垂直記録は、当時東北大学の教授だった岩崎俊一氏(現・東北工業大学 理事長)による原理の提唱後、パラダイムシフトの可能性を秘めた新技術として注目を集め、多くの企業が研究開発にまい進することになった。しかし、逆風が吹き始める。米IBM社による別の技術提案が、垂直記録にとっての大きな壁として立ちはだかったのだ。そんな中、垂直記録の実用化に執念を燃やす男がいた…。
今からさかのぼること14年余り。東芝が垂直記録方式を用いた1.8インチHDDの出荷を始める、はるか前の1992年――。数十台ものHDDの試作機が産声を上げた。東芝と同じく垂直記録方式を用いた1.8インチ型である。
そのHDDは金属の筐体で包まれており、本を開くように筐体を開けると、特徴ある細長いアームが目に飛び込んでくる。開発者たちは「カードディスク」と呼んでいた。さぞかし華々しいお披露目の場が用意されたかと思いきや、その存在自体これまで表に出ることはなかった。
この謎めいた試作機を作製したのは、富士通だった。垂直記録方式の実用化に秋風が吹く1989年ごろに、ベンチャー企業の米Censtor Corp.から接触記録用のヘッド技術を導入して立ち上げた「Censtorプロジェクト」の成果である。当時富士通は、垂直記録方式を用いたHDDの実用化寸前までたどり着いていた。
Censtorプロジェクトのコア技術は、細長いアームの先に取り付けた単磁極ヘッドである。「MICROFLEXHEAD」と呼ぶCenstor社の技術に基づく。このヘッドに加えて、量産性を考慮してめっきで軟磁性層†を形成した垂直記録用二層媒体、量産を見越して作った専用ICやプリント基板などを1.8インチ型の筐体に組み込んだ。ヘッドは弱い力で記録媒体に接触しており、実際にデータの書き込みや読み出しができた。当時の製品の面記録密度は200Mビット/(インチ)2前後で、これを超える密度を実現していたという注1)。
注1) 富士通は実証実験でさらに高い記録密度を得ていた。試作機に組み込んだものよりも小さなヘッドや、スパッタで作った記録媒体などを用いることで、1991年に日立製作所が長手記録方式で実証した2Gビット(インチ)2を実現した。富士通は、この成果を1992年の学会で報告している。