かがわ‐とよひこ〔かがは‐〕【賀川豊彦】
賀川豊彦
賀川豊彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 23:53 UTC 版)
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キリスト教社会主義者
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賀川豊彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:36 UTC 版)
当時神戸神学校の学生であった賀川豊彦は、結核で死の淵から生還できたことを「神の恩寵」と感じ、「貧民」に自らの命を捧げることで神の恩寵に応えようとした。賀川は1909年(明治42年)9月から「新川」で路傍伝道を開始。同年のクリスマス・イブに「新川」で居住を始めた。その救済対象は、捨て子、病弱な老人、やくざ者、労働能力や意欲なき者にも向けられ、改善団体が見向きもしない人々をも対象としていた。賀川の行動はすべての人々には生存の権利があるとする主張を自らの実践で表そうとするものであった。賀川は近代的な家族生活を理想に掲げ、「新川」の民衆にもその考えを伝道した。具体的には、中産階級である船長の一家に「新川」の児童を預けたり、児童の親の生計を援助する目的で一膳飯屋を運営したり、金品の援助を行うなど試行錯誤を繰り返しながら、徐々に「新川」に定着していった。一方で現在では、賀川の『貧民心理の研究』(1915年)などの著書に、被差別部落の人々への差別的見解(明らかな誤りである「人種起源説」の主張など)や差別的語句・表現が見られるという指摘もある。
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