原田康子とは? わかりやすく解説

はらだ‐やすこ【原田康子】

読み方:はらだやすこ

[1928〜2009小説家東京生まれ本姓佐々木昭和31年(1956)刊行の「挽歌」がベストセラーとなる。平成15年2003)「海霧」で吉川英治文学賞受賞。他に「蝋涙(ろうるい)」「満月」など。


原田康子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 14:22 UTC 版)

原田 康子
(はらだ やすこ)
1956年11月、北海道釧路市にて
誕生 1928年1月12日
日本東京都
死没 (2009-10-20) 2009年10月20日(81歳没)
日本北海道札幌市
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 市立釧路高等女学校
活動期間 1954年 - 2009年
ジャンル 小説随筆
代表作 『サビタの記憶』(1954年)
挽歌』(1956年)
『蝋涙』(1999年)
『海霧』(2002年)
主な受賞歴 女流文学者賞(1957年)
女流文学賞(1997年)
吉川英治文学賞(2003年)
デビュー作 『サビタの記憶』
ウィキポータル 文学
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原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日)は日本小説家である。本名は佐々木康子(旧姓:原田)[1]

来歴・人物

挽歌』は1957年に映画化された。主役の久我美子と原田。ロケ地の釧路市にて。

東京府生まれ、2歳から北海道釧路市で育つ[2]。市立釧路高等女学校(現・北海道釧路江南高等学校)卒業後、1949年から 東北海道新聞 ひがしほっかいどうしんぶん(のちの釧路新聞)に勤務[2]

1949年(昭和24年)に釧路の同人雑誌『北方文芸』に処女作「冬の雨」を発表し[注 1]、以後も同誌およびその後継誌に相当する『北海文学』を中心に短編・長編を発表する[注 2]1951年(昭和26年)、東北海道新聞社の同僚と結婚[6]1953年(昭和28年)、前年10月に鳥居省三らが釧路で創刊した同人雑誌『北海文学』[7][8]に同人として参加[9]、初めての長編小説「廃園」を発表[2]1954年(昭和29年)、新潮同人雑誌賞に「サビタの記憶」で応募、最終候補に残って伊藤整らの高い評価を得る。翌1955年(昭和30年)から『北海文学』誌上に長編「挽歌」を10回に分けて連載、同人誌連載中から出版や映画化の打診があった[2]1956年(昭和31年)に東都書房講談社)から単行本『挽歌』として出版されると無名作家の単行本にもかかわらず翌年には113版(113刷)を数えるベストセラーとなり五所平之助監督による映画化も 相俟って あいまって大きな反響を呼んだ[10]。『挽歌』は翻訳され、海外数ヶ国でも出版されている。また1991年には、『満月』が『満月 MR.MOONLIGHT』のタイトルで映画化されている。

晩年まで意欲的な創作活動を展開し、生涯に『挽歌』(1956年)で第8回女流文学者賞を、『 蝋涙 ろうるい』(1999年)で第38回女流文学賞を、『 海霧 うみぎり』(2002年)で第37回吉川英治文学賞を受賞している[11]

人気作家となった後も、北海道在住のまま執筆活動を続けていたことでも知られ、2003年(平成15年)に北海道文化賞北海道新聞文化賞を受賞した。また、競馬将棋を趣味とし、それらについてのエッセイ集『はなれ駒あそび駒』もある。1998年(平成10年)の将棋王座戦の観戦記を執筆し、翌年、第11回将棋ペンクラブ大賞(観戦記部門賞)を受賞した[12]

2009年(平成21年)10月20日、肺炎のため札幌市内の病院で逝去[1][11][13]

2023年(令和5年)1月28日から4月23日まで釧路文学館で生誕95年を記念した企画展「原田康子の足跡とその作品展」が開催された[14][15]

