2021年05月15日
平和の願い
平和の願い
作詞:平識ナミ 作曲:普久原恒男
1.沖縄てぃる島や何時ん戦世い 安々とぅ暮らす節や何時が
うちなーてぃるしまや いちんいくさゆーい やしやしとぅくらすしちやいちが
'uchinaa tiru shima ya 'ichiN 'ikusa yuu i yashiyashitu kurasu shichi ya 'ichiga
〇沖縄という島(故郷)はいつも戦争の世の中なのか。安々と暮らす時はいつくるのか。
語句・うちなー沖縄。「おきなわ」のウチナーグチ。・てぃる という。・しま故郷。 いわゆるアイランドとしての島という意味よりも「故郷」「村」という意味が多い。・いちんいつも。・いくさゆーい 戦世か。「い」は疑問詞を含まない疑問文の文末にあって「か?」という疑問文となる。ここでは「いつも戦世なのか」という問い。・やしやしとぅ安々と。安心して。・しち時期。時。・いちがいつなのか。
*でぃー我ったー此ぬ島沖縄 平和願らな此ぬ沖縄
でぃーわったーくぬしまうちなー へいわにがらなくぬうちなー
dii wattaa kunu shima 'uchinaa heiwa nigarana kunu 'uchinaa
〇さあ我々のこの故郷沖縄 平和を願いたいこの沖縄の
語句・でぃーさあ。誘いかける時につかう。・わったーわれわれの。われわれ。ここでは両方の意味が含まれている。
2.忘るなよ互に哀り戦世や 世間御万人ぬ肝に染みてぃ
わしるなよたげに あわりいくさゆーや しきんうまんちゅぬちむにすみてぃ
washiruna yoo tagee ni 'awari 'ikusayuu ya shikiN 'umaNchu nu chimu ni sumiti
〇忘れるなよ互いに 哀れだよ戦争の世の中は 世の中多くの人の心に染めて
語句・わしるなよ<わしゆん。否定命令形。わしるな。忘れるな。・たげーに互いに。・あわり哀れな。つらい。くるしい。・しきん世間。「しけー」は世界。・うまんちゅ 琉球語辞典によると「御万人」と書くが、元は「御真人」か「うま(そこら)ん人」から。多くの人々。・ちむにすみてぃ 「すみゆん」(染める)は「刻む」くらいの強い意味。
*繰り返し
3.上下ん揃てぃ心打ち合わち 誠此ぬ沖縄守てぃいかな
かみしむん するてぃ くくるうちあわち まくとぅくぬうちなーまむてぃいかな
kamishimuN suruti kukuru 'uchi'awachi makutu kunu 'uchinaa mamuti 'ikana
〇上下(国を治める者や庶民)も心を合わせて 真心を持ってこの沖縄を守っていきたい
語句・かみしむん 国を治める者や庶民も。・まむてぃいかな守っていきたい。「いかな」は標準語の「いかないといけない」に似ているが、意味はそうではなく「いきたい」「いきましょう」という自分の意思や呼びかけ。
*繰り返し
4.思事や一道恋しさや大和 やがてぃ御膝元戻る嬉さ
うむくとぅや ちゅみち くいしさややまとぅ やがてぃ うふぃじゃむとぅ むどぅる うりしゃ
'umukutu ya chumichi kuisisa ya yamatu yagati 'uhwijamutu muduru 'urisha
〇願うことは一つの道。恋しいのは本土(ヤマト)。やがて本土に復帰するうれしさよ
語句・ちゅみち一つの道。・やまとぅ 本土。薩摩の事も。・うふぃじゃむとぅお膝元。・うりしゃ とても嬉しい<うりさん。文語表現。普通は「うっさん」
*繰り返し
コメント
1969年に平識ナミが作詞、普久原恒男が作曲。
このウタが作られた背景には当時盛り上がった復帰運動があった。
祖国復帰運動とは
特に沖縄戦は日本の歴史上初めての地上戦であり、四人に一人の沖縄県民が亡くなったと言われるように一般市民も巻き込んだ戦争だった。また「鉄の暴風」と言われるように上陸する米軍は徹底的に日本軍を殲滅すべく艦砲射撃を繰り返して一般市民への被害が拡大した。日本の軍部は沖縄を「捨て石」として本土防衛の最前線にしたのである。
そのような沖縄戦が終結した後、アメリカ政府ー米軍による統治が続き、朝鮮戦争、ベトナム戦争などアメリカの極東戦略に組み込まれた沖縄は「平和憲法」の下にある日本への復帰を果たしたいとの世論が強くなっていく。そしてついに1972年5月15日に沖縄は日本に復帰した。
この「平和の願い」の題名にも歌詞にも沖縄戦で激しく傷ついた沖縄県民の思いが込められている。
このウタを作詞した平識ナミについて、琉球新報の2021年5月11日版に紹介されている。
『彼女は本部町崎本部の出身で、十二、三歳までは炭焼きや薪取りなどの家業を手伝い、十五歳で紡績女工になった。満足に読み書きができなかったため、後年、島うたを詠むようになってからは、即興的に詠んだ琉歌を娘さんが口述筆記したという。』(「圧政下の文化運動」3、仲松昌次)
また、こんなエピソードも紹介されている。
『歌ったのは玉城安定。安定亡き後、娘の玉城一美が歌い継いだ。一美がこの歌と出合ったのは復帰3年後の1975年。海洋博のホテルで、父親が観光客相手の民謡ショーを手掛けていた。(中略)この頃は、第2次民謡プームとも言える時期で、各地に民謡酒場が乱立していた。「安里屋ゆんた」や「十九の春」など、本土の人にもわかるようにと日本語の島うたを歌っていたが、時々、父と一緒に「平和の願い」も歌った。 しかし、彼女は4番の歌詞はあまり歌いたくなかったという(中略)復帰を夢見た一美の高校時代、熱心に日の丸を振って平和行進を沿道から応援したあの時の気持ちが苦々しく思い出される。 復帰から5年がたち10年が過ぎても、理不尽な沖縄の状況は変わっていない。復帰とは、何だったんだろう、とつい考えてしまう。たかが島うたではないか、と思っても忸怩(じくじ)たる思いが湧き上がってくる。「平和の願い」はなるべく3番までで歌い終わるようにしている自分がいた。歌三線を熱心に教えてくれた父や、情感あふれ
る島うたを数多く詠み続けた平識ナミにはわびる思い
も抱きながら…。』(同上)
このウタの歌詞を作った平識ナミと、歌った玉城一美との間に、どんな時代背景の変化があったのか。
言うまでもなく沖縄は本土に復帰したが、米軍基地は無くなるどころか、さらに沖縄に押し付けられ、米兵による犯罪は減らないという現実があった。
これは現在の私たちに突きつけられている現実でもある。
今日は5月15日沖縄の復帰記念日だ。復帰して49年を迎える。
もう一度「復帰」がなんだったのか、どんな現実が沖縄におしつけられているのか、この「平和の願い」を歌いながら考えてみたい。
(このCDの最後に「平和の願い」がある)
書籍【たるーの島唄まじめな研究】発売中です。
ご購入はこちら
作詞:平識ナミ 作曲:普久原恒男
1.沖縄てぃる島や何時ん戦世い 安々とぅ暮らす節や何時が
うちなーてぃるしまや いちんいくさゆーい やしやしとぅくらすしちやいちが
'uchinaa tiru shima ya 'ichiN 'ikusa yuu i yashiyashitu kurasu shichi ya 'ichiga
〇沖縄という島(故郷)はいつも戦争の世の中なのか。安々と暮らす時はいつくるのか。
語句・うちなー沖縄。「おきなわ」のウチナーグチ。・てぃる という。・しま故郷。 いわゆるアイランドとしての島という意味よりも「故郷」「村」という意味が多い。・いちんいつも。・いくさゆーい 戦世か。「い」は疑問詞を含まない疑問文の文末にあって「か?」という疑問文となる。ここでは「いつも戦世なのか」という問い。・やしやしとぅ安々と。安心して。・しち時期。時。・いちがいつなのか。
*でぃー我ったー此ぬ島沖縄 平和願らな此ぬ沖縄
でぃーわったーくぬしまうちなー へいわにがらなくぬうちなー
dii wattaa kunu shima 'uchinaa heiwa nigarana kunu 'uchinaa
〇さあ我々のこの故郷沖縄 平和を願いたいこの沖縄の
語句・でぃーさあ。誘いかける時につかう。・わったーわれわれの。われわれ。ここでは両方の意味が含まれている。
2.忘るなよ互に哀り戦世や 世間御万人ぬ肝に染みてぃ
わしるなよたげに あわりいくさゆーや しきんうまんちゅぬちむにすみてぃ
washiruna yoo tagee ni 'awari 'ikusayuu ya shikiN 'umaNchu nu chimu ni sumiti
〇忘れるなよ互いに 哀れだよ戦争の世の中は 世の中多くの人の心に染めて
語句・わしるなよ<わしゆん。否定命令形。わしるな。忘れるな。・たげーに互いに。・あわり哀れな。つらい。くるしい。・しきん世間。「しけー」は世界。・うまんちゅ 琉球語辞典によると「御万人」と書くが、元は「御真人」か「うま(そこら)ん人」から。多くの人々。・ちむにすみてぃ 「すみゆん」(染める)は「刻む」くらいの強い意味。
*繰り返し
3.上下ん揃てぃ心打ち合わち 誠此ぬ沖縄守てぃいかな
かみしむん するてぃ くくるうちあわち まくとぅくぬうちなーまむてぃいかな
kamishimuN suruti kukuru 'uchi'awachi makutu kunu 'uchinaa mamuti 'ikana
〇上下(国を治める者や庶民)も心を合わせて 真心を持ってこの沖縄を守っていきたい
語句・かみしむん 国を治める者や庶民も。・まむてぃいかな守っていきたい。「いかな」は標準語の「いかないといけない」に似ているが、意味はそうではなく「いきたい」「いきましょう」という自分の意思や呼びかけ。
*繰り返し
4.思事や一道恋しさや大和 やがてぃ御膝元戻る嬉さ
うむくとぅや ちゅみち くいしさややまとぅ やがてぃ うふぃじゃむとぅ むどぅる うりしゃ
'umukutu ya chumichi kuisisa ya yamatu yagati 'uhwijamutu muduru 'urisha
〇願うことは一つの道。恋しいのは本土(ヤマト)。やがて本土に復帰するうれしさよ
語句・ちゅみち一つの道。・やまとぅ 本土。薩摩の事も。・うふぃじゃむとぅお膝元。・うりしゃ とても嬉しい<うりさん。文語表現。普通は「うっさん」
*繰り返し
コメント
1969年に平識ナミが作詞、普久原恒男が作曲。
このウタが作られた背景には当時盛り上がった復帰運動があった。
祖国復帰運動とは
特に沖縄戦は日本の歴史上初めての地上戦であり、四人に一人の沖縄県民が亡くなったと言われるように一般市民も巻き込んだ戦争だった。また「鉄の暴風」と言われるように上陸する米軍は徹底的に日本軍を殲滅すべく艦砲射撃を繰り返して一般市民への被害が拡大した。日本の軍部は沖縄を「捨て石」として本土防衛の最前線にしたのである。
そのような沖縄戦が終結した後、アメリカ政府ー米軍による統治が続き、朝鮮戦争、ベトナム戦争などアメリカの極東戦略に組み込まれた沖縄は「平和憲法」の下にある日本への復帰を果たしたいとの世論が強くなっていく。そしてついに1972年5月15日に沖縄は日本に復帰した。
この「平和の願い」の題名にも歌詞にも沖縄戦で激しく傷ついた沖縄県民の思いが込められている。
このウタを作詞した平識ナミについて、琉球新報の2021年5月11日版に紹介されている。
『彼女は本部町崎本部の出身で、十二、三歳までは炭焼きや薪取りなどの家業を手伝い、十五歳で紡績女工になった。満足に読み書きができなかったため、後年、島うたを詠むようになってからは、即興的に詠んだ琉歌を娘さんが口述筆記したという。』(「圧政下の文化運動」3、仲松昌次)
また、こんなエピソードも紹介されている。
『歌ったのは玉城安定。安定亡き後、娘の玉城一美が歌い継いだ。一美がこの歌と出合ったのは復帰3年後の1975年。海洋博のホテルで、父親が観光客相手の民謡ショーを手掛けていた。(中略)この頃は、第2次民謡プームとも言える時期で、各地に民謡酒場が乱立していた。「安里屋ゆんた」や「十九の春」など、本土の人にもわかるようにと日本語の島うたを歌っていたが、時々、父と一緒に「平和の願い」も歌った。 しかし、彼女は4番の歌詞はあまり歌いたくなかったという(中略)復帰を夢見た一美の高校時代、熱心に日の丸を振って平和行進を沿道から応援したあの時の気持ちが苦々しく思い出される。 復帰から5年がたち10年が過ぎても、理不尽な沖縄の状況は変わっていない。復帰とは、何だったんだろう、とつい考えてしまう。たかが島うたではないか、と思っても忸怩(じくじ)たる思いが湧き上がってくる。「平和の願い」はなるべく3番までで歌い終わるようにしている自分がいた。歌三線を熱心に教えてくれた父や、情感あふれ
る島うたを数多く詠み続けた平識ナミにはわびる思い
も抱きながら…。』(同上)
このウタの歌詞を作った平識ナミと、歌った玉城一美との間に、どんな時代背景の変化があったのか。
言うまでもなく沖縄は本土に復帰したが、米軍基地は無くなるどころか、さらに沖縄に押し付けられ、米兵による犯罪は減らないという現実があった。
これは現在の私たちに突きつけられている現実でもある。
今日は5月15日沖縄の復帰記念日だ。復帰して49年を迎える。
もう一度「復帰」がなんだったのか、どんな現実が沖縄におしつけられているのか、この「平和の願い」を歌いながら考えてみたい。
(このCDの最後に「平和の願い」がある)
書籍【たるーの島唄まじめな研究】発売中です。
ご購入はこちら
2015年02月11日
廃藩ぬ武士 2
廃藩の武士
はいばん ぬ さむれー
haibaN nu samuree
語句・はいばん 廃藩(はいはん)を沖縄では「はいばん」と読む。「廃藩置県」のことを指すが、琉球では事情が他府県とは違っていた。日本の廃藩置県は1871年。ところが琉球王国は1872年に王国のまま琉球藩となり1875年に政府から「琉球処分」を言い渡された後、1879年に政府の名を受けた松田道之と軍隊300名余、警官160名余が首里城に乗り込み、琉球藩の廃止、沖縄県の設置、清国との絶交などの要求を無理やり受理させた。・さむれー 琉球王朝に仕えた士族の事。「ゆかっちゅ」とも言った。本土の「武士」(さむらい)に対応するが、いわゆる「懐刀」を持っていなかった。琉球王朝では 人口の約5%がこの士族(さむれー)で、残りの95%の平民は、農業だけでなく漁業、商業に従事していても「ひゃくしょー」と呼ばれた。士族にも上級士族と一般士族があった。
《CD「The LAST SESSION」より筆者聴き取り 》
一 拝でぃ懐かさや廃藩ぬ武士 背骨小や曲がてぃ うすんかがん
うがでぃなちかさやはいばんぬさむれー こーぐぐゎーやまがてぃ うすんかがん
'ugadi nachikasa ya haibaN nu samuree koogugwaa ya magati 'usuNkagaN
◯お会いすると悲しいよ 廃藩の士族 腰は曲がって少しかがんで
語句・うがでぃ 「お会いする。お目にかかる。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略)<うがぬん。(発音注意 声門破裂音、グロッタルストップがない。)・なちかさや 悲しいよ。<なちかしゃん。 悲しい。気をつけたいのは、ノスタルジックな「懐かしい」という意味ではない。ちなみに「懐かしい」にあたるのは「あながちさん」。 'anagachisaN。ただし文語的表現では「なちかしゃん」を「懐かしい」という意味で用いる時もある。・こーぐぐゎー 背骨。年寄りの曲がった背中を指す。・うすんかがん 少しかがんで。「うす」には「少し」の意味もあるが、「うすゆん」は「おおう」「かぶせる」「抱く」【沖辞】などの意味もある。「うすこーぐ」に「少し腰が曲がっている者」【沖辞】という意味もある。宮古語(平良)には「ウスゥム」(しゃがむ)というのもある。
(唐や平組 大和断髪 我した沖縄や片結)
とーやひらぐん やまとーだんぱち わしたうちなーや かたかしら
too ya hiraguN yamatoo daNpachi washita 'uchinaa ya katakashira
◯中国は弁髪 大和はザンギリ頭 我々沖縄はかたかしら(片方で髪を束ねる髪型)
(囃子は以下省略)
語句・とー 当時は「清国」、中国をさす。・ひらぐん 弁髪。中国特有の髪型。長髪にして後ろで束ねるが、前から頭上にかけてそり上げる。(図1)・やまとー ヤマトは。「ヤマトゥー」ではない。ヤマトゥ+や(は)が融合してこうなる。・だんぱち ザンギリ頭。廃藩で武士の丁髷(ちょんまげ)を切っても良い、という御触れが明治政府により出された。・かたかしら 琉球王朝時代の一般男性の髪型。「欹髻」「片髪」などが当て字。「成人男性の髪型。元は頭の右辺に結び、後には中央に結ぶようになった。貴族は15歳で、一般は10歳内外で結った。」【沖辞】。一説には「舜天王(しゅんてんおう)が、頭の左側にあるこぶを隠すため、左耳の上に髷を結い上げ、家臣がそれを真似た」という。その後は、頭の中央、頭頂部より4センチ程後ろに結ぶようになった。当時はこれを「かんぷー」と呼んだが、現在は女性の髪結の事を指すようになった。男性はこの「かたかしら」を結う時には長髪にし、頭頂部を四角に剃って周りの髪を上で束ね、その髪を結んで二本の簪(かんざし、ジーファー)で留めた。(図2)
二 思みば名残りさや オウ傘小や片手 木フージョウ小腰にアダニ葉サバ小
うみばなぐりさや おーがさーぐゎーや かたでぃ きーふーじょーぐゎーくしに あだにばさばぐゎー
'umiba nagurisa ya oogasaagwaa ya katadi kiihuujoogwaa kushi ni 'adaniba sabagwaa
◯思えば心残りなのは、青傘を片手に 木の煙草入れを腰に アダンの葉の草履(を履いて)
語句・おーがさー 「傘の一種。骨の部分のみが緑色で、紙は黒。中国から輸入された男物のからかさ」【琉辞】。・きーふーじょー 木製の煙草入れ。ちなみに「ふーじょー」とは「〔宝蔵〕女持ちのたばこ入れ。宝珠のような形に縫った袋物である」【琉辞】とあるので、材質で区別した表現。(図3)・あだにばー アダンの葉。・さばぐゎー 「ぞうり。皮・わら・阿旦葉・藺(い)・竹の皮などでつくり、種類が多い。」【琉辞】。ここではアダン(阿旦)の葉で作ったぞうり。(図4)
三 しばし国頭ぬ奥に身ゆ忍でぃ 共に立ち上がる時節待たな
しばしくんじゃんぬ うくにみゆしぬでぃ とぅむにたちあがる じしちまたな
sibashi kuNjaN nu 'uku ni mi yu shinudi tumu ni tachi 'agaru jishichi matana
◯しばし国頭の奥に身を忍び共に立ち上がる時節を待とう
語句・うく 現在の国頭村奥という沖縄県最北の集落なのか「奥の方」なのか不明。・ゆ 文語で「を」。口語では使わない。・またな 待とう。待ちたい。
四 あんちゅらさあたる タンメ片髻 大和世になたれ 断髪けなて
あんちゅらさあたる たんめーかたかしら やまとぅゆーになたれー だんぱちけーなてぃ
'Anchurasa 'ataru taNmee katakashira yamatuyuu ni nataree daNpachi keenati
◯あんなに綺麗だった士族のおじいさんの片髻(まげ)日本支配になったら断髪しちゃって
語句・なたれー なったら。<なた<なゆん。過去形。+れー。仮定(既定事実)。(例)ゆだれー。読んだら。・けー ちょっと…する。
五 大和世になたれ 大和口タンメ うっちぇーひっちぇー何にんくぃーにん あんしてくださいな
やまとぅゆーになたれー やまとぅぐちたんめー うっちぇーふぃっちぇーぬーにんくぃーにん あん[してくださいな]
yamatuyuu ni nataree yamatuguchi taNmee 'uccheehwicchee nuuniNkwiiniN [aNshite kudasai na]
◯大和の世(支配)になったら大和口のおじいさん 何度もひっくり返って なにもかもそうしてくださいね
([ ]は大和口)
語句・うっちぇーひっちぇー 「盛んに裏返すさま。しきりにひっくり返すさま」【琉辞】。・あん そう。「そうしてね」という時の。
六 うがでぃなぐりさや 廃藩ぬあやめー 銀簪差ちょてぃ 耳ゆくじてぃ
うがでぃなぐりさやー はいばんぬあやめー なんじゃじーふぁさちょーてぃ みみゆくじてぃ
ugadi nagurisa yaa haibaN nu samuree naNjyajiihwa sachooti mimi yu kujiti
◯お会いして名残惜しいことだよ 廃藩のお姑さん 銀製のかんざしを差してて 耳をほじくって
語句・なぐりさやー 名残惜しいことだよ <なぐりさん。なぐりしゃん。名残惜しい。形容詞が「さ」で終わるときは感嘆の意味。とても…だよ。・あやめー 「貴族の嫁がしゅうとめを敬って言う語。?aimeeともいう。」【琉辞】。・くじてぃ ほじくって。<くじゆん。「くじる。えぐる。ほじくる。」【琉辞】。
【この唄の背景】
「廃藩」 私たちは「はいはん」と読むが沖縄では「はいばん」と連濁して読む。
廃藩置県は、1871年に明治政府が中央集権を進め近代国家をめざすためにそれまでの藩を廃止したもの。
沖縄は1609年に薩摩の島津の侵略を受けて実質的に本土の支配下にあり、同時に中国との「柵封」関係であったが、この廃藩置県で「王朝」体制も解体され、1879年に沖縄県となった。
二度の「琉球処分」を被ったわけである。
「さむれー」は「武士」(さむらい)に対応している(samurai→samuree aiが長母音化)。
琉球王朝に使えた「士族」階級のことをさす。
上にも書いたが、琉球王朝では 人口の約5%がこの士族(さむれー)で、残りの95%の平民は、農業だけでなく漁業、商業に従事していても「ひゃくしょー」と呼ばれた。
本土の「武士」の規定は一般的には脇差をし、床の間に刀を飾った「官僚兼戦闘家」を多く指すが、琉球では、脇差はなく床の間には三線を置いたという。
琉球王国の身分は、国王の下に御殿( 王子地頭 按司地頭) 殿内( 総地頭 脇地頭)があり、さらに士族(さむれー)そして平民(百姓ひゃくしょー)と続く。
士族にも上級士族と一般士族があり、人口の約5%だった士族のうち上級は約5%、つまり人口の0.25%しか上級士族になれなかった。一般士族は采地をもらえず、「ブンニン」とも呼ばれ、農業などもして苦しい生活をしのいだ。
廃藩=琉球王朝の解体によって職も権威も失墜した多くの士族は、商業や農業、あるいは芸能分野を仕事とし、それまでの唄三線や琉球舞踊の技能を活かすものもいた。
【歌詞について】
この唄は嘉手刈林昌先生のお母様ウシが作詞し、林昌先生8歳の時にウシと共に作曲したといわれている。
廃藩により職も権威も失った士族の老人タンメーの様子をユーモラスに描き、また同情的にも描いている。特定の個人ではなく世情を詠ったものだろう。
三番は、廃藩後も明治政府に抵抗していた士族を描いている。
反対派は「くるー」(黒)と呼ばれ、「特に、明治の廃藩時代に、明治政府に反対し、旧制度維持を目論んだ頑固党をいう。husaNsii(不賛成)ともいい、明治政府支持の開進派(siruu またはsaNsii)に対する。明治のすえごろまでも髪を切らずに、?usjuganasiimee(琉球王)をたたえた。」【琉辞】。
当時の清国と連絡を取っていた人々もいたようだ。
そうして国頭の奥に身を潜めて、いつか反撃する機会を待ったのだが。。。
【囃子に出てくる髪型について】
囃子言葉に、中国と大和と沖縄の封建時代の男性の髪型の違いが囃子言葉になっているのは面白い。当時の髪型を調べてみた。
「とーやひらぐん」
上述したが、弁髪といい中国(当時は「清」だが、中国を「唐」と呼んだ)特有の髪型。
長髪にして後ろで束ねるが、前から頭上にかけてそり上げる。
(図1)
「やまとーだんぱち」
いわゆる散切り(ざんぎり)頭。廃藩により武士の髷は切られた。
「大和を断髪」と書いた歌詞もあるが、「を」を使うのはおかしい。
「を」に対応するウチナーグチ「ゆ」が使われているのだから「を」はない。
「大和は断髪」という意味で、こう発音している。
「わしたうちなーやかたかしら」
「かたかしら」とはこんなものである。
(図2)
頭頂部を四角く剃って、長髪を上でねじって結っていき、二本のジーファー(かんざし)で前後からとめる。カタカシラは小さい方が上品と言われたにで、髪を少なくするために剃ったようだ。
士族では15歳、一般は10歳くらいでこの髪型になったわけだが、それより小さい男児の髪型は後で見るように「かんぷー」と言った。
【「やまとーかんぷー」という歌詞について 】
林昌先生は、幾つかのCDで歌詞を少しづつ変えられている。
CD「風狂歌人」では囃子を「やまとーかんぷー」と歌う歌詞がある。
知名定男さんもこう歌われて録音したCDもある。
「これは間違っている」と言われる方もおられるらしいが、
沖縄語辞典で「かんぷー」をひくと
「男の子の髪型。髪が短くて言えない場合に、折り曲げて小さく結うもの。女の子のそれにはhaajuuiiという」
つまり、カタカシラも結えない子どもの髪型で、長髪でない場合に髪を折り曲げた結い方のことだったわけだ。
いつの間にか、現代では女性の琉球髪結のことを「かんぷー」というようになった。
散切り頭をこの子どもの髪結のように後ろで結んだものもあったのかもしれない。
いずれにせよ、林昌先生はこの「やまとーかんぷー」という歌詞をそれほど多くは歌われてはいない。
【キーフージョーとアダニ葉バサ小】
木のタバコ入れ。
(図3)
アダンで編んだ草履(さば)
(図4)
幾つかの士族の写真を見て、描いたサムレーのイメージ図。
(図はすべて筆者。)
【他の歌詞】
CD 「沖縄しまうたの神髄」では
ニ番はうみばなぐりさや ではじまる。
「なぐりさや」とは「なぐりしゃん」(なごり惜しい)【琉辞】から。
とても名残惜しいよ、の意味。
上に取り上げたCD「The LAST SESSION」での六番の歌詞も珍しい。
拝でぃ名残りさや 廃藩ぬあや前 銀簪さちょてぃ 耳ゆくじてぃ
タンメーのみならずアヤメー(お姑さん)、つまりおばあさんの様子も唄に。
CD「唄遊び」では
二番を、
オー傘小片手 昔なぐりさや 木フジョー小腰にアダニ葉サバ小
(訳などは上を参照)
と少し変えた上に三番が、他では聞いたことがない歌詞になっている。
時や知らなそてぃ 時までぃかきてぃ きさからおーふぁー ぬーえそーしが なんじがなーとーら
とぅちやしらなそーてぃ とぅちまでぃかきてぃ きさから おーふぁー ぬーえーそーしが なんじがなとーら
「何時かをしらないで時間をかけて さっきから青葉を(ぬーえー;不詳)しているが 何時になったか?」
「ぬーえー」の意味がわからない、というところで、「廃藩ぬ武士」を締めくくる。
最後に嘉手苅林次先生が歌われる「廃藩ぬ武士」を。
はいばん ぬ さむれー
haibaN nu samuree
語句・はいばん 廃藩(はいはん)を沖縄では「はいばん」と読む。「廃藩置県」のことを指すが、琉球では事情が他府県とは違っていた。日本の廃藩置県は1871年。ところが琉球王国は1872年に王国のまま琉球藩となり1875年に政府から「琉球処分」を言い渡された後、1879年に政府の名を受けた松田道之と軍隊300名余、警官160名余が首里城に乗り込み、琉球藩の廃止、沖縄県の設置、清国との絶交などの要求を無理やり受理させた。・さむれー 琉球王朝に仕えた士族の事。「ゆかっちゅ」とも言った。本土の「武士」(さむらい)に対応するが、いわゆる「懐刀」を持っていなかった。琉球王朝では 人口の約5%がこの士族(さむれー)で、残りの95%の平民は、農業だけでなく漁業、商業に従事していても「ひゃくしょー」と呼ばれた。士族にも上級士族と一般士族があった。
《CD「The LAST SESSION」より筆者聴き取り 》
一 拝でぃ懐かさや廃藩ぬ武士 背骨小や曲がてぃ うすんかがん
うがでぃなちかさやはいばんぬさむれー こーぐぐゎーやまがてぃ うすんかがん
'ugadi nachikasa ya haibaN nu samuree koogugwaa ya magati 'usuNkagaN
◯お会いすると悲しいよ 廃藩の士族 腰は曲がって少しかがんで
語句・うがでぃ 「お会いする。お目にかかる。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略)<うがぬん。(発音注意 声門破裂音、グロッタルストップがない。)・なちかさや 悲しいよ。<なちかしゃん。 悲しい。気をつけたいのは、ノスタルジックな「懐かしい」という意味ではない。ちなみに「懐かしい」にあたるのは「あながちさん」。 'anagachisaN。ただし文語的表現では「なちかしゃん」を「懐かしい」という意味で用いる時もある。・こーぐぐゎー 背骨。年寄りの曲がった背中を指す。・うすんかがん 少しかがんで。「うす」には「少し」の意味もあるが、「うすゆん」は「おおう」「かぶせる」「抱く」【沖辞】などの意味もある。「うすこーぐ」に「少し腰が曲がっている者」【沖辞】という意味もある。宮古語(平良)には「ウスゥム」(しゃがむ)というのもある。
(唐や平組 大和断髪 我した沖縄や片結)
とーやひらぐん やまとーだんぱち わしたうちなーや かたかしら
too ya hiraguN yamatoo daNpachi washita 'uchinaa ya katakashira
◯中国は弁髪 大和はザンギリ頭 我々沖縄はかたかしら(片方で髪を束ねる髪型)
(囃子は以下省略)
