天球儀とは? わかりやすく解説

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てんきゅう‐ぎ〔テンキウ‐〕【天球儀】

読み方:てんきゅうぎ

球面上に、恒星星座赤道黄道赤経赤緯などを記した模型


天球儀〈(渾天新図)/(銅製)〉

主名称: 天球儀〈(渾天新図)/(銅製)〉
指定番号 31
枝番 0
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書 台座寛文十三安井算哲作製刻銘
員数 1基
時代区分 江戸
年代 寛文13年
検索年代
解説文: 天球儀は、天に散りばめられた星々黄道赤道どの位置を球面上に表わした器具である。
 この天球儀は肥後熊本藩主細川家伝来したもので、江戸時代初期天文学者安井算哲やすいさんてつ】(渋川春海一六三七一七一五)が考究し工人津田正に寛文十三年(一六七三)に作製させ、「渾天新図【こんてんしんず】」と称した
 全体銅製であるが、鋳銅台に大小の龍形支柱立てて大き支柱胴部には地平環の〓を差しこみ、小さ支柱口部には地平環の他の一方を噛ませている。天球南北中心軸支えられ回転し星座状態の変化がわかるようになっており、それら全体板台の上置いている。
 地平環の表面には方位を示す干支銀平象嵌で表わし、天球には二十八宿の線や常現圏などを陰刻している。二十八宿北斗などの星の位置には金銅鋲を打ち、その傍らにその名を金平象嵌示しそのほか星座星座名は銀鋲、銀平象嵌表わす黄道帯状線刻して七十三孔をあけ、立春夏至等の二十四節気の各文字象嵌し、赤道の方は銅製帯をはめて示し三百六十五と四分の一区分している。また、南極近くには、銀平象嵌で「渾天新図」「南極三十六度常隠而不見」の文字がある。
 板台表面には、中国日本における天文器具歴史概述し、「渾天新図」を考究する至った旨の算哲の識語陰刻されている。裏面には寛文十三癸丑春日作製記の刻銘があり、算哲が考案した渾天新図」をもとに津田友正がこの天球儀を作製したことが判明する
 この天球儀は、算哲の初期学問研究の跡を伝え近世科学史上に価値が高い。

天球儀

主名称: 天球儀
指定番号 54
枝番 1
指定年月日 1990.06.29(平成2.06.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書 元禄十年渋川春海作図
員数 1基
時代区分 江戸
年代 元録10年
検索年代
解説文: 両球儀は江戸時代天文暦学者渋川春海一六三七一七一五)が作製し高弟神道学者儒学者谷秦山たにじんざん】(一六六三―一七一八)の家に伝来した
 天球儀は紙張子製の天球木製台座支える。天球面に赤道黄道、常現圏(上規)、常陰圏(下規)、二十八宿距星を通る赤経線(距線)、星、星座銀河図示し星・星座名や二十四節気名を記す。
 星は赤・黄・黒・青の四色の小円点で表示し星座は薄い墨線を引き、星座名を墨書しており合計三六一座一七七三星が記入されている。四色の星のうち赤・黄・黒が中国甘徳かんとく】・石申【せきしん】・巫咸【ふかん】三家設けた星座で、春海創始し、『天文瓊統てんもんけいとう】』で発表した星座六一三〇八星は青で加えている。
 南極付近の常陰圏には元禄十年一六九七)に春海が図を書いたことが記されており、本天球儀は春海独自に観測研究した成果反映したものとして貴重である。
 地球儀紙張子製の球を木製台座支える。球面には金色経線緯線を引き、赤道赤と黒塗り分けた縞【しま】の線である。海は水色で、島や大陸等の陸地輪郭領土界は薄い赤線描き、その中を種々の色で区分する
 大陸名はヨーロッパ・アジア・リビア(アフリカ)・南北アメリカ大陸の他、オーストラリア発見以前南極を含む未知大陸として考えられていた「墨瓦蝋泥加」(メガラニカ)が描かれている。
 この他利瑪竇りまとう】(マテオ・リッチ)の「坤輿万国全図こんよばんこくぜんず】」から抜粋した多く地名地理学的、地誌記述がある。
 別に伝わる旧台座円形板に元禄八年の製作を示す刻銘があり、本地球儀は日本製地球儀初期段階のものと考えられる
 以上の天球儀と地球儀は製作時期明らかにし、春海学問研究の跡を伝え揃い伝来したものとして、わが国天文学地理学史研究等の上で貴重である。

