2018年04月12日
安里屋ゆんた
新安里屋ゆんた
しんあさどやゆんた
語句・しん 「新」をつけるのは八重山民謡としての「安里屋ゆんた」などと区別するためである。・あさどや 元歌の「安里屋ゆんた」で最初に歌われる女性の屋号が「安里屋」だったことから。その名は「クヤマ」(1722ー1799年)で竹富島に実在したとされる。元歌の竹富島では「あさと」と読んで濁らない。・ゆんた 八重山で唄われるウタの形式の一つで仕事唄。長編の叙事詩が多い。「読み歌」から来ているという説がある。
作詞 星 克 作曲 宮良長包
1、(さー)君は野中のいばらの花か(さーゆいゆい)暮れて帰れば(やれほに)ひきとめる(またはーりぬ つんだらかぬしゃまよ)
(括弧の囃子言葉は以下省略。又発音も省略)
〇君(女性)は野に咲くイバラの花か 日も暮れてきたので帰ろうとすると引き止める 愛しいあなたよ
語句・さー囃子言葉。調子を整える。・ゆいゆい 囃子言葉。「ゆい」という労働形式で歌われたゆえんなのか、独自の意味があるのか不明。本土の民謡の「よいよい」と似ている。・やれほに 意味は「やれ ほんに」つまり「本当に」。「やれほんに」と歌っても間違いではない。・またはーりぬ 「また」は繰り返す時の囃子。「はーりぬ」は諸説あるが定説はない。「はり」が「晴れ」「ハレの日」との関連があるという説がある。・つんだら<つぃんだら。かわいらしい。 かわいそうである。<つぃんだーさん。・かぬしゃま <かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。『かぬしゃーま』ともいう。」
2、嬉しはずかし浮名を立てて 主は白百合 ままならぬ
〇嬉しくもあり恥ずかしくもあるが 貴方との噂が立って 貴方はまるで白百合 わたしにはままならない
3、田草とるなら十六夜(いざよい)月夜 二人で気兼ねも 水いらず
〇田の草(雑草)を取るなら十六夜の月がいい 誰もいないので気兼ねもせず二人で居られる
4、染めてあげましょ 紺地の小袖 かけておくれよ情けのたすき
〇染めてあげましょう 貴女の小袖を紺地に だから 私の肩にかけておくれよ 愛のこもった手ぬぐいを
解説
【概要】
1934年9月、八重山の安里屋ゆんたを観光ソングとして改作したもので、現在「安里屋ゆんた」といえばこれを指す場合も多いが、元歌と区別するために「新・安里屋ゆんた」という場合もある。この歌詞には元歌の「クヤマ」も役人も出てこない。普通の恋歌である。
作詞をしたのは星克(1905ー1977年)。彼は石垣島の白保尋常高等小学校(現・石垣市立白保小学校)代用教員だった。作曲は宮良長包(1883ー1939年)。沖縄師範学校で音楽教師をしていた。この二人がコロンビアレコードの依頼で制作し、発表されたことで全国に広まった。戦争中は囃子の「つんだらかぬしゃまよ」を「死んだら神様よ」と戦争に都合よく歌い変えられるという悲しい時代もあった。
「新安里屋ゆんた」は標準語のウタであり、私のブログでは沖縄・琉球語の歌を主に解説してきたので取り上げてこなかった。しかし標準語とはいえ70年以上も前のウタとなると「意味がわかりにくい」という声も聞く。そこでわかりやすい意訳にもしながら解説することにする。
「安里屋」がついた八重山民謡は大きく分けると以下のようになる。(それぞれ「たるーの島唄まじめな研究」とリンクされているので詳しくはそちらを参照)
1、竹富島の安里屋ゆんた
2、石垣島などの安里屋ゆんた
3、八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、新安里屋ゆんた
おそらく1、竹富島の安里屋ゆんたが一番古く、それが石垣島や古典、節歌へと形を変えていったと思われる。最も新しいのが「新安里屋ゆんた」ということになる。
【詳細の検討】
4番に加えて次の歌詞が付け加えられて歌われることもある。というより現在では5番までが普通となっている。
5、沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬緑の島よ
