三無
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 22:51 UTC 版)
三無(さんゆう)とは「無税・無失業・無戦争」の三つの無の主張である。彼らは老子の「無は有に転じる」という格言から、「さんむ」ではなく「さんゆう」と読んでいた。首謀者である川南豊作は川南工業の代表取締役を辞任したのち、社会変革の構想として関係者による参院選一斉立候補を考えており、そのキャッチフレーズとして「永久無税・永久無失業・永久無戦争」を挙げ、交流のあった矢野兼三の助言で林子平の六無に倣って、三無主義と名付けた。構想執筆にはクーデター合理論の小島玄之が協力し、日下藤吾、横田重左衛門(日本医科歯科大学教授)、佐野博らとも座談会を行なって考えを修正補強した。 また、田形竹尾が紹介した学生運動家の川下佳節と老野生義明により三無塾が1961年5月に設立された。これは、「金無く、名誉心無く、地位無き」三無の若人が、川南の唱える「無戦、無税、無失職」の理想社会建設を目指すための勉強会で、市川市市会議員の富川進を顧問に同市で発足した。 無気力・無関心・無責任の1970年代の若者気質をさした「三無主義(さんむしゅぎ)」とは関係がない。 1970年の三島事件に影響を与えた。
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