会主信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 09:24 UTC 版)
会主信仰という言葉は、神慈秀明会の中では使われてはいないが、解説の便宜上必要なので暫定的に使用している。 もともと世界救世教系教団の信仰は、主催神である大光明(みろくおおみかみ)と、教祖であり神人合一である岡田茂吉が主な信仰の対象であり、これら以外を信仰することは教義からはずれている。これは小山美秀子会主もそのように明言しているのだが、神慈秀明会においては、事実上、会主であり教団創始者である小山美秀子に対する信仰が行われている。このことが、神慈秀明会の内部事情を複雑にし、信者の思想や行動に矛盾が発生している原因となっている。 小山美秀子は、世界救世教在籍中、教会長をしていた世界救世教秀明教会を、短期間で世界救世教内で最大級の教会に成長させ、その功績を買われて布教部長の要職についた経歴を有している。小山美秀子は真剣な信仰姿勢と強い布教指導力と、芸術を重要視する世界救世教において高い審美眼などを有していたことや、上流階級出身であり、上流階級社会との交流も厚かったことなどから、世界救世教においては希有な存在感を表しており、秀明教会の信者に対しては強力なカリスマ性を発揮していた。 なお、小山美秀子はキリスト教系の学校である自由学園の出身であり、ここでの学生生活においてキリスト教の影響を強く受けており、小山美秀子流のキリスト教観は神慈秀明会にも多大な影響を与えている。(ただし、小山美秀子流のキリスト教観に基づく信仰観と、教祖の教義には大きな差異がある。) 独立後の神慈秀明会では、そんな会主小山美秀子を、神 が神界から選んだ唯一の後継者であるとし、小山美秀子だけがこの神に対する正しい信仰のあり方を指導できる唯一の人物であるとしている。そして、小山美秀子の指導からはずれた信仰を行うと、たちまち邪神に憑依され、魂が汚れ、地獄に堕ちると信者に教えている(この思想は前述の離脱の神意から来ている)。 表現を変えると、神慈秀明会の信者が信じているものは、教祖の教えそのものではなく、教祖の教えを唯一正しく取り次ぐことが出来るとする小山美秀子を信じているということも出来る。 そのため、小山美秀子の判断や指導が教祖の教義の記述と矛盾していたとしても、信者は小山美秀子の方が正しいと判断する。その延長として、直接的に小山美秀子の指導とは限らない神慈秀明会の活動方針や各拠点の活動方針が教祖の教義と矛盾していても、会主小山美秀子の名の下にその矛盾は許容され、受け入れられている。事実、神慈秀明会の活動や思想には、教祖の教義との矛盾点や問題点が多数発見されている。 一例として、次のような事実がある。神慈秀明会で公開している教祖の教義は、わずか100篇程度、全体の5%以下しか信者に公開していない のだが、その事実に対し、信者は会主小山美秀子がこれで十分であると選択した教えであるのだから、それ以上の教えを読む必要ないなどと理解し、むしろそれ以外の、神慈秀明会が信者に出していない教えを読むことは害にすらなる(邪神に憑依される。魂が汚れる。地獄に堕ちる。)という考えがひろく一般的になっている。このことは、神慈秀明会の常識として、教祖よりも小山美秀子の言動を重要視している証拠であるといえる。 ところが、小山美秀子自身は、神と信者との関係性について、次のように説いている。「今までの考えでいけば、私をその間(註:神と信者との間)の取り次ぎ者とみるかも知れない。しかしこれはたいへんな誤りです。何者も介しないのです。 小山美秀子の思想が、神と人との間には何者も介さないというものでありながら、現実問題として、神慈秀明会では、神慈秀明会という団体や、会主小山美秀子を介さないと、大光明(みろくおおみかみ)や岡田茂吉とつながることは出来ないと暗に説いている。その結果、神慈秀明会の信者は、会主が「何者も介さない」と言っているのだから自分たちの信仰には何者も介在していないはずであると信じながら、同時に神慈秀明会という団体や会主小山美秀子を介さないと信仰は出来ないとも信じている。また、それは事実上、会主小山美秀子に対する信仰になってしまっているということに気づいていない。だが多くの信者はこの矛盾に気づいておらず、この点が信者の言動や思想における様々な矛盾発生の原因になっている。 また、神慈秀明会における教祖の教義の学びとは、教祖の教えそのものを学ぶのではなく、教祖の教えを会主小山美秀子がどのように理解し、とらえたかということを学ぶことである。そのことを反映して、神慈秀明会では教祖の教義そのものを学ぶ機会が大変少なく、主な学びは会主小山美秀子の残した言葉に対する物が大部分である。事実、神慈秀明会の会報「秀明」には、教祖の論文や教えよりも、会主小山美秀子の言葉や考え、体験などのほうがはるかに多く掲載されている。その結果、神慈秀明会の信者は、岡田茂吉の信者であるとしながら、岡田茂吉の功績や歴史、思想に関する知識や理解が、他の世界救世教系教団の信者に比べ著しく乏しい。信者らは、教祖に関する知識がほとんど無いにもかかわらず、自らの教団を教祖の教えを引き継ぐ唯一の教団であると自負しなくてはいけない事も、この教団の信者が抱えている矛盾である。 神慈秀明会が短期間で急激な発展を遂げたのは、強力なカリスマ性と布教指導力をもった小山美秀子会主の功績である。そんな小山美秀子の強大な影響のもと、教祖に関する知識や資料が乏しい神慈秀明会においては、年月とともに徐々に教祖の影響が薄れ、教祖の影響が強い他の世界救世教系教団とは異なる価値観や文化を有することとなり、いわば小山流とも言えるような独自の方向に大きく塗り替えられた教団となったのは、自然な成り行きとも言えるだろう。 なお、小山美秀子に対する信仰は、小山家(前会長小山荘吉、現会長小山弘子)に対する信仰につながっており、現在においては、現会長の小山弘子が小山美秀子に近い存在として特別視されている。
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