作品と画業とは? わかりやすく解説

作品と画業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 06:34 UTC 版)

富岡鉄斎」の記事における「作品と画業」の解説

画業歳を重ねるごとに次第認められ京都青年絵画研究会展示会評議員1886年)、京都美術協会委員1890年)、京都市立日青年絵画共進会顧問1891年)、帝室技芸員1917年6月11日)、帝国美術院会員1919年)と、順風満帆だった。この間明治29年1897年)に田能村直入谷口藹山らと日本南画協会発足させ南画発展にも寄与しようとした。また今尾景年通して橋本雅邦知己となり、明治関東画壇との交流深まった鉄斎多く展覧会審査員となったが、自らは一般展覧会出品することはあまりなかった。明治30年1897年以降、自らが評議員ある日本南協会定期出品している。賛助出品という形で、大正9年1920年聖徳太子御忌千三百年記念美術展に「蘇東坡図」を出している。また大正11年1922年)、大阪髙島屋個展開催している。 「最後文人」と謳われた鉄斎は、学者儒者)が本職であると自認し絵画余技であると考えていた。また、自分は意味のない絵は描かない」「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」というのが口癖だったという。その画風博学な知識裏打ちされ、主に中国古典題材にしているが、文人画基本に、大和絵狩野派琳派大津絵など様々な絵画様式加え極めて創造的な独自性持っている彼の作品生涯一万点以上といわれる80歳を過ぎてますます隆盛で、色彩感覚溢れ傑作描いた生涯文人として貫き、その自由で奔放な画風近代日本画に独自の地位築き梅原龍三郎小林秀雄らが絶賛日本のみならず世界からもいまなお高い評価受けている。 兵庫県宝塚市清荒神清澄寺の「鉄斎美術館」と、西宮市の「辰馬考古資料館」に多く作品収蔵されている。

※この「作品と画業」の解説は、「富岡鉄斎」の解説の一部です。
「作品と画業」を含む「富岡鉄斎」の記事については、「富岡鉄斎」の概要を参照ください。

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