作品リスト

  • 『挽歌』 東都書房 1956 (のち角川文庫新潮文庫
  • 『サビタの記憶』 新潮社 1957 (のち角川文庫、『サビタの記憶・廃園』1991 新潮文庫)
  • 『廃園』 筑摩書房 1958 (のち角川文庫)
  • 『輪唱』 東都書房 1958 (のち角川文庫)
  • 『いたずら』 東都書房 1960 (のち集英社文庫
  • 『病める丘』 新潮社 1960 (のち新潮文庫)
  • 『殺人者』 中央公論社 1962 (のち角川文庫、新潮文庫)
  • 『望郷』 文芸春秋新社 1964 (のち文庫、角川文庫)
  • 『北の林』 新潮社 1968 (のち新潮文庫)
  • 『北国抄』 読売新聞社 1973 (のち角川文庫)
  • 『虹』 作品社 1979 (のち集英社文庫)
  • 『日曜日の白い雲』 講談社 1979 (のち講談社文庫、角川文庫)
  • 『素直な容疑者』 作品社 1980 (のち講談社文庫、角川文庫)
  • 『遠い森』 作品社 1980 (のち集英社文庫)
  • 『恋人たち』 新潮社 1982 (のち新潮文庫)
  • 『鳥のくる庭』 講談社 1982 (のち講談社文庫)
  • 『風の砦』 新潮社 1983 (のち新潮文庫、講談社文庫)
  • 『満月』 朝日新聞社 1984 (のち新潮文庫)
  • 『星の岬』 集英社 1985 (のち集英社文庫)
  • 『イースターの卵』 朝日新聞社 1986 (のち朝日文庫)
  • 『窓辺の猫』 講談社 1988 (のち講談社文庫)
  • 『はなれ駒あそび駒』 講談社 1991 (のち講談社文庫) ※エッセイ集
  • 『聖母の鏡』 新潮社 1997 (のち新潮文庫)
  • 『蝋涙』 講談社 1999 (のち講談社文庫)
  • 『父の石楠花』 新潮社 2000
  • 海霧 うみぎり』 講談社 2002 (のち講談社文庫)

映像化作品

映画化

テレビドラマ化

  • 挽歌』(1961年放送、1966年放送、1971年放送、1982年放送)
  • 『望郷』(1966年9月29日、NHK総合『NHK劇場 愛のシリーズ』)
  • 私は忘れたい』(1972年 - 1973年放送、1977年放送) ※原作は「星から来た」(『北の林』所収)。
  • 春のもつれ』(1974年放送) ※原作は『輪唱』。
  • さよならの夏』(1976年放送) ※原作は『廃園』。

関連文献

  • 永田秀郎『「北海文学」の航跡: 作家、原田康子「挽歌」のナビゲーション』言海書房、2003年5月。
  • 原田康子 著、北海道文学館 編『原田康子の北海道: 小説「挽歌」から50年』北海道立文学館、2005年9月。
  • 北海道文学館 編『原田康子: 「挽歌」から「海霧」まで』北海道新聞社、2010年10月。
  • 盛 厚三『「挽歌」物語: 作家原田康子とその時代』釧路市教育委員会〈釧路新書〉、2011年10月。
  • 南富鎭『原田康子の挽歌:北海国の終焉』作品社、2024年9月。

脚注

注釈

  1. ^ 『'89 : 北の文学』掲載の原田康子のプロフィール紹介に「〔昭和〕24年から東北海道新聞社の記者となる。同じ年、『北方文芸』に『冬の雨』を発表、以後意欲的な創作活動を続ける。」(p. 81)とある[2]。「冬の雨」を掲載した『北方文芸』は1949年(昭和24年)3月から1952年(昭和27年)3月までに全5号を刊行した釧路の文芸同人誌で、札幌で1968年(昭和43年)1月に創刊された同題の月刊文芸誌『北方文芸』[3]とは異なる。『北海道文学大事典』の釧路「北方文芸」項(鳥居省三執筆)は、「創刊時の同人はほとんど、戦前に何らかの形で文学活動を持っていた。掲載された作品では渋谷芳雄「白い夜」、京谷健「北国の恋情」、佐々木武観「淡雪」(戯曲)が創刊号で注目を浴び、2号の原田康子冬の雨」は事実上原田の処女作と位置づけていいもの。」「廃刊時の同人は、いわば世代交代現象を起こしていて、その後すぐ鳥居省三を中心とした「北海文学」の創刊に、ほとんどの作家が移行した。」と記す[4]
  2. ^ 原田は2002年(平成14年)に開催された『北海文学』創刊50周年記念会に出席している[5]