〇沖縄は良いところ 一度はいらっしゃい 一年中緑あふれる島だから
「新安里屋ゆんた」は標準語の歌詞ではあるが、琉球時代から続く風習を下敷きにした歌詞であり、決して現代の生活感覚からは導き出せない歌意も含まれているように思う。
1番から見ていこう。
例えば「暮れて帰れば(囃子)引き止める」の部分は男性が女性を訪ね、そして帰るという様子であるが、八重山諸島だけでなく琉球では古くから明治、大正期まで「通い婚」が行われていた。男性が女性の家に通い結婚した後も子どもができるまで通ったという婚姻制度だ。だがそれは夜のこと。「暮れて」とあるので昼間の逢瀬だ。そういう制度があったことを頭に入れて歌詞を理解することも無駄ではない。
2番に出てくる「主」とは「男性」のことを意味する。「白百合」とあるので女性と勘違いする方も少なくない。男性を「主」と呼ぶのは「男女差別」だという方の気持ちもわからないでもない。その場合は逆に「女性」だと解釈しても何の差し支えもないと思う。
3番
何故、田草をとるには十六夜の月夜がいいのか。十六夜とは当然十五夜の翌日の月のことであるが、一般に「満月より柔らかい明るさ」「少し遅れて出てくる」などが特徴。また十五夜の日は一日とともに御願(ウガン)が行われたり年中行事も多い。また十五夜の月夜にはモーアシビ(野外での青年たちの遊び)も行われた。十六夜はその翌日で作業も休日になることも歌詞を考える材料になる。
4番
紺地の着物は琉球時代、結婚した夫人の正装であり、そこから「紺地に染める」とは結婚を意味する。「情けのタスキ」とは八重山のミンサー織りの手ぬぐいを女性が男性に渡して、男性の求婚に応えたという歴史を反映している。したがって、男性が女性に向かって歌っていると解釈できる。
以上はあくまで筆者の「新安里屋ゆんた」の解釈である。
▲「新安里屋ゆんた」にクヤマさんは出てこないが、「安里屋」は使われている。クヤマさんに敬意を込めて、お墓の写真を掲載しておく。
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しんあさどやゆんた
語句・しん 「新」をつけるのは八重山民謡としての「安里屋ゆんた」などと区別するためである。・あさどや 元歌の「安里屋ゆんた」で最初に歌われる女性の屋号が「安里屋」だったことから。その名は「クヤマ」(1722ー1799年)で竹富島に実在したとされる。元歌の竹富島では「あさと」と読んで濁らない。・ゆんた 八重山で唄われるウタの形式の一つで仕事唄。長編の叙事詩が多い。「読み歌」から来ているという説がある。
作詞 星 克 作曲 宮良長包
1、(さー)君は野中のいばらの花か(さーゆいゆい)暮れて帰れば(やれほに)ひきとめる(またはーりぬ つんだらかぬしゃまよ)
(括弧の囃子言葉は以下省略。又発音も省略)
〇君(女性)は野に咲くイバラの花か 日も暮れてきたので帰ろうとすると引き止める 愛しいあなたよ
語句・さー囃子言葉。調子を整える。・ゆいゆい 囃子言葉。「ゆい」という労働形式で歌われたゆえんなのか、独自の意味があるのか不明。本土の民謡の「よいよい」と似ている。・やれほに 意味は「やれ ほんに」つまり「本当に」。「やれほんに」と歌っても間違いではない。・またはーりぬ 「また」は繰り返す時の囃子。「はーりぬ」は諸説あるが定説はない。「はり」が「晴れ」「ハレの日」との関連があるという説がある。・つんだら<つぃんだら。かわいらしい。 かわいそうである。<つぃんだーさん。・かぬしゃま <かぬしゃー 「男性からいう女性の恋人。『愛(かな)しき人』の意。『かぬしゃーま』ともいう。」
2、嬉しはずかし浮名を立てて 主は白百合 ままならぬ
〇嬉しくもあり恥ずかしくもあるが 貴方との噂が立って 貴方はまるで白百合 わたしにはままならない
3、田草とるなら十六夜(いざよい)月夜 二人で気兼ねも 水いらず
〇田の草(雑草)を取るなら十六夜の月がいい 誰もいないので気兼ねもせず二人で居られる