語句・とー 当時は「清国」、中国をさす。・ひらぐん 弁髪。中国特有の髪型。長髪にして後ろで束ねるが、前から頭上にかけてそり上げる。(図1)・やまとー ヤマトは。「ヤマトゥー」ではない。ヤマトゥ+や(は)が融合してこうなる。・だんぱち ザンギリ頭。廃藩で武士の丁髷(ちょんまげ)を切っても良い、という御触れが明治政府により出された。・かたかしら 琉球王朝時代の一般男性の髪型。「欹髻」「片髪」などが当て字。「成人男性の髪型。元は頭の右辺に結び、後には中央に結ぶようになった。貴族は15歳で、一般は10歳内外で結った。」【沖辞】。一説には「舜天王(しゅんてんおう)が、頭の左側にあるこぶを隠すため、左耳の上に髷を結い上げ、家臣がそれを真似た」という。その後は、頭の中央、頭頂部より4センチ程後ろに結ぶようになった。当時はこれを「かんぷー」と呼んだが、現在は女性の髪結の事を指すようになった。男性はこの「かたかしら」を結う時には長髪にし、頭頂部を四角に剃って周りの髪を上で束ね、その髪を結んで二本の簪(かんざし、ジーファー)で留めた。(図2)
二 思みば名残りさや オウ傘小や片手 木フージョウ小腰にアダニ葉サバ小
うみばなぐりさや おーがさーぐゎーや かたでぃ きーふーじょーぐゎーくしに あだにばさばぐゎー
'umiba nagurisa ya oogasaagwaa ya katadi kiihuujoogwaa kushi ni 'adaniba sabagwaa
◯思えば心残りなのは、青傘を片手に 木の煙草入れを腰に アダンの葉の草履(を履いて)
語句・おーがさー 「傘の一種。骨の部分のみが緑色で、紙は黒。中国から輸入された男物のからかさ」【琉辞】。・きーふーじょー 木製の煙草入れ。ちなみに「ふーじょー」とは「〔宝蔵〕女持ちのたばこ入れ。宝珠のような形に縫った袋物である」【琉辞】とあるので、材質で区別した表現。(図3)・あだにばー アダンの葉。・さばぐゎー 「ぞうり。皮・わら・阿旦葉・藺(い)・竹の皮などでつくり、種類が多い。」【琉辞】。ここではアダン(阿旦)の葉で作ったぞうり。(図4)
三 しばし国頭ぬ奥に身ゆ忍でぃ 共に立ち上がる時節待たな
しばしくんじゃんぬ うくにみゆしぬでぃ とぅむにたちあがる じしちまたな
sibashi kuNjaN nu 'uku ni mi yu shinudi tumu ni tachi 'agaru jishichi matana
◯しばし国頭の奥に身を忍び共に立ち上がる時節を待とう
語句・うく 現在の国頭村奥という沖縄県最北の集落なのか「奥の方」なのか不明。・ゆ 文語で「を」。口語では使わない。・またな 待とう。待ちたい。
四 あんちゅらさあたる タンメ片髻 大和世になたれ 断髪けなて
あんちゅらさあたる たんめーかたかしら やまとぅゆーになたれー だんぱちけーなてぃ
'Anchurasa 'ataru taNmee katakashira yamatuyuu ni nataree daNpachi keenati
◯あんなに綺麗だった士族のおじいさんの片髻(まげ)日本支配になったら断髪しちゃって
語句・なたれー なったら。<なた<なゆん。過去形。+れー。仮定(既定事実)。(例)ゆだれー。読んだら。・けー ちょっと…する。
五 大和世になたれ 大和口タンメ うっちぇーひっちぇー何にんくぃーにん あんしてくださいな
やまとぅゆーになたれー やまとぅぐちたんめー うっちぇーふぃっちぇーぬーにんくぃーにん あん[してくださいな]
yamatuyuu ni nataree yamatuguchi taNmee 'uccheehwicchee nuuniNkwiiniN [aNshite kudasai na]
◯大和の世(支配)になったら大和口のおじいさん 何度もひっくり返って なにもかもそうしてくださいね
([ ]は大和口)
語句・うっちぇーひっちぇー 「盛んに裏返すさま。しきりにひっくり返すさま」【琉辞】。・あん そう。「そうしてね」という時の。
六 うがでぃなぐりさや 廃藩ぬあやめー 銀簪差ちょてぃ 耳ゆくじてぃ
うがでぃなぐりさやー はいばんぬあやめー なんじゃじーふぁさちょーてぃ みみゆくじてぃ
ugadi nagurisa yaa haibaN nu samuree naNjyajiihwa sachooti mimi yu kujiti
◯お会いして名残惜しいことだよ 廃藩のお姑さん 銀製のかんざしを差してて 耳をほじくって
語句・なぐりさやー 名残惜しいことだよ <なぐりさん。なぐりしゃん。名残惜しい。形容詞が「さ」で終わるときは感嘆の意味。とても…だよ。・あやめー 「貴族の嫁がしゅうとめを敬って言う語。?aimeeともいう。」【琉辞】。・くじてぃ ほじくって。<くじゆん。「くじる。えぐる。ほじくる。」【琉辞】。
【この唄の背景】
「廃藩」 私たちは「はいはん」と読むが沖縄では「はいばん」と連濁して読む。
廃藩置県は、1871年に明治政府が中央集権を進め近代国家をめざすためにそれまでの藩を廃止したもの。
沖縄は1609年に薩摩の島津の侵略を受けて実質的に本土の支配下にあり、同時に中国との「柵封」関係であったが、この廃藩置県で「王朝」体制も解体され、1879年に沖縄県となった。
二度の「琉球処分」を被ったわけである。
「さむれー」は「武士」(さむらい)に対応している(samurai→samuree aiが長母音化)。
琉球王朝に使えた「士族」階級のことをさす。
上にも書いたが、琉球王朝では 人口の約5%がこの士族(さむれー)で、残りの95%の平民は、農業だけでなく漁業、商業に従事していても「ひゃくしょー」と呼ばれた。
本土の「武士」の規定は一般的には脇差をし、床の間に刀を飾った「官僚兼戦闘家」を多く指すが、琉球では、脇差はなく床の間には三線を置いたという。
琉球王国の身分は、国王の下に御殿( 王子地頭 按司地頭) 殿内( 総地頭 脇地頭)があり、さらに士族(さむれー)そして平民(百姓ひゃくしょー)と続く。
士族にも上級士族と一般士族があり、人口の約5%だった士族のうち上級は約5%、つまり人口の0.25%しか上級士族になれなかった。一般士族は采地をもらえず、「ブンニン」とも呼ばれ、農業などもして苦しい生活をしのいだ。
廃藩=琉球王朝の解体によって職も権威も失墜した多くの士族は、商業や農業、あるいは芸能分野を仕事とし、それまでの唄三線や琉球舞踊の技能を活かすものもいた。
【歌詞について】
この唄は嘉手刈林昌先生のお母様ウシが作詞し、林昌先生8歳の時にウシと共に作曲したといわれている。
廃藩により職も権威も失った士族の老人タンメーの様子をユーモラスに描き、また同情的にも描いている。特定の個人ではなく世情を詠ったものだろう。
三番は、廃藩後も明治政府に抵抗していた士族を描いている。
反対派は「くるー」(黒)と呼ばれ、「特に、明治の廃藩時代に、明治政府に反対し、旧制度維持を目論んだ頑固党をいう。husaNsii(不賛成)ともいい、明治政府支持の開進派(siruu またはsaNsii)に対する。明治のすえごろまでも髪を切らずに、?usjuganasiimee(琉球王)をたたえた。」【琉辞】。
当時の清国と連絡を取っていた人々もいたようだ。
そうして国頭の奥に身を潜めて、いつか反撃する機会を待ったのだが。。。
【囃子に出てくる髪型について】
囃子言葉に、中国と大和と沖縄の封建時代の男性の髪型の違いが囃子言葉になっているのは面白い。当時の髪型を調べてみた。
「とーやひらぐん」
上述したが、弁髪といい中国(当時は「清」だが、中国を「唐」と呼んだ)特有の髪型。
長髪にして後ろで束ねるが、前から頭上にかけてそり上げる。
(図1)
「やまとーだんぱち」
いわゆる散切り(ざんぎり)頭。廃藩により武士の髷は切られた。
「大和を断髪」と書いた歌詞もあるが、「を」を使うのはおかしい。
「を」に対応するウチナーグチ「ゆ」が使われているのだから「を」はない。
「大和は断髪」という意味で、こう発音している。
「わしたうちなーやかたかしら」
「かたかしら」とはこんなものである。
(図2)
頭頂部を四角く剃って、長髪を上でねじって結っていき、二本のジーファー(かんざし)で前後からとめる。カタカシラは小さい方が上品と言われたにで、髪を少なくするために剃ったようだ。
士族では15歳、一般は10歳くらいでこの髪型になったわけだが、それより小さい男児の髪型は後で見るように「かんぷー」と言った。
【「やまとーかんぷー」という歌詞について 】
林昌先生は、幾つかのCDで歌詞を少しづつ変えられている。
CD「風狂歌人」では囃子を「やまとーかんぷー」と歌う歌詞がある。
知名定男さんもこう歌われて録音したCDもある。
「これは間違っている」と言われる方もおられるらしいが、
沖縄語辞典で「かんぷー」をひくと
「男の子の髪型。髪が短くて言えない場合に、折り曲げて小さく結うもの。女の子のそれにはhaajuuiiという」
つまり、カタカシラも結えない子どもの髪型で、長髪でない場合に髪を折り曲げた結い方のことだったわけだ。
いつの間にか、現代では女性の琉球髪結のことを「かんぷー」というようになった。
散切り頭をこの子どもの髪結のように後ろで結んだものもあったのかもしれない。
いずれにせよ、林昌先生はこの「やまとーかんぷー」という歌詞をそれほど多くは歌われてはいない。
【キーフージョーとアダニ葉バサ小】
木のタバコ入れ。
(図3)
アダンで編んだ草履(さば)
(図4)
幾つかの士族の写真を見て、描いたサムレーのイメージ図。
(図はすべて筆者。)
【他の歌詞】
CD 「沖縄しまうたの神髄」では
ニ番はうみばなぐりさや ではじまる。
「なぐりさや」とは「なぐりしゃん」(なごり惜しい)【琉辞】から。
とても名残惜しいよ、の意味。
上に取り上げたCD「The LAST SESSION」での六番の歌詞も珍しい。
拝でぃ名残りさや 廃藩ぬあや前 銀簪さちょてぃ 耳ゆくじてぃ
タンメーのみならずアヤメー(お姑さん)、つまりおばあさんの様子も唄に。
CD「唄遊び」では
二番を、
オー傘小片手 昔なぐりさや 木フジョー小腰にアダニ葉サバ小
(訳などは上を参照)
と少し変えた上に三番が、他では聞いたことがない歌詞になっている。
時や知らなそてぃ 時までぃかきてぃ きさからおーふぁー ぬーえそーしが なんじがなーとーら
とぅちやしらなそーてぃ とぅちまでぃかきてぃ きさから おーふぁー ぬーえーそーしが なんじがなとーら
「何時かをしらないで時間をかけて さっきから青葉を(ぬーえー;不詳)しているが 何時になったか?」
「ぬーえー」の意味がわからない、というところで、「廃藩ぬ武士」を締めくくる。
最後に嘉手苅林次先生が歌われる「廃藩ぬ武士」を。
2013年12月30日
二見情話 2
二見情話
ふたみじょーわ
hutami joowa
(「歌詞集 沖縄のうた」有限会社キャンパス より)
これには「二見情話(本歌)」とある。
一、(男)二見美童や だんじゅ肝美らさ 海や山川ぬ眺み美らさヨ
ふたみみやらびや だんじゅちむぢゅらさ うみややまかわぬながみぢゅらさよ
hutami miyarabi ya danju chimu jurasa ’umi ya yamakawa nu nagami jurasa yoo
〇二見の娘は断然心が美しい(同様に) 海や山川の眺めは美しい
語句・だんじゅ 断然、絶対。・ちむじゅらさ 心の美しさ。「ちゅらさ」は「きよらかさ」から来ている。
二、(女)二見嫁までぃや ないぶさやあしが 辺野古崎坂ぬ 上い下いヨ
ふたみゆみまでぃや ないぶさやあしが ひ(ふぃ)ぬくざちひ(ふぃ)らぬ ぬぶいくだいよ
hutami yumi madi ya naibusa ya 'ashiga h(w)inukuzachi h(w)ira nu nubui kudai yoo
〇二見の嫁まではなりたいけれど 辺野古崎の坂は上り下り(がとてもきつい)
語句・ないぶさ <ないぶしゃん。ないぶさん。 なりたい。・あしが ・・だけれども。
三、(男)行逢たしや辺野古 (女)語たしや 東喜 (男)想てぃ通たしや 花ぬ二見ヨ
いちゃたしやひ(ふぃ)ぬく かたたしや とーき うむてぃかゆたしや はなぬふたみよ
'ichatashi ya h(w)inuku katatashi ya tooki 'umuti kayutashi ya hana nu hutami yoo
〇出会ったのは辺野古 語ったのは東喜 愛して通ったのは華やかな二見
語句・いちゃたしや <いちゃゆん 出会う。 →いちゃた 出会った。+ し ・・の。+や は。 出会った場所は。・とーき 地名であろうか。不明。・はな 植物の花にたとえて、華やかな、という意味でよく使われる。琉歌では「遊郭のあった場所」という意味もある。
四、(女)行ぢちゃびら言りば 行ぢ来よい何時か ぬがし云言葉に 御縁かきがヨ
んぢちゃびらいりば んぢくよい いちか ぬがしいくとぅばに ぐゐんかきがよ
'Njichaabira 'Njikuuyooi 'ichika nugashi 'ikutuba ni guiN kaki ga yoo
〇行ってきますね と言えば 行って戻ってきなさいよ いつか いかに言葉に御縁をかけるのか(戻ってきてくれるように)
語句・んぢちゃびら <んじ 出る。+ちゃびら<ちゃーびら 来ましょう。行きましょうね→行きますね。自分の意思。・んじくーよーい <出て+くーよーい 来なさいね。→行って戻ってきなさいね。命令形。・ぬがし どうやって。どうして。 ・ぐゐんかきが 御縁(を結ぶ願い)を掛けるのか。疑問形。
五、(男)待ちかにてぃ居たる首里上いやしが ちわみとる朝ぬ 別りぐりさヨ
まちかにてぃうたる す(しゅ)いぬぶいやしが ちわみとるあさぬ わかりぐりさよ
machikaniti utaru s(h)ui nubui yashiga chiwamitooru 'asa nu wakarigurisa yoo
〇まちかねていた首里への帰還だが (出発が)決まっている日の朝は 別れ苦しいものだ
語句・まちかにてぃ まちかねて。 ・ちわみとーる <ちわみゆん 決める。→きまっている。 ・ぐりさ <ぐりさん ・・し難い。形容詞。
六、(女)節なりば忘る 戦場ぬ夢よ (男)忘してぃ忘らりみ 花ぬ二見ヨ
しちなりばわしる いくさばぬいみよ わしてぃわしらりみ はなぬふたみよ
shichi nariba washiru 'ikusaba nu 'imi yoo washiti washirarimi hana nu hutami yoo
〇時期がくれば忘れる戦場の夢よ (でも)忘れても忘れられないのは 華やかな二見だ
語句・しち 「季節」「二十四節気」などとも訳すが、ここでは時期とした。
すでにとりあげた二見情話であるが、気になる歌詞を見つけた。
有限会社キャンパスが発売している「歌詞集 沖縄のうた」にある。
「二見情話(本歌)」とある。
歌詞がいくつか、我々が知っている二見情話とは違っている。
歌っているのは國吉真勇さんと石原映美子さん。
沖縄県知事が2014年12月27日辺野古への米軍基地建設に繋がる辺野古埋め立て承認をした。
この歌にもでてくる辺野古崎は、新しい軍事基地が作られようとしているところ。
この歌にものこされた美しい辺野古、二見の海と人々の暮らしがどれだけ破壊され、二度ととりもどせないことになるのか。
仲井真県知事は、もう一度この歌の持つ意味を感じてもらいたい。
私は絶対に辺野古への基地建設に反対する。
美しい世界にも稀なジュゴンがやってくる辺野古の海。
(二枚の写真は「沖縄片思い日記」からお借りしました)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
ふたみじょーわ
hutami joowa
(「歌詞集 沖縄のうた」有限会社キャンパス より)
これには「二見情話(本歌)」とある。
一、(男)二見美童や だんじゅ肝美らさ 海や山川ぬ眺み美らさヨ
ふたみみやらびや だんじゅちむぢゅらさ うみややまかわぬながみぢゅらさよ
hutami miyarabi ya danju chimu jurasa ’umi ya yamakawa nu nagami jurasa yoo
〇二見の娘は断然心が美しい(同様に) 海や山川の眺めは美しい
語句・だんじゅ 断然、絶対。・ちむじゅらさ 心の美しさ。「ちゅらさ」は「きよらかさ」から来ている。
二、(女)二見嫁までぃや ないぶさやあしが 辺野古崎坂ぬ 上い下いヨ
ふたみゆみまでぃや ないぶさやあしが ひ(ふぃ)ぬくざちひ(ふぃ)らぬ ぬぶいくだいよ
hutami yumi madi ya naibusa ya 'ashiga h(w)inukuzachi h(w)ira nu nubui kudai yoo
〇二見の嫁まではなりたいけれど 辺野古崎の坂は上り下り(がとてもきつい)
語句・ないぶさ <ないぶしゃん。ないぶさん。 なりたい。・あしが ・・だけれども。
三、(男)行逢たしや辺野古 (女)語たしや 東喜 (男)想てぃ通たしや 花ぬ二見ヨ
いちゃたしやひ(ふぃ)ぬく かたたしや とーき うむてぃかゆたしや はなぬふたみよ
'ichatashi ya h(w)inuku katatashi ya tooki 'umuti kayutashi ya hana nu hutami yoo
〇出会ったのは辺野古 語ったのは東喜 愛して通ったのは華やかな二見
語句・いちゃたしや <いちゃゆん 出会う。 →いちゃた 出会った。+ し ・・の。+や は。 出会った場所は。・とーき 地名であろうか。不明。・はな 植物の花にたとえて、華やかな、という意味でよく使われる。琉歌では「遊郭のあった場所」という意味もある。
四、(女)行ぢちゃびら言りば 行ぢ来よい何時か ぬがし云言葉に 御縁かきがヨ
んぢちゃびらいりば んぢくよい いちか ぬがしいくとぅばに ぐゐんかきがよ
'Njichaabira 'Njikuuyooi 'ichika nugashi 'ikutuba ni guiN kaki ga yoo
〇行ってきますね と言えば 行って戻ってきなさいよ いつか いかに言葉に御縁をかけるのか(戻ってきてくれるように)
語句・んぢちゃびら <んじ 出る。+ちゃびら<ちゃーびら 来ましょう。行きましょうね→行きますね。自分の意思。・んじくーよーい <出て+くーよーい 来なさいね。→行って戻ってきなさいね。命令形。・ぬがし どうやって。どうして。 ・ぐゐんかきが 御縁(を結ぶ願い)を掛けるのか。疑問形。
五、(男)待ちかにてぃ居たる首里上いやしが ちわみとる朝ぬ 別りぐりさヨ
まちかにてぃうたる す(しゅ)いぬぶいやしが ちわみとるあさぬ わかりぐりさよ
machikaniti utaru s(h)ui nubui yashiga chiwamitooru 'asa nu wakarigurisa yoo
〇まちかねていた首里への帰還だが (出発が)決まっている日の朝は 別れ苦しいものだ
語句・まちかにてぃ まちかねて。 ・ちわみとーる <ちわみゆん 決める。→きまっている。 ・ぐりさ <ぐりさん ・・し難い。形容詞。
六、(女)節なりば忘る 戦場ぬ夢よ (男)忘してぃ忘らりみ 花ぬ二見ヨ
しちなりばわしる いくさばぬいみよ わしてぃわしらりみ はなぬふたみよ
shichi nariba washiru 'ikusaba nu 'imi yoo washiti washirarimi hana nu hutami yoo
〇時期がくれば忘れる戦場の夢よ (でも)忘れても忘れられないのは 華やかな二見だ
語句・しち 「季節」「二十四節気」などとも訳すが、ここでは時期とした。
すでにとりあげた二見情話であるが、気になる歌詞を見つけた。
有限会社キャンパスが発売している「歌詞集 沖縄のうた」にある。
「二見情話(本歌)」とある。
歌詞がいくつか、我々が知っている二見情話とは違っている。
歌っているのは國吉真勇さんと石原映美子さん。
沖縄県知事が2014年12月27日辺野古への米軍基地建設に繋がる辺野古埋め立て承認をした。
この歌にもでてくる辺野古崎は、新しい軍事基地が作られようとしているところ。
この歌にものこされた美しい辺野古、二見の海と人々の暮らしがどれだけ破壊され、二度ととりもどせないことになるのか。
仲井真県知事は、もう一度この歌の持つ意味を感じてもらいたい。
私は絶対に辺野古への基地建設に反対する。
美しい世界にも稀なジュゴンがやってくる辺野古の海。
(二枚の写真は「沖縄片思い日記」からお借りしました)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
2013年04月13日
浜のアーマン小
浜のアーマン小
はまぬ あーまんぐゎー
hama nu 'aamaN gwaa
〇浜のヤドカリちゃん
語句・あーまん やどかり。 <あまん(ぐゎー)。「あーまん」「あまん」どちらも使うようだ。オオヤドカリは「あんまく」(腕白小僧の意味)とも言う。
作詞 作曲 滝原康盛
歌 山内 まさのり
一、浜ぬアーマン小や家担みてぃ杖突ちょうてぃ傾ち走い 干瀬ぬ蟹小やうり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦りむん 家小担みてぃ歩ちゅんど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ干瀬ぬ蟹小や窮子者家小ん無えらん穴籠い
はまぬあーまんぐゎーややーかたみてぃぐーさんちちょーてぃかたんちばい ひしぬがにぐゎーやうりんーちょーてぃあわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーかたみてぃ あっちゅんどー はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ ひしぬがにぐゎーやくーしーむん やーぐんねーらん あなぐまい
hama nu 'aamaNguwaa ya yaa katamiti guusaN chichooti kataNchibai hwishi nu ganigwaa ya 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN yaagwaa katamiti 'acchuN doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti hwishi nu ganigwaa ya kuushiimuN yaagwaaN neeraN 'anagumai
〇浜のヤドカリちゃんは家を担いで杖ついてチョコチョコ歩く 干瀬の蟹ちゃんはそれを見ていて 可哀そうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 家を担いで歩いているぞ 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて干瀬の蟹ちゃんは貧乏者 家もなくて穴籠もり
語句・かたみてぃ かついで。<かたみゆん 担ぐ。かつぐ。・ぐーさん 杖(つえ)。中国語から。「中国音guaizhang」【琉球語辞典】」。ぐーさん ちちゅん。つえをつく。・かたんちばい 「こそこそ急いであるくこと」【琉辞】。・ふぃし 「干潮時にあらわれる洲」【琉辞】 ・ちむぐりむん 気の毒な人 奴。<ちむぐりしゃん 気の毒である。不憫である。 ・んちょーてぃ 見ていて。<んーじゅん。見る。・くーしいむん「貧乏者」【琉辞】。・ぐまい <くまゆん 籠もる。
二、浜ぬアーマン小やなんとぅ急ぢん蹴掻き転び鈍なし者 ムドゥルぬトントンミー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦り者 足や有とうてぃ急がらに 浜ぬアーマン小や うり聞ちょうてぃトントンモーサー トントンミー 落着ち無えらんうふそう者
はまぬあーまんぐゎーや なんとぅいすじん きっちゃきくるび どぅんなしむん むどぅ(る)るぬとんとんみーぐゎー うりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん ひさやあとーてぃいすがらに はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ とんとんもーさーとんとんみー うとぅちちねーらん うふそーむん
hama nu 'aamaNgwaa naNtu isujiN kicchaki kurubi duNnashimuN mud(r)uru nu toNtoNmiigwaa 'uri chichooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN hwisa ya 'atooti 'isugarani hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti toNtoNmoosaa toNtoNmii utuchichi neeraN 'uhusoomuN
〇浜のヤドカリちゃんはどんなに急いでもつまづくのろい奴 逆らうトビハゼちゃんはそれを見ていてかわいそうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 足はあっても急がれない 浜のヤドカリちゃんそれ聞いて トントン踊りのトビハゼちゃん 落ち着きもないそそっかしい奴
語句・なんとぅ どんなに。なんと。・きっちゃき 「躓[つまずき]き;失敗」【琉辞】。・どぅんなし <どぅんなさん 「《形》のろい、にぶい、鈍感である」【琉辞】。・むどぅる <むどぅちゅん 背く 逆らう。 【琉辞】。・トントンミー とびはぜ。・もーさー <もーゆん。踊る人。 (例)はるさー。 畑を耕す人。・うとぅちち <うてぃちちゅん 落ち着く。・うふそーむん 「そそっかしい人、間抜け」【琉辞】。
三、浜ぬアーマン小やふどぅいいねえ大さる家に家移ちすん 海ぬチンボラー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小肝苦り者 家小や有とうてぃ借屋ど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ海ぬチンボラー小儲きてぃん生ちちょる間家一ち
はまぬあーまんぐゎーやふどぅいーねー うふさるやーにやーうちすん うみぬちんぼらーぐゎーうりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーやあとーてぃ かいやーどー はまぬあーまんぐゎーや うりちちょーてぃ うみぬちんぼらーぐゎーやもーきてぃん いちちょーるゑだやーてぃーち
hama nu 'aamaNgwaa ya hudu 'ii nee uhusaru yaa ni yaa 'uchisuN 'umi nu chiNboraagwaa 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurumun yaagwaa ya 'atooti kaiyaa doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti 'umi nu chiNbooraagwaa mookitiN 'ichichooru yeda yaa tiichi
〇浜のヤドカリちゃんは背丈に合った大きな家に引越しする 海の巻き貝ちゃんそれ見て 可哀そうなヤドカリちゃん可哀そうな奴 家はあるけど借家だね 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて海の巻き貝ちゃん儲けても生きている間家一つ
語句・ふどぅ 「背丈、身長」【琉辞】。・いいねー 良く似合う。ちょうどいい。<いい 良い。+ねー 似合う。・ちんぼらー 「(ほら貝形の)小さな巻き貝〔‘にし’の一種〕」【琉辞】。「海ぬちんぼらー」を参照。
四、浜ぬアーマン小やぢんぶん持ち 好かんしが来いねえ家籠い 潟ぬアジケー小うり見ちょうてぃアンマクアーマン小や肝苦り者 ちむえや無んそてぃ胴しかみ 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ 潟ぬアジケー小 あん云ゅんな 汝や歩ちぇー しいをぅーすみ
はまぬあーまんぐゎーやじんぶんむち しかんしがちーねーやーぐまい がたぬあじけーぐゎーうりんちょーてぃ あんまくあーまんぐゎーやちむぐりむん ちむえやねーんそてぃどぅーしかみ はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ がたぬあじけーぐゎー あんいゅんな やーやあっちぇー しーをーすみ
hama nu 'aamaNgwaa ya jiNbuNmuchi shikaNshi ga chiinee yaa gumai gata nu 'ajikeegwaa 'uri nnchooti 'aNmaku 'aamaNgwaa ya chimugurimuN chimuee ya neeNsoti du chikami hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti gata nu 'ajikeegwaa 'aN'iyuN naa 'yaa ya 'acchee shiiwuu sumi
〇浜のヤドカリちゃんは知恵がある 嫌いなものが来たら家に籠もる 干潟のしゃこ貝それを見て わんぱくヤドカリちゃんは可哀そうな奴 知恵がないから怖がってる 浜のヤドカリちゃん それ聞いて 干潟のしゃこ貝ちゃん、そういうのかい、お前は歩くことはできないだろう?