出典

  1. ^ a b 共同通信 (2009年10月21日). “作家の原田康子さん死去 小説「挽歌」「海霧」など”. 47NEWS(よんななニュース). 全国新聞ネット. 2009年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 北の文学フェスティバル実行委員会(監修: 木原直彦, 神谷忠孝) 編『'89 : 北の文学』(改訂版)北海タイムス社、1990年6月、81頁。  ※山川黎「原田康子 : 夢みるころを過ぎても」末尾の原田のプロフィール紹介。
  3. ^ 月刊文芸誌『北方文芸』(『カムイミンタラ』1991年05月号/第44号)”. ウェブマガジン カムイミンタラ〜北海道の風土・文化誌 (1991年5月). 2023年4月12日閲覧。
  4. ^ 鳥居省三「北方文芸」『北海道文学大事典』、北海道新聞社、1985年10月、585頁。 
  5. ^ 盛 厚三 (2009年10月22日). “作家原田康子さんが亡くなった”. 「北方人」日記. 2023年4月12日閲覧。
  6. ^ 原田康子”. 新潮社. 2023年4月12日閲覧。
  7. ^ 市立釧路図書館 (2010年10月2日). “釧路発、北海文学─鳥居省三と原田康子”. 市立釧路図書館のブログ. 釧路市立釧路図書館. 2023年4月12日閲覧。
  8. ^ 岡和田 晃 (2019年3月31日). “釧路文学というトポス(2)〜原田康子・鳥居省三・宇多治見”. シミルボン. 株式会社ブックリスタ. 2023年4月12日閲覧。 ※収録は2018年2月1日。
  9. ^ 種村 剛「地域イベントとしての朗読会に関する事例研究 : 釧路朗読会の事例を中心として」『自然・人間・社会』第52巻、関東学院大学経済学部教養学会、2012年1月、116頁。  ※記述の典拠として鳥居省三『釧路文学運動史 : 戦後編』(釧路市〈釧路叢書〉、1978年)が示されている。
  10. ^ 岡和田 晃 (2019年3月30日). “釧路文学というトポス(1)〜原田康子『挽歌』”. シミルボン. 株式会社ブックリスタ. 2023年4月12日閲覧。 ※収録は2018年2月1日。
  11. ^ a b 「原田康子さん死去:作家:『挽歌』ベストセラー81歳」 毎日新聞 2009年10月22日、14版、29面。
  12. ^ 原田康子さんの観戦記”. 将棋ペンクラブログ. 将棋ペンクラブ (2009年10月22日). 2023年5月13日閲覧。
  13. ^ 作家 原田康子さん死去(動画)”. 北海道新聞デジタル. 北海道新聞社 (2009年10月21日). 2023年3月27日閲覧。 ※生前の原田の動画を含む。
  14. ^ 【図書館】企画展「原田康子の足跡とその作品展」”. 釧路市ホームページ. 釧路市 (2023年1月16日). 2023年3月26日閲覧。
  15. ^ 「挽歌」の直筆原稿も 釧路で原田康子さん生誕95年企画展”. NHK 北海道のニュース(北海道 NEWS WEB). NHK (2023年2月8日). 2023年3月27日閲覧。

参考文献

  • 山川 黎「原田康子 : 夢みるころを過ぎても」『'89 : 北の文学』、北海タイムス社、1990年6月、78-81頁。 

関連項目

外部リンク


原田 康子(はらだ やすこ)

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