浪人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 身分 > 浪人 > 浪人の意味・解説 

ろう‐にん〔ラウ‐〕【浪人】

読み方:ろうにん

[名](スル)

古代本籍地離れ他国流浪している者。浮浪人

(「牢人」とも書く)中世近世主家を自ら去ったり、あるいは失ったりした武士江戸時代には幕府大名取りつぶし政策などにより著しく増加し政治・社会問題となった浪士

入学試験入社試験不合格となり、入学就職できないでいる人。また、職を失ってきまった職のない人。「一年—して志望校を目ざす


浪人

読み方:ロウニン(rounin)

(1)古代戸籍から抜け出たもの。
(2)職を離れた人。任官せずに主家もたない武士

別名 牢人、窂


浪人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/02 05:35 UTC 版)

浪人(ろうにん)

  • 古代の意味)戸籍地を離れて他国を流浪している者[1]浮浪人の略[1]身分とは無関係で、全ての民衆がなりうる。
  • 中世・近世の意味)主家を自ら去ったり、あるいは主家を失ったりした武士[1]浪士とも[1]牢人とも書く[1]#鎌倉時代・室町時代#戦国時代#江戸時代で解説。なお、江戸時代初期に幕府は支配力を示し領地没収(改易)などの厳しい処分を多用した結果、浪人が著しく増加し政治・社会問題ともなり、1651年の慶安事件を機に、幕府は浪人対策と文治政治への転換を迫られ、大名の改易を減らし浪人の増加を防ぐ政策を採るようになった、というのが通説である。
  • (現代の意味) (1)入学試験で不合格となり入学できない人 (2) 就職試験で不合格となり就職ができないでいる人 (3) 職を失い定職の無い人 [1]。古代・中世・近世の浪人(牢人)と状況が似ていることを踏まえた、比喩やアナロジーである。 #現代の意味の節で解説。

古代

浮浪人を参照。

鎌倉時代・室町時代

鎌倉時代室町時代においては、武士在地領主で、浪人は所領と職を失い浮浪する者たちを指した。この時代は浪人になっても各地で慢性的に小規模な戦乱が頻発し、大名は戦闘要員を必要としており、新たな主家を得る機会は少なくなかった。また、治安状況が悪かったために、浪人が徒党を組んで割拠し、野盗をしたり一揆を起こす者たちもいた。この頃の浪人は(古代の)浮浪の意味に近い。(なお牢人の者もいたが牢人という身分語が定着するのは室町時代後期である。)

戦国時代

戦国時代になると主従関係と身分関係が前時代より明確になり、たとえ主家が滅びて牢人となっても再仕官する機会は多くあった。ただ、後の江戸時代よりも主従関係が緩やかであり、待遇に不満があれば主君を見限り自ら致仕して牢人となり、実力次第でよりよい待遇を求めて別の大名家に仕官する者たちもいた。 牢人たちは己の武功を証言してくれる証人の確保や再仕官の口利きなどの目的から、所属する主家を越えたゆるやかな横のつながりを重視した。大名にとって有力な牢人を一人召し抱えることは、彼個人の器量に期待できるのみならず、有事の際に彼の背後に控える数多の牢人を即戦力として動員できること意味していた[2]。 この時代は、牢人となって幾つもの大名家を渡り歩く武士が多く、中には大名にまで出世する者もいた。藤堂高虎はその生涯に10の主家に仕えている。

豊臣秀吉が天下を統一して、戦乱の時代が終息すると、牢人をとりまく状況が変化した。各大名家は多くの家臣を召抱える必要がなくなってきた。関ヶ原の戦いで東軍の徳川家康が勝利すると、西軍についた大名の多くが取り潰されるか、大幅な領地の減封を受け、これによって大量の牢人が生じた。