語句・じんぶん 「知恵、才能」【琉辞】。・あじけー シャコガイ。しゃこ貝。・あんまく わんぱく。オオヤドカリのことも言う。・ちむえ <ちむい+や 融合して ちむえー。「見積もり、心積もりをする」【琉辞】・どぅー 自分で。・しかみ <しかぬん しかむん。 「怖じける、臆病になる」【琉辞】。・しーをーすみ <しー しゅん する。+ をー うん 居る。+ すみ するか?
続きを読む
はまぬ あーまんぐゎー
hama nu 'aamaN gwaa
〇浜のヤドカリちゃん
語句・あーまん やどかり。 <あまん(ぐゎー)。「あーまん」「あまん」どちらも使うようだ。オオヤドカリは「あんまく」(腕白小僧の意味)とも言う。
作詞 作曲 滝原康盛
歌 山内 まさのり
一、浜ぬアーマン小や家担みてぃ杖突ちょうてぃ傾ち走い 干瀬ぬ蟹小やうり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦りむん 家小担みてぃ歩ちゅんど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ干瀬ぬ蟹小や窮子者家小ん無えらん穴籠い
はまぬあーまんぐゎーややーかたみてぃぐーさんちちょーてぃかたんちばい ひしぬがにぐゎーやうりんーちょーてぃあわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーかたみてぃ あっちゅんどー はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ ひしぬがにぐゎーやくーしーむん やーぐんねーらん あなぐまい
hama nu 'aamaNguwaa ya yaa katamiti guusaN chichooti kataNchibai hwishi nu ganigwaa ya 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN yaagwaa katamiti 'acchuN doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti hwishi nu ganigwaa ya kuushiimuN yaagwaaN neeraN 'anagumai
〇浜のヤドカリちゃんは家を担いで杖ついてチョコチョコ歩く 干瀬の蟹ちゃんはそれを見ていて 可哀そうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 家を担いで歩いているぞ 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて干瀬の蟹ちゃんは貧乏者 家もなくて穴籠もり
語句・かたみてぃ かついで。<かたみゆん 担ぐ。かつぐ。・ぐーさん 杖(つえ)。中国語から。「中国音guaizhang」【琉球語辞典】」。ぐーさん ちちゅん。つえをつく。・かたんちばい 「こそこそ急いであるくこと」【琉辞】。・ふぃし 「干潮時にあらわれる洲」【琉辞】 ・ちむぐりむん 気の毒な人 奴。<ちむぐりしゃん 気の毒である。不憫である。 ・んちょーてぃ 見ていて。<んーじゅん。見る。・くーしいむん「貧乏者」【琉辞】。・ぐまい <くまゆん 籠もる。
二、浜ぬアーマン小やなんとぅ急ぢん蹴掻き転び鈍なし者 ムドゥルぬトントンミー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦り者 足や有とうてぃ急がらに 浜ぬアーマン小や うり聞ちょうてぃトントンモーサー トントンミー 落着ち無えらんうふそう者
はまぬあーまんぐゎーや なんとぅいすじん きっちゃきくるび どぅんなしむん むどぅ(る)るぬとんとんみーぐゎー うりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん ひさやあとーてぃいすがらに はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ とんとんもーさーとんとんみー うとぅちちねーらん うふそーむん
hama nu 'aamaNgwaa naNtu isujiN kicchaki kurubi duNnashimuN mud(r)uru nu toNtoNmiigwaa 'uri chichooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN hwisa ya 'atooti 'isugarani hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti toNtoNmoosaa toNtoNmii utuchichi neeraN 'uhusoomuN
〇浜のヤドカリちゃんはどんなに急いでもつまづくのろい奴 逆らうトビハゼちゃんはそれを見ていてかわいそうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 足はあっても急がれない 浜のヤドカリちゃんそれ聞いて トントン踊りのトビハゼちゃん 落ち着きもないそそっかしい奴
語句・なんとぅ どんなに。なんと。・きっちゃき 「躓[つまずき]き;失敗」【琉辞】。・どぅんなし <どぅんなさん 「《形》のろい、にぶい、鈍感である」【琉辞】。・むどぅる <むどぅちゅん 背く 逆らう。 【琉辞】。・トントンミー とびはぜ。・もーさー <もーゆん。踊る人。 (例)はるさー。 畑を耕す人。・うとぅちち <うてぃちちゅん 落ち着く。・うふそーむん 「そそっかしい人、間抜け」【琉辞】。
三、浜ぬアーマン小やふどぅいいねえ大さる家に家移ちすん 海ぬチンボラー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小肝苦り者 家小や有とうてぃ借屋ど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ海ぬチンボラー小儲きてぃん生ちちょる間家一ち
はまぬあーまんぐゎーやふどぅいーねー うふさるやーにやーうちすん うみぬちんぼらーぐゎーうりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーやあとーてぃ かいやーどー はまぬあーまんぐゎーや うりちちょーてぃ うみぬちんぼらーぐゎーやもーきてぃん いちちょーるゑだやーてぃーち
hama nu 'aamaNgwaa ya hudu 'ii nee uhusaru yaa ni yaa 'uchisuN 'umi nu chiNboraagwaa 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurumun yaagwaa ya 'atooti kaiyaa doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti 'umi nu chiNbooraagwaa mookitiN 'ichichooru yeda yaa tiichi
〇浜のヤドカリちゃんは背丈に合った大きな家に引越しする 海の巻き貝ちゃんそれ見て 可哀そうなヤドカリちゃん可哀そうな奴 家はあるけど借家だね 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて海の巻き貝ちゃん儲けても生きている間家一つ
語句・ふどぅ 「背丈、身長」【琉辞】。・いいねー 良く似合う。ちょうどいい。<いい 良い。+ねー 似合う。・ちんぼらー 「(ほら貝形の)小さな巻き貝〔‘にし’の一種〕」【琉辞】。「海ぬちんぼらー」を参照。
四、浜ぬアーマン小やぢんぶん持ち 好かんしが来いねえ家籠い 潟ぬアジケー小うり見ちょうてぃアンマクアーマン小や肝苦り者 ちむえや無んそてぃ胴しかみ 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ 潟ぬアジケー小 あん云ゅんな 汝や歩ちぇー しいをぅーすみ
はまぬあーまんぐゎーやじんぶんむち しかんしがちーねーやーぐまい がたぬあじけーぐゎーうりんちょーてぃ あんまくあーまんぐゎーやちむぐりむん ちむえやねーんそてぃどぅーしかみ はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ がたぬあじけーぐゎー あんいゅんな やーやあっちぇー しーをーすみ
hama nu 'aamaNgwaa ya jiNbuNmuchi shikaNshi ga chiinee yaa gumai gata nu 'ajikeegwaa 'uri nnchooti 'aNmaku 'aamaNgwaa ya chimugurimuN chimuee ya neeNsoti du chikami hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti gata nu 'ajikeegwaa 'aN'iyuN naa 'yaa ya 'acchee shiiwuu sumi
〇浜のヤドカリちゃんは知恵がある 嫌いなものが来たら家に籠もる 干潟のしゃこ貝それを見て わんぱくヤドカリちゃんは可哀そうな奴 知恵がないから怖がってる 浜のヤドカリちゃん それ聞いて 干潟のしゃこ貝ちゃん、そういうのかい、お前は歩くことはできないだろう?
語句・じんぶん 「知恵、才能」【琉辞】。・あじけー シャコガイ。しゃこ貝。・あんまく わんぱく。オオヤドカリのことも言う。・ちむえ <ちむい+や 融合して ちむえー。「見積もり、心積もりをする」【琉辞】・どぅー 自分で。・しかみ <しかぬん しかむん。 「怖じける、臆病になる」【琉辞】。・しーをーすみ <しー しゅん する。+ をー うん 居る。+ すみ するか?
続きを読む
2013年02月17日
華ぐるま
華ぐるま
はなぐるま
hana guruma
語句・はなぐるま 「花」ではなく「華やかな」という意味の「華」を使われている。「花」で作った「かじまやー」(風車)ということだろうか。
作詞 上原 直彦 作曲 松田 弘一
一、人情ぬしてぃ みぐり華ぐるま 真肝結ぶ なりし御縁 (フィーヨー フィ みぐり華ぐるま)
ふぃとぅなさき ぬしてぃ みぐりはなぐるま まぢむむしぶ なりしぐゐん (ふぃーよー ふぃー みぐりはなぐるま)
hwitu nasaki nushiti miguri hanaguruma majimu mushibu narishi guyiN (hwii yoo hwii miguri hana guruma)
〇人の情けを乗せて 回れ華ぐるま 真心をむすぶ 親しい御縁 (ひけよひけ まわせ華ぐるま)
以下括弧の囃子言葉は省略。
語句・みぐりまわれ。<みぐゆん。「めぐる。回る」【琉球語辞典】。命令形。・なりし親しい。 <なりゆん。「慣れる、なじむ、親密になる」【琉辞】。・ふぃーよー 引けよ。<ふぃちゅん 引く。命令形+よー よ。
二、華ぐるま乗やい 思いやふぁやふぁとぅ いちゅる先方や 花ぬ都
はなぐるまぬやい うむいやふぁやふぁとぅ いちゅるさちふうや はなぬみやく
hanaguruma nuyai 'umui yahwayahwa tu 'ichuru sachihuu ya hana nu miyaku
〇華ぐるまに乗って思いやすやすと行く先々(将来)には華やかな都が
語句・やい 「連用形または連用語幹に付いて『(…し)て』の意」【琉辞】。・やふぁやふぁとぅ 「やんわりと」【琉辞】。視覚的な状態を形容する「やんわり」という意味と、心情表現としての「気持ちやすやすと」くらいの意味もある。・はな「花」と「華やかな」の意味。「遊郭」や「毛遊び」が盛んな町を表す場合もある。
三、くびり道やてぃん 迷い道やてぃん 人情ありば 夢ぬ大道
くびりみちやてぃん まゆいみちやてぃん ふぃとぅなさきありば いみぬうふど
kubiri michi yatiN mayui michi yatiN hwitu nasaki 'ariba 'imi nu 'uhudoo
〇小さい坂道であっても 迷い道であっても 人の情けがあれば 夢ごこちの大道である
語句・くびり 「小さい坂」【琉辞】。<く。小。+びり<ふぃら。坂。「石くびり」を参照。・うふどー 大きな道→「人生」の比喩であろう。
四、若さ大道に 華ぐるまはらち 人心知ゆる なりし浮世
わかさうふどーに はなぐるまはらち ふぃとぅぐくるしゆる なりしうちゆ
wakasa 'uhudoo ni hana guruma harachi hwitugukuru shiyuru narishi 'uchiyu
〇若さ大道に(人の情けを乗せた)華ぐるまを走らせて人心を知ることができる 親しいこの世の中に
語句・はらち 走らせて。<はらしゅん。走らせる。
はなぐるま
hana guruma
語句・はなぐるま 「花」ではなく「華やかな」という意味の「華」を使われている。「花」で作った「かじまやー」(風車)ということだろうか。
作詞 上原 直彦 作曲 松田 弘一
一、人情ぬしてぃ みぐり華ぐるま 真肝結ぶ なりし御縁 (フィーヨー フィ みぐり華ぐるま)
ふぃとぅなさき ぬしてぃ みぐりはなぐるま まぢむむしぶ なりしぐゐん (ふぃーよー ふぃー みぐりはなぐるま)
hwitu nasaki nushiti miguri hanaguruma majimu mushibu narishi guyiN (hwii yoo hwii miguri hana guruma)
〇人の情けを乗せて 回れ華ぐるま 真心をむすぶ 親しい御縁 (ひけよひけ まわせ華ぐるま)
以下括弧の囃子言葉は省略。
語句・みぐりまわれ。<みぐゆん。「めぐる。回る」【琉球語辞典】。命令形。・なりし親しい。 <なりゆん。「慣れる、なじむ、親密になる」【琉辞】。・ふぃーよー 引けよ。<ふぃちゅん 引く。命令形+よー よ。
二、華ぐるま乗やい 思いやふぁやふぁとぅ いちゅる先方や 花ぬ都
はなぐるまぬやい うむいやふぁやふぁとぅ いちゅるさちふうや はなぬみやく
hanaguruma nuyai 'umui yahwayahwa tu 'ichuru sachihuu ya hana nu miyaku
〇華ぐるまに乗って思いやすやすと行く先々(将来)には華やかな都が
語句・やい 「連用形または連用語幹に付いて『(…し)て』の意」【琉辞】。・やふぁやふぁとぅ 「やんわりと」【琉辞】。視覚的な状態を形容する「やんわり」という意味と、心情表現としての「気持ちやすやすと」くらいの意味もある。・はな「花」と「華やかな」の意味。「遊郭」や「毛遊び」が盛んな町を表す場合もある。
三、くびり道やてぃん 迷い道やてぃん 人情ありば 夢ぬ大道
くびりみちやてぃん まゆいみちやてぃん ふぃとぅなさきありば いみぬうふど
kubiri michi yatiN mayui michi yatiN hwitu nasaki 'ariba 'imi nu 'uhudoo
〇小さい坂道であっても 迷い道であっても 人の情けがあれば 夢ごこちの大道である
語句・くびり 「小さい坂」【琉辞】。<く。小。+びり<ふぃら。坂。「石くびり」を参照。・うふどー 大きな道→「人生」の比喩であろう。
四、若さ大道に 華ぐるまはらち 人心知ゆる なりし浮世
わかさうふどーに はなぐるまはらち ふぃとぅぐくるしゆる なりしうちゆ
wakasa 'uhudoo ni hana guruma harachi hwitugukuru shiyuru narishi 'uchiyu
〇若さ大道に(人の情けを乗せた)華ぐるまを走らせて人心を知ることができる 親しいこの世の中に
語句・はらち 走らせて。<はらしゅん。走らせる。
2012年05月27日
はじうすい坂
はじうすい坂
はじうすいびら
hajiusui bira
語句・はじうすいびら 東村の有銘にある坂の名前。隣村同士の男女が誤解のすえに自殺した場所とされる。「はじうすい」とは「恥」を「覆う」(うすゆん。うすいん)から来ている。
作詞;仲宗根幸市 作詞;普久原恒勇 唄;山里ユキ
(連ね)野山越ぃる道や幾里ひじゃみてぃん 闇にただ一人忍でぃ行ちゅん
(ちらに) ぬやまくぃるみちや いくりふぃじゃみてぃん やみにただふぃちゅいしぬでぃいちゅん
(chirani) nuyama kwiru michi ya 'ikuri hwijamitiN yami ni tada hwichui shinudi 'ichuN
〇野山を越える道は何里離れていても闇の中ただ一人で忍んで行く
語句・くぃる 越える。 ・ふぃじゃみてぃん 隔てていても。<ふぃじゃみゆん 離れる。
源河山脇に あたら花散らち 一道なてぃ結ぶ 二人が情き
じんかやまわちに あたらはなちらち ちゅみちなてぃむしぶ たいがなさき
jiNka yama wachi ni 'atara hana chirachi chumichi nati mushibu tai ga nasaki
〇源河の山脇に一度しか咲かない花を散らして 一つの道になって結ばれる二人の愛
語句・じんか 名護市羽地村の源河。<じんかー。・あたら 「もったいない」「大切な」<あたらさん。 また、あったら。とも。 九州、宮崎でも「もったいない」ことを「あったれー」という。「新しい」とは違う。
哀り露果てぃてぃ 肌染だる所 道歩む人ぬ 枝小覆すてぃ
あわりちゆはてぃてぃ はだすだるとぅくる みちあゆむふぃとぅぬ いぇだぐゎうすてぃ
'awari chiyu hatiti hada sudaru tukuru chi 'ayuu hwitu nu yeda gwa 'usuti
〇哀れにも露のように命果てて ここは二人が肌を染めたところ 道歩む人は枝で覆う所
語句・うすてぃ<うすゆん。「かぶせる」「おさえる」など。
はじうすい坂に 咲ちゅる二人が花 一期いちまでぃん 沙汰ゆ残ち
はじうすいびらに さちゅるたいがはな いちぐいちまでぃん さたゆぬくち
hajiusui bira ni sacharu tai ga hana 'ichigu 'ichimadiN sata yu nukuchi
〇はじうすい坂に咲いている二人の花 いつまでも後世に噂を残して
語句・さた うわさ。・ゆ を。文語表現。口語では目的格の助詞がない。
続きを読む
はじうすいびら
hajiusui bira
語句・はじうすいびら 東村の有銘にある坂の名前。隣村同士の男女が誤解のすえに自殺した場所とされる。「はじうすい」とは「恥」を「覆う」(うすゆん。うすいん)から来ている。
作詞;仲宗根幸市 作詞;普久原恒勇 唄;山里ユキ
(連ね)野山越ぃる道や幾里ひじゃみてぃん 闇にただ一人忍でぃ行ちゅん
(ちらに) ぬやまくぃるみちや いくりふぃじゃみてぃん やみにただふぃちゅいしぬでぃいちゅん
(chirani) nuyama kwiru michi ya 'ikuri hwijamitiN yami ni tada hwichui shinudi 'ichuN
〇野山を越える道は何里離れていても闇の中ただ一人で忍んで行く
語句・くぃる 越える。 ・ふぃじゃみてぃん 隔てていても。<ふぃじゃみゆん 離れる。
源河山脇に あたら花散らち 一道なてぃ結ぶ 二人が情き
じんかやまわちに あたらはなちらち ちゅみちなてぃむしぶ たいがなさき
jiNka yama wachi ni 'atara hana chirachi chumichi nati mushibu tai ga nasaki
〇源河の山脇に一度しか咲かない花を散らして 一つの道になって結ばれる二人の愛
語句・じんか 名護市羽地村の源河。<じんかー。・あたら 「もったいない」「大切な」<あたらさん。 また、あったら。とも。 九州、宮崎でも「もったいない」ことを「あったれー」という。「新しい」とは違う。
哀り露果てぃてぃ 肌染だる所 道歩む人ぬ 枝小覆すてぃ
あわりちゆはてぃてぃ はだすだるとぅくる みちあゆむふぃとぅぬ いぇだぐゎうすてぃ
'awari chiyu hatiti hada sudaru tukuru chi 'ayuu hwitu nu yeda gwa 'usuti
〇哀れにも露のように命果てて ここは二人が肌を染めたところ 道歩む人は枝で覆う所
語句・うすてぃ<うすゆん。「かぶせる」「おさえる」など。
はじうすい坂に 咲ちゅる二人が花 一期いちまでぃん 沙汰ゆ残ち
はじうすいびらに さちゅるたいがはな いちぐいちまでぃん さたゆぬくち
hajiusui bira ni sacharu tai ga hana 'ichigu 'ichimadiN sata yu nukuchi
〇はじうすい坂に咲いている二人の花 いつまでも後世に噂を残して
語句・さた うわさ。・ゆ を。文語表現。口語では目的格の助詞がない。
続きを読む
2012年01月15日
ハイニセター
ハイニセター
はいにせたー
hai nisetaa
〇やあ(青年の)みなさん
語句・はい やあ。呼びかけの言葉。「はいさい」はそれの敬語。・にせたー 青年たち。みなさん。<にーせーたー 唄としては「にせたー」と短縮している。
(男)無蔵とぅ我が仲や 松ぬ葉ぬ如に 落てぃてぃ枯りるとぅん 二人や一道 よー無蔵よ ハイ アバ小 今どぅはちちゃんな 今日夜ながた遊び出来らさや
んぞとぅわがなかや まちぬふぁぬぐとぅに うてぃてぃかりるとぅん たいやちゅみち よーんぞよ はい あばぐゎ なまどぅはちちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
Nzo tu waga naka ya machi nu hwaa nu gutu ni 'utiti karirutuN tai ya chumichi yoo Nzo yoo hai 'abagwaa nama du hachichaN naa chuu yunagata 'ashibidikirasa ya
〇貴女と私の仲は松の葉のように落ちて枯れるとも(つながっているように)二人は同じ道だよ ねえ貴女 やあ ねえさん 今もうきちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・あばぐゎ <あばー 姉さん。ねえちゃん。 「小」(ぐゎー)をつけることが多い。・はちちゃんなきちゃったのかい? <はちちゅーん。 来てしまう。来ちゃう。+なー。 かい?。・ゆながた 夜通し。・でぃきらさや <でぃきゆん。 うまくいく。よくできる。成功する。→でぃきらしゅん 成功させる、うまくいかせる。未然形。「成功させよう」「成功させたい」くらいの意味になる。
(女)行逢たどい弟じゃ しちゃたどい兄じゃ ゆらてぃ物語い でぃしち遊ば よーアヒ小 ハイ アヒ小 今どぅもうちゃんな 今日夜ながた遊び出来らさや
いちゃたどぅいうとぅじゃ しちゃたどぅいしぬじゃ ゆらてぃむぬがたい でぃしちあしば よーあふぃぐゎ はい あふぃぐゎ なまどぅもーちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
'ichata du i 'utuja shicyata du i shinuija yurati munugatai dii shichi 'ashiba yoo 'ahwiigwaa hai 'ahwiigwaa nama du moochaN naa chuu yunagata 'ashibi dikirasa ya
〇出会ったぞ弟(妹)よ 出会ったね兄(姉)さん 寄り合って語り合い さあそうやって遊ぼう ねえ兄さん やあ兄さん 今もう来ちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・うとぅじゃ 年下である弟または妹の意味。「弟」は当て字。「うとぅじゃんだー」(兄弟姉妹たち)。・しぬじゃ 兄または姉。「【si-は〔古語〕兄[せ]か】【琉球語辞典】。現代でも沖縄では年上の人を「しーじゃ」と呼ぶ。・あふぃー 「兄、兄さん」【琉辞】。厳密には「あふぃーぐゎー」は「(一番)下の兄(さん)」【琉辞】。
(男)無蔵がゆし事ん 我ね守てぃ居むぬ 無蔵ん忘りるな 我ゆし事や よーアバ小 ハイアバ小 今どぅはちちゃんな 今日夜ながた 遊び出来らさや
んぞがゆしぐとぅん わねまむてぃうむぬ んぞんわしりるな わゆしぐとぅや よーあばぐゎ はいあばぐゎ なまどぅはちちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
Nzo ga yushigutuN wane mamuti umunu NzoN washiriruna waa yushigutu ya yoo 'abagwaa hai 'abagwaa namadu hachichaN naa chuu yunagata 'ashibidikirasa ya
〇貴女がいいつけた事も私は守っているので貴女も忘れるなよ 私のいいつける事を ねえ姉さん やあ姉さん 今もう来ちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・ゆしぐとぅ「教訓、助言」。ここでは「いいつけた事」くらいに訳できる。
(女)たまさかぬ今宵 鳥や歌るとぅん しばし明雲ん情あらば よー無蔵よ アネ東ん アネ明かがてぃ
たまさかぬくゆい とぅいやうたるとぅん しばしあきぐむんなさきあらば よーんぞよ あねあがりん あねあかがてぃ
tamasaka nu kuyui tui ya 'utarutuN shibashi 'akigumuN nasaki 'araba yoo Nzo yoo 'ane 'agariN 'ane 'akagati
〇稀にしかない今夜は鶏が鳴いてもしばし明け方の美しい雲も情けがあるならば(明けないでほしい) ねえ貴女 あら!東も あら!明るくなって
語句・たまさか 「稀(まれなこと)」【琉球語辞典】。・あきぐむ 「明け方の(美しい)雲」【琉辞】。
(男女)なあ 別やい 明日遊ばなや でぃちゃ家かい 又明日や
なーわかやい あちゃあしばなや でぃちゃやーかい またあちゃや
naa wakayai 'acha 'ashibana ya dicha yaa kai mata 'acha ya
〇もう別れだね 明日遊ぼうね さあ家に帰りまた明日ね 続きを読む
はいにせたー
hai nisetaa
〇やあ(青年の)みなさん
語句・はい やあ。呼びかけの言葉。「はいさい」はそれの敬語。・にせたー 青年たち。みなさん。<にーせーたー 唄としては「にせたー」と短縮している。
