水道民営化の源流・10 みやぎ県の水道民営化 第2話 ヴェオリア社とは?
- 2021/12/26
- 17:44
(フランスの水メジャーの育ての親ジャック・シラク大統領。2007年大統領府で朝青龍を迎える。写真はクーリエ・ジャポン)
万葉集を愛読して奥の細道を語る親日家のジャック・シラクは、大相撲を2度もパリ公演に招いたこともあって日本でよく知られた大統領です。その類まれな突破力と行動力からメディアがつけた綽名はブルドーザー。日本で人気が高い田中角栄元総理がコンピュータつきブルドーザーと称されたのと同様、歴代フランス大統領のなかで一二を争う人気だそうです。
1995年大統領に就任するまでにパリ市長を12年務め、その間にパリ市の水道事業をセーヌ川で線引きして片側にヴェオリア社、もう一方をスエズ社の二つの水メジャーに振り分けました。それだけではありません。
大統領に就任するとフランスの水ビジネスを世界に売り歩き、水メジャーを大きく育てました。
シラク大統領の売り込みに積極的に応えてくれたのは中国でした。
1978年鄧小平指導体制のもとで改革開放路線に舵を切った中国は市場経済を拡大、1990年代に入り江沢民体制の元、更に経済の自由化を徹底しました。それまで中央が管理していた公営水道を地方自治体に分割して民営化を促し、同時に外資を導入します。
フランスの水メジャー・スエズ社は広東州に、ヴェオリア社は天津市に水事業を展開、中国という巨大マーケットに浸透を計りました。
しかし中国はしたたか、中南米のように外資の餌食にはなりませんでした。技術をコピーして逆に国内の水企業を大きく育て、現在アジアの水メジャーとしてかつての英仏にとって代わろうとしています。
2008年ヴェオリア社は中国から撤退しています。
(本稿では人名の敬称を略させていただきます)
シラクが育てたヴェオリア社はスエズを買収 巨大水メジャーに
今年(2021年)5月、ヴェオリア社はスエズ社を買収して3大水メジャーはひとつになりました。かつて、水メジャーはテムズ(英)、スエズ(仏)、ヴェオリア(仏)の3社が世界の水ビジネスを制覇していましたが、2000年に入りテムズが世界から撤退。そして、今回スエズをヴェオリアが買収して巨大水メジャーが誕生したわけです。
総買収額は約260億ユーロ(3兆4000億円)でした。
ヴェオリア社は仏リオン市で1853年の創業ということですから、170年弱の歴史があります。フランス国内の上下水道を手掛け、その後イタリア、トルコへと事業を拡げ、2012年には世界43ヶ国で事業展開。また、1960年以降は廃棄物処理やエネルギー関連にも事業を拡げました。その比率は水事業41%、廃棄物処理37%、エネルギー22%ということです。
さて、シラクが育て、巨大水メジャーとなったヴェオリア社は、どのような経緯で宮城県に上陸したのでしょう。すべてはこの2人から始まりました。
水道民営化はこの2人から始まった
(新自由主義の提唱者マーガレット・サッチャー首相とロナルド・レーガン大統領、2人は頻繁に私信をやりとりする親密な同志でした。)
サッチャーとレーガンの2人は、
あらゆるものを市場経済に委ねる、
そのための規制緩和、
小さい政府を目指して公営事業は民営化、
労働組合を解体、福祉政策は縮小する、
法人税率を下げることで企業を活性化する、
公共投資による景気振興策をやめる(財政出動の否定)、
財政健全化のための緊縮財政、
などを推進することが国民経済を発展させるという強い信念の元、結ばれていました。
サッチャーのイデオロギーを支えたのは極端な反共主義者で市場経済原理主義者の経済学者フリードリッヒ・ハイエクです。
レーガンの経済ブレーンを務めたのは、これも市場経済万能主義者の経済学者ミルトン・フリードマンでした。
(新自由主義の提唱者ミルトン・フリードマン。 写真はウオールストリート・ジャパン)
ミルトン・フリードマンを中心とした経済学派(注1)は、それまでの大きな政府を掲げるケインズ経済学派にとって代わってアメリカ経済学の主流派を占めることになり、竹中平蔵をはじめとする日本の経済学者に大きな影響を与えました。