宮本武蔵は浪人。浮世絵、大型木版錦絵「勇魁三十六合戦」(歌川国芳

とはいえ江戸時代初期までの牢人には、正規の身分というのはほとんどおらず、小者、中間、あらしこ、下人などと呼ばれた武家奉公人が多かった。戦国の世において貧困や飢饉で食い詰めたり、或いは人の主になろうとした農民などは、生き延びるために大名の軍に積極的に参加している。そのため、戦争が終わると村に戻ったり、大名が被官を減らす際に真っ先に切り捨てられたのである。

江戸時代

さらに徳川幕府は旧・豊臣系大名の外様大名を中心に大名廃絶政策を取り、多くの大名が世嗣断絶、幕法違反などの理由によって取り潰され、これによっても大量の牢人が生じたとされてきた。だが、それを否定する新説もある、と2007年の本には書かれた[3]江戸時代に入ると大名家では家臣の数が過剰になり、新規の召し抱えをあまり行わなくなった。また、儒教の影響で主従関係が固定化され、家臣が主君を見限って出奔した場合は、他の大名に「奉公構」を廻して再仕官の道を閉ざすことも行われた。黒田家を出奔した後藤基次は「奉公構」を出されて再仕官の道を断たれ、結局大坂冬の陣豊臣方に参加している。再仕官できない牢人が激増し、大坂の陣が起きたときには、豊臣方に10万の牢人が寄り集まっている。

大坂の冬の陣・夏の陣で多数の牢人が殺されたが、その後も幕府の大名廃絶政策によって牢人は増え続け、三代将軍徳川家光の晩年にはその数は50万人にも達したとされる。平和な時代となり、再仕官の道は限られるようになった。新田開発城下町建設などのために、各地で労働力が不足していたことを背景に、武士身分を捨てて町人百姓になる者、または山田長政らのように朱印船東南アジアへ出て、東南アジア諸国や東南アジアに進出していたヨーロッパ諸国の傭兵になる者もいたが、大部分は牢人のまま困窮の中で暮らしていた。

当初、幕府は、大坂の陣や島原の乱に大量の牢人が加わっていたことを理由に、牢人を危険視して、市中から追放や居住制限、再仕官の禁止など厳しい政策をとった(ただし、伊予松山藩蒲生家の記録では熊本藩加藤家の改易の際には、幕府の要請で縁戚である蒲生家が家臣の一部を引き取り、数年後に蒲生家が改易された時には幕府が再仕官の斡旋を行ったとする[4])。また、幕府は、東南アジア地域における紛争を回避し、幕府の武威を守る観点から、東南アジア地域の傭兵となった牢人を国際紛争の火種として警戒した。その結果、徳川秀忠及び徳川家光は、いわゆる鎖国政策の確立を通じて、朱印船貿易を廃止し、牢人の東南アジアへの渡航及び東南アジアに永住する牢人の帰国を禁じた。そのような結果として、牢人たちはますます追い詰められ、由井正雪らの幕府転覆計画(慶安の変)を引き起こすに至る。この頃より流浪する牢人や未仕官の牢人を浪人と呼ぶようになる。

これらによって幕府は従来の政策を見直し、世嗣断絶の原因となっていた末期養子の禁を緩め、大名の改易を減らし、牢人の居住制限を緩和し、再仕官も斡旋するようになった。しかし、これ以後もさまざまな理由で主家を召し放ちとなり牢人となる者は後を絶たなかった。

浪人、赤穂事件1835年1839年
大石良金は浪人、赤穂事件。大石主税藤原良金

江戸時代の牢人は士籍(武士としての身分)は失っていたが、苗字帯刀は許されており、武士としては認知されていた。その日常生活は町人と同じく町奉行の支配下に置かれていた。牢人の多くは貧困で借家住まい・その日暮らしの生活を余儀なくされており、細かい手作業で身を立てたり、自暴自棄になって強盗などの犯罪に走った者もいた。

しかし中には、武士の身分を捨てて商人として出世した者もいた。新井白石は牢人時代に婿入りによってその機会がありながらも、固辞したという逸話がある。近松門左衛門のように文芸の世界で成功した者や、町道場を開き武芸の指南で身を立てる者、寺子屋の師匠となり庶民の教育に貢献する者たちもいた。有名な牢人に宮本武蔵がおり、文芸作品では仕官の道が叶わなかった不遇の武芸者のように語られており、それは間違いとはいえないが、実態としては多数の弟子を抱えた道場主であり、後世に書画を遺すほどの生活の余裕があった。特異な例としては、れっきとした幕府の役目を負う立場でありながら牢人の身分であった、山田浅右衛門がいる。

