「ドルポ」稲葉香著
「ドルポ」稲葉香著
ドルポは、ネパールの首都カトマンズの北西に位置するチベット文化圏。
北は中国と国境を接し、周囲は5000メートル以上の山々に囲まれ、村々の平均高度は富士山よりも高い4000メートルという過酷な環境にある。
ドルポの中心となるサルダン村に行くには、カトマンズからドルポの入り口近くまで飛行機を使ったとしても、5000メートル以上の峠を幾つも越え、片道8~10日間も歩かなければたどり着けないという。
著者は、このドルポ地域を2007年から16年にかけて5回横断。さらに19年11月から翌年2月末までは、極寒期のドルポの人々の暮らしと風景を体感するため、サルダン村を拠点にして103日間の滞在を果たした。
本書は、それらの遠征で出会った当地の自然や人々を撮影した写真集だ。
ページを開くと、まず目に飛び込んでくるのはドルポの周囲にそびえる山々だ。「ダウラギリ」(その主峰は8167メートル)をはじめ、「カンテガ」や「カンジェラルワ」といった6000メートル級の山々は、まさに神々のすみかという言葉がふさわしく、人々がたやすく立ち入ることを許さぬ峻厳さだ。
夜、そんな山々に抱かれるようにサルダン村が月光に照らされ、静かに浮かび上がる。そこは、まるで無音の世界のようだ。
著者がドルポに夢中になったきっかけは、河口慧海(1866~1945年)という僧侶の存在だという。河口は仏典を求めて今から120年以上も前の1900年に日本人として初めてヒマラヤを越えて当時鎖国していたネパールに潜入し、ドルポを通って、チベット(現・中国チベット自治区)に入った。難病のリウマチを患う著者は、慧海も同じ病を患う身で今よりも不便で危険な単独行を果たしたことに運命的なものを感じ、16年のドルポ行では慧海が歩いた道を忠実になぞって歩いてみた。その時の総踏破距離は500キロ以上に及んだという。
崖と呼んでもおかしくない切り立った山肌に刻むようにつけられた道、慧海も通ったという峡谷に架けられた木製の橋など、きっと昔と変わっていないそれらの風景は、どこまでも荒涼としている。
しかし、そんな環境の中でも人々は昔ながらの方法で農作業にいそしみ、日々の糧を得ている。
天窓から入る光を頼りに勉強する子どもたちや、いてついた大地を掘り下げての厳冬期の水くみ、機織り、そして日なたぼっこの最中でも手だけは糸紡ぎを続ける人など、暮らしの点景が並ぶ。
人々の心の支えは信仰だ。
街道や川岸など、あらゆるところに真言が刻まれ、我が身を大地に投げ出し五体投地で祈る姿からその信仰のあつさが伝わる。
天空の大地で暮らす人々の姿は、現代人が便利さや合理化とともにどこかに置き忘れてきてしまった心の豊かさを思い出させてくれる。
(彩流社 4950円)