4、染めてあげましょ 紺地の小袖 かけておくれよ情けのたすき
〇染めてあげましょう 貴女の小袖を紺地に だから 私の肩にかけておくれよ 愛のこもった手ぬぐいを
解説
【概要】
1934年9月、八重山の安里屋ゆんたを観光ソングとして改作したもので、現在「安里屋ゆんた」といえばこれを指す場合も多いが、元歌と区別するために「新・安里屋ゆんた」という場合もある。この歌詞には元歌の「クヤマ」も役人も出てこない。普通の恋歌である。
作詞をしたのは星克(1905ー1977年)。彼は石垣島の白保尋常高等小学校(現・石垣市立白保小学校)代用教員だった。作曲は宮良長包(1883ー1939年)。沖縄師範学校で音楽教師をしていた。この二人がコロンビアレコードの依頼で制作し、発表されたことで全国に広まった。戦争中は囃子の「つんだらかぬしゃまよ」を「死んだら神様よ」と戦争に都合よく歌い変えられるという悲しい時代もあった。
「新安里屋ゆんた」は標準語のウタであり、私のブログでは沖縄・琉球語の歌を主に解説してきたので取り上げてこなかった。しかし標準語とはいえ70年以上も前のウタとなると「意味がわかりにくい」という声も聞く。そこでわかりやすい意訳にもしながら解説することにする。
「安里屋」がついた八重山民謡は大きく分けると以下のようになる。(それぞれ「たるーの島唄まじめな研究」とリンクされているので詳しくはそちらを参照)
1、竹富島の安里屋ゆんた
2、石垣島などの安里屋ゆんた
3、八重山古典(節歌)としての安里屋節
4、琉球古典としての安里屋節(早弾き)
5、新安里屋ゆんた
おそらく1、竹富島の安里屋ゆんたが一番古く、それが石垣島や古典、節歌へと形を変えていったと思われる。最も新しいのが「新安里屋ゆんた」ということになる。
【詳細の検討】
4番に加えて次の歌詞が付け加えられて歌われることもある。というより現在では5番までが普通となっている。
5、沖縄よいとこ一度はおいで 春夏秋冬緑の島よ
〇沖縄は良いところ 一度はいらっしゃい 一年中緑あふれる島だから
「新安里屋ゆんた」は標準語の歌詞ではあるが、琉球時代から続く風習を下敷きにした歌詞であり、決して現代の生活感覚からは導き出せない歌意も含まれているように思う。
1番から見ていこう。
例えば「暮れて帰れば(囃子)引き止める」の部分は男性が女性を訪ね、そして帰るという様子であるが、八重山諸島だけでなく琉球では古くから明治、大正期まで「通い婚」が行われていた。男性が女性の家に通い結婚した後も子どもができるまで通ったという婚姻制度だ。だがそれは夜のこと。「暮れて」とあるので昼間の逢瀬だ。そういう制度があったことを頭に入れて歌詞を理解することも無駄ではない。
2番に出てくる「主」とは「男性」のことを意味する。「白百合」とあるので女性と勘違いする方も少なくない。男性を「主」と呼ぶのは「男女差別」だという方の気持ちもわからないでもない。その場合は逆に「女性」だと解釈しても何の差し支えもないと思う。
3番
何故、田草をとるには十六夜の月夜がいいのか。十六夜とは当然十五夜の翌日の月のことであるが、一般に「満月より柔らかい明るさ」「少し遅れて出てくる」などが特徴。また十五夜の日は一日とともに御願(ウガン)が行われたり年中行事も多い。また十五夜の月夜にはモーアシビ(野外での青年たちの遊び)も行われた。十六夜はその翌日で作業も休日になることも歌詞を考える材料になる。
4番
紺地の着物は琉球時代、結婚した夫人の正装であり、そこから「紺地に染める」とは結婚を意味する。「情けのタスキ」とは八重山のミンサー織りの手ぬぐいを女性が男性に渡して、男性の求婚に応えたという歴史を反映している。したがって、男性が女性に向かって歌っていると解釈できる。
以上はあくまで筆者の「新安里屋ゆんた」の解釈である。
▲「新安里屋ゆんた」にクヤマさんは出てこないが、「安里屋」は使われている。クヤマさんに敬意を込めて、お墓の写真を掲載しておく。
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