幕末になると浪人たちは政治運動に積極的に参加した。また、土佐藩坂本龍馬など制約の多いから自ら脱藩して浪人になり、自由な立場で活躍する者たちも多く出た。一方で、町人や百姓など非武士身分の出身でありながら勝手に苗字帯刀をして浪人を名乗る者も現れた。浪人の集団と言われる新選組はその構成員の多くが町人、百姓などの出身者である。

明治維新後、四民平等の政策が採られ、浪人という身分も消滅した。

明治以降

明治中頃から後期、大正初期まで一部の士族満洲朝鮮半島李氏朝鮮末期から日本統治時代)に移り住んだ。これらの士族のことも浪人と言う(その一部は大陸浪人とも重なる)。

現代の意味

現代においては、(1) 入学試験で不合格となり入学できないでいる人 (2)入社試験に不合格となり就職ができないでいる人、(3) を失って定職のない人、を言う[1]。正式の所属先が無いことを、古代や中世の浪人(牢人)の状態に喩えている。アナロジー(類比)である。古代や中世の浪人(牢人)に状況が似ているからこう言っているのであり、それなりに理屈は通っている。

浪人生

(1)の意味は、 浪人生 ろうにんせいとも言う。浪人(生)とは、その年の入試に失敗して、その年に大学へ入学することを断念し、だが次年度の入試に再挑戦する学生である[5]。高校の受験で失敗し入学先の高校が見つからない生徒を 高校浪人 こうこうろうにんという。ただし高校浪人は比較的稀である。大学入試で失敗し浪人生となった学生は 大学浪人 だいがくろうにんという。1度目の失敗で再挑戦している状態(あるいは、その状態を経て入学に成功した人)は 1浪 いちろう、2度目の挑戦でも再び失敗し、再々度挑戦する学生(あるいはその状態を経て入学に成功した人)を 2浪 にろうという。一応は大学に入学して大学に通っている(表向きは大学生の身分はある)が本人としては他の大学を目指している学生のことは 仮面浪人 かめんろうにんとも言われる。なお、浪人生に対して、現役の高校生として大学を受験する受験者は 現役生 げんえきせいという。

人数、統計

大学浪人は比較的多い。大学浪人の多さを計測する方法としては、その年の大学入学者全体に占める浪人生の割合で計測する方法が採用されることが一般的であるが、1990年代には大学全入学者の30~40%もが浪人生であった。浪人生は通常、浪人生活中に受験対策を積み、弱点科目の克服や得意科目のさらなる得点力アップを目指すものであり、得点能力を上げて受験に臨むので、この時代、現役生の一定割合が毎年、浪人生との勝負に負けて、結果として浪人生となり、翌年に次の年の現役生よりも高得点をとって入学を果たす、というような連鎖現象がかなりの割合で起きていたのである。1990年代は、1浪だけでは希望の大学に入れず2浪、なかには3浪までしなければ希望の大学に入れなかった、などという学生もじわじわと増え、その現象は当時「多浪化」と呼ばれた。

その後、大学浪人は減少傾向となり、2018年度の文部科学省の「学校基本調査」によると、大学生に占める"浪人を経て大学生になった人"の割合は21%であった。男性大学生の浪人の割合は26.1%で、女性大学生の浪人の割合は18.0%であった。子供の数が多かった時代に学校や大学や学部の新規設置が増え、大学の定員数は増加していたのだがその後に日本は少子化に転じ、子供や受験生の数が減ったので、結果として受験生から見ると試験に受かりやすくなり、浪人生が減ることになったのである。1992年の18歳人口は約205万人だったのに対し、2014年の18歳人口は約107万人、と30年でほぼ半減したのである[6]