(男)無蔵とぅ我が仲や 松ぬ葉ぬ如に 落てぃてぃ枯りるとぅん 二人や一道 よー無蔵よ ハイ アバ小 今どぅはちちゃんな 今日夜ながた遊び出来らさや
んぞとぅわがなかや まちぬふぁぬぐとぅに うてぃてぃかりるとぅん たいやちゅみち よーんぞよ はい あばぐゎ なまどぅはちちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
Nzo tu waga naka ya machi nu hwaa nu gutu ni 'utiti karirutuN tai ya chumichi yoo Nzo yoo hai 'abagwaa nama du hachichaN naa chuu yunagata 'ashibidikirasa ya
〇貴女と私の仲は松の葉のように落ちて枯れるとも(つながっているように)二人は同じ道だよ ねえ貴女 やあ ねえさん 今もうきちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・あばぐゎ <あばー 姉さん。ねえちゃん。 「小」(ぐゎー)をつけることが多い。・はちちゃんなきちゃったのかい? <はちちゅーん。 来てしまう。来ちゃう。+なー。 かい?。・ゆながた 夜通し。・でぃきらさや <でぃきゆん。 うまくいく。よくできる。成功する。→でぃきらしゅん 成功させる、うまくいかせる。未然形。「成功させよう」「成功させたい」くらいの意味になる。
(女)行逢たどい弟じゃ しちゃたどい兄じゃ ゆらてぃ物語い でぃしち遊ば よーアヒ小 ハイ アヒ小 今どぅもうちゃんな 今日夜ながた遊び出来らさや
いちゃたどぅいうとぅじゃ しちゃたどぅいしぬじゃ ゆらてぃむぬがたい でぃしちあしば よーあふぃぐゎ はい あふぃぐゎ なまどぅもーちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
'ichata du i 'utuja shicyata du i shinuija yurati munugatai dii shichi 'ashiba yoo 'ahwiigwaa hai 'ahwiigwaa nama du moochaN naa chuu yunagata 'ashibi dikirasa ya
〇出会ったぞ弟(妹)よ 出会ったね兄(姉)さん 寄り合って語り合い さあそうやって遊ぼう ねえ兄さん やあ兄さん 今もう来ちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・うとぅじゃ 年下である弟または妹の意味。「弟」は当て字。「うとぅじゃんだー」(兄弟姉妹たち)。・しぬじゃ 兄または姉。「【si-は〔古語〕兄[せ]か】【琉球語辞典】。現代でも沖縄では年上の人を「しーじゃ」と呼ぶ。・あふぃー 「兄、兄さん」【琉辞】。厳密には「あふぃーぐゎー」は「(一番)下の兄(さん)」【琉辞】。
(男)無蔵がゆし事ん 我ね守てぃ居むぬ 無蔵ん忘りるな 我ゆし事や よーアバ小 ハイアバ小 今どぅはちちゃんな 今日夜ながた 遊び出来らさや
んぞがゆしぐとぅん わねまむてぃうむぬ んぞんわしりるな わゆしぐとぅや よーあばぐゎ はいあばぐゎ なまどぅはちちゃんな ちゅーゆながたあしびでぃきらさや
Nzo ga yushigutuN wane mamuti umunu NzoN washiriruna waa yushigutu ya yoo 'abagwaa hai 'abagwaa namadu hachichaN naa chuu yunagata 'ashibidikirasa ya
〇貴女がいいつけた事も私は守っているので貴女も忘れるなよ 私のいいつける事を ねえ姉さん やあ姉さん 今もう来ちゃったのかい 今日は夜通し遊び盛り上げようね
語句・ゆしぐとぅ「教訓、助言」。ここでは「いいつけた事」くらいに訳できる。
(女)たまさかぬ今宵 鳥や歌るとぅん しばし明雲ん情あらば よー無蔵よ アネ東ん アネ明かがてぃ
たまさかぬくゆい とぅいやうたるとぅん しばしあきぐむんなさきあらば よーんぞよ あねあがりん あねあかがてぃ
tamasaka nu kuyui tui ya 'utarutuN shibashi 'akigumuN nasaki 'araba yoo Nzo yoo 'ane 'agariN 'ane 'akagati
〇稀にしかない今夜は鶏が鳴いてもしばし明け方の美しい雲も情けがあるならば(明けないでほしい) ねえ貴女 あら!東も あら!明るくなって
語句・たまさか 「稀(まれなこと)」【琉球語辞典】。・あきぐむ 「明け方の(美しい)雲」【琉辞】。
(男女)なあ 別やい 明日遊ばなや でぃちゃ家かい 又明日や
なーわかやい あちゃあしばなや でぃちゃやーかい またあちゃや
naa wakayai 'acha 'ashibana ya dicha yaa kai mata 'acha ya
〇もう別れだね 明日遊ぼうね さあ家に帰りまた明日ね 続きを読む
2011年11月05日
放蕩口説
放蕩口説
ほーとーくどぅち
hootoo kuduchi
〇放蕩口説
作詞 小浜守栄
一、銭と命とや右左 昔語いゆ知りなぎな 人の心のあさましや
じんとぅぬちとぅやみぎふぃじゃい んかしかたいゆしりなぎな ふぃとぅぬくくるぬあさましや
jiN tu nuchi tu ya migi hwijai Nkashi katai yu shirinagina hwitu nu kukuru nu 'asamashi ya
〇銭と命とは右左という昔の言葉を知りながら人の心のあさましいことよ
語句・なぎな ・・ながら。
二、うりほどかなさる親兄弟に 友人ぬ意見ぬん他人事に花の香りに引かされて
うりふどぅかなさる うやちょでに どぅしぬいちぬんゆすぐとぅにはなぬかうりにふぃかさりてぃ
'uri hudu kanasaru 'uyachode ni dushi nu 'ichinuN yusugutu ni hana nu kawuri ni hwikasariti
〇それほど愛している親兄弟に 友の意見もよそ事のようにして 花(女郎)の香に魅了されて
語句・ちょで 兄弟 <ちょーでー。琉歌、歌の中では長母音を短縮することがある(詩的許容という)。
三、親のゆずりの財産ぬん わがままじままに使はてて 遊び楽しみするうちに
うやぬゆじりぬ ざいさぬん わがままじままにちけはてぃてぃ あしびたぬしみするうちに
'uya nu yuziri nu zaisanuN wagamama jimama ni chikehatiti 'ashibi tanushimi suru 'uchi ni
〇親譲りの財産もわがまましたい放題に使い果てて遊び楽しみ呆けているうちに
四、寄いて六十の坂くれば 顔や頭に雪かみて 涙流ちよて働らちん
いいてぃるくじゅぬさかくりば かうやかしらにゆちかみてぃ なみだながちょてぃはたらちん
yiiti rukuju nu saka kuriba kawu ya kashira ni yuchi kamiti minada knagachoti hatarachiN
〇老いて六十の坂が来ると顔や頭に雪(白いもの)をのせて涙流して働いても
五、元の若さに戻らりみ 楽しで後のこの苦りしや 今ど知らりる我が仕様
むとぅぬわかさにむどぅらりみ たぬしでぃあとぅぬくぬくぬくりさ なまどぅしらりるわがしじゃま
mutu nu wakasa ni mudurarimi tanushidi 'atu nu kunu kurisa nama du shirariru waga shijama
〇元の若さには戻られまい 楽しんだ後のこの苦しさは 今になって知る自分のあり様
六、やくと世間の産子の達 親の寄せ事そむくなよ 楽しみ過ぎるな酒と色
やくとぅしきんぬなしぐゎぬちゃ うやぬゆしぐとぅすむくなよ たぬしみすぎるなさきとぅいる
〇だから世に生まれたすべての者達は親の言うことにそむくなよ 楽しみすぎるな酒と色
語句・やくとぅ だから。・なしぐゎ 本来は「生まれてきた自分の子供」の意味。すべての人。
七、酔いて悔やむな後悔の 先に立たん世の定め くくりて渡りよこの世間や
いいてぃくやむなこーけいぬ さきにたたんゆぬさだみ くくりてぃわたりよくぬしきん
yiiti kuyamuna kookei nu saki ni tataN yu nu sadami kukuriti watari yo kunu shikiN
〇酔って悔やむな後悔が先に立たない世の定め 心して渡りなさいこの世間は
語句・くくりてぃ 心して。 続きを読む
ほーとーくどぅち
hootoo kuduchi
〇放蕩口説
作詞 小浜守栄
一、銭と命とや右左 昔語いゆ知りなぎな 人の心のあさましや
じんとぅぬちとぅやみぎふぃじゃい んかしかたいゆしりなぎな ふぃとぅぬくくるぬあさましや
jiN tu nuchi tu ya migi hwijai Nkashi katai yu shirinagina hwitu nu kukuru nu 'asamashi ya
〇銭と命とは右左という昔の言葉を知りながら人の心のあさましいことよ
語句・なぎな ・・ながら。
二、うりほどかなさる親兄弟に 友人ぬ意見ぬん他人事に花の香りに引かされて
うりふどぅかなさる うやちょでに どぅしぬいちぬんゆすぐとぅにはなぬかうりにふぃかさりてぃ
'uri hudu kanasaru 'uyachode ni dushi nu 'ichinuN yusugutu ni hana nu kawuri ni hwikasariti
〇それほど愛している親兄弟に 友の意見もよそ事のようにして 花(女郎)の香に魅了されて
語句・ちょで 兄弟 <ちょーでー。琉歌、歌の中では長母音を短縮することがある(詩的許容という)。
三、親のゆずりの財産ぬん わがままじままに使はてて 遊び楽しみするうちに
うやぬゆじりぬ ざいさぬん わがままじままにちけはてぃてぃ あしびたぬしみするうちに
'uya nu yuziri nu zaisanuN wagamama jimama ni chikehatiti 'ashibi tanushimi suru 'uchi ni
〇親譲りの財産もわがまましたい放題に使い果てて遊び楽しみ呆けているうちに
四、寄いて六十の坂くれば 顔や頭に雪かみて 涙流ちよて働らちん
いいてぃるくじゅぬさかくりば かうやかしらにゆちかみてぃ なみだながちょてぃはたらちん
yiiti rukuju nu saka kuriba kawu ya kashira ni yuchi kamiti minada knagachoti hatarachiN
〇老いて六十の坂が来ると顔や頭に雪(白いもの)をのせて涙流して働いても
五、元の若さに戻らりみ 楽しで後のこの苦りしや 今ど知らりる我が仕様
むとぅぬわかさにむどぅらりみ たぬしでぃあとぅぬくぬくぬくりさ なまどぅしらりるわがしじゃま
mutu nu wakasa ni mudurarimi tanushidi 'atu nu kunu kurisa nama du shirariru waga shijama
〇元の若さには戻られまい 楽しんだ後のこの苦しさは 今になって知る自分のあり様
六、やくと世間の産子の達 親の寄せ事そむくなよ 楽しみ過ぎるな酒と色
やくとぅしきんぬなしぐゎぬちゃ うやぬゆしぐとぅすむくなよ たぬしみすぎるなさきとぅいる
〇だから世に生まれたすべての者達は親の言うことにそむくなよ 楽しみすぎるな酒と色
語句・やくとぅ だから。・なしぐゎ 本来は「生まれてきた自分の子供」の意味。すべての人。
七、酔いて悔やむな後悔の 先に立たん世の定め くくりて渡りよこの世間や
いいてぃくやむなこーけいぬ さきにたたんゆぬさだみ くくりてぃわたりよくぬしきん
yiiti kuyamuna kookei nu saki ni tataN yu nu sadami kukuriti watari yo kunu shikiN
〇酔って悔やむな後悔が先に立たない世の定め 心して渡りなさいこの世間は
語句・くくりてぃ 心して。 続きを読む
2011年04月12日
挽物口説
挽物口説
ふぃちむんくどぅち
hwichi muN kuduchi
〇挽物口説
語句・ふぃちむん 「挽物。ろくろがんなで作ったもの。木の皿・椀・盆など」【沖辞】。「挽物」(ひきもの)とは古来からある工芸技術の一つで、ろくろを横にしたようなものに木を取り付け、回転させながらカンナなどで削り日用品から工芸品まで作る。「ひちむん」ともいう。
男A 我んどぅ挽物細工やしが 田場天願かい行ちゅる事やしが前引ちぬ居らん事 行ちやならん 隣ぬ津覇添うてぃ行ちゅん 津覇よ 津覇よ
わんどぅふぃちむんぜーくやしが たーばてぃんがんかいいちゅるぐとぅやしが めーふぃちぬうらんぐとぅ いちやならん とぅないぬちーふぁーそーてぃいちゅん ちーふぁーよちーふぁーよ
waN du hwichimuNzeeku yashiga taaba tiNgan kai 'ichuru gutu yashiga meehwichi nu uraNgutu 'ichi ya naraN tunai nu chiihwaa sooti 'ichuN chiihwaa yo chiihwaa yo
〇私こそは挽物師であるが 田場天願に行くのだが (荷物の)前を引く者が居ないので行くことができない 隣の津覇を連れて行く 津覇よ 津覇よ
語句・ふぃちむんぜーく 挽物師。・たーばてぃんがん 田場、天願。地名は隣同士の二つの地名を繋げていうことが多い。中頭、具志川間切にあった。
男B 誰やみせーびーが
たーやみせーびーが
taa ya mi seebiiga
〇どなたでございますか?
男A 我んどぅやっさみ津覇 津覇よ くぬ間御頑丈んあっちゅたみ
わんどぅやっさみちーふぁー ちーふぁーよ くぬえだがんじゅーんあっちゅたみ
waN du yassami chiihwaa chiihwaa yoo kunu yeda gaNjuN 'acchutami
〇私だよ 津覇 津覇よ このところ元気にしていたか?
男B うーうんじゅん御頑丈んあっちみせーびてぃい
うーうんじゅんうがんじゅーんあっちみせーびてぃい
'uu 'uNjuN 'ugaNjuN 'acchimiseebitii
〇はい 貴方もお元気でいらっしゃいましたか?
語句・うーはい。 目上のものへの返事。
男A 田場天願かい行ちゅる事やしが 前引ちぬ居らん事汝や行かに
たーばてぃんがんかい'いちゅるくとぅやしが めーふぃちぬうらんくとぅやーやいかに
taaba tiNgaN kai 'ichuru kutu yashiga meehwichi nu uraN kutu yaa ya 'ikani
〇田場天願に行くのだが 前引きが居ないのでお前行かないか?
男B 我んや腰ぬ病でぃ行ちゅうさびらん事 別から頼みんそうち そうてぃめんそうれ
わんやくしぬやでぃいちゅーさびらんくとぅ びちからたぬみんそーち そーてぃめんそーれ
waN ya kushi nu yadi 'ichusabiraN kutu bichi kara tanumiNsoochi sooree
〇私は腰を痛めていくことができないので別から頼んでください(その人を)連れて行ってください
男A 彼方やよう津覇 津覇よ 地頭代ぬ御祝儀食ぇーやてぃ牛豚殺すんど
あまやよーちーふぁー ちーふぁーよ じとぅでーぬぐすーじぐぇーやてぃ うしうゎーくるすんど
'ama ya yoo chiihwaa chiihwaa yoo jitudee nu gusuuji gwee yati 'ushi 'waa kurusuN doo
〇あそこはよ 津覇よ 津覇よ 地頭代のお祝い料理で牛豚を殺すんだよ
語句・ぐぇー <くぇー<くぇーむん 御馳走。
男B あんせーな道具取てぃ来わ添うてぃめんそーり
あぬ坂何んでぃ云ゆる坂だやびるが
あんせーなーどーぐとぅてぃくーわ そーてぃめんそーり あぬふぃらぬーんでぃいゆるふぃらだやびるが
'ansee naa doogu tuti kuuwa sooti meNsoori 'anu hwira nuu Ndi 'iyuru hwira dayabiru ga
〇そうなんですか 道具を取って来たら連れていってください あの坂はなんという坂でございますか?
語句・わ <「ば」の弱まった形。・・たら。
男A ありやよー津覇 津覇よ 荻道大城ぬ坂んでぃ云んど
ありやよーちーふぁー ちーふぁーよ うんじょーうふぐしくんでぃいゆんどー
'ari ya yoo chiihwaa chiihwaa yo wuNjoo 'uhugushiku nu hwira Ndi 'iyuN doo
〇あれはよ 津覇 津覇よ 荻道大城の坂というんだよ
語句・うんじょー 荻道。中城にある地名。下に歌碑の写真がある。
男B あんしん高さる坂んあやびかや 彼方居てぃ鳴ちゅる牛ぇー何牛だやびるが
あんしんたかさるたかさるふぃらんあやびかや あまうてぃなちゅるうしぇーぬーうしだやびるが
'anshiN takasaru hwiraN 'ayabika yaa 'ama uti nachuru 'ushee nuu 'ushi dayabiru ga
〇あのように高い坂もあるのでしょうか? あそこで鳴いている牛はなんという牛でございますか?
語句・うしぇー 牛は。<うし+や。
男A ありやよー津覇 津覇よ 地頭代ぬ御祝儀喰ぇーやてぃ殺する牛てぃんど
ありやよーちーふぁー ちーふぁーよ じとぅでーぬぐすーじくぇーやてぃくるするうしてぃんどー
'ari ya yoo chiihwaa chiihwaa yoo jitudee nu gusuuji kwee yati kurusuru 'ushi tiN doo
〇あれはね津覇 津覇よ 地頭代のお祝い料理で殺す牛なのだよ
語句・じとぅでー 「地頭(zituu)のかわりに、その地頭の采邑すなわち間切(maziri)を統治する者。中央集権後、地頭は首里に住み、地方の平民の有力者がかわってその間切を統治することになりzitudeeと呼ばれた」【沖辞】。
男B あんしぇーな 我達までぃん御馳走さびいさや 病むる腰までぃん 治ゆるぐとぅさ
鍋なくーさびら 挽物さびら
あんしぇーなー わったーまでぃんくゎっちーさびいさや やむるくしまでぃん のーゆるぐとぅさ なーびなくーさびら ふぃちむんさびら
'anshee naa watta madiN kwacchii sabiisa yaa yamuru kushi madiN nooyuru gutu sa naabinakuusabira hwichimuNsabira
〇そうですか!私たちまでも御馳走されるのですか 腰痛までも治るようですね 「鍋修理しましょうか~ 挽物しましょうか」
語句・くゎっちー 御馳走。「『活計』に対応する語か」【沖辞】。・なーびなくー 鍋修理。「なーびぬくー」とも云う。「鍋釜の修理。鍋釜の穴のあいたものをふさぐこと。いかけ。いかけ屋。鍋の(naabinu)いかけ(kuu)の意」【沖辞】。
女 いぇーたり主ぬ前 何んでぃ云みせーが
えーたり すぬめー ぬーんでぃいみせーが
'ee tari su nu mee nuu Ndi 'imisee ga
〇もし!あなた方 なんとおっしゃいましたか
語句・えーたり 目上のものへの女性の呼びかけ語。「もし」
男A 鍋なくー挽物すんでぃち 歩っちゅしが
なーびなくーふぃちむんすんでぃち あっちゅしが
naabinakuu hwichimuN suNdichi 'acchushi ga
〇鍋修理、挽物するといって歩いているのだが
女 我たーにんあいびー事 気張てぃ呉みそーれ くぬ鍋鹿児島下いぬ
一枚二合三枚中だに 穴ぎとんでぃ くぬ前ぬ鍋なくーがん あん云みせーたん
わったーにんあいびーくとぅ ちばてぃくぃみそーれ くぬなーべーかぐしまくだいぬ いちめーにんごーさんめー なかだに ふぎとんでぃ くぬめーぬなーびなくーがん あんいみせーたん
wattaa niN 'aibii kutu chibati kwimisoore kunu naabee kagushima kudai nu 'ichimee niNgoo saNmee nakadani kunu mee nu naabinakuu gaN 'aN 'imiseetaN
〇私の家にもあるので頑張ってください この鍋は鹿児島から来たもので一枚ニ合三枚の中にしっかり穴があいているんだと この前の鍋修理がそういっておりました
語句・ふぎとんでぃ 穴があいていると。<ふぎゆん ふぎいん。穴があく。+んでぃ と。
女 商ーとぅユウベーとぅたんかまんか 鍋なくー主ぬ前んうちばいみそり
挽物主ぬ前んちばいみそり 我んやくま居とーてぃ囃子さびら
あちねーとぅゆーべーとぅたんかーまんかー なーびなくーすぬめーん うちばいみそり ふぃちむんすぬめーんちばいみそり わんやくまうとーてぃふぇーしさびら
'achinee tu yuubee tu taNkaamaNkaa naabinakuu sunumeeN 'uchibaimisori hwichimuN sunumeeN chibaimisori waN ya kuma utooti hweeshi sabira
〇商売と妾(遊び)は向かい合わせ 鍋修理のお方頑張ってください 挽物のお方頑張ってください 私はここで囃子をしましょう
語句・たんかーまんかー 「相対するさま。向かい合うさま」。ここでは「仕事がうまくいけば遊びもできますよ」くらいの意味か。
【唐船ドーイ】
(略)
滑稽歌。
音源では「沖縄民謡大全集」(マルフクレコード)、「登川誠仁 / 知名定男」が手元にある。
沖縄民謡大全集では、多嘉良朝成、多嘉良カナ子の二人で。
「登川誠仁 / 知名定男」では登川誠仁さんが男Aを、男Bを知名定男さんが、そして吉田康子さんが女を演じている。そしてこちらのほうが少し話しが長く、一部が面白く変えてある。
「ひちむんくどぅち」「しちむんくどぅち」と読んだものもある。
中城城跡から少し下った所、この歌で「荻道大城ぬ坂」と呼ばれた場所に歌碑がある。
(2014年に撮影)
YouTubeに登川誠仁さんが歌った「挽物口説」がある。(相方の津覇役は仲宗根創さん)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
ふぃちむんくどぅち
hwichi muN kuduchi
〇挽物口説
語句・ふぃちむん 「挽物。ろくろがんなで作ったもの。木の皿・椀・盆など」【沖辞】。「挽物」(ひきもの)とは古来からある工芸技術の一つで、ろくろを横にしたようなものに木を取り付け、回転させながらカンナなどで削り日用品から工芸品まで作る。「ひちむん」ともいう。
男A 我んどぅ挽物細工やしが 田場天願かい行ちゅる事やしが前引ちぬ居らん事 行ちやならん 隣ぬ津覇添うてぃ行ちゅん 津覇よ 津覇よ
わんどぅふぃちむんぜーくやしが たーばてぃんがんかいいちゅるぐとぅやしが めーふぃちぬうらんぐとぅ いちやならん とぅないぬちーふぁーそーてぃいちゅん ちーふぁーよちーふぁーよ
waN du hwichimuNzeeku yashiga taaba tiNgan kai 'ichuru gutu yashiga meehwichi nu uraNgutu 'ichi ya naraN tunai nu chiihwaa sooti 'ichuN chiihwaa yo chiihwaa yo
〇私こそは挽物師であるが 田場天願に行くのだが (荷物の)前を引く者が居ないので行くことができない 隣の津覇を連れて行く 津覇よ 津覇よ
語句・ふぃちむんぜーく 挽物師。・たーばてぃんがん 田場、天願。地名は隣同士の二つの地名を繋げていうことが多い。中頭、具志川間切にあった。
男B 誰やみせーびーが
たーやみせーびーが
taa ya mi seebiiga
〇どなたでございますか?
男A 我んどぅやっさみ津覇 津覇よ くぬ間御頑丈んあっちゅたみ
わんどぅやっさみちーふぁー ちーふぁーよ くぬえだがんじゅーんあっちゅたみ
waN du yassami chiihwaa chiihwaa yoo kunu yeda gaNjuN 'acchutami
〇私だよ 津覇 津覇よ このところ元気にしていたか?
男B うーうんじゅん御頑丈んあっちみせーびてぃい
うーうんじゅんうがんじゅーんあっちみせーびてぃい
'uu 'uNjuN 'ugaNjuN 'acchimiseebitii
〇はい 貴方もお元気でいらっしゃいましたか?
語句・うーはい。 目上のものへの返事。
男A 田場天願かい行ちゅる事やしが 前引ちぬ居らん事汝や行かに
たーばてぃんがんかい'いちゅるくとぅやしが めーふぃちぬうらんくとぅやーやいかに
taaba tiNgaN kai 'ichuru kutu yashiga meehwichi nu uraN kutu yaa ya 'ikani
〇田場天願に行くのだが 前引きが居ないのでお前行かないか?
男B 我んや腰ぬ病でぃ行ちゅうさびらん事 別から頼みんそうち そうてぃめんそうれ
わんやくしぬやでぃいちゅーさびらんくとぅ びちからたぬみんそーち そーてぃめんそーれ
waN ya kushi nu yadi 'ichusabiraN kutu bichi kara tanumiNsoochi sooree
〇私は腰を痛めていくことができないので別から頼んでください(その人を)連れて行ってください
男A 彼方やよう津覇 津覇よ 地頭代ぬ御祝儀食ぇーやてぃ牛豚殺すんど
あまやよーちーふぁー ちーふぁーよ じとぅでーぬぐすーじぐぇーやてぃ うしうゎーくるすんど
'ama ya yoo chiihwaa chiihwaa yoo jitudee nu gusuuji gwee yati 'ushi 'waa kurusuN doo
〇あそこはよ 津覇よ 津覇よ 地頭代のお祝い料理で牛豚を殺すんだよ
語句・ぐぇー <くぇー<くぇーむん 御馳走。
男B あんせーな道具取てぃ来わ添うてぃめんそーり
あぬ坂何んでぃ云ゆる坂だやびるが
あんせーなーどーぐとぅてぃくーわ そーてぃめんそーり あぬふぃらぬーんでぃいゆるふぃらだやびるが
'ansee naa doogu tuti kuuwa sooti meNsoori 'anu hwira nuu Ndi 'iyuru hwira dayabiru ga
〇そうなんですか 道具を取って来たら連れていってください あの坂はなんという坂でございますか?
