超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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コミュニケーションの練習をするためにポッドキャストをやりたくなった。

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コミュニケーションの練習をするためにポッドキャストをやりたくなった。


今日は予定がキツキツでブログ書く時間もちゃんと取れそうにないなぁ。親戚の集まりがあるらしくて、夜もスケジュールが詰まった状態。ちょっと仕事の隙間時間にでもブログの下書きを書くような感じで対応してるけど、今日はろくなことは書けそうにないのでごめんなさい。


さて、何を書こうか。最近はどうもブログでは妙に意識が高いことばかりを書いてしまってるし、そろそろくだらないことを書きたくもあるよね。今日はとくにネット巡回もしてる訳ではないし、書いてることは本当にフリーライティングだ。


最近、ちょっとポッドキャストでの情報発信を再開したくもあるよねーと思った。元々、僕は少しの間だけ期間限定でポッドキャストを配信してたことがあるのだけど、今ではそのチャンネルは放置状態になっている。


ポッドキャストを再開させたい理由としては、僕はあまりにも対人コミュニケーションというのが苦手であり、ちょっとはしゃべりの練習をしておきたいなという理由である。普段から無口な方の人間ではあるが、気をつけなければ本当に一日中誰とも喋らずに1日が終わってしまうことがあり、それもどうだろうかと思うのである。


日本のことわざでは「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉もあるけども、現代においては適切な時に適切な主張の仕方をしなければ自分の権利を守ることもできない。必要な時にしゃべらずに黙ってしまい、損害を被ったことは何度かある。


うちの会社では毎週月曜日に同じフロアの人たちが持ち回りで一分間スピーチをすることがあるのだけど、先週は僕の当番の日であった。ひとまずスピーチ用のメモを用意して、緊張しまくって苦労した挙句なんとかスピーチはすることができたけど、こういうの本当に嫌いだ。


以前作成した自分のポッドキャストを聞いてみた時に思うことだけど、そもそもこの人は何かスピーチをする練習をまったくしてないので要領を得ない喋りばっかりをしてるのである。「まぁ」とか「一応」とか意味のない発声ばかりが多くて、ラジオとして聞いていて聞き苦しい。話のつながりも滑らかではなくて、話の内容がうまく入ってこないスピーチをしてると思うのだ。


僕は、コミュニケーションの手段としては書き言葉の方が得意な人間である。逆に話し言葉の方はまったくの苦手であり、必要がなければ雑談はしたくない方の人間だ。そうは言っても人間の世界で住んでるのなら、必要に応じていろんな人と話さねばならず、その度に目を白黒させながらなんとか拙い会話をしてるのである。


こういう、雑談が下手すぎるのは昔からずっと悩んでおり、ネットで沖縄でやってる話し方教室のホームページを見てマジで行こうかどうかと悩むぐらいにはウィークポイントである。ChatGPTにこんなコンプレックスを持ってるけどどうしたらいいか尋ねると、社交クラブに行ったりマッチングアプリなんかを使って人と会話する練習をしましょうみたいなことを答えとして返してくるので論外である。


別に僕は必要な時に必要なことを話すこと自体はまったく問題ないのである。必要なことを話し終わると僕は沈黙する。話す必要がない時は誰とも話したくないタイプである。だが、気まずい沈黙というのは僕も神経に来るので嫌であり、そこんところを「どげなせんといかん」というのは昔からずっと悩んでるのだ。


こういう時に興味がない雑談を試みたりするのだけど、こういう茶番じみた行動をすると疲れるのだ。僕が興味がない話題を膨らませるのは苦労するし、相手の興味のある話題を提供できるかどうか分からない。気ばかりを使って疲れるばっかりであるし、世の中には雑談が趣味だという人がいるというのだけど、僕はとうていそんなことは想像すらできない。


だからまぁ、以前、ポッドキャストの配信を試した時もそうだったのだけど、ポッドキャストをやってみることで話し方の練習をしてみたらどうだろうと考えたのである。僕はブログを書き始めたのは、小説執筆の練習のために文章を書くのをうまくなるための習慣として始めたことであったけど、ブログを書くのを習慣化したら書き言葉をアウトプットするのは慣れて楽になった。同じようにポッドキャストを習慣化することができたら、話し方の練習をすることができて会話が上手くなるのではないか? と考えたのである。


なんか、ここまで書いていて思うのだが、こういう考え方というのは随分と浅はかなことを考えているのではないかと気になってしまう。心がこもってない話し方ばかりを練習しても雑談はうまくならんだろうし、そもそも話してる相手に対して自分にはない知識を持ってる人として尊重することの方が大切じゃないかと思う。情緒的なコミュニケーションというのも重要というのはわかるのだけど、疲れちゃうからあんまり感情的なものには巻き込まれたくないんだよね。


運動やイラストのような非言語分野の芸事の練習に関しては、まずは型から入ってみるというのは有効である。こういう型稽古から始めて分かってくることもあるだろうし、場数を踏むことの重要性というのはよくわかっている。ひとまず手なりでぶらっとどこかでポッドキャストチャンネルを作って話しまくっておき、そこで話し方の練習を積み重ねるのもよいかなと思ってる。

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