賀川豊彦とは? わかりやすく解説

かがわ‐とよひこ〔かがは‐〕【賀川豊彦】

読み方:かがわとよひこ

18881960キリスト教伝道者社会運動家兵庫生まれ神戸市北本町貧民街伝道開始労働争議農民運動協同組合運動指導。著「死線を越えて」など。


賀川豊彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 23:53 UTC 版)

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賀川豊彦

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神戸市のスラム問題」の記事における「賀川豊彦」の解説

当時神戸神学校学生であった賀川豊彦は、結核で死の淵から生還できたことを「神の恩寵」と感じ、「貧民」に自らの命を捧げることで神の恩寵応えようとした。賀川1909年明治42年9月から「新川」で路傍伝道開始同年クリスマス・イブに「新川」で居住始めた。その救済対象は、捨て子病弱な老人やくざ者労働能力意欲なき者にも向けられ改善団体見向きもしない人々をも対象としていた。賀川行動すべての人々には生存権利があるとする主張を自らの実践表そうとするものであった賀川近代的な家族生活理想掲げ、「新川」の民衆にもその考え伝道した。具体的には、中産階級である船長一家に「新川」の児童預けたり児童の親の生計援助する目的一膳飯屋運営したり、金品援助を行うなど試行錯誤繰り返しながら、徐々に新川」に定着していった。一方で現在では、賀川の『貧民心理研究』(1915年)などの著書に、被差別部落人々への差別的見解明らかな誤りである「人種起源説」の主張など)や差別的語句表現見られるという指摘もある。

※この「賀川豊彦」の解説は、「神戸市のスラム問題」の解説の一部です。
「賀川豊彦」を含む「神戸市のスラム問題」の記事については、「神戸市のスラム問題」の概要を参照ください。

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