語句・わ <「ば」の弱まった形。・・たら。
男A ありやよー津覇 津覇よ 荻道大城ぬ坂んでぃ云んど
ありやよーちーふぁー ちーふぁーよ うんじょーうふぐしくんでぃいゆんどー
'ari ya yoo chiihwaa chiihwaa yo wuNjoo 'uhugushiku nu hwira Ndi 'iyuN doo
〇あれはよ 津覇 津覇よ 荻道大城の坂というんだよ
語句・うんじょー 荻道。中城にある地名。下に歌碑の写真がある。
男B あんしん高さる坂んあやびかや 彼方居てぃ鳴ちゅる牛ぇー何牛だやびるが
あんしんたかさるたかさるふぃらんあやびかや あまうてぃなちゅるうしぇーぬーうしだやびるが
'anshiN takasaru hwiraN 'ayabika yaa 'ama uti nachuru 'ushee nuu 'ushi dayabiru ga
〇あのように高い坂もあるのでしょうか? あそこで鳴いている牛はなんという牛でございますか?
語句・うしぇー 牛は。<うし+や。
男A ありやよー津覇 津覇よ 地頭代ぬ御祝儀喰ぇーやてぃ殺する牛てぃんど
ありやよーちーふぁー ちーふぁーよ じとぅでーぬぐすーじくぇーやてぃくるするうしてぃんどー
'ari ya yoo chiihwaa chiihwaa yoo jitudee nu gusuuji kwee yati kurusuru 'ushi tiN doo
〇あれはね津覇 津覇よ 地頭代のお祝い料理で殺す牛なのだよ
語句・じとぅでー 「地頭(zituu)のかわりに、その地頭の采邑すなわち間切(maziri)を統治する者。中央集権後、地頭は首里に住み、地方の平民の有力者がかわってその間切を統治することになりzitudeeと呼ばれた」【沖辞】。
男B あんしぇーな 我達までぃん御馳走さびいさや 病むる腰までぃん 治ゆるぐとぅさ
鍋なくーさびら 挽物さびら
あんしぇーなー わったーまでぃんくゎっちーさびいさや やむるくしまでぃん のーゆるぐとぅさ なーびなくーさびら ふぃちむんさびら
'anshee naa watta madiN kwacchii sabiisa yaa yamuru kushi madiN nooyuru gutu sa naabinakuusabira hwichimuNsabira
〇そうですか!私たちまでも御馳走されるのですか 腰痛までも治るようですね 「鍋修理しましょうか~ 挽物しましょうか」
語句・くゎっちー 御馳走。「『活計』に対応する語か」【沖辞】。・なーびなくー 鍋修理。「なーびぬくー」とも云う。「鍋釜の修理。鍋釜の穴のあいたものをふさぐこと。いかけ。いかけ屋。鍋の(naabinu)いかけ(kuu)の意」【沖辞】。
女 いぇーたり主ぬ前 何んでぃ云みせーが
えーたり すぬめー ぬーんでぃいみせーが
'ee tari su nu mee nuu Ndi 'imisee ga
〇もし!あなた方 なんとおっしゃいましたか
語句・えーたり 目上のものへの女性の呼びかけ語。「もし」
男A 鍋なくー挽物すんでぃち 歩っちゅしが
なーびなくーふぃちむんすんでぃち あっちゅしが
naabinakuu hwichimuN suNdichi 'acchushi ga
〇鍋修理、挽物するといって歩いているのだが
女 我たーにんあいびー事 気張てぃ呉みそーれ くぬ鍋鹿児島下いぬ
一枚二合三枚中だに 穴ぎとんでぃ くぬ前ぬ鍋なくーがん あん云みせーたん
わったーにんあいびーくとぅ ちばてぃくぃみそーれ くぬなーべーかぐしまくだいぬ いちめーにんごーさんめー なかだに ふぎとんでぃ くぬめーぬなーびなくーがん あんいみせーたん
wattaa niN 'aibii kutu chibati kwimisoore kunu naabee kagushima kudai nu 'ichimee niNgoo saNmee nakadani kunu mee nu naabinakuu gaN 'aN 'imiseetaN
〇私の家にもあるので頑張ってください この鍋は鹿児島から来たもので一枚ニ合三枚の中にしっかり穴があいているんだと この前の鍋修理がそういっておりました
語句・ふぎとんでぃ 穴があいていると。<ふぎゆん ふぎいん。穴があく。+んでぃ と。
女 商ーとぅユウベーとぅたんかまんか 鍋なくー主ぬ前んうちばいみそり
挽物主ぬ前んちばいみそり 我んやくま居とーてぃ囃子さびら
あちねーとぅゆーべーとぅたんかーまんかー なーびなくーすぬめーん うちばいみそり ふぃちむんすぬめーんちばいみそり わんやくまうとーてぃふぇーしさびら
'achinee tu yuubee tu taNkaamaNkaa naabinakuu sunumeeN 'uchibaimisori hwichimuN sunumeeN chibaimisori waN ya kuma utooti hweeshi sabira
〇商売と妾(遊び)は向かい合わせ 鍋修理のお方頑張ってください 挽物のお方頑張ってください 私はここで囃子をしましょう
語句・たんかーまんかー 「相対するさま。向かい合うさま」。ここでは「仕事がうまくいけば遊びもできますよ」くらいの意味か。
【唐船ドーイ】
(略)
滑稽歌。
音源では「沖縄民謡大全集」(マルフクレコード)、「登川誠仁 / 知名定男」が手元にある。
沖縄民謡大全集では、多嘉良朝成、多嘉良カナ子の二人で。
「登川誠仁 / 知名定男」では登川誠仁さんが男Aを、男Bを知名定男さんが、そして吉田康子さんが女を演じている。そしてこちらのほうが少し話しが長く、一部が面白く変えてある。
「ひちむんくどぅち」「しちむんくどぅち」と読んだものもある。
中城城跡から少し下った所、この歌で「荻道大城ぬ坂」と呼ばれた場所に歌碑がある。
(2014年に撮影)
YouTubeに登川誠仁さんが歌った「挽物口説」がある。(相方の津覇役は仲宗根創さん)
【このブログが本になりました!】
書籍【たるーの島唄まじめな研究】のご購入はこちら
2010年11月28日
帽子くまー
帽子くまー
ぼーしくまー
booshi kumaa
〇帽子を作る人
語句・ぼーしくまー 1900年くらいから沖縄戦開始の時期まで、沖縄で作られていた「パナマ帽」を作る人々(主に女性や子ども)が、こう呼ばれた。正確には「パナマ帽」とは「パナマソウ」から作られるものだから、アダン葉を使用し手編みで製作したこの帽子は「アダン葉帽」である。その作業は工場や家庭内で作業が行われた。沖縄戦までの40年間のうち、一時は「砂糖」「泡盛」に次ぐ産業にまでなった。
一、(女)あたま小や造てぃ ぬちさぐや知らん 愛し思里に習いぶさぬ サーミナウリサンセイ
あたまぐゎやちゅくてぃ ぬちさぐやしらん かなしうみさとぅにならいぶさぬ さーみなうりさんせい
'atamagwa ya chukuti nuchi sagu ya shiraN kanshi 'umisatu ni naraibusanu saa minaurisaNsei
〇「あたま小」(帽子の一番上)を作って編み方は知らない 愛しい貴方に習いたい (囃子言葉「さーみなそれをしないとねー」くらいの意味。)
語句・あたまぐゎ 帽子の一番の上。最初の編み出し。(※1)・ぬちさぐ 編み方。「読谷村民俗資料館」のTさんによる。
二、(男)天止みてぃ呉らば 我が妻になゆみ(女)組みあぎてぃ呉てぃん 妻やならん(男)サー愛人小どぅすんなあ
てぃんとぅみてぃくぃらばわがとぅじになゆみ くみあぎてぃくぃてぃん とぅじやならん さーにんぐるぐゎどぅすんなあ
tiN tumiti kwiraba waga tuji ni nayumi kumi 'agitikwitiN waga tuji ya naraN saa niNgurugwa du suN naa
〇(男)天を留めてあげれば 私の妻になるかい?(女)組み上げてくれても妻にはならないわ (男)さー愛人になるかい
語句・てぃん 帽子の上の部分全体。音源では「てん」とも聞える。(※2)・くぃらば あげれば。・にんぐるぐゎ 愛人。・どぅすんなー 直訳では「こそするのかい?」。愛人になるかい?
三、(女)天や我がたまし やまだきやうんじゅ 縁なりば里前 二人し組まや サーミナウリサンセイ
てぃんやわがたまし やまだききやうんじゅ いんなりばさとぅめ たいしくまや (囃子 省略)
tiN ya waga tamashi yamadaki ya uNju iN nariba satume taisi kuma ya
〇天は私の役目で、やまだき(帽子の高さ?※3)は貴方よ 縁(※4)なのだから貴方 二人で帽子を組みましょうね
語句・たまし たまし ①「精神、しっかりした心」。②「(各自の)持ち〔取り〕分」ここでは② 。役割。【琉辞】・やまだき 不明だが、Tさんの想像では「帽子の高さ」ではないか、とのこと。<やま 山。+ だき<だけ たけ。身長。・いん 縁。人と人の縁。音源では「えん」と聞えるが、ここでは帽子の部分である「縁」にかけている。
四、(男) 一本針や 押すてぃ 二本取てぃなぎてぃ何時が組み上ぎてぃ 耳小抜ちゅら サー天小胴小縁小耳小取てぃ耳抜かや
いっぷんばやうすてぃ にふんとぅてぃなぎてぃ いちがくみあぎてぃ みみぐゎぬちゅら さーてぃんぐゎ どーぐゎ いんぐゎ ひりぐゎとぅてぃみみぬかや
'ippuNba ya 'usuti nihuN tuti nagiti 'ichi ga kumi'agiti mimigwa nuchura saa tiNgwa doogwa iNgwa hirigwa tuti mimi nuka ya
〇一本の葉を押さえて 二本(め)を取ってなげて(上を通して)いつ組み上げて耳小をぬくか さー天小に胴小に縁小、ヘリを取って耳小をぬこう
語句・いっぷんば 当て字からは「一本針」と読める。しかし「針」は「はーい」なので、「ば」ということになると「葉」(はー)ではないだろうか。「民俗資料館」の方も「葉」だといわれた。・うすてぃ 押さえて。<うすゆん。「かぶせる。押さえる」【琉辞】。・みみぐゎ 帽子の縁の外側(※5)。最後にここに余分なものが出るのでそれをぬいて(切って?)仕上げるということらしい。・どーぐゎ (※6)帽子の天と縁との間の部分。
五、(男女) 帽子組ま哀り 組まんしが知ゆみ 勘定前になりば さら夜明かち サー さら夜明かち
ぼーしくまあわり くまんしがしゆみ かんじょーめーになりば さらゆあかち さーさらゆあかち
booshikuma 'awari kumaNshi ga shiyumi kannjoo mee ni nariba sarayu 'akachi saa sarayu 'akachi
〇帽子作る人はかわいそう 作らない人には分かるまい 勘定(納期)前になれば徹夜して さー徹夜して
語句・さら すっかり。全部。「さらゆ」は「夜全部」。「さらゆあかち」は「徹夜をして」。 続きを読む
ぼーしくまー
booshi kumaa
〇帽子を作る人
語句・ぼーしくまー 1900年くらいから沖縄戦開始の時期まで、沖縄で作られていた「パナマ帽」を作る人々(主に女性や子ども)が、こう呼ばれた。正確には「パナマ帽」とは「パナマソウ」から作られるものだから、アダン葉を使用し手編みで製作したこの帽子は「アダン葉帽」である。その作業は工場や家庭内で作業が行われた。沖縄戦までの40年間のうち、一時は「砂糖」「泡盛」に次ぐ産業にまでなった。
一、(女)あたま小や造てぃ ぬちさぐや知らん 愛し思里に習いぶさぬ サーミナウリサンセイ
あたまぐゎやちゅくてぃ ぬちさぐやしらん かなしうみさとぅにならいぶさぬ さーみなうりさんせい
'atamagwa ya chukuti nuchi sagu ya shiraN kanshi 'umisatu ni naraibusanu saa minaurisaNsei
〇「あたま小」(帽子の一番上)を作って編み方は知らない 愛しい貴方に習いたい (囃子言葉「さーみなそれをしないとねー」くらいの意味。)
語句・あたまぐゎ 帽子の一番の上。最初の編み出し。(※1)・ぬちさぐ 編み方。「読谷村民俗資料館」のTさんによる。
二、(男)天止みてぃ呉らば 我が妻になゆみ(女)組みあぎてぃ呉てぃん 妻やならん(男)サー愛人小どぅすんなあ
てぃんとぅみてぃくぃらばわがとぅじになゆみ くみあぎてぃくぃてぃん とぅじやならん さーにんぐるぐゎどぅすんなあ
tiN tumiti kwiraba waga tuji ni nayumi kumi 'agitikwitiN waga tuji ya naraN saa niNgurugwa du suN naa
〇(男)天を留めてあげれば 私の妻になるかい?(女)組み上げてくれても妻にはならないわ (男)さー愛人になるかい
語句・てぃん 帽子の上の部分全体。音源では「てん」とも聞える。(※2)・くぃらば あげれば。・にんぐるぐゎ 愛人。・どぅすんなー 直訳では「こそするのかい?」。愛人になるかい?
三、(女)天や我がたまし やまだきやうんじゅ 縁なりば里前 二人し組まや サーミナウリサンセイ
てぃんやわがたまし やまだききやうんじゅ いんなりばさとぅめ たいしくまや (囃子 省略)
tiN ya waga tamashi yamadaki ya uNju iN nariba satume taisi kuma ya
〇天は私の役目で、やまだき(帽子の高さ?※3)は貴方よ 縁(※4)なのだから貴方 二人で帽子を組みましょうね
語句・たまし たまし ①「精神、しっかりした心」。②「(各自の)持ち〔取り〕分」ここでは② 。役割。【琉辞】・やまだき 不明だが、Tさんの想像では「帽子の高さ」ではないか、とのこと。<やま 山。+ だき<だけ たけ。身長。・いん 縁。人と人の縁。音源では「えん」と聞えるが、ここでは帽子の部分である「縁」にかけている。
四、(男) 一本針や 押すてぃ 二本取てぃなぎてぃ何時が組み上ぎてぃ 耳小抜ちゅら サー天小胴小縁小耳小取てぃ耳抜かや
いっぷんばやうすてぃ にふんとぅてぃなぎてぃ いちがくみあぎてぃ みみぐゎぬちゅら さーてぃんぐゎ どーぐゎ いんぐゎ ひりぐゎとぅてぃみみぬかや
'ippuNba ya 'usuti nihuN tuti nagiti 'ichi ga kumi'agiti mimigwa nuchura saa tiNgwa doogwa iNgwa hirigwa tuti mimi nuka ya
〇一本の葉を押さえて 二本(め)を取ってなげて(上を通して)いつ組み上げて耳小をぬくか さー天小に胴小に縁小、ヘリを取って耳小をぬこう
語句・いっぷんば 当て字からは「一本針」と読める。しかし「針」は「はーい」なので、「ば」ということになると「葉」(はー)ではないだろうか。「民俗資料館」の方も「葉」だといわれた。・うすてぃ 押さえて。<うすゆん。「かぶせる。押さえる」【琉辞】。・みみぐゎ 帽子の縁の外側(※5)。最後にここに余分なものが出るのでそれをぬいて(切って?)仕上げるということらしい。・どーぐゎ (※6)帽子の天と縁との間の部分。
五、(男女) 帽子組ま哀り 組まんしが知ゆみ 勘定前になりば さら夜明かち サー さら夜明かち
ぼーしくまあわり くまんしがしゆみ かんじょーめーになりば さらゆあかち さーさらゆあかち
booshikuma 'awari kumaNshi ga shiyumi kannjoo mee ni nariba sarayu 'akachi saa sarayu 'akachi
〇帽子作る人はかわいそう 作らない人には分かるまい 勘定(納期)前になれば徹夜して さー徹夜して
語句・さら すっかり。全部。「さらゆ」は「夜全部」。「さらゆあかち」は「徹夜をして」。 続きを読む
2010年09月12日
浜育ち
浜育ち
はますだち
hama sudachi
〇浜育ち
一、ヨー我んね 生まりうてぃてぃから ヨー我んね あんまー居らん かなしさよ
よーわんねー んまりうてぃてぃから よーわんねー あんまーうらん かなしさよ
yoo waNnee 'Nmariti kara yoo waNnee 'aNmaa uraN kanashisa yoo
〇ねえ私は生まれ落ちてから ねえ私はお母さんが居ない 悲しいことよ
語句・わんねー 私は。<わん 私。+ や は。このように私(わん)が助詞と融合して形が変化する例は、[わーが](私が)。[わったー](私たち)。[わんにん](私も)。など。
二、悲しただ一人ぬ我った主 物見んだん 哀りさよ
かなしただちゅいぬわったすむぬんーだん 'あわりさよ
kanashi tada chui nu watta su munu NndaN 'awarisa yoo
〇悲しくもただ一人の私のお父さんは物が見えない かわいそうに
語句・んーだん 見えない。<んーじゅん。んじゅん。 見る。
三、浜千鳥や 友連りてぃ遊ぶ ヨー千鳥 我んね 親連れて釣りどする
はまちじゅや どぅしちりてぃ 'あしぶ よーちじゅや わんねー 'うやちりてぃ ちりどぅする
hamachijuya ya duchi chiriti 'ashibu yoo chijuya ya waNnee 'uya chiriti chiri du suru
〇浜千鳥は友達連れて遊ぶ ねえ千鳥よ 私は親連れて釣りをするだけ
語句・ちりどぅする 釣りをするだけ。直訳では「釣りこそする」だが、「どぅ」の用法には行為を限定する(「・・しかしていない」「・・するだけ」)こともある。
四、白波ぬ音ん ヨー我んね あんまー声とぅ思てぃ 我ね聞ちゅん
しらなみぬ'うとぅん よーわんねー あんまーくぃとぅむてぃ わねちちゅん
shiranami nu 'utuN yoo waNnee 'aNmaa kwi tumuti wane chichuN
〇白波の音も ねえ私は お母さんの声だと思って私聞くの
語句・くぃ 声。実際の発音は「くぃー」(kwii)。歌の中では「くぃ」と短縮されることが許される(詩的許容)。つまり一音節(kwi)となる。ヤマトゥンチュには難しい発音である。「く」と「き」の中間より「き」に近く聞える。
五、朝夕白波ぬ ヨー音とぅ浜千鳥共に我ね暮らす
'あさゆしらなみぬ よー'うとぅとぅ はまちどぅり とぅむにわねくらす
'asayuu shiranami nu yoo 'utu tu hamachiduri tumu ni wane kurasu
〇一日中白波の ねえ 音と浜千鳥と一緒に私は暮らす 続きを読む
はますだち
hama sudachi
〇浜育ち
一、ヨー我んね 生まりうてぃてぃから ヨー我んね あんまー居らん かなしさよ
よーわんねー んまりうてぃてぃから よーわんねー あんまーうらん かなしさよ
yoo waNnee 'Nmariti kara yoo waNnee 'aNmaa uraN kanashisa yoo
〇ねえ私は生まれ落ちてから ねえ私はお母さんが居ない 悲しいことよ
語句・わんねー 私は。<わん 私。+ や は。このように私(わん)が助詞と融合して形が変化する例は、[わーが](私が)。[わったー](私たち)。[わんにん](私も)。など。
二、悲しただ一人ぬ我った主 物見んだん 哀りさよ
かなしただちゅいぬわったすむぬんーだん 'あわりさよ
kanashi tada chui nu watta su munu NndaN 'awarisa yoo
〇悲しくもただ一人の私のお父さんは物が見えない かわいそうに
語句・んーだん 見えない。<んーじゅん。んじゅん。 見る。
三、浜千鳥や 友連りてぃ遊ぶ ヨー千鳥 我んね 親連れて釣りどする
はまちじゅや どぅしちりてぃ 'あしぶ よーちじゅや わんねー 'うやちりてぃ ちりどぅする
hamachijuya ya duchi chiriti 'ashibu yoo chijuya ya waNnee 'uya chiriti chiri du suru
〇浜千鳥は友達連れて遊ぶ ねえ千鳥よ 私は親連れて釣りをするだけ
語句・ちりどぅする 釣りをするだけ。直訳では「釣りこそする」だが、「どぅ」の用法には行為を限定する(「・・しかしていない」「・・するだけ」)こともある。
四、白波ぬ音ん ヨー我んね あんまー声とぅ思てぃ 我ね聞ちゅん
しらなみぬ'うとぅん よーわんねー あんまーくぃとぅむてぃ わねちちゅん
shiranami nu 'utuN yoo waNnee 'aNmaa kwi tumuti wane chichuN
〇白波の音も ねえ私は お母さんの声だと思って私聞くの
語句・くぃ 声。実際の発音は「くぃー」(kwii)。歌の中では「くぃ」と短縮されることが許される(詩的許容)。つまり一音節(kwi)となる。ヤマトゥンチュには難しい発音である。「く」と「き」の中間より「き」に近く聞える。
五、朝夕白波ぬ ヨー音とぅ浜千鳥共に我ね暮らす
'あさゆしらなみぬ よー'うとぅとぅ はまちどぅり とぅむにわねくらす
'asayuu shiranami nu yoo 'utu tu hamachiduri tumu ni wane kurasu
〇一日中白波の ねえ 音と浜千鳥と一緒に私は暮らす 続きを読む
2010年05月30日
花口説
花口説
はなくどぅち
hana kuduchi
語句・はな 「①花。草木の花。②美しいこと。はなやかなこと。」「③遊女 zuriの美称」【沖辞】とある。
一、辻仲島渡地とぅ 三島かさにてぃ花ぬ島 夜々に恋路ぬ花ざかい
ちーじなかしまわたんじとぅ みしまかさにてぃはなぬしま ややにくいじぬはなざかい
chiiji nakashima wataNji tu mishima kasaniti hana nu shima yaya ni kuiji nu hanazakai
〇辻、仲島、渡地(那覇の三大遊郭の地名)三つの村を重ねて遊郭の村 夜々に恋路が花盛り
語句・やや 夜々。「夜」はウチナーグチでは「ゆー」だから「ゆゆ」になるが、口説は大和口を混ぜることも多い(「上り口説」など)からか。
ニ、昔たといぬ糸柳 風ぬ押すままなりすみる 梅の匂いや辻村
んかしたとぅいぬ'いとぅやなじ かじぬうすままなりすみる 'んみぬにうぃやちーじむら
Nkashi tatuinu 'ituyanaji kaji nu 'usu mama narisumiru 'Nmi nu niwi ya chiiji mura
〇昔例えた糸柳(のように)風が押すまま親しくなる 梅の匂いは辻村
語句・なりすみ なれそめ。恋のきっかけ。
三、玉ぬ夜露にたゆてぃ咲く 花ぬ色数みじらしや 日々ぬ営みぬいくぃてぃ
たまぬゆちゆにたゆてぃさく はなぬ'いるかじみじらしや ひびぬ'いとぅなみ ぬいくぃてぃ
tama nu yuchiyu ni tayuti saku hana nu 'irukaji mijirashi ya hibi nu 'itunami nuikwiti
〇玉のように美しい夜露に頼って咲く花の種類の珍しいことよ 日々の営みを乗り越えて
語句・みじらし 珍しい。<みじらしゃん ・いるかじ 「種類。種類雑多」【沖辞】。
四、最早恋路ぬ夢の間に くらす男ぬ遊び場所 酒や男ぬ匂いすいてぃ
むはやくいじぬ'いみぬまに くらすうぃきがぬ'あすびばす さきやうぃきがぬにうぃすいてぃ
muhaya kuiji nu 'imi nu ma ni kurasu wikiga nu wikiga nu 'asubi basu saki ya wikiga nu niwi suiti
〇もはや恋路は夢の間に(過ぎ去り)暮らす男の遊び場所 酒は男の匂いを添えて
語句・すいてぃ 添えて。<すゆん 添える。活用では「すてぃ」。
五、年に一度ぬ二十日ぬ日 辻に首里那覇御万人ぬ 揃てぃ遊ぶるにぎやかさ
にんに'いちどぅぬはちかぬふぃ ちーじにすいなふぁ'うまんちゅぬ するてぃ'あしぶるにぎやかさ
niN ni 'ichidu nu hachika nu hwi chiiji ni sui nahwa 'umaNchu nu suruti 'ashiburu nigiyakasa
〇年に一度の二十日の日 辻に首里、那覇多くの人が揃って遊ぶにぎやかなことよ!