就職浪人

(2)の意味、すなわち学校を卒業するまでに就職先が決まらず、卒業後も就職活動を続ける人、就職先を探し続けることは就職浪人ともいう[7]

失業者

脚注

  1. ^ a b c d e f g 浪人」『デジタル大辞泉』https://kotobank.jp/word/%E6%B5%AA%E4%BA%BAコトバンクより2025年10月2日閲覧 
  2. ^ 氏家幹人『かたき討ち』 中央公論新社 <中公新書> 2007年 ISBN 9784121018830 pp.137-141.
  3. ^ 福田千鶴『新選 御家騒動〈下〉』新人物往来社2007年ISBN 978-4404035189
  4. ^ 宇都宮匡児「蒲生家「分限帳」諸本の基礎的考察」(初出:『伊予史談』三六七、2012年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5) 2021年、P326-329.
  5. ^ 浪人とは?”. 2025年10月2日閲覧。
  6. ^ 大学入学共通テストの2024年度志願者数は32年ぶりに50万人を割る”. 2025-20-02閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明
  7. ^ 雇用 狭まる門戸、手探り就活 【ウィズコロナ 変化の中で】<第2部>需要蒸発(2) | 中国新聞デジタル”. 雇用 狭まる門戸、手探り就活 【ウィズコロナ 変化の中で】<第2部>需要蒸発(2) | 中国新聞デジタル (2021年1月19日). 2023年5月23日閲覧。

関連項目

明治時代
西洋
  • 黒騎士 - 西洋の、主君と明確な主従関係を結んでいない騎士や兵士。
現代

浪人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 14:25 UTC 版)

カムイ伝」の記事における「浪人」の解説

水無月 右近みなづき うこん) 浪人剣士道場破りにおいて一角を倒すほどの剣客非人頭横目に挑まれ左足切断された。己の誇りをかけ強い相手探しながら旅を続けていたが、武士の生きざま疑問覚え刀を捨てる。アテナ想い寄せている。 露木 鉄山(つゆき てつざん剣豪未熟だったカムイ剣術教えた最初師匠大きな秘密を知る忍者を斬ったことで、自身もまた大きな秘密を知る事件関わった人物として忍者衆に斬られ最期を遂げたアテナ 露木鉄山の娘で、薙刀名手笹一角想い寄せており、仇討ち燃え一角後を追ううになる父の死後青木鉄人剣豪)のもとに身を寄せていたが、そのうち水無月右近松林剣風行動ともにする一角死後仏門入りとなった松林 剣風まつばやし けんぷう松林蝙也斎実弟で、天下一抜刀術使い無益な闘い避け賢明な男。竜之進が代官になっている時に刀を捨て百姓暮らしになる。 堂面 六左(どうめん ろくさ) 元島津藩士。不見流を遣う剣士。浪人して後、困窮していたところを日置江戸家老宝監物に腕を買われ日置藩士となる。笹一角対峙し、一角右手親指切り落とす青木 鉄人あおき てつじんアテナ養子にした老道場主で剣豪として名高い道場にはアテナや竜之進が稽古をした他、カムイ下働きをしていたことがある。この時アテナ薙刀ヒント鍛錬したカムイは、見たものは必ず死ぬと噂されるほどの「変移抜刀切り」という技を編み出す

※この「浪人」の解説は、「カムイ伝」の解説の一部です。
「浪人」を含む「カムイ伝」の記事については、「カムイ伝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「浪人」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「浪人」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



浪人と同じ種類の言葉


品詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', '', ''];function getDictCodeItems(index) {return dictCodeList[index];}

すべての辞書の索引

「浪人」の関連用語







7
100% |||||


9
痩せ浪人 デジタル大辞泉
96% |||||

10
素浪人 デジタル大辞泉
96% |||||

浪人のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable() {return sideRankTable;}

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浪人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浪人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカムイ伝 (改訂履歴)、堀部武庸 (改訂履歴)、がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス (改訂履歴)、星野仙一 (改訂履歴)、サムライ8 八丸伝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS