、ジルコニウム、ニオブ、モリブデンという9種類の金属を組み合わせた「9元合金」の電極。9元素が偏らずランダムに混じっており、化学反応に対する安定性などが優れている。
この合金で電極を作り、「海水を模擬した食塩水」と「茨城県大洗町で採取した実際の海水」の中で耐久性を調べた。電源のオン・オフに伴う劣化が最も著しいので、その6000回分に当たる負荷を与えたところ、食塩水中で97%、海水中で92%の性能が保持された。太陽光発電の利用を想定するとオンとオフは毎日1回ずつなので、6000回で約16年に相当する。また、電圧を一定にした試験では100時間以上、性能を維持できた。
9元素の中では、クロム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケルの5元素が酸素の発生を促進する触媒として働く。伊藤さんは「他の4元素が塩化物イオンをおびき寄せるなどして、触媒が守られているのではないか」と説明する。
ただ、電解に高い電圧を要した。電力消費が大きくなってしまうため、実用化に向けて改善に取り組んでいる。
カーボンニュートラルへ足りない人材
水素生産のための電解では、水素を発生させる陰極の方が世の中で目立つかもしれないが、伊藤さんは「科学的には陽極を開発する方がはるかに難しい」と語る。陽極は酸化を受ける過酷な環境にさらされるので、陰極用の材料をそのまま陽極に試すと、すぐボロボロになったりするという。「でも、絶対に必要。陰極だけでは水を電解できない」と、難題の解決に意欲を燃やす。