語句・はちかぬふぃ 「二十日正月」(はちかしょーぐゎち hachikashoogwashi)「旧暦の正月二十日。この日を正月の最後の祝日として、簡単な御馳走を作り、一日を遊び暮らした。またこの日にzuri'Nma[尾類馬](その項参照)の行事が行われた」【沖辞】。 またこの「尾類馬」とは「hachikasjoogwaci(二十日正月…旧暦正月二十日)に遊郭中総出で行う祭りの名。各楼から選ばれたzuriが'Nmagwaa[馬小](板に馬の形を彫ったもの)を前帯にはさみ行列の先頭となり、続いて、装いをこらしたzuriが長蛇の列を作って踊り歩いた。(省略)」【沖辞】。
六、琴や三線音揃てぃ 唄や踊いにまじりやい 飲むる梅酒匂いまさてぃ
くとぅやさんしん'うとぅするてぃ 'うたやうどぅいにまじりやい ぬむる'んみざきにうぃまさてぃ
kutu ya saNshiN 'utu suruti 'uta ya udui ni majiriyai numuru 'Nmizaki niwi masati
〇琴や三線の音が揃って唄や踊りに混ざって飲む梅酒の匂いが香り高く
七、琉球自慢ぬ髪形 挿ちょる銀ぬみぐとぅさみ 花に例いてぃ梅ぬ花
りゅうちゅーじまんぬかみかたち さちょるなんじゃぬみぐとぅさみ はなにたとぅいてぃ'んみぬはな
ryuuchuu jimaN nu kamikatachi sachoru naNja nu migutusami hana ni tatuiti 'Nmi nu hana
〇琉球自慢の髪形 挿した銀の(かんざしが)見事であるぞ 花に例えると梅の花
語句・なんじゃ 銀。ここでは「じーふぁー jiihwaa」(かんざし)の素材。
八、花とぅ露とぅぬ物語 知らす浮世ぬ結び口 人ぬ最後や義理情
はなとぅちゆとぅぬむぬがたい しらすうちゆぬむしびぐち ふぃとぅぬさいぐやじりなさき
hana tu chiyu tunu munugatai shirasu 'uchiyu nu mushibiguchi hwitu nu saigu ya jirinasaki
〇花と露との物語 知らせる浮世の結び口 人の最後は義理と情け
語句・はなとぅちゆ 「男と女」の比喩。 続きを読む
はなくどぅち
hana kuduchi
語句・はな 「①花。草木の花。②美しいこと。はなやかなこと。」「③遊女 zuriの美称」【沖辞】とある。
一、辻仲島渡地とぅ 三島かさにてぃ花ぬ島 夜々に恋路ぬ花ざかい
ちーじなかしまわたんじとぅ みしまかさにてぃはなぬしま ややにくいじぬはなざかい
chiiji nakashima wataNji tu mishima kasaniti hana nu shima yaya ni kuiji nu hanazakai
〇辻、仲島、渡地(那覇の三大遊郭の地名)三つの村を重ねて遊郭の村 夜々に恋路が花盛り
語句・やや 夜々。「夜」はウチナーグチでは「ゆー」だから「ゆゆ」になるが、口説は大和口を混ぜることも多い(「上り口説」など)からか。
ニ、昔たといぬ糸柳 風ぬ押すままなりすみる 梅の匂いや辻村
んかしたとぅいぬ'いとぅやなじ かじぬうすままなりすみる 'んみぬにうぃやちーじむら
Nkashi tatuinu 'ituyanaji kaji nu 'usu mama narisumiru 'Nmi nu niwi ya chiiji mura
〇昔例えた糸柳(のように)風が押すまま親しくなる 梅の匂いは辻村
語句・なりすみ なれそめ。恋のきっかけ。
三、玉ぬ夜露にたゆてぃ咲く 花ぬ色数みじらしや 日々ぬ営みぬいくぃてぃ
たまぬゆちゆにたゆてぃさく はなぬ'いるかじみじらしや ひびぬ'いとぅなみ ぬいくぃてぃ
tama nu yuchiyu ni tayuti saku hana nu 'irukaji mijirashi ya hibi nu 'itunami nuikwiti
〇玉のように美しい夜露に頼って咲く花の種類の珍しいことよ 日々の営みを乗り越えて
語句・みじらし 珍しい。<みじらしゃん ・いるかじ 「種類。種類雑多」【沖辞】。
四、最早恋路ぬ夢の間に くらす男ぬ遊び場所 酒や男ぬ匂いすいてぃ
むはやくいじぬ'いみぬまに くらすうぃきがぬ'あすびばす さきやうぃきがぬにうぃすいてぃ
muhaya kuiji nu 'imi nu ma ni kurasu wikiga nu wikiga nu 'asubi basu saki ya wikiga nu niwi suiti
〇もはや恋路は夢の間に(過ぎ去り)暮らす男の遊び場所 酒は男の匂いを添えて
語句・すいてぃ 添えて。<すゆん 添える。活用では「すてぃ」。
五、年に一度ぬ二十日ぬ日 辻に首里那覇御万人ぬ 揃てぃ遊ぶるにぎやかさ
にんに'いちどぅぬはちかぬふぃ ちーじにすいなふぁ'うまんちゅぬ するてぃ'あしぶるにぎやかさ
niN ni 'ichidu nu hachika nu hwi chiiji ni sui nahwa 'umaNchu nu suruti 'ashiburu nigiyakasa
〇年に一度の二十日の日 辻に首里、那覇多くの人が揃って遊ぶにぎやかなことよ!
語句・はちかぬふぃ 「二十日正月」(はちかしょーぐゎち hachikashoogwashi)「旧暦の正月二十日。この日を正月の最後の祝日として、簡単な御馳走を作り、一日を遊び暮らした。またこの日にzuri'Nma[尾類馬](その項参照)の行事が行われた」【沖辞】。 またこの「尾類馬」とは「hachikasjoogwaci(二十日正月…旧暦正月二十日)に遊郭中総出で行う祭りの名。各楼から選ばれたzuriが'Nmagwaa[馬小](板に馬の形を彫ったもの)を前帯にはさみ行列の先頭となり、続いて、装いをこらしたzuriが長蛇の列を作って踊り歩いた。(省略)」【沖辞】。
六、琴や三線音揃てぃ 唄や踊いにまじりやい 飲むる梅酒匂いまさてぃ
くとぅやさんしん'うとぅするてぃ 'うたやうどぅいにまじりやい ぬむる'んみざきにうぃまさてぃ
kutu ya saNshiN 'utu suruti 'uta ya udui ni majiriyai numuru 'Nmizaki niwi masati
〇琴や三線の音が揃って唄や踊りに混ざって飲む梅酒の匂いが香り高く
七、琉球自慢ぬ髪形 挿ちょる銀ぬみぐとぅさみ 花に例いてぃ梅ぬ花
りゅうちゅーじまんぬかみかたち さちょるなんじゃぬみぐとぅさみ はなにたとぅいてぃ'んみぬはな
ryuuchuu jimaN nu kamikatachi sachoru naNja nu migutusami hana ni tatuiti 'Nmi nu hana
〇琉球自慢の髪形 挿した銀の(かんざしが)見事であるぞ 花に例えると梅の花
語句・なんじゃ 銀。ここでは「じーふぁー jiihwaa」(かんざし)の素材。
八、花とぅ露とぅぬ物語 知らす浮世ぬ結び口 人ぬ最後や義理情
はなとぅちゆとぅぬむぬがたい しらすうちゆぬむしびぐち ふぃとぅぬさいぐやじりなさき
hana tu chiyu tunu munugatai shirasu 'uchiyu nu mushibiguchi hwitu nu saigu ya jirinasaki
〇花と露との物語 知らせる浮世の結び口 人の最後は義理と情け
語句・はなとぅちゆ 「男と女」の比喩。 続きを読む
2009年10月10日
ひじ小節
ひじ小節
ふぃじぐゎぶし
hwiji gwa bushi
〇髭の唄
語句・ふぃじ 髭。 「ひじ」とも発音する。以降「ふぃじ」に発音を統一した。「小」(ぐゎ)がつくと、髭を生やした人という意味にもなるが、題名には、歌いだしの最初の歌詞を使うことがよくあるので、ここでは「髭の歌」くらいであろう。
伊良波尹吉 作詞
(女)ひじ小剃てぃ後や鏡のー見しらんどーやーふー
ふぃじぐゎすてぃ'あとぅや かがのーみしらんどーやーふー
hwiji gwa suti 'atu ya kaganoo mishiraN doo ya huu
〇髭を剃った後は鏡は見せないからねえ
語句・かがのー 鏡は。 <かがん 鏡。+や →融合して。 「銭(じん)+や」が「じのー」となるのと同じ。 ・ふー ねえ。 「目上の相手に同意を求めたり問いかけたりする文末に添えるやわらげ表現」【琉辞】。
(男)ぬーんち見しらんが
ぬーんちみしらんが
nuu Nchi mishiraN ga
〇何んで見せないのか?
語句・ぬーんち <ぬー 何。 + んち ・・と云って。・・と。 直訳すると「何と云って」。これは「何んで」と等しい。
(女)若くなゆくとぅてー 美らくなゆくとぅてー
わかくなゆくとぅてー ちゅらくなゆくとぅてー
wakaku nayukututee churakunayukututee
〇若くなるからよ かっこよくなるからよ
語句・わかくなゆくとぅてー わかくなるからよ。 <わかく+なゆ なゆん。の活用語幹。 なる + くとぅ ので。から。 +てー よ。「〔文末助詞〕・・よ〔deeとほぼ同義〕」【琉辞】。
(男)あきせ面ふらーや 我が美らくなゆし ぬーんち好かんすが
'あきせちらふらーや わーがちゅらくなゆし ぬーんちしかんすが
'akise chirahuraa ya waa ga churaku nayushi nuuNchi sikaN suga
〇あら 馬鹿な奴だよ 私がかっこよくになるのが どうして嫌いだというのか
語句・あきせ あら!<あき 「女性が驚きや悲しみを表す」【琉辞】。ここでは男性だが。+せ <せー<し+や。 ・ちらふらー 「馬鹿づらをしたやつ;厚顔無恥の者」【琉辞】。「ばかな奴」くらいてもよい。・しかんすが 嫌いだと云うのか。<しかん 好かん。嫌い。 + す 「しゅん」云う。+が 疑問。
(女)あん言ちん 好かんさひゃー
'あん'いちん しかんさ ひゃー
'aN 'ichi shikaN sa hyaa
〇そう云っても嫌いなのよ このやろう
語句・ひゃー 「人を軽蔑していう〕野郎、やつ」【琉辞】。
(男)あね!くぬひゃー 我んにんかい ひゃーんでぃる言いくゎいるい
'あね くぬひゃー わんにんかい ひゃーんでぃる'いいくゎいるい
'ane kunu hyaa waNniNkai hyaa Ndi ru 'iikwai rui
〇あら このやろう 私にむかって 「このやろう」っていいやがるのか?
語句・いいくゎいるい いいやがって!<いい いゆん + くゎい<くゎゆん 「・・しやがる」 + る 「どぅ」 強調。 +い ・・か? (参)あんるやるい=そうなのか?。
(女)言いばっぺる やいびさ ひゃー
'いいばっぺる やいびさ ひゃー
'iibappee ru yaibisa hyaa
〇云い間違えただけだよ このやろう
(男)あね!くぬひゃー又ひゃーなー ぬーやらわんしむさ 我が美らくなゆし嫌とーせーぬーがひゃー
'あね くぬひゃー また ひゃーなー ぬーやらわん しむさ わーがちゅらくなゆし ちらとーせー ぬーが ひゃー
'ane kunu hyaa mata hyaa naa nuu yarawaN shimusa waa ga churaku nayushi chira toosee nuu ga hyaa
〇あら このやろう また 「やろう」か? なんでもいいさ 私が綺麗になるのが嫌というのはさあなぜだ このやろう
語句・しむさ よいよ。 ・とーせー さあ。
(女)うぬちむえー聞ちぶさみ とーあんせー聞かすんてー ひじ小剃てぃ後ぬ うぬ面小どぅん鏡見しるうぬ時ね どぅさーにどぅくる美らくなやい うぬ面ゆ妻に見しぶさる心 うくりらばちゃすが 又首里かい首里かいてー ちゃー用事ぬあんあんてー すんてーひゃー罪かんじゃー
'うぬちむえー ちちぶさみ とー'あんせーちかすんてー ふぃじぐゎすてぃ'あとぅぬ 'うぬちらぐゎどぅん かがんみしる'うぬとぅちねー どぅさーに どぅくる ちゅらくなやい 'うぬちらゆ とぅじに みしぶさるくくる 'うくりらばちゃすが またすいかい すいかいてー ゆーじゅぬ'あん'あんてー すんてー ひゃー ばちかんじゃー
'unu chimuee chichibusami too 'aNsee chikasuN tee hwijigwa suti 'atu nu 'unu chigwa duN kagaN mishiru 'unu tuchi nee dusaani dukuru churaku nayai 'unu chira yu tuji ni misibusaru kukuru 'ukuriraba chaasuga mata sui kai sui kai tee chaa yuuju nu 'aN 'aN tee suNtee hyaa bachikaNjaa
〇その心積もりを聞きたいでしょ? それでは聞かせてあげるよ ヒゲを剃って後のその顔でも鏡でみたとたんに 自分で自分を綺麗になった(と思って) その顔を妻に見せたい気持ちがおこったらどうするの? また首里へ 首里へって いつも用事がある、あるって言う この野郎 バチあたりめ!
語句・ちむえー つもりを。 <ちむい 積もり。+や 融合して えー。 ・とーあんせー それでは。 ・どぅーさーに 自分で。<どぅー 自分。 +さーに で。 ・どぅくる 自分自身で。 ・ちゃー いつも。 ・すんてー 云うよ。 <すん 云う。 +てー よ。・ ばちかんじゃー ばちあたり。
(男)リンチからタンチ まんがたみーする 生気な者 うぬリンチェー焼ちうち喰やい まるけーてーやらしぇーとー
りんちからたんち まんがたみーする なまちなむん 'うぬりんちぇーやちうちくゎやい まるけーてー やらしぇーとー
riNchi kara taNchi maNgatamii suru namachi na muN 'unu riNchee yachi 'uchikwayai marukeetee yarashee too
〇ヤキモチから短気 背負い込む無鉄砲もの そのヤキモチを焼きやがって 時にはいかせろよ ほら
語句・りんち やきもち。・かんがたみー 「背負い込むこと」【琉辞】。・なまち 「無てっぽう」【琉辞】。 ・まるけーてー 時々は。
(女)うりうりうり始またせー テーファなじきやいん ちゃ我ね言らんでぃ思とーたん やらするさくい やらさんむん
'うり'うりはじまたせー てーふぁー なじきやいん ちゃー わんねー'いらんでぃ'うむとーたん やらするさくい やらさんむん
'uri ’uri hajimatasee teehwaa najiki yaiN chaa waNnee 'iaraNchi 'umutootaN yarasurusakui yarasaNmuN
〇ほらほら 始まったよ おどけもの それらしい言い訳をいつも私には云うと思っていた 行くなら引っかいても行かさないもの
語句・てーふぁー おどけもの。 ・なじき 言い訳。・さくい 引っかき傷。
(男)やらさんてぃん 行ちゅるむん
やらさんてぃん 'いちゅるむん
yasasaNtiN 'ichurumuN
〇行かさないと云っても 行くよ
(女)行ぢゃんてん やらさんむん
'んじゃんてん やらさんむん
NjaN teN yarasaNmuN
〇行くといっても いかさんよ
(男)だーあんしん行ちゅるむん
だー'あんしん 'いちゅるむん
daa 'aNshiN 'ichuru muN
〇おい そういっても いくからな
語句・だー おい。 ・あんしん <あん そう。+し <しー しゅん 云う。の連用語幹。 +ん も。
(女)あんしーねー我んねーなー くぬカンスイたてぃゆんどー
'あんしーねー わんねーなー くぬ かんすい たてぃゆんどー
'aNshii nee waNnee naa kunu kaNsui tatiyuN doo
〇それではね わたしはね このカミソリで切るわよ!
語句・かんすい カミソリ。 ・たてぃゆん 切る。 「たちゅん」は多義性のある言葉で(大和口でも同様)、「発つ」「立つ」「経つ」「生じる」などの意味のほか「よく切れる」の意味もある。
(男)ありありあり危なさぬ
'あり'あり'あり 'あぶなさぬ
'ari 'ari 'ari 'abunasanu
〇あら あら あら あぶないからね!
語句・あぶなさぬ 直訳では「あぶないので」。
続きを読む
ふぃじぐゎぶし
hwiji gwa bushi
〇髭の唄
語句・ふぃじ 髭。 「ひじ」とも発音する。以降「ふぃじ」に発音を統一した。「小」(ぐゎ)がつくと、髭を生やした人という意味にもなるが、題名には、歌いだしの最初の歌詞を使うことがよくあるので、ここでは「髭の歌」くらいであろう。
伊良波尹吉 作詞
(女)ひじ小剃てぃ後や鏡のー見しらんどーやーふー
ふぃじぐゎすてぃ'あとぅや かがのーみしらんどーやーふー
hwiji gwa suti 'atu ya kaganoo mishiraN doo ya huu
〇髭を剃った後は鏡は見せないからねえ
語句・かがのー 鏡は。 <かがん 鏡。+や →融合して。 「銭(じん)+や」が「じのー」となるのと同じ。 ・ふー ねえ。 「目上の相手に同意を求めたり問いかけたりする文末に添えるやわらげ表現」【琉辞】。
(男)ぬーんち見しらんが
ぬーんちみしらんが
nuu Nchi mishiraN ga
〇何んで見せないのか?
語句・ぬーんち <ぬー 何。 + んち ・・と云って。・・と。 直訳すると「何と云って」。これは「何んで」と等しい。
(女)若くなゆくとぅてー 美らくなゆくとぅてー
わかくなゆくとぅてー ちゅらくなゆくとぅてー
wakaku nayukututee churakunayukututee
〇若くなるからよ かっこよくなるからよ
語句・わかくなゆくとぅてー わかくなるからよ。 <わかく+なゆ なゆん。の活用語幹。 なる + くとぅ ので。から。 +てー よ。「〔文末助詞〕・・よ〔deeとほぼ同義〕」【琉辞】。
(男)あきせ面ふらーや 我が美らくなゆし ぬーんち好かんすが
'あきせちらふらーや わーがちゅらくなゆし ぬーんちしかんすが
'akise chirahuraa ya waa ga churaku nayushi nuuNchi sikaN suga
〇あら 馬鹿な奴だよ 私がかっこよくになるのが どうして嫌いだというのか
語句・あきせ あら!<あき 「女性が驚きや悲しみを表す」【琉辞】。ここでは男性だが。+せ <せー<し+や。 ・ちらふらー 「馬鹿づらをしたやつ;厚顔無恥の者」【琉辞】。「ばかな奴」くらいてもよい。・しかんすが 嫌いだと云うのか。<しかん 好かん。嫌い。 + す 「しゅん」云う。+が 疑問。
(女)あん言ちん 好かんさひゃー
'あん'いちん しかんさ ひゃー
'aN 'ichi shikaN sa hyaa
〇そう云っても嫌いなのよ このやろう
語句・ひゃー 「人を軽蔑していう〕野郎、やつ」【琉辞】。
(男)あね!くぬひゃー 我んにんかい ひゃーんでぃる言いくゎいるい
'あね くぬひゃー わんにんかい ひゃーんでぃる'いいくゎいるい
'ane kunu hyaa waNniNkai hyaa Ndi ru 'iikwai rui
〇あら このやろう 私にむかって 「このやろう」っていいやがるのか?
語句・いいくゎいるい いいやがって!<いい いゆん + くゎい<くゎゆん 「・・しやがる」 + る 「どぅ」 強調。 +い ・・か? (参)あんるやるい=そうなのか?。
(女)言いばっぺる やいびさ ひゃー
'いいばっぺる やいびさ ひゃー
'iibappee ru yaibisa hyaa
〇云い間違えただけだよ このやろう
(男)あね!くぬひゃー又ひゃーなー ぬーやらわんしむさ 我が美らくなゆし嫌とーせーぬーがひゃー
'あね くぬひゃー また ひゃーなー ぬーやらわん しむさ わーがちゅらくなゆし ちらとーせー ぬーが ひゃー
'ane kunu hyaa mata hyaa naa nuu yarawaN shimusa waa ga churaku nayushi chira toosee nuu ga hyaa
〇あら このやろう また 「やろう」か? なんでもいいさ 私が綺麗になるのが嫌というのはさあなぜだ このやろう
語句・しむさ よいよ。 ・とーせー さあ。
(女)うぬちむえー聞ちぶさみ とーあんせー聞かすんてー ひじ小剃てぃ後ぬ うぬ面小どぅん鏡見しるうぬ時ね どぅさーにどぅくる美らくなやい うぬ面ゆ妻に見しぶさる心 うくりらばちゃすが 又首里かい首里かいてー ちゃー用事ぬあんあんてー すんてーひゃー罪かんじゃー
'うぬちむえー ちちぶさみ とー'あんせーちかすんてー ふぃじぐゎすてぃ'あとぅぬ 'うぬちらぐゎどぅん かがんみしる'うぬとぅちねー どぅさーに どぅくる ちゅらくなやい 'うぬちらゆ とぅじに みしぶさるくくる 'うくりらばちゃすが またすいかい すいかいてー ゆーじゅぬ'あん'あんてー すんてー ひゃー ばちかんじゃー
'unu chimuee chichibusami too 'aNsee chikasuN tee hwijigwa suti 'atu nu 'unu chigwa duN kagaN mishiru 'unu tuchi nee dusaani dukuru churaku nayai 'unu chira yu tuji ni misibusaru kukuru 'ukuriraba chaasuga mata sui kai sui kai tee chaa yuuju nu 'aN 'aN tee suNtee hyaa bachikaNjaa
〇その心積もりを聞きたいでしょ? それでは聞かせてあげるよ ヒゲを剃って後のその顔でも鏡でみたとたんに 自分で自分を綺麗になった(と思って) その顔を妻に見せたい気持ちがおこったらどうするの? また首里へ 首里へって いつも用事がある、あるって言う この野郎 バチあたりめ!
語句・ちむえー つもりを。 <ちむい 積もり。+や 融合して えー。 ・とーあんせー それでは。 ・どぅーさーに 自分で。<どぅー 自分。 +さーに で。 ・どぅくる 自分自身で。 ・ちゃー いつも。 ・すんてー 云うよ。 <すん 云う。 +てー よ。・ ばちかんじゃー ばちあたり。
(男)リンチからタンチ まんがたみーする 生気な者 うぬリンチェー焼ちうち喰やい まるけーてーやらしぇーとー
りんちからたんち まんがたみーする なまちなむん 'うぬりんちぇーやちうちくゎやい まるけーてー やらしぇーとー
riNchi kara taNchi maNgatamii suru namachi na muN 'unu riNchee yachi 'uchikwayai marukeetee yarashee too
〇ヤキモチから短気 背負い込む無鉄砲もの そのヤキモチを焼きやがって 時にはいかせろよ ほら
語句・りんち やきもち。・かんがたみー 「背負い込むこと」【琉辞】。・なまち 「無てっぽう」【琉辞】。 ・まるけーてー 時々は。
(女)うりうりうり始またせー テーファなじきやいん ちゃ我ね言らんでぃ思とーたん やらするさくい やらさんむん
'うり'うりはじまたせー てーふぁー なじきやいん ちゃー わんねー'いらんでぃ'うむとーたん やらするさくい やらさんむん
'uri ’uri hajimatasee teehwaa najiki yaiN chaa waNnee 'iaraNchi 'umutootaN yarasurusakui yarasaNmuN
〇ほらほら 始まったよ おどけもの それらしい言い訳をいつも私には云うと思っていた 行くなら引っかいても行かさないもの
語句・てーふぁー おどけもの。 ・なじき 言い訳。・さくい 引っかき傷。
(男)やらさんてぃん 行ちゅるむん
やらさんてぃん 'いちゅるむん
yasasaNtiN 'ichurumuN
〇行かさないと云っても 行くよ
(女)行ぢゃんてん やらさんむん
'んじゃんてん やらさんむん
NjaN teN yarasaNmuN
〇行くといっても いかさんよ
(男)だーあんしん行ちゅるむん
だー'あんしん 'いちゅるむん
daa 'aNshiN 'ichuru muN
〇おい そういっても いくからな
語句・だー おい。 ・あんしん <あん そう。+し <しー しゅん 云う。の連用語幹。 +ん も。
(女)あんしーねー我んねーなー くぬカンスイたてぃゆんどー
'あんしーねー わんねーなー くぬ かんすい たてぃゆんどー
'aNshii nee waNnee naa kunu kaNsui tatiyuN doo
〇それではね わたしはね このカミソリで切るわよ!
語句・かんすい カミソリ。 ・たてぃゆん 切る。 「たちゅん」は多義性のある言葉で(大和口でも同様)、「発つ」「立つ」「経つ」「生じる」などの意味のほか「よく切れる」の意味もある。
(男)ありありあり危なさぬ
'あり'あり'あり 'あぶなさぬ
'ari 'ari 'ari 'abunasanu
〇あら あら あら あぶないからね!
語句・あぶなさぬ 直訳では「あぶないので」。
続きを読む
2009年02月09日
辺野喜節
辺野喜節
びぬち ぶし
binuchi bushi
語句・びぬち 地名。国頭村辺野喜。
伊集の木の花や あんきよらさ咲きゆい わぬも伊集やとて 真白咲かな
'んじゅぬきぬはなや 'あんちゅらささちゅい わぬん'んじゅやとてぃ ましらさかな
'Nju nu ki nu hana ya 'aN churasa sachui wanuN 'Nju yatooti mashira sakana
○伊集の木の花は あのように清らかに咲いている 私も伊集(の花)のように(なっていて)真白い花を咲かせたい
語句・んじゅ 「伊集」(いじゅ)。「んじゅ 'Nju」は口語。ツバキ科。奄美、沖縄に群生。5、6月に白い3cmほどの花が開く。 ・ちゅらさ 清らか。<ちゅらさん ・やとてぃ <やとーてぃ<やん ある。+ とーてぃ ・・ていて。 直訳すれば「・・であっていて」。 仮定的に「であるならば」「であれば」くらいの意味。・さかな <さちゅん 咲く。 未然形 さか + な 希望を表す。 咲きたい。
「琉歌百控」より
伊集の木の花や あか清さ咲ひ予ん伊集成て真白咲かな
'いじゅぬきぬはなや 'あがちゅらささちゅい わん'いじゅなとーてぃましらさかな
'iju nu ki nu hana ya 'aga churasa sachui waN 'iju natooti mashira sakana
○伊集の木の花は あのように清らかに咲いて 私は伊集(に)なっていて真白く咲きたい
語句・あが あのように。<あ 接頭語 「'ari〔あり〕、'anu〔あぬ〕の語根」(琉)。+が の。直訳すれば「あの」。山原地方の方言という説もある。
山の木の軽さ 朝比と夕比 宮童の軽さ二十宮童
やまぬきぬかるさ 'あさぐるとぅゆぐる みやらびぬかるさ はたちみやらび
yama nu ki nu karusa 'asa guru tu yu guru miyarabi nu karusa hatachi miyarabi
○山の木の軽いこと 朝頃と夜頃 娘の軽さ 二十歳の娘
飛鳥の翅さ仮は夜々ごとに通路の空やわ自由やすが
とぅぶとぅいぬちばさ かりばゆゆぐとぅに かゆいじぬすらや わじゆやしが
tubu tui nu chibasa kariba yuyugutu ni kayuiji nu sura ya wa jiyu yashiga
○飛ぶ鳥の翼を借りたら毎夜(あなたに)通う路(で)の身の上は 私(の)自由であるのだが
飛鳥の翅さ仮は自由なよめ昔業平の羽のあため
とぅぶとぅいぬちばさ かりばじゆなゆみ 'んかしなりひらぬ はにぬ'あたみ
tubu tui nu chibasa kariba jiyunayumi 'Nkashi narihira nu hani nu 'atami
○飛ぶ鳥の翼をかりたら 自由になるか?昔(なりひら・・不明。 「付き合った恋人」か。)に羽があっただろうか?
