東北大学講師
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1955年、東北大学では特別研修生の身分のままで、教養部の非常勤講師として二年生の外国書購読(英書経済学部購読、通称英経)経済学部と法学部を担当した。週2日は授業のため教養部に足を運んだ。1956年には正式の講師となり、教養部の外国書購読は経済学部のみとなった。 1957年安井琢磨より勁草書房の「経済分析全書」の一つとして『ゲームの理論』を書くように言われ、1957年から1958年にかけて執筆に集中した。1958年1月に父銀治を失う。1959年『ゲームの理論』が出版され、同年に日本経済新聞社と日本経済研究センターから「日経・経済図書文化賞」を受賞した。 著書の出版後は、上京して内田忠夫、村上泰亮、森敬らが取り組む日本経済の実証的研究に参加したり、異なる所得層における消費者物価指数について研究している。
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