天球儀 (恒星)

(天球儀 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 02:57 UTC 版)

ウィレム・ブラウの天球儀、17世紀初頭。

天球儀(てんきゅうぎ、: celestial globe)は、球面上に恒星天球上の位置を示した模型である。平面状の星図と異なり星空をひずみなく描くことができ、恒星間の角距離も正しく表現される一方、通常の天球儀では天球を模型の外側から眺める形になるため、模型の表面上に描かれた星空は鏡像となっている。[1]

説明

天球儀は天球をかたどった球体からなり、通常は星座と明るい恒星が描かれている。歴史的には多くの種類の天球儀があり、15〜19世紀頃にかけてヨーロッパにおいて普及していたものは天文機器、教材、美術品として用いられた。

天球儀において星空が鏡像になっているのは球の外側から天球を眺めているからであり、実際の星空の見え方を知るには自分が球の中心に立ったときにどう見えるかを想像する必要がある。天球儀には通常恒星と星座のほかに、天の赤道回帰線黄道が描かれていることが多い。天球儀は天の北極南極とで木製または金属製の子午線環に接続され、南北軸を中心に回転できるようになっている。子午線環はさらにスタンドに接続されているが、一部の高機能な天球儀ではこの部分が可動で、軸の傾斜角を観測地点の緯度に合わせ、水平線を示す環と組み合わせることでその地点における星空を表示することができる。さらに、球体および支持装置に打たれた各種目盛りを用いることで、任意の地点・時刻における天体の位置や、その地点における天体の出没時刻を複雑な計算なしに求めることが可能である。[2]

歴史

ファルネーゼのアトラス、紀元2世紀。

天球儀は2500年以上前から製作されている。中国においては紀元前5世紀頃から知られていた。西洋ではギリシアの哲学者アナクシマンドロス (610–546 B.C.) が球の内側から見るタイプの天球儀を作っていたと言われる。今日一般的な、球の外側から見る形の天球儀はエウドクソス (408–355 B.C.) が使っていたと考えられ[1]、紀元前3世紀頃には教育で天球儀が用いられていたのが確かだとも言われている。現存している最も古い天球儀は紀元2世紀に制作された大理石ヘレニズム彫刻「ファルネーゼのアトラス英語版」であり、ティターン神アトラスが天球儀を肩に担いでいる姿がかたどられている。

中世に入るとヨーロッパでの天球儀の使用は途絶えたものの、その知識はイスラム世界に継承され、のちにアラブ文化を通じてヨーロッパに再度もたらされることになる。今日知られている中世で最初の天球儀は10世紀末にオーリヤックのジェルベールによって作成され、現存する中では15世紀のものが最古である。[3]

しかし、天球儀が再び西洋で一般的になるには中世末期まで待たねばならなかった。アラブとルネサンスの天球儀のほとんどはプトレマイオス (ca. 90-170 A.D.) の星表および48星座を基にしていた。16世紀のはじめには、ニュルンベルクが天球儀の生産の中心となった。ニュルンベルクではヨハネス・シェーナーによって天球儀の標準的な製造方法が確立された。

天球儀は金属真鍮)、ガラス大理石磁器象牙といった様々な材料から作られることがあったが、16世紀頃から厚紙石膏で覆ったもので作ることが一般的になり、完全な球を作ることが可能になった。また、以前は図柄は材料に直接描かれていたが、16世紀からは紙に印刷されたものを湿らせて貼り付けるようになった[4]。19世紀までは天球儀は地球儀と組み合わせて販売されることが多かった。17世紀頃から、小さな地球儀が天球を内側に描いた革製の袋に収められたものも作られた。

ヨドクス・ホンディウス、1613。

16世紀の終わりには、アムステルダムが地球儀・天球儀の生産の中心地に取って代わった。ウィレム・ヤンソン・ブラウ(オランダ語: Willem Blaeuヨドクス・ホンディウス(英語: Jodocus Hondiusが著名である。ティコ・ブラーエ (1546–1601) により恒星のより正確な位置が測定されると、天球儀のデータも切り替えられていった。17世紀中期頃にアムステルダムの独占の時代は終わり、17世紀末期にはイタリアヴィンチェンツォ・コロネッリ(イタリア語: Vincenzo Maria Coronelliが最も著名な製作者になった。1683年に彼はルイ14世に献上するため直径がおよそ4メートル近い地球儀・天球儀のセットを作製した。この地球儀・天球儀は2006年からフランス国立図書館フランソワ・ミッテラン館で展示されている。[5][6]

