ちゅうごく‐きょうさんとう〔‐キヨウサンタウ〕【中国共産党】
中国共産党
中国共産党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:19 UTC 版)
事件当時、中国共産党軍は陝西省延安の山岳地帯にいた。1938年1月1日に武漢で発行された中国共産党広報誌『群衆』では南京で残虐行為が起きたという短評が発表された。 遠藤誉によれば、中華人民共和国では事件についてほとんど触れられることはなく、1982年の第一次教科書問題をきっかけに、人民日報が初めて「南京大虐殺」を解説したのは1982年8月であった。戦後の中華人民共和国刊行物での記載をみると、中共中央文献研究室編纂『毛沢東年譜』での1937年12月13日欄には、「南京失陥」(南京陥落)とあるだけで、全9冊で6000頁以上あるこの年譜では「南京大虐殺」に一言も触れていない。1957年の中学教科書(江蘇人民出版社)には南京大虐殺が書かれていたが、1958年版の『中学歴史教師指導要領』には「日本軍が南京を占領し、国民政府が重慶に遷都した」とあるのみで、60年版でも1975年版の教科書『新編中国史』の「歴史年表」にも虐殺について記載がない。遠藤は、毛沢東が虐殺に触れなかったのは、事件当時、中国共産党軍が日本軍とは、まともには戦わなかった事実が知られることや、国民党軍の奮闘と犠牲が強調されるのを避けたかったためだったとしている。
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