更に、もともと超保守主義的な政治信条の持ち主だったミルトン・フリードマンの経済学は、その経済学の枠を超えて新自由主義の新たなイデオロギーとして、世界のグローバル化に大きな影響を与えます。
サッチャーとレーガンは、それまでの福祉国家のスタイルをかなぐり捨てて新自由主義型の国家に変貌させていきます。
この1980年初頭に始まった潮流は、2008年のリーマンショックまでほぼ30年にわたり世界のメインストリームであり続けました。それは同時に世界中に貧富の格差を蔓延させる潮流でもあったわけです。
サッチャー首相は交通、住居、医療、教育などの国営事業を次々に民営化、水道に関しては首相に就任して10年後の1999年、10事業あった水道公営サービスをすべて民間企業に売却しています。民営化を阻止しようとした組合をつぶしてのことでした。
日本社会に新自由主義を招き入れた2人の男
2001年小泉政権は「構造改革なくして成長なし」をスローガンに掲げて、ブッシュ大統領の政策に倣って新自由主義の経済理念を遂行します。小泉政権が掲げた構造改革の内容とはアメリカの「年次要望書」(注2)のリクエストに応えるものでした。
小さい政府を目指す緊縮財政、労働基準法の緩和、不良債権処理など、米国企業が日本進出を容易にするための地ならし、並びに日本をデフレ状態に閉じ込めておこうというブッシュ政権の思惑に沿った改革です。
歴代総理のなかで、これほどまでにアメリカの意向に沿った政策を執った総理大臣は他にいないでしょう。
小泉改革は2つの大きな失策で、日本をいびつな国に代えました。
ひとつは、緊縮財政による地方交付税交付金などの削減を招き、地方を衰退に追いやりました。
もうひとつは、労働基準法の緩和が非正規労働者を生み、現在の格差社会を増長させたことは周知の通りです。
これらの改革の司令塔を担ったのが竹中平蔵です。
小渕内閣で政権に食い込み、小泉政権で経済財政政策担当大臣にまで登り詰めました。
ジャーナリストの佐々木実はその著作「竹中平蔵 市場と権力」(注3)のあとがきで、竹中平蔵の経済政策を以下のように評しています。
〈98年の時点で、すでに格差問題は顕在化していた。にもかかわらず、小泉政権における経済政策の司令塔となった竹中氏はむしろ、ギアチェンジする格好で、格差を一層拡大する方向へと「構造改革」を加速させた。“改革”は低賃金のため家族の形成さえむずかしい「アンダークラス(下層階級)」を抱える新たな階級社会をかたちづくっていった〉中略〈今なお確信を持って安倍政権で“改革”を推し進める。最上階の窓から見渡せる、この新たな階級社会に満足しているのだろうか? いったい、なにが確信を支え続けているのだろうか? 彼にとっての“改革”は、誰のための、なんのための改革なのだろうか?〉
こうして小泉政権によって新自由主義の地ならしがなされ、水道民営化への道が準備され、この男が(下の写真)、ヴェオリアを宮城県に上陸させたと言われています。
この稿は次回に続きます。
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ミルトン・フリードマンはシカゴ大学を拠点としたため、彼の学派はシカゴ学派と呼ばれ、それまでのケインズ学派にとって変わりアメリカの中心学派となります。
ケインズ学派がルーズベルト大統領のニューディール政策を評価、財政出動による雇用の創出をはかる大きな政府を目指したのに対して、シカゴ学派を政府の役割を否定、すべてを市場に委ねる小さな政府を提唱、レーガン政権でこの新自由主義を推し進めました。
しかし2008年のリーマンショックで新自由主義的な経済理論は破綻をきたし、現在あらたなケインズ派(ニュー・ケインジアン)が舞台の中央に戻りつつあります。
注2)アメリカの「年次要望書」:
2001~2009年までの日米の規制緩和に関する要望書。相互提案の形をとっているが、米国の日本に対する一方的な規制緩和の要望書でした。
小泉政権の郵政民営化も米国が以前から要求していたもので、300兆円を超える郵貯マネーを米国へ流出させたい思惑からです。
注3)「竹中平蔵 市場と権力」:
佐々木実著「竹中平蔵 市場と権力―「改革」に憑かれた経済学者の肖像」2013年講談社刊。2020年文庫版への「あとがき」から引用。