語句・んかしなりひら 不明。 ただ、「なり」は「なりすむん」「なりすむん」(馴れ染める、馴れ親しむ)の「なり」と考え、「ひら」は「ふぃらゆん」(つきあう。交際する)の「ひら」と考えると「昔付き合った恋人」ととれる。
古典曲。野村流工工四上巻。安冨祖流工工四上巻。
御前風(ぐじんふー)五曲では、難曲である「長伊平屋節」の代わりに最近この唄がよく歌われる。
三線の手が「かぎやで風」によく似た曲のひとつという印象がある。(前奏は同じ)
伊集の木の花や あんきよらさ咲きゆい わぬも伊集やとて 真白咲かな
屋嘉比工工四には、この歌詞はなく、「辺野喜節」という題名の代わりに「イチ゛ヨノキブシ」というものがある。
歌詞は「打ち鳴らし鳴らし四つ竹はならしち今日はお座出でて遊ぶ嬉しや」となっている。
「国王の愛妾に中城伊集生まれの容姿端麗の美女がいて日夜愛されていた。王妃は自分もあんなに美しく生まれていたら王の愛情を一身に集めたであろうにとその心情を伊集の花にことよせて詠まれたと伝えられている」(与那覇政牛『ふるさとの歌』 (参考「歌三線の世界」)
つまり、琉球王朝のある王妃が作詞したことになっているのだが伊波普猷が異議を唱えている。
「琉歌百控」の
伊集の木の花や あか清さ咲ひ予ん伊集成て真白咲かな
この中で「あが」は山原地方の方言であり、それを琉球王朝が「あん」と書き換えて王妃の話にしたというのである。
「琉歌百控」とは沖縄最古の琉歌集で、1795年から1802年にかけて成立したとされる。
屋嘉比朝寄は1716~1775年没なので、こちらに歌が載っていないので、まだ首里王朝の歌になっていなかったという推理が成立する。
地方の歌を集めたのが古典である、といえば、よくある普通のことだろう。
そして、その出自について、話が作られている可能性があるということ、これもよくある。
歌碑は国頭郡国頭村辺野喜にある。
(Google Maps では指定した地点
〒905-1424 沖縄県国頭郡国頭村辺野喜の付近
https://goo.gl/maps/aEogeMgYguM2)
(2016年10月28日筆者撮影)
びぬち ぶし
binuchi bushi
語句・びぬち 地名。国頭村辺野喜。
伊集の木の花や あんきよらさ咲きゆい わぬも伊集やとて 真白咲かな
'んじゅぬきぬはなや 'あんちゅらささちゅい わぬん'んじゅやとてぃ ましらさかな
'Nju nu ki nu hana ya 'aN churasa sachui wanuN 'Nju yatooti mashira sakana
○伊集の木の花は あのように清らかに咲いている 私も伊集(の花)のように(なっていて)真白い花を咲かせたい
語句・んじゅ 「伊集」(いじゅ)。「んじゅ 'Nju」は口語。ツバキ科。奄美、沖縄に群生。5、6月に白い3cmほどの花が開く。 ・ちゅらさ 清らか。<ちゅらさん ・やとてぃ <やとーてぃ<やん ある。+ とーてぃ ・・ていて。 直訳すれば「・・であっていて」。 仮定的に「であるならば」「であれば」くらいの意味。・さかな <さちゅん 咲く。 未然形 さか + な 希望を表す。 咲きたい。
「琉歌百控」より
伊集の木の花や あか清さ咲ひ予ん伊集成て真白咲かな
'いじゅぬきぬはなや 'あがちゅらささちゅい わん'いじゅなとーてぃましらさかな
'iju nu ki nu hana ya 'aga churasa sachui waN 'iju natooti mashira sakana
○伊集の木の花は あのように清らかに咲いて 私は伊集(に)なっていて真白く咲きたい
語句・あが あのように。<あ 接頭語 「'ari〔あり〕、'anu〔あぬ〕の語根」(琉)。+が の。直訳すれば「あの」。山原地方の方言という説もある。
山の木の軽さ 朝比と夕比 宮童の軽さ二十宮童
やまぬきぬかるさ 'あさぐるとぅゆぐる みやらびぬかるさ はたちみやらび
yama nu ki nu karusa 'asa guru tu yu guru miyarabi nu karusa hatachi miyarabi
○山の木の軽いこと 朝頃と夜頃 娘の軽さ 二十歳の娘
飛鳥の翅さ仮は夜々ごとに通路の空やわ自由やすが
とぅぶとぅいぬちばさ かりばゆゆぐとぅに かゆいじぬすらや わじゆやしが
tubu tui nu chibasa kariba yuyugutu ni kayuiji nu sura ya wa jiyu yashiga
○飛ぶ鳥の翼を借りたら毎夜(あなたに)通う路(で)の身の上は 私(の)自由であるのだが
飛鳥の翅さ仮は自由なよめ昔業平の羽のあため
とぅぶとぅいぬちばさ かりばじゆなゆみ 'んかしなりひらぬ はにぬ'あたみ
tubu tui nu chibasa kariba jiyunayumi 'Nkashi narihira nu hani nu 'atami
○飛ぶ鳥の翼をかりたら 自由になるか?昔(なりひら・・不明。 「付き合った恋人」か。)に羽があっただろうか?
語句・んかしなりひら 不明。 ただ、「なり」は「なりすむん」「なりすむん」(馴れ染める、馴れ親しむ)の「なり」と考え、「ひら」は「ふぃらゆん」(つきあう。交際する)の「ひら」と考えると「昔付き合った恋人」ととれる。
古典曲。野村流工工四上巻。安冨祖流工工四上巻。
御前風(ぐじんふー)五曲では、難曲である「長伊平屋節」の代わりに最近この唄がよく歌われる。
三線の手が「かぎやで風」によく似た曲のひとつという印象がある。(前奏は同じ)
伊集の木の花や あんきよらさ咲きゆい わぬも伊集やとて 真白咲かな
屋嘉比工工四には、この歌詞はなく、「辺野喜節」という題名の代わりに「イチ゛ヨノキブシ」というものがある。
歌詞は「打ち鳴らし鳴らし四つ竹はならしち今日はお座出でて遊ぶ嬉しや」となっている。
「国王の愛妾に中城伊集生まれの容姿端麗の美女がいて日夜愛されていた。王妃は自分もあんなに美しく生まれていたら王の愛情を一身に集めたであろうにとその心情を伊集の花にことよせて詠まれたと伝えられている」(与那覇政牛『ふるさとの歌』 (参考「歌三線の世界」)
つまり、琉球王朝のある王妃が作詞したことになっているのだが伊波普猷が異議を唱えている。
「琉歌百控」の
伊集の木の花や あか清さ咲ひ予ん伊集成て真白咲かな
この中で「あが」は山原地方の方言であり、それを琉球王朝が「あん」と書き換えて王妃の話にしたというのである。
「琉歌百控」とは沖縄最古の琉歌集で、1795年から1802年にかけて成立したとされる。
屋嘉比朝寄は1716~1775年没なので、こちらに歌が載っていないので、まだ首里王朝の歌になっていなかったという推理が成立する。
地方の歌を集めたのが古典である、といえば、よくある普通のことだろう。
そして、その出自について、話が作られている可能性があるということ、これもよくある。
歌碑は国頭郡国頭村辺野喜にある。
(Google Maps では指定した地点
〒905-1424 沖縄県国頭郡国頭村辺野喜の付近
https://goo.gl/maps/aEogeMgYguM2)
(2016年10月28日筆者撮影)
2008年10月26日
フェーレー口説
フェーレー口説
ふぇーれーくどぅち
hweeree kuduchi
〇追い剥ぎ口説
語句・ふぇーれー 追い剥ぎ。山賊のこと。「【憊懶〔はへらい〕『混効験集』】。中国語からの転用。
一、さてもこの世の真ん中に飛出じたる者や人のさん業ゆ業する半端者
さてぃむ くぬゆぬまんなかにとぅんじたるむぬやふぃとぅぬさんわざゆわざするはんぱむぬ
satimu kunu yu nu maNnaka ni tuNjitaru munu ya hwitu nu saN waza yu waza suru haNpamunu
〇さても この世の真ん中に飛び出た者は人のしない仕事を仕事とする半端な者
語句・わざ 職業。仕事。・ゆ を。文語体につかわれる。
んだまず言ちんだ 十か十三 年頃生まれやまともな童やたしが十七、八頃女に振らってあっぱんがらーの事の始まり
※ 嗚呼 あらに やみ やさ
'んだまじ'いちんだ とぅーかじゅーさん とぅしぐる 'んまりや まとぅむなわらびやたしが じゅーしちはちぐる うぃなぐにふらってぃ 'あっぱんがらーぬくとぅぬはじまり おお あらに やみ やさ
'Nda maji 'ichiNda tuu ka juusaN tushiguru 'Nmari ya matumuna warabi yatashiga juushichihachiguru winagu ni huratti 'appaNgaraa nu kutu nu hajimari 'oo 'arani yami yasa
〇どれ、まず言ってみよう 十か十三の年頃、生まれはまともな子どもだったが十七、八歳頃女に振られて自棄をおこすことが始まり おお 違うか? だよな? そうだ!
語句・んだ 「どれ。こら!」(琉)。「んだ まじ 言ちんだ」は口説の囃子の冒頭によくつかわれる。・あっぱんがらー 「'appangaree 《間》どうにでもなれ['ahjangaree];《副》やけっぱちのさま。」(琉)。あっぱんがれー、ともいう。・おお あらに やみ やさ 最後の「やさ」だけは、歌い手以外が声を合わせる。
(以下 ※ は省略)
二、世間口しば恐ろしや 我した臣下に「フェーレーど」「盗人」呼ばわりあたすしが
しきんくちしば'うするしや わしたしんかに ふぇーれーどー ぬすどぅ ゆばわり'あたすしが
shikiN kuchishiba 'usurushi ya washita shiNka ni hweeree doo nusudu yubawari 'atasushiga
〇世間が口にすれば恐ろしいものだ 私たちの仲間に「追い剥ぎだ」「盗人」呼ばわりし、悪いところを突くのだが
語句・あたすしが <あたゆん 「悪いところを突かれる」という意味がある。+すしが するのだが。
我んにん言ちんだ 一けんぬ過ち 世間ー許さん 我面見でー「フェーレーどーい」 道ゆ歩みば「盗人どーい」他人のど 我んねフェーレーなちぇーる 盗人なちぇーる ※
わんにん'いちんだ ちゅけんぬ'あやまち しきのーゆるさん わーちらんでー ふぇーれーどーい みちゆ'あゆみば ぬすどぅどーい ゆすぬどぅわんねーふぇーれーなちぇーる ぬすどぅなちぇーる 'おお 'あらに やみ やさ
waNniN 'ichiNda chukeN nu 'ayamachi shikinoo yurusaN waachira Ndee hweeree dooi michi yu 'ayumiba nusudu dooi yusu nu du waNnee hweeree nacheeru nusudu nacheeru 'oo 'arani yami yasa
〇私も言ってみよう 一度の過ちを世間は許さない 私の顔見ては「追い剥ぎだよ!」道を歩けば「盗人だよ!」他人こそが私を盗賊にしたのだ
語句・ちゅけん 一回。<ちゅ 一。+けーん (<返り 「八重山方言 keera と対応」(琉))・ゆすぬどぅ 直訳すると「他人が こそ」。
三、フェーレー フェーレーと唄ても 人の命や取やびらん 女心ゆ取て暮らす
ふぇーれー ふぇーれー とぅ'うたってぃん ふぃとぅぬ'いぬち や とぅやびらん うぃなぐくくるゆとぅてぃくらす
hweeree hweeree tu 'utattiN hwitu nu 'inuchi ya tuyabiraN winagu kukuru yu tutikurasu
〇追い剥ぎ 追い剥ぎとうたっても 人の命は取りません 女心をとって暮らす
さてぃさてぃ言ちんだ まーの親やれフェーレーなそんでぃ あたら産し子育てにいせーが親の寄し言 風に流ちょて胴勝手さいきっちゃきまぐりし落ててポーン 下げてポーン ※
さてぃさてぃ'いちんだ まーぬ'うややれーふぇーれーなそんでぃ 'あたらなしぐゎく すだてぃにいせーが 'うやぬゆしぐとぅ かじにながちょーてぃ どぅーかってぃーさい きっちゃきまぐりし 'うてぃてぃぽーん さぎてぃぽーん
sati sati 'ichiNda maa nu 'uya yaree hweeree nasoNdi 'atara nashigwa sudatini isee ga 'uya nu yushigutu kaji ni nagachooti duu kattisai kicchakimagurisi 'utiti pooN sagiti pooN
〇さてさて言ってみよう どこの親であれ盗賊にならそうと大事なわが子を育てはしないのは確かだが 親の言うことを風に流して自分勝手をして失敗して義理をわきまえず 落ちてポーン 下がってポーン
語句・きっちゃき つまずき 失敗。 ・まぐりし <まぐりゆん 道義をわきまえない。 ・うてぃてぃぽーん さぎてぃぽーん 人生の街道から「落ちたり」「下がったり」転がり落ちていくさまの表現だろうか。ボールが転がって跳ねている様に例えている。
四、肝の有り様や牡丹花 かーぎ姿も人並みにあとて遊びるゆーしじて
ちむぬ'ありよーやぶたんばな かーぎしがたん ふぃとぅなみに'あとてぃ'あしびゆーしじてぃ
chimu nu 'ariyoo ya butaNbana kaagi shigataN hwitunami ni 'atooti 'ashibi ru yuu shijiti
〇心の有様は牡丹花 容貌や姿も人並みであってこそ遊びをよくし過ぎて
語句・しじてぃ <しじゆん し過ぎる。
またまた言ちんだ 元銭かからん 取物大工ぬ 恐れて這ゆし 女の横目はフェーレーからも真心盗ぬる 女の色香やちっと用心心て香じゃすし ※
またまた'いちんだ むとぅしんかからん とぅいむんぜーくぬ 'うすりてぃほーゆし うぃなぐぬふぃちみーや ふぇーれーからん まぐくる まぐくるぬすぬる うぃなぐぬ'いるかや ちっとぅよーじんくくりてぃかじゃすし
matamata 'ichiNda mutu shiN kakaraN tuimuNzeeku nu 'usuriti hooyushi winagu nu hwichimii ya heeree karaN magukuru nusunuru winagu nu 'iruka ya chittu yoojiN kukuriti kajasushi
〇またまた言ってみよう 元手がかからない盗人が恐れて這い回るもの、女の横目は追い剥ぎからも真心を盗むので女の色香は必ず用心し心して嗅ぐこと
語句・とぅいむんぜーく 盗人。つまりフェーレー。
五、気張りフェーレーもまたなゆみ 元の暮らしにたち戻て エイ 親の孝行もする積むい 見守て呉みそり神仏
ちばりふぇーれーんまたなゆみ むとぅぬくらしにたちむどぅてぃ ええい 'うやぬこーこーんするちむい みまむてぃくぃみそりかみふとぅき
chibari hweereeN mata nayumi mutu nu kurashi ni tachimuduti eei 'uya nu kookooN suru chimui mimamutikwimisoori kamihutuki
〇頑張って追い剥ぎにまたなるか?昔の暮らしに立ち戻って親の孝行もするつもり 見守ってください 神仏 続きを読む
ふぇーれーくどぅち
hweeree kuduchi
〇追い剥ぎ口説
語句・ふぇーれー 追い剥ぎ。山賊のこと。「【憊懶〔はへらい〕『混効験集』】。中国語からの転用。
一、さてもこの世の真ん中に飛出じたる者や人のさん業ゆ業する半端者
さてぃむ くぬゆぬまんなかにとぅんじたるむぬやふぃとぅぬさんわざゆわざするはんぱむぬ
satimu kunu yu nu maNnaka ni tuNjitaru munu ya hwitu nu saN waza yu waza suru haNpamunu
〇さても この世の真ん中に飛び出た者は人のしない仕事を仕事とする半端な者
語句・わざ 職業。仕事。・ゆ を。文語体につかわれる。
んだまず言ちんだ 十か十三 年頃生まれやまともな童やたしが十七、八頃女に振らってあっぱんがらーの事の始まり
※ 嗚呼 あらに やみ やさ
'んだまじ'いちんだ とぅーかじゅーさん とぅしぐる 'んまりや まとぅむなわらびやたしが じゅーしちはちぐる うぃなぐにふらってぃ 'あっぱんがらーぬくとぅぬはじまり おお あらに やみ やさ
'Nda maji 'ichiNda tuu ka juusaN tushiguru 'Nmari ya matumuna warabi yatashiga juushichihachiguru winagu ni huratti 'appaNgaraa nu kutu nu hajimari 'oo 'arani yami yasa
〇どれ、まず言ってみよう 十か十三の年頃、生まれはまともな子どもだったが十七、八歳頃女に振られて自棄をおこすことが始まり おお 違うか? だよな? そうだ!
語句・んだ 「どれ。こら!」(琉)。「んだ まじ 言ちんだ」は口説の囃子の冒頭によくつかわれる。・あっぱんがらー 「'appangaree 《間》どうにでもなれ['ahjangaree];《副》やけっぱちのさま。」(琉)。あっぱんがれー、ともいう。・おお あらに やみ やさ 最後の「やさ」だけは、歌い手以外が声を合わせる。
(以下 ※ は省略)
二、世間口しば恐ろしや 我した臣下に「フェーレーど」「盗人」呼ばわりあたすしが
しきんくちしば'うするしや わしたしんかに ふぇーれーどー ぬすどぅ ゆばわり'あたすしが
shikiN kuchishiba 'usurushi ya washita shiNka ni hweeree doo nusudu yubawari 'atasushiga
〇世間が口にすれば恐ろしいものだ 私たちの仲間に「追い剥ぎだ」「盗人」呼ばわりし、悪いところを突くのだが
語句・あたすしが <あたゆん 「悪いところを突かれる」という意味がある。+すしが するのだが。
我んにん言ちんだ 一けんぬ過ち 世間ー許さん 我面見でー「フェーレーどーい」 道ゆ歩みば「盗人どーい」他人のど 我んねフェーレーなちぇーる 盗人なちぇーる ※
わんにん'いちんだ ちゅけんぬ'あやまち しきのーゆるさん わーちらんでー ふぇーれーどーい みちゆ'あゆみば ぬすどぅどーい ゆすぬどぅわんねーふぇーれーなちぇーる ぬすどぅなちぇーる 'おお 'あらに やみ やさ
waNniN 'ichiNda chukeN nu 'ayamachi shikinoo yurusaN waachira Ndee hweeree dooi michi yu 'ayumiba nusudu dooi yusu nu du waNnee hweeree nacheeru nusudu nacheeru 'oo 'arani yami yasa
〇私も言ってみよう 一度の過ちを世間は許さない 私の顔見ては「追い剥ぎだよ!」道を歩けば「盗人だよ!」他人こそが私を盗賊にしたのだ
語句・ちゅけん 一回。<ちゅ 一。+けーん (<返り 「八重山方言 keera と対応」(琉))・ゆすぬどぅ 直訳すると「他人が こそ」。
三、フェーレー フェーレーと唄ても 人の命や取やびらん 女心ゆ取て暮らす
ふぇーれー ふぇーれー とぅ'うたってぃん ふぃとぅぬ'いぬち や とぅやびらん うぃなぐくくるゆとぅてぃくらす
hweeree hweeree tu 'utattiN hwitu nu 'inuchi ya tuyabiraN winagu kukuru yu tutikurasu
〇追い剥ぎ 追い剥ぎとうたっても 人の命は取りません 女心をとって暮らす
さてぃさてぃ言ちんだ まーの親やれフェーレーなそんでぃ あたら産し子育てにいせーが親の寄し言 風に流ちょて胴勝手さいきっちゃきまぐりし落ててポーン 下げてポーン ※
さてぃさてぃ'いちんだ まーぬ'うややれーふぇーれーなそんでぃ 'あたらなしぐゎく すだてぃにいせーが 'うやぬゆしぐとぅ かじにながちょーてぃ どぅーかってぃーさい きっちゃきまぐりし 'うてぃてぃぽーん さぎてぃぽーん
sati sati 'ichiNda maa nu 'uya yaree hweeree nasoNdi 'atara nashigwa sudatini isee ga 'uya nu yushigutu kaji ni nagachooti duu kattisai kicchakimagurisi 'utiti pooN sagiti pooN
〇さてさて言ってみよう どこの親であれ盗賊にならそうと大事なわが子を育てはしないのは確かだが 親の言うことを風に流して自分勝手をして失敗して義理をわきまえず 落ちてポーン 下がってポーン
語句・きっちゃき つまずき 失敗。 ・まぐりし <まぐりゆん 道義をわきまえない。 ・うてぃてぃぽーん さぎてぃぽーん 人生の街道から「落ちたり」「下がったり」転がり落ちていくさまの表現だろうか。ボールが転がって跳ねている様に例えている。
四、肝の有り様や牡丹花 かーぎ姿も人並みにあとて遊びるゆーしじて
ちむぬ'ありよーやぶたんばな かーぎしがたん ふぃとぅなみに'あとてぃ'あしびゆーしじてぃ
chimu nu 'ariyoo ya butaNbana kaagi shigataN hwitunami ni 'atooti 'ashibi ru yuu shijiti
〇心の有様は牡丹花 容貌や姿も人並みであってこそ遊びをよくし過ぎて
語句・しじてぃ <しじゆん し過ぎる。
またまた言ちんだ 元銭かからん 取物大工ぬ 恐れて這ゆし 女の横目はフェーレーからも真心盗ぬる 女の色香やちっと用心心て香じゃすし ※
またまた'いちんだ むとぅしんかからん とぅいむんぜーくぬ 'うすりてぃほーゆし うぃなぐぬふぃちみーや ふぇーれーからん まぐくる まぐくるぬすぬる うぃなぐぬ'いるかや ちっとぅよーじんくくりてぃかじゃすし
matamata 'ichiNda mutu shiN kakaraN tuimuNzeeku nu 'usuriti hooyushi winagu nu hwichimii ya heeree karaN magukuru nusunuru winagu nu 'iruka ya chittu yoojiN kukuriti kajasushi
〇またまた言ってみよう 元手がかからない盗人が恐れて這い回るもの、女の横目は追い剥ぎからも真心を盗むので女の色香は必ず用心し心して嗅ぐこと
語句・とぅいむんぜーく 盗人。つまりフェーレー。
五、気張りフェーレーもまたなゆみ 元の暮らしにたち戻て エイ 親の孝行もする積むい 見守て呉みそり神仏
ちばりふぇーれーんまたなゆみ むとぅぬくらしにたちむどぅてぃ ええい 'うやぬこーこーんするちむい みまむてぃくぃみそりかみふとぅき
chibari hweereeN mata nayumi mutu nu kurashi ni tachimuduti eei 'uya nu kookooN suru chimui mimamutikwimisoori kamihutuki
〇頑張って追い剥ぎにまたなるか?昔の暮らしに立ち戻って親の孝行もするつもり 見守ってください 神仏 続きを読む
2008年08月22日
ハワイ節
ハワイ節
作詞作曲 普久原朝喜
(女)情あてぃ里前 旅いもち後や 人勝い儲きてぃ戻てぃいもり (サヨサー) 御願さびら
なさき'あてぃさとぅめ たび'いもち'あとぅや ふぃとぅまさい もきてぃむどぅてぃ'いもり (さよさー)'うにげさびら
nasaki 'ati satume tabi 'imochi 'atu ya hwitu masai mokiti muduti'imori (sayosaa)'unigesabira
○情けをもって貴方 旅に行かれた後は人より儲けてお戻りください お願いします
語句・あてぃ …をもって。(参考)「情けあてかくせ 野辺の花薄 二人が玉の緒の惜しさあらば」(情けをもって隠してくれ、野辺のすすきよ 二人の命を惜しいと思うなら。)(沖)。・いもち 行かれた。<いもーち<いめーん 「おいでになる。いらっしゃる。いる・行く・来るの敬語」(沖)。・いもり …していらっしゃい。<いめーん。(同上)・もきてぃ 儲けて。稼いで。<もーきてぃ<もーきゆん 普通「もーきてぃ」と発音するが琉歌の八八八六(サンパチロク)という字数制約のため長母音が短母音化している。(詩的許容、ポエティックライセンスという。)
(男)四、五年ぬ内に人勝い儲きてぃ戻てぃ来ゅる御願げしちょてぃ呉りよ (サヨサー)願てぃ呉りよ
しぐにんぬ'うちにふぃとぅまさいもきてぃむどぅてぃちゅる'うにげしちょてぃくぃりよ にがてぃくぃりよ
shiguniN nu 'uchi ni hwitumasai mokiti mudutichuru 'unige shichotikwiriyo nigatikwiri yo
○四、五年のうちに人より儲けて戻ってくるようお願いをしておいてくれよ 願ってくれよ
(女)志情ぬ言葉朝夕忘りらん 肝に思染みてぃ御待ちさびら(サヨサー)気張てぃいもり
しなさきぬくとぅば 'あさゆわしりらん ちむに'うみすみてぃ'うまちさびら ちばてぃ'いもりあ
shinasaki nu kutuba 'asayu washiriraN chimu ni 'umisumiti 'umachisabira chibati'imori
○真心の言葉、朝晩忘れられない 心に思い染めてお待ちしましょう 頑張ってきてください
(男)気にかかる事や親の事びけい 情あてぃ無蔵よ 親ゆ頼む(サヨサー)孝事方頼む
ちにかかるくとぅや 'うやぬくとぅびけい なさき'あてぃんぞよ 'うやゆたぬむ こーじがたたぬむ
chi ni kakarukutu ya 'uya nu kutubikei nasaki 'ati Nzo yo 'uya yu tanumu koojigata tanumu
○気にかかることは親の事ばかり 情けをもってお前親を頼む 孝行を頼む
語句・びけい ばかり。・こーじがた 親孝行。
(女)親がなし事や 今やかん勝る 孝事方すむぬ 心配やみそな (サヨサー)心配やみそな
'うやがなしくとぅや なまやかんまさる こーじがたすむぬ しわやみそな しわやみそな
'uyaganashi kutu ya nama ya kaN masaru koojigata sumunu shiwa ya misona shiwa ya misona
○親御様の事は今よりも勝る孝行をするからご心配なさらないで
語句・うやがなし 親御様。<うやがなしー<うや 親。+かなしー 様。「尊敬の意を表す接尾辞。」 ・やかん よりも。<やか …より。+ も ん。強調。・すむぬ するから。<す すん、しゅん の語幹。+むぬ …ので。「活用する語の『短縮形』につく」(沖)。「…から」以外に「…ものを」「…のに」の意味もある。
(男)出船や目ぬ前 胸や張り詰てぃ 先立ちゅるむぬや 涙びけい (サヨナー)涙びけい
