1982年は35歳の「中年」沢田研二がド派手に立ち回る最後の1年に
1982年の沢田研二
一言でいえば「1980-1985の中で、もっとも派手な1年!」。
シングルは3枚。1月の「麗人」、5月の「おまえにチェックイン」、9月に「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」をリリース。
アルバムは2枚。6月に「A WONDERFUL TIME」、そして12月に、井上陽水が全曲、作詞・作曲した問題作「MIS CAST」。
と、これだけでもなかなかに賑やかしいのに、「同窓会」ザ・タイガースとしても、「色つきの女でいてくれよ」をヒットさせ、オリジナルアルバム「THE TIGERS 1982」を2月に、ライブアルバム「A-LIVE」を5月にリリースする。
あー、お腹いっぱいというところに、6月からは全国ツアー。さらに12月公開の映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」に出演。
共演はご存じ、その後、結婚する田中裕子──と書くだけでヘトヘトになるような大活躍だったのだ。
音楽的には、かなりロックンロールに振れた前年に比べて、またニューウェーブ感、ブリティッシュ感が盛り上がる中、佐野元春に続く新種の才能である大沢(現・大澤)誉志幸の大抜擢がトピックとなる。