超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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人間は信じたいものを信じる生き物よ。

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人間は信じたいものを信じる生き物よ。


今日は午前中は買い物に行ってきて、午後からは図書館に行ってニュースレターと週報を書いてきた。メンタルの調子がやや悪い。明日はサウナに行ってきてリラックスするようにしてしまおうと思う。


さて、今日は何を書くか。多少メンタルの調子が悪いではあるけど拗らせた記事を書くほどは悪い感じではなく、今後の仕事のことだとかをどうしようと考えるような状況である。


図書館では転職関係の書棚があるので、そちらで40代の転職活動であるとか自己分析のやり方のような書籍を借りてきた。図書館というのはすごく好きな場所だ。どうも昔から僕は拗らせた少年であったので主に図書館がメインの居場所であった。


高校時代はなぜかタバコを吸ってるヤンキーの隣で本を読んでたりとか一緒になって学校の行事ごとなどをバックれたりとか微妙にグレがちだったのだが、彼らは実際のところ真面目なのである。どうも僕が付き合ってたヤンキーというのは妙に純情だったりとか、反抗的なことを言ってる割には真面目系の自分とつるんでいたりとか単に話を聞いてくれる人を求めてるような所があった。


高校時代は今とそれほど変わりないけど他人に対してまったく興味がわかず、一人で図書館で哲学書やら西洋文学全集みたいな本を読んでる拗らせてる生徒だった。進学校寄りの普通校で真面目くんだけど友達は留年してるヤンキーだけであるし、やっぱグレてたんだと思う。


このブログは結構長く書いてる割には自分の過去話みたいなものはあんまり書かないなと思う。どうにも恥の多い人生であり、人間失格と確信するのも嫌だから過去のことは思い出さないようにしている。というか、病気のことがありマジで過去のことを思い出すのが嫌なのである。


どーなんだろ、僕は年寄りの武勇伝というのがそんなに嫌いじゃない。飲み会の席などで年行った人が話す昔の話なんかはなかなかに面白く聞くことができる。どんなに平凡な人であれど自分を支えるためにはストーリーが必要であり、この人はこんな過去の経験を自尊心の支えにしてるのだなーという人間観察的な視点で話を聞いている。


僕自身がどんな過去の話を自分の支えにしてるのだろうと思うのだけど、僕は昔はそこそこ仕事ができる人だったのである。どうにも今は病気の認知機能障害で集中力がなかったりとかするけど、昔はそれなりに実績を出せたりとか色々とやることができた。


ほんと、人生は諸行無常というか糾える縄の如しというか、人の評価というのは状況に応じてポンポン変わるのだなと今の職場で強く実感してるよ。なんでもって評価されるのかとか、何で嫌われるのかというのが僕はいまだにさっぱり分からん。どうもやっぱり障がい者雇用の人間というのは一般企業では忌避されるもの扱いなのか? とかその辺りが最近は心に引っかかっており、ただでさえ人嫌いなのがますます他人と話したくなくなった。


今日は書きたいテーマがさっぱり分からん。思いつくままにキーボードを叩いているが、掘り下げる論点というのがさっぱり思いつかず、話が明後日の方向に向かっている。なんかこういう書き方をしている時というのはメンタルの調子があまり良くなく、気を抜くとネガティブな話を書きがちである。それでいてネガティブな話を書いた自分にダメージを受けるという訳分からん現象が発生する。


共通する話題としては自尊心とかそのあたりであるかな? 人間が自分を支えるためにはストーリーが必要であるとかその辺りのテーマを攻めようか。


人間というのは物語で記憶を残すらしい。長期記憶というのはエピソード記憶で残るものであるし、何か集団で行動をするときも特定のストーリーが必要になる。群衆を先導するのも、傷ついた人を癒すときも物語が必要になる。


そこんところの人間が持ってるストーリーへのこだわりというのは人の能力を強化もするし、半減もする。陰謀論のような現実に則さないストーリーを盲信してしまうと、現実とストーリーの差を補完するためにますます奇天烈な論理が必要になってしまう。自分のモチベーションを高めるストーリーを信じることができるのであれば、苦しい努力であろうが頑張れるものだし周りの人を動かすこともできる。


人間の脳というのは、現実よりも自分が信じたいストーリーの方を優先するらしく、認知科学的なものだと「錯視」なんかがその典型である。人間の視野には見えてない箇所というのがあるんだけど、そこは脳が得られた情報をもとに勝手に補完してる。認知バイアスなんかもそうであるけど、人間は信じたい信念をもとに現実を見る。自分の信念と異なる情報については無視したり忘れたりする傾向が強いらしい。


ブログの記事が黒歴史になったりするのも、人間の信念というのは移り変わっていくので、その時の信念と一致しないような自分の書いた文章というのは不愉快なものに映るのだろう。僕のブログもただでさえ黒歴史が多いのだから、これ以上不要な過去を思い出す必要はないのかもしれない。

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