'んじふにやみぬめ んにやはりちみてぃ さちだちゅるむぬや なみだびけい
'Njihuni ya mi nu me Nni ya harichimiti sachidachuru munu ya namidabikei
○出船は目前 胸は張り詰まり先立つものは涙ばかり
語句・みねめ 目前。<みーぬめー 先述の「詩的許容」で短縮されている。
(女)別り路ぬ那覇港 悲しさや里前 袖濡らす涙忘てたぼな (サヨナー)忘てたぼな
わかりじぬなふぁこー かなしさやさとぅめ すでぃぬらすなみだ わしてたぼな
wakariji nu nahwakoo kanashisa ya satume sudi nurasu namida washiti tabona
○別れ路の那覇港 悲しいことよ あなた 袖濡らす涙忘れてくださらないで
語句・かなしさや 悲しいことよ。 この場合「や」は格助詞ではなく詠嘆を表す終助詞だろう。「悲しいわね」と意訳できる。
続きを読む
作詞作曲 普久原朝喜
(女)情あてぃ里前 旅いもち後や 人勝い儲きてぃ戻てぃいもり (サヨサー) 御願さびら
なさき'あてぃさとぅめ たび'いもち'あとぅや ふぃとぅまさい もきてぃむどぅてぃ'いもり (さよさー)'うにげさびら
nasaki 'ati satume tabi 'imochi 'atu ya hwitu masai mokiti muduti'imori (sayosaa)'unigesabira
○情けをもって貴方 旅に行かれた後は人より儲けてお戻りください お願いします
語句・あてぃ …をもって。(参考)「情けあてかくせ 野辺の花薄 二人が玉の緒の惜しさあらば」(情けをもって隠してくれ、野辺のすすきよ 二人の命を惜しいと思うなら。)(沖)。・いもち 行かれた。<いもーち<いめーん 「おいでになる。いらっしゃる。いる・行く・来るの敬語」(沖)。・いもり …していらっしゃい。<いめーん。(同上)・もきてぃ 儲けて。稼いで。<もーきてぃ<もーきゆん 普通「もーきてぃ」と発音するが琉歌の八八八六(サンパチロク)という字数制約のため長母音が短母音化している。(詩的許容、ポエティックライセンスという。)
(男)四、五年ぬ内に人勝い儲きてぃ戻てぃ来ゅる御願げしちょてぃ呉りよ (サヨサー)願てぃ呉りよ
しぐにんぬ'うちにふぃとぅまさいもきてぃむどぅてぃちゅる'うにげしちょてぃくぃりよ にがてぃくぃりよ
shiguniN nu 'uchi ni hwitumasai mokiti mudutichuru 'unige shichotikwiriyo nigatikwiri yo
○四、五年のうちに人より儲けて戻ってくるようお願いをしておいてくれよ 願ってくれよ
(女)志情ぬ言葉朝夕忘りらん 肝に思染みてぃ御待ちさびら(サヨサー)気張てぃいもり
しなさきぬくとぅば 'あさゆわしりらん ちむに'うみすみてぃ'うまちさびら ちばてぃ'いもりあ
shinasaki nu kutuba 'asayu washiriraN chimu ni 'umisumiti 'umachisabira chibati'imori
○真心の言葉、朝晩忘れられない 心に思い染めてお待ちしましょう 頑張ってきてください
(男)気にかかる事や親の事びけい 情あてぃ無蔵よ 親ゆ頼む(サヨサー)孝事方頼む
ちにかかるくとぅや 'うやぬくとぅびけい なさき'あてぃんぞよ 'うやゆたぬむ こーじがたたぬむ
chi ni kakarukutu ya 'uya nu kutubikei nasaki 'ati Nzo yo 'uya yu tanumu koojigata tanumu
○気にかかることは親の事ばかり 情けをもってお前親を頼む 孝行を頼む
語句・びけい ばかり。・こーじがた 親孝行。
(女)親がなし事や 今やかん勝る 孝事方すむぬ 心配やみそな (サヨサー)心配やみそな
'うやがなしくとぅや なまやかんまさる こーじがたすむぬ しわやみそな しわやみそな
'uyaganashi kutu ya nama ya kaN masaru koojigata sumunu shiwa ya misona shiwa ya misona
○親御様の事は今よりも勝る孝行をするからご心配なさらないで
語句・うやがなし 親御様。<うやがなしー<うや 親。+かなしー 様。「尊敬の意を表す接尾辞。」 ・やかん よりも。<やか …より。+ も ん。強調。・すむぬ するから。<す すん、しゅん の語幹。+むぬ …ので。「活用する語の『短縮形』につく」(沖)。「…から」以外に「…ものを」「…のに」の意味もある。
(男)出船や目ぬ前 胸や張り詰てぃ 先立ちゅるむぬや 涙びけい (サヨナー)涙びけい
'んじふにやみぬめ んにやはりちみてぃ さちだちゅるむぬや なみだびけい
'Njihuni ya mi nu me Nni ya harichimiti sachidachuru munu ya namidabikei
○出船は目前 胸は張り詰まり先立つものは涙ばかり
語句・みねめ 目前。<みーぬめー 先述の「詩的許容」で短縮されている。
(女)別り路ぬ那覇港 悲しさや里前 袖濡らす涙忘てたぼな (サヨナー)忘てたぼな
わかりじぬなふぁこー かなしさやさとぅめ すでぃぬらすなみだ わしてたぼな
wakariji nu nahwakoo kanashisa ya satume sudi nurasu namida washiti tabona
○別れ路の那覇港 悲しいことよ あなた 袖濡らす涙忘れてくださらないで
語句・かなしさや 悲しいことよ。 この場合「や」は格助詞ではなく詠嘆を表す終助詞だろう。「悲しいわね」と意訳できる。
続きを読む
2008年04月28日
漲水のクイチャー (宮古民謡)
漲水のクイチャー
ぱるみずぃ ぬ くいちゃー
parumizi nu kuichaa
〇漲水(宮古島の地名)のクイチャー
語句・くいちゃー 諸説あり不明。一説は「声(くい)合わす(チャース)」(「島うた紀行」)、「神の魂を抱き寄せる『世乞い(ゆーくい)』と関係あるのでは」(同左)
※歌詞は「島うた紀行」と、「宮古民謡工工四」(與儀栄功 編)を参考。
※これまでこのブログでは「ぃ」「i」は中舌母音([ï])としてきたが、宮古方言では舌先母音とする。工工四などに「き゜」「す゜」(半濁音)と表記されているものもこの舌先母音をあらわしていると思われる。舌先母音とは「舌先、あるいは前舌の舌先寄りの部分を歯茎あるいは歯茎寄りの口蓋に接近させ、せばめをつくっている」(沖縄宮古平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ 以下(平良)と略す)。中舌母音のときの舌の位置よりやや上に上がって空気の道が狭くなっているような状態で発音するようだ。そのときに無声、有声の摩擦音(s、z)が発生するようだ。
一、保良真牛 沖縄から上り参ば(ヨ ヤイヤヌ ヨイマーヌーユ 上り参ばヨ ニノヨイサッサイ イヤサッサ ハイ ハイ ハイ)
(括弧は以下省略)
ぶらまうす うくぃなからぬぶりんみゃば
buramausu ukina kara nuburi Nmyaba
〇保良真牛 沖縄から上り(上京して)帰れば
語句・うきぃな 沖縄。本によっては「うぎな」と振り仮名を打ってあるものもある(「島うた紀行」も)。しかし、国吉源次さんの「クイチャー」を聴いても「うぎな」とは唄わないようだ。(平良)によれば、舌先母音が無声破裂音/p//k/と結合するとき無声の摩擦音[s]が観察される、という。つまり「きぃ」が「k[s]ï」と聞える。こういう状態を工工四などで表現するとき「き゜」と表記し、それが「ぎ」と誤解されていくのではないだろうか。これは故胤森弘さんも「す゜」という表記が「中舌母音ïでsïを表記していることは確かなようです」(「こりくつタンメーのウチナーグチ講座メモ 2006年2月版 P447)といわれている。
二、宮古皆ぬ三十原ぬ男達や
みゃーくんなぬみすばらぬびきりゃーたーや
myaaku Nna nu misubara nu bikiryaataa ya
〇宮古すべての三十(あまり)の村の男達は
(「宮古民謡工工四」では)
島皆ぬ三十原ぬ兄小や
すまんなぬみすばらすざがまたーや
suma Nna nu misubara nu suzagamataa ya
〇島すべての三十(あまり)の村の兄さん達は
三、ヒラとらだ カニヤ押さだゆからでだら
ひらとぅらだ かにやうさだゆからでだら
hira turada kaniya usada yukarade dara
(「島うた紀行」では)
ピラとぅらぬ 金やうさだ ゆからでぃだら
ぴらとぅらぬ かにゃうさだ ゆからでぃだら
piraturanu kanya usada yukaradi dara
〇ヘラ(農耕器具)取らないで 鍬押さないでよくなるよ
四、漲水ぬ 船着ぬ 砂んなぐぬ
ぴゃるみずぃぬふなつくぃぬ すなんなぐぬ
pyarumizi nu hunatsuki nu suna Nnagu nu
〇漲水の船着き(港)の砂々が
語句・んなぐ 砂 「すなんなぐ」では砂砂、砂々となる。砂は平良方言では「mnagu」(mは鼻音)。
(「島うた紀行」では)
漲水ぬ 船着ぬ 白砂ぬ
ぴゃるみずぃぬ ふなつくぃぬ しるんなぐぬ
pyarumizi nu hunatsuki nu shiruNnagunu
〇漲水の船着き(港)の白砂が
五、粟んななり 米んななり 上ゆりくば 上がりくば
あわんななり くみんななり ぬゆりくば あがりくば
awa Nna nari kumi Nna nari nuyurikuba
〇粟になり 米になり 上がってくるよ
語句・あわ 平良方言では「粟」awaは「w抜け」により「あー」aa。
(「島うた紀行」では)
粟んなり 米んなり上りくば
あわんなり くみんなり ぬりくば
awaNnari kumiNnari nurikuba
〇粟になり 米になり 上がってくるよ
六、大神島后フヂ並び 折波小ぬ 白波小ぬ
うがんぐすふじならび ぶりなんがまぬ しるなんがまぬ
ugaNgusu hujinarabi burinaNgama nu
〇大神島のうしろの干瀬に寄せる波が
語句・ぐす 後ろ 沖縄語の「くし」。 「す」は「shi」なのかもしれない。・ふじ 「干瀬」(ふぃじ)。八重干瀬という世界最大の干瀬が有名。「島うた紀行」には「富士干瀬」とある。実際宮古の方に聞いたら「富士びし」という場所があり、ただし「干瀬」というより浜辺に近いということらしい。
七、糸んななり かしんななり 上ゆりくば 上がりくば
いちゅんななり かしんななり ぬーゆりくば
ichuNna nari kashi Nnanari nuuyurikuba
〇糸になり 桛になり 上がってくる
語句・かし 桛。綛糸。糸をよる道具。または糸を巻いたもの。
七、島皆ぬ 三十原ぬ 姉小たや
すまんなぬ みすばらぬ あにがまたや
sumaNna nu misubara nu anigama taa ya
〇島皆の三十(あまりの)村の 姉さん達は
八、ぶやんうまだ かしやかきだ ゆからでぃだら
ぶやんうまだ かしやかきだ ゆからでぃだら
buyaN umada kashi ya kakida yukaradidara
〇苧麻を作らなくても 桛を掛けなくても よくなるよ
語句・ぶ 苧麻。<ぶー。宮古上布の原料で過酷な人頭税の対象になっていた。
宮古民謡を代表する曲、漲水のクイチャーを取り上げた。
歌の背景
沖縄本島のカチャーシー、八重山の六調、宮古はクイチャーで人々は踊り、心を一つにする。
しかし、クイチャーの意味は他の踊りとは背景も内容も違っている。
それは国吉源次氏が語ると
「うさばらしをするために村々で踊りおこった歌だとおじいさん、おばあさんから聞かされた。腹いせの歌。実際自分も首里城の殿様がいたところを見てむかついた。(宮古の)人にあれだけ苦労させて食べるものも搾りこんなにしてたのかと」(NHK「琉球の魂を歌う」)
クイチャーは「雨乞い」の歌として生まれたといわれている。
しかし、この漲水のクイチャーは、人頭税という「世界でもっとも残酷な税」といわれる首里王朝が宮古八重山地方の人々にかけた重荷を自分たちの力で取り払ったときの喜びと怒りと願いが込められた歌だという。
人頭税は、1609年薩摩が鎖国政策の中、中国との交易権を独占しようと琉球を侵略、重い租税を掛けられた琉球王朝が、その分を宮古、八重山地方の人々に転化した租税制度であり、1637年からはじまっている。
その悪税制度は廃藩置県も終わっても続き、1893年(明治26年)農民代表の平良真牛(別名 保良真牛)らが廃止のための請願運動で上京し、戻ってくるときにこの漲水のクイチャーが唄われたという。人頭税の廃止はさらにその後1903年。
歌詞をめぐって
当然さまざまな歌詞がある。
歌の最初に
「かんしゅずきゃーぬみーやーく」と歌う場合がある。
正確には不明だが、「こうやっている(唄って踊っている)間の宮古」と直訳できる。
つまり、ここではクイチャーは仕事歌でも、恋愛の思いを載せた甘い歌でも、苦しみを訴える悲壮な歌でもなくその歌を歌い、あわせて踊ること自体を楽しみにしようという歓喜の歌だともいえる。
宮古方言の発音
ウチナーグチ(沖縄本島首里方言)、八重山口(石垣方言)とも発音が大きく食い違う部分がある。
よく宮古民謡の工工四などに
「す°」や「き°」と表現されている。
聞き取ると「ず」「ぎ」に近くも聞こえるが、平仮名では表記できない音のように私などには聞こえる。
こむつかしい専門的な言い方をすると、
舌先母音が無声破裂音/p//k/と結合するとき無声の摩擦音[s]が観察される、という。
また無声破裂音/b//g/と結合するとき有声摩擦音[z]が観察されるという。
このことは文献「沖縄県平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ)に詳しい。
舌の位置により口の中で生まれる発生音に特徴があるようだ。
この文献を少し参考にさせてもらいつつ、上の訳にとりくんだ。きちんとした宮古方言の辞書を私は持たないため、細かい語句や文法の解説などは不可能。しかし、「舌先母音」などの理解にはこの文献が役にたった。
漲水のクイチャーに関係する史跡
2014年10月26日、27日に筆者は宮古島を巡り、「漲水のクイチャー」に関係する史跡を撮影してきた。
▼人頭税石と言われている石。
約140センチのこの岩を超えると人頭税を収めなければならないという「ふばかり石」といわれている。
説明板を書き起こしてみた。
人頭税石(にんとうぜいせき)
大正10年に宮古を訪れた民俗学者・柳田國男は「海南小記」の中でこの石柱を「ふばかり石(賦測石)」と称し、「この石で背丈を測って石の高さに達すると税を賦課された。」との伝承を紹介しています。
1637年、琉球王府は先島(宮古・八重山)に人頭税制を施行しました。
この税制は頭数(人口)を基準に税(粟・織物)を賦課するもので、役人の見立てにより税を納めさせられましたが、1659年には、頭数の増減に関係なく「定額人頭税」制となり、さらに1710年には年齢(15才〜50才を基準として税(男は穀物・女は織物)の賦課が行われるようになりました。
この人頭税制は1903年(明治36年)1月1日の新税制施行に伴って廃止されました。何故この石柱が「ぶばかり石=人頭税石」と呼ばれたのか定かではありませんが、人頭税が年齢制になる以前、すなわち役人の見立てで税を賦課されていた頃、あるいはそれ以前に「あの石の高さ程になると税を賦課される」という目安のようなものであったかもしれません。今日この石柱については「人頭税石」のほか、「屋敷神」「陽石」「図根点」など、多くの説が出されています。
平良市経済部商工観光課
▼平良下里というところに「人頭税廃止100周年記念碑」がある。
▼その碑文。
▼人頭税廃止を祝って人々が踊ったという鏡原馬場跡。
▼漲水の港は現在平良港となっており、昔の面影は見つけられなかった。
粟や米となって欲しい白い砂、絹糸や枷となって欲しい干瀬に立つ白波を見るには別の河岸を探さなくてはならなかった。
池間島から東を望む海岸からの眺め。
白い砂浜と遠くに見える干瀬が、このクイチャーに込められた言葉のように米や糸に見える気がしたのは私だけだろうか。
ぱるみずぃ ぬ くいちゃー
parumizi nu kuichaa
〇漲水(宮古島の地名)のクイチャー
語句・くいちゃー 諸説あり不明。一説は「声(くい)合わす(チャース)」(「島うた紀行」)、「神の魂を抱き寄せる『世乞い(ゆーくい)』と関係あるのでは」(同左)
※歌詞は「島うた紀行」と、「宮古民謡工工四」(與儀栄功 編)を参考。
※これまでこのブログでは「ぃ」「i」は中舌母音([ï])としてきたが、宮古方言では舌先母音とする。工工四などに「き゜」「す゜」(半濁音)と表記されているものもこの舌先母音をあらわしていると思われる。舌先母音とは「舌先、あるいは前舌の舌先寄りの部分を歯茎あるいは歯茎寄りの口蓋に接近させ、せばめをつくっている」(沖縄宮古平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ 以下(平良)と略す)。中舌母音のときの舌の位置よりやや上に上がって空気の道が狭くなっているような状態で発音するようだ。そのときに無声、有声の摩擦音(s、z)が発生するようだ。
一、保良真牛 沖縄から上り参ば(ヨ ヤイヤヌ ヨイマーヌーユ 上り参ばヨ ニノヨイサッサイ イヤサッサ ハイ ハイ ハイ)
(括弧は以下省略)
ぶらまうす うくぃなからぬぶりんみゃば
buramausu ukina kara nuburi Nmyaba
〇保良真牛 沖縄から上り(上京して)帰れば
語句・うきぃな 沖縄。本によっては「うぎな」と振り仮名を打ってあるものもある(「島うた紀行」も)。しかし、国吉源次さんの「クイチャー」を聴いても「うぎな」とは唄わないようだ。(平良)によれば、舌先母音が無声破裂音/p//k/と結合するとき無声の摩擦音[s]が観察される、という。つまり「きぃ」が「k[s]ï」と聞える。こういう状態を工工四などで表現するとき「き゜」と表記し、それが「ぎ」と誤解されていくのではないだろうか。これは故胤森弘さんも「す゜」という表記が「中舌母音ïでsïを表記していることは確かなようです」(「こりくつタンメーのウチナーグチ講座メモ 2006年2月版 P447)といわれている。
二、宮古皆ぬ三十原ぬ男達や
みゃーくんなぬみすばらぬびきりゃーたーや
myaaku Nna nu misubara nu bikiryaataa ya
〇宮古すべての三十(あまり)の村の男達は
(「宮古民謡工工四」では)
島皆ぬ三十原ぬ兄小や
すまんなぬみすばらすざがまたーや
suma Nna nu misubara nu suzagamataa ya
〇島すべての三十(あまり)の村の兄さん達は
三、ヒラとらだ カニヤ押さだゆからでだら
ひらとぅらだ かにやうさだゆからでだら
hira turada kaniya usada yukarade dara
(「島うた紀行」では)
ピラとぅらぬ 金やうさだ ゆからでぃだら
ぴらとぅらぬ かにゃうさだ ゆからでぃだら
piraturanu kanya usada yukaradi dara
〇ヘラ(農耕器具)取らないで 鍬押さないでよくなるよ
四、漲水ぬ 船着ぬ 砂んなぐぬ
ぴゃるみずぃぬふなつくぃぬ すなんなぐぬ
pyarumizi nu hunatsuki nu suna Nnagu nu
〇漲水の船着き(港)の砂々が
語句・んなぐ 砂 「すなんなぐ」では砂砂、砂々となる。砂は平良方言では「mnagu」(mは鼻音)。
(「島うた紀行」では)
漲水ぬ 船着ぬ 白砂ぬ
ぴゃるみずぃぬ ふなつくぃぬ しるんなぐぬ
pyarumizi nu hunatsuki nu shiruNnagunu
〇漲水の船着き(港)の白砂が
五、粟んななり 米んななり 上ゆりくば 上がりくば
あわんななり くみんななり ぬゆりくば あがりくば
awa Nna nari kumi Nna nari nuyurikuba
〇粟になり 米になり 上がってくるよ
語句・あわ 平良方言では「粟」awaは「w抜け」により「あー」aa。
(「島うた紀行」では)
粟んなり 米んなり上りくば
あわんなり くみんなり ぬりくば
awaNnari kumiNnari nurikuba
〇粟になり 米になり 上がってくるよ
六、大神島后フヂ並び 折波小ぬ 白波小ぬ
うがんぐすふじならび ぶりなんがまぬ しるなんがまぬ
ugaNgusu hujinarabi burinaNgama nu
〇大神島のうしろの干瀬に寄せる波が
語句・ぐす 後ろ 沖縄語の「くし」。 「す」は「shi」なのかもしれない。・ふじ 「干瀬」(ふぃじ)。八重干瀬という世界最大の干瀬が有名。「島うた紀行」には「富士干瀬」とある。実際宮古の方に聞いたら「富士びし」という場所があり、ただし「干瀬」というより浜辺に近いということらしい。
七、糸んななり かしんななり 上ゆりくば 上がりくば
いちゅんななり かしんななり ぬーゆりくば
ichuNna nari kashi Nnanari nuuyurikuba
〇糸になり 桛になり 上がってくる
語句・かし 桛。綛糸。糸をよる道具。または糸を巻いたもの。
七、島皆ぬ 三十原ぬ 姉小たや
すまんなぬ みすばらぬ あにがまたや
sumaNna nu misubara nu anigama taa ya
〇島皆の三十(あまりの)村の 姉さん達は
八、ぶやんうまだ かしやかきだ ゆからでぃだら
ぶやんうまだ かしやかきだ ゆからでぃだら
buyaN umada kashi ya kakida yukaradidara
〇苧麻を作らなくても 桛を掛けなくても よくなるよ
語句・ぶ 苧麻。<ぶー。宮古上布の原料で過酷な人頭税の対象になっていた。
宮古民謡を代表する曲、漲水のクイチャーを取り上げた。
歌の背景
沖縄本島のカチャーシー、八重山の六調、宮古はクイチャーで人々は踊り、心を一つにする。
しかし、クイチャーの意味は他の踊りとは背景も内容も違っている。
それは国吉源次氏が語ると
「うさばらしをするために村々で踊りおこった歌だとおじいさん、おばあさんから聞かされた。腹いせの歌。実際自分も首里城の殿様がいたところを見てむかついた。(宮古の)人にあれだけ苦労させて食べるものも搾りこんなにしてたのかと」(NHK「琉球の魂を歌う」)
クイチャーは「雨乞い」の歌として生まれたといわれている。
しかし、この漲水のクイチャーは、人頭税という「世界でもっとも残酷な税」といわれる首里王朝が宮古八重山地方の人々にかけた重荷を自分たちの力で取り払ったときの喜びと怒りと願いが込められた歌だという。
人頭税は、1609年薩摩が鎖国政策の中、中国との交易権を独占しようと琉球を侵略、重い租税を掛けられた琉球王朝が、その分を宮古、八重山地方の人々に転化した租税制度であり、1637年からはじまっている。
その悪税制度は廃藩置県も終わっても続き、1893年(明治26年)農民代表の平良真牛(別名 保良真牛)らが廃止のための請願運動で上京し、戻ってくるときにこの漲水のクイチャーが唄われたという。人頭税の廃止はさらにその後1903年。
歌詞をめぐって
当然さまざまな歌詞がある。
歌の最初に
「かんしゅずきゃーぬみーやーく」と歌う場合がある。
正確には不明だが、「こうやっている(唄って踊っている)間の宮古」と直訳できる。
つまり、ここではクイチャーは仕事歌でも、恋愛の思いを載せた甘い歌でも、苦しみを訴える悲壮な歌でもなくその歌を歌い、あわせて踊ること自体を楽しみにしようという歓喜の歌だともいえる。
宮古方言の発音
ウチナーグチ(沖縄本島首里方言)、八重山口(石垣方言)とも発音が大きく食い違う部分がある。
よく宮古民謡の工工四などに
「す°」や「き°」と表現されている。
聞き取ると「ず」「ぎ」に近くも聞こえるが、平仮名では表記できない音のように私などには聞こえる。
こむつかしい専門的な言い方をすると、
舌先母音が無声破裂音/p//k/と結合するとき無声の摩擦音[s]が観察される、という。
また無声破裂音/b//g/と結合するとき有声摩擦音[z]が観察されるという。
このことは文献「沖縄県平良方言のフォネーム」(かりまたしげひさ)に詳しい。
舌の位置により口の中で生まれる発生音に特徴があるようだ。
この文献を少し参考にさせてもらいつつ、上の訳にとりくんだ。きちんとした宮古方言の辞書を私は持たないため、細かい語句や文法の解説などは不可能。しかし、「舌先母音」などの理解にはこの文献が役にたった。
漲水のクイチャーに関係する史跡
2014年10月26日、27日に筆者は宮古島を巡り、「漲水のクイチャー」に関係する史跡を撮影してきた。
▼人頭税石と言われている石。
約140センチのこの岩を超えると人頭税を収めなければならないという「ふばかり石」といわれている。
説明板を書き起こしてみた。
人頭税石(にんとうぜいせき)
大正10年に宮古を訪れた民俗学者・柳田國男は「海南小記」の中でこの石柱を「ふばかり石(賦測石)」と称し、「この石で背丈を測って石の高さに達すると税を賦課された。」との伝承を紹介しています。
1637年、琉球王府は先島(宮古・八重山)に人頭税制を施行しました。
この税制は頭数(人口)を基準に税(粟・織物)を賦課するもので、役人の見立てにより税を納めさせられましたが、1659年には、頭数の増減に関係なく「定額人頭税」制となり、さらに1710年には年齢(15才〜50才を基準として税(男は穀物・女は織物)の賦課が行われるようになりました。
この人頭税制は1903年(明治36年)1月1日の新税制施行に伴って廃止されました。何故この石柱が「ぶばかり石=人頭税石」と呼ばれたのか定かではありませんが、人頭税が年齢制になる以前、すなわち役人の見立てで税を賦課されていた頃、あるいはそれ以前に「あの石の高さ程になると税を賦課される」という目安のようなものであったかもしれません。今日この石柱については「人頭税石」のほか、「屋敷神」「陽石」「図根点」など、多くの説が出されています。
平良市経済部商工観光課
▼平良下里というところに「人頭税廃止100周年記念碑」がある。
▼その碑文。
▼人頭税廃止を祝って人々が踊ったという鏡原馬場跡。
▼漲水の港は現在平良港となっており、昔の面影は見つけられなかった。
粟や米となって欲しい白い砂、絹糸や枷となって欲しい干瀬に立つ白波を見るには別の河岸を探さなくてはならなかった。
池間島から東を望む海岸からの眺め。
白い砂浜と遠くに見える干瀬が、このクイチャーに込められた言葉のように米や糸に見える気がしたのは私だけだろうか。
2008年03月02日
干瀬節 (舞踊「綛掛之踊」)
干瀬節
ふぃしぶし
hwishi bushi
語句・ふぃし 「満潮の時は隠れ、干潮になるとあらわれる岩や洲。」(沖)。
(舞踊「綛掛之踊」)
[()は囃子言葉。発音、意味は省略]
七読と二十ん(よ)綛掛けておきゆて里があけず