16世紀から17世紀にかけて地理学が発達すると、南天の星空に関する新たな発見ももたらされるようになった。みなみじゅうじ座や大小マゼラン雲等、南天の星空の全体を最初に記した天球儀は1589年にヤコブ・フロリス・ファン・ラングレン(オランダ語: Jacob Florisz van Langrenによって作られた。17世紀になると天体観測に望遠鏡が利用されるようになり、たくさんの星があらたに発見され、これにより天球儀にも新製や書き換えの需要が発生した。天球儀メーカーが新たに星座を作ることもあった。18世紀になると天文学者の役割は望遠鏡でしか見えない星を見つけることだと言われるようになり、1800年には星座の数はプトレマイオスの48星座から大きく増えて100以上に膨れ上がっていた。1928年に国際天文学連合は星座の数を88個に減らすことを決定し、星座の境界も赤経・赤緯線によって明確に定義された。しかし同時にかつてのような星座の絵としての結びつきは弱まり、今日の天球儀では明るい星のみを表示し星座を表示していないものも見られる。[7][2]

北欧における天球儀製作者

ティコ・ブラーエ

デンマーク人天文学者ティコ・ブラーエは1562年、15歳の時にライプツィヒで法学の勉強を始め、そこで初めて天球儀を入手した。こぶし大の小さな天球儀であったが、ティコはこの天球儀を使いながらすぐにすべての星座を覚えた。これはティコが購入もしくは製作した最初の天文器具であった。

1576年、ティコはヴェン島ウラニボリ天文台を建設したが、そこには数台の天球儀が設置されていた。これらの天球儀の機構はおそらくティコ自身が作成したと考えられ、中でも 1.5 m の直径をもつ大天球儀 Globus Magnus Orichalcius が最も有名であった。この天球儀は1570年、ティコがアウクスブルクの業者に木製の大型天球儀を発注したものであるが、デンマークに輸送されるまで5年かかり、木材にひび割れが入って完全な球形ではなくなってしまった。ティコは生じた誤差を修正したあと、2年間かけて木材が夏冬の温度変化に耐えられることを確認し、さらに全体を薄い真鍮の板で覆って接合部も平らに均して見えなくし、星座・赤道・極を書き入れさらにもう1年かけて耐久確認を行ってこれを完成させたのである。

天球儀は強固な鉄のフレームにマウントされ、上部には水平線を表す幅広の板がありその内側に子午線環が接続されていた。極と水平線の間には可動式の真鍮製四分儀が設置され、四分儀と水平板には単位で方位角と高度が記されていた。

ティコの天文学者としての大きな功績は、共同研究者とともに恒星および惑星の位置を非常に正確に測定したことにある。彼の雇った人の中にはのちに17世紀最大の天球儀製造者の一人となるウィレム・ブラウがいた。この大天球儀上に次から次へと星々の位置が確定され、その数は1000を超えるに至った。

1597年にティコ・ブラーエはヴェン島を離れ、1599年プラハにて皇帝ルドルフ2世付きの占星術師・助言者としての地位を得た。ティコの機器類は大天球儀を含めすべてプラハに移されたが、ティコは1601年に死去してしまった。天球儀はその後の30年戦争によって戦利品としてデンマークに持ち帰られたが、1728年のコペンハーゲン大火によって失われてしまった。[8][9][10]

Den Åkerman-Akrellska globverkstaden[訳語疑問点]

アンデルス・オーケルマン、1759。

1758年、地図や地球儀・天球儀、地理学書の刊行を目的とするウプサラ宇宙誌学会が設立され、地図および地球儀の作成は熟練の彫刻技師であり数学にも明るかったアンデルス・オーケルマン(スウェーデン語: Anders Åkerman[訳語疑問点]の担当となった。彼の工房ではオーケルマン自身のほかに木工、鋳造、旋盤、印刷などの技師6人から7人が働き[11]、1759年に最初の製品(地球儀と天球儀のセット)を製造した。この天球儀は直径1フォト(約 30 cm)で、天文学者フレドリック・マレット(スウェーデン語: Fredric Mallet[訳語疑問点]の協力によって最新の観測データをもとに製作された。販売は好調で、今日まで保存されているものもある。

