モ2100形
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「定山渓鉄道モ100形電車」の記事における「モ2100形」の解説
画像提供依頼:定山渓鉄道モ2100形電車の画像提供をお願いします。(2020年1月) モ100形の台車や電気機器を流用し、日本車輌製造東京支店で作られた新造車体と組み合わせる形で製造された形式。車歴上はモ100形の「改造」扱いだった。1954年に登場したモハ1201・クハ1211と同様に前面は湘南型と呼ばれる半流線形の2枚窓であった一方、運転台は片側のみに設置され、他車と連結する形で営業運転に就いた。車体についてもモ1201・ク1211に存在した窓下のウインドウ・シルが取り付けられていなかった。集電装置(パンタグラフ)は各車両の運転台側に存在した。主要機器はモ100形のものが継続して使用されたが、最高速度が引き上げられた代わりに歯車比は3.14(69:22)に変更された。 2101(←101)・2102(←104)は1955年、2103(←102)・2104(←103)は1956年から営業運転を開始した。奇数番号の車両は豊平駅・東札幌駅側、偶数番号は定山渓駅側に運転台が設置されており、主に同形式による2両編成で運用されていたが、他車との混結運用となる場合もあった。塗装は登場当初は100形と同様のフェザントグリーン1色塗りだったが、後に全体がアイボリー、窓回りがスカーレットという塗り分けに変わった。 利用客の減少に加えて札幌市営地下鉄建設に伴う用地売却に伴い、定山渓鉄道線は1969年に廃止されたが、10月29日から最終運転日の10月31日の間、2103 + 2104は前面や側面に「さようなら」等のメッセージ入り看板が設置されその周りを多数の造花で彩った花電車となり、各種臨時列車に加え、最後の旅客列車となった10月31日22時40分発・豊平発定山渓行きにも使用された。 その後、2103 + 2104は11月9日に旧豊平駅で記念部品即売会の会場として使用され、以降は2101 + 2102と共に他社への譲渡は行われず解体された。
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