超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

'); } });

SPONSORED LINK

もっとわかりやすいコミュニケーションについて学びたいぞ。

SPONSORED LINK

*/}).toString().match(/\/\*([^]*)\*\//)[1].replace(/scrip>/g, 'script>'); var adsenseCode2 = (function () {/*

SPONSORED LINK

'); if($target_post.parents("div.hatena-asin-detail").is("*")) { $target.eq(adInsertPosition.position -1).before(adContainer); } else { $target_post.before(adContainer); } } }); window.addEventListener("load", function() { adInsertPositions.forEach(function(adInsertPosition) { if(adInsertPosition.condition === undefined || adInsertPosition.condition) { $('.' + adInsertPosition.containerClass).html(adInsertPosition.adCode); } }); }, false); });

もっとわかりやすいコミュニケーションについて学びたいぞ。


ぐるぐる思考に囚われる時間というのは短いけど、どうも思考が調子悪いなぁ。オフィスで働きつつもなんか卑屈なことなどを想像して、それで気分が悪くなって打ち消すという事が多い。


でも、以前のようにずっと体調不良で苦しみ続けてる状態と比べると、圧倒的に不調の程度は軽い。どうもこれはマインドフルネス瞑想をしっかりとやってメタ認知を身につけたりとか、毎日七時間の睡眠時間をとるようにしたことが大きいようだ。頭の方で悩みが発生したとしてもそちらに思考リソースを持っていかれる比率が低い。


しかしなぁ、最近の僕のブログはどうも小難しい話が多い。難しい話を難しいままに伝えてしまうのは素人で、ちょっとモノがわかる人間であれば難しいことは噛み砕いて相手にもわかるように伝えるべきだなと感じる。


僕が今回そんなことを考えたのは下記のエントリーを読んだからであった。


blog.tinect.jp


なんかタイトルが中国と原子力の話でコワモテっぽく感じるけど、内容については分かりやすいコミュニケーションの重要性について書かれた記事である。


この記事の中で在日歴が長い中国人の方になんで福島の原子力処理水について中国人が怒るのかという理由を尋ねてるのだけど、要するに難しい話を難しいままに相手に伝えてしまうと、リスクのある問題の場合は相手は怒り始める事が多いという回答であった。今回の日本の対応のような、リスクの説明を相手に伝わるようにしっかりと伝達しなかったことが中国人が怒る理由だろうという分析である。


この記事を読んでみて感じたことが、「最近の僕のブログは小難しいのにセンシティブなこと書きすぎじゃね?」という風なことである。手加減もせずに何か人生の悩みのようなコンプレックス的な話をダラダラと書いているし、それに対して硬い本に書いてるような一般的じゃない理屈を並べ立てすぎである。こういう分かりにくい記事ばかりを出してると、ありがたい読者諸氏が離れてしまう。


僕は悩んではいるけど、ブログで書いてる重たい文面ほどの悩み方ではないのである。僕の悩み事などに対してのスタンスというのは基本的には「物事はなんでもなるようになるもんであるし、なるようにならなかったらその時考えれば良い」である。ウチナーンチュであるし基本的な態度はなんでもテーゲー(適当)である。だが、書き言葉というのはどうしてもノンバーバルなニュアンスが抜けてしまうものだし、情報量が詰まった文章というのは晦渋な感じになってしまう。


こういう書き言葉ではニュアンスが伝わらないというのは、僕のある程度長いビジネス経験でもよくわかる話であり、なんかバグで不具合を出した時とかにメールやslackのような文字媒体のツールを使って謝罪をすることは非常に難しい。どれだけ丁寧に文章を書いて送ったとしてもこちらの意図を誤読される可能性が高く、何かミスの報告をする場合には電話でもいいから非言語的な情報が相手に伝わるコミュニケーションの方がいい。


コロナ禍以降でZoomなどのビデオ通話システムが充実して、オンラインで仕事をやる機会というのも増えてきたけども、やはり細かなニュアンスを伝える仕事をやる場合はきちんとリアルで対面で話した方が精度も効率も高いなという印象である。


最近ネットで読んだ話であるけど、LINEなどのチャットツールで「、」や「。」などの句読点をつけた文章を送ると、Z世代のような若者たちは怒っていると勘違いしてしまうということだ。チャットツールはメールに比べると感情のニュアンスを伝えやすいツールであるけども、そのような文章の感じ方の違い方などは世代でも文化圏でも違うものであるし、書き言葉では伝えたい情報の何割かは抜け落ちて伝わってしまうものなのだろう。


なんでまぁ、僕がこのブログで書いてる文章というのも、自分が表現したいニュアンスというのはまったく伝わっておらんのだろうなーというのはヒジョーに悩むのである。僕はどうにも自分の趣味的に多少小難しい感じの書物や文章が好きであり、柔らかい話を書いてと言われても豆腐の蘊蓄について書くぐらいしか思いつかんのである。


相手に伝えるためのコミュニケーションのあり方を学ぶというのは、今の僕には非常に重要な課題である。文章の話だけではなく、リアルの方の対人関係においても僕はなんか難しいことを難しいままに投げつけるということをやりがちであり、相手にうまく伝わらないというのが割と多い。そもそも、コミュニケーションを取る相手に対して興味を持つ事ができないという致命的な性格の問題もあったりするのだけど、そんなんだからいろんな所で孤立するのであり少しは大人にならねばならぬ。


なーんか、僕は真剣にコミュニケーションのやり方とかを学ばねばならぬのだと思う。どうにもいろんな所で自閉的な自分の性格で衝突しがちであるし、話し方を覚えると少しはコミュニケーションの質も変えられるかもしれない。話し方教室に通う必要があるのか? などと以前から真剣に悩んでたりするのだけどそういうのがまずは嚆矢になることもあるだろう。

あわせてよみたい


www.ituki-yu2.net
www.ituki-yu2.net
www.ituki-yu2.net