1762年、オーケルマンは直径5トゥム(約 12 cm)の地球儀・天球儀の生産を開始した。このうち天球儀は複数が現存しているが、地球儀の方は地理的な発見によってすぐに時代遅れとなり、現存するものはほぼ皆無である。オーケルマンはまたこのバリエーションとして、天球儀が2つに割れて地球儀を覆う構造となっていて、天球は天球儀の内側に描かれている形の製品も製造している。

1766年にはオーケルマンは直径2フォト(約 60 cm)の大型の地球儀・天球儀も生産開始している。いずれも販売は好調であり助成金の給付もあったにもかかわらず、オーケルマンは1778年に貧困のまま死去した。生産コストが高かったことと、1766年に工房が火災に遭ったことが影響していると見られる。

その後彼の事業は協業者であったフレドリック・アクレル(スウェーデン語: Fredrik Akrel[訳語疑問点]によって引き継がれ、ストックホルムに移った。アクレルは3種の地球儀・天球儀の改訂版を出し、1804年に彼が亡くなったあとは息子のカルル・フレドリック・アクレル(スウェーデン語: Carl Fredrik Akrell[訳語疑問点]によって継がれた。しかし売り上げは年々落ち込み、1826年に製造が中止された。[12]

画像

出典

  1. ^ a b Meyers enzyklopädisches Lexikon. Vol. 12 (9. ed.). Mannheim. (1974). LIBRIS 88675 
  2. ^ a b History of astronomy. New York: Garland. (1997). ISBN 0-8153-0322-X. LIBRIS 5751682 
  3. ^ Encyclopedia of world art. New York: Mc Graw-Hill. (1959-1987). ISBN 0-07-019467-X. LIBRIS 8110033 
  4. ^ The dictionary of art. Vol. 12. New York: Grove. (1996). ISBN 0-19-517068-7. LIBRIS 10313040 
  5. ^ BNF 40771425t
  6. ^ BNF 407714265
  7. ^ Dekker, Elly (2002). “Innovations in the making of celestial globes”. Globe Studies (International Coronelli Society for the Study of Globes) (49/50): 61-79. http://www.jstor.org/stable/23993548. 
  8. ^ Jönsson, Åke (2004). Tycho Brahe. Lund: Historiska media. pp. 12, 44-45. ISBN 91-85057-02-9. LIBRIS 9421647 
  9. ^ Kejlbo, Ib Rønne (1970). “Tycho Brahe und seine Globen”. Der Globusfreund (International Coronelli Society for the Study of Globes) (18/20): 57-66, 154-155. https://www.jstor.org/stable/41626583. 
  10. ^ Brahe, Tycho. “Globus Magnus Orichalcius”. Det Kongelige Bibliotek, København. 2019年11月6日閲覧。
  11. ^ Bratt, Einar (1968). “Kap. 3, Kosmografiska Sällskapet”. En krönika om svenska glober. Bidrag till Kungl. Svenska vetenskapsakademiens historia, 0081-9956 ; 9. Stockholm. pp. 47-57. LIBRIS 8080497 
  12. ^ Björkbom, Carl (1936). “Den Åkerman-Akrellska globverkstaden”. Ymer (Svenska Sällskapet för Antropologi och Geografi) (1936:2): 202-221. 

外部リンク



天球儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:08 UTC 版)

ドラえもんのひみつ道具 (て)」の記事における「天球儀」の解説

天球儀(てんきゅうぎ)は、「あべこべ惑星」(てんとう虫コミックス17巻収録)に登場する実在の天球儀と同様に天球模した球体が、模型ではなく実際に球形内部空間星々浮かんでいる。スイッチ操作星座位置矢印表示させたり、「天体けんび鏡」で観察したりと、室内いながらにして本物さながら天体観察楽しめる。 天球儀内の星々は、ミクロコピー技術によって各星を本物そっくり再現してある。しかも生物住んでいる星には、その生物模した超ミニロボットが置いてあり、専用宇宙船小さくなって天球儀に飛び込めば、宇宙探検さながらにその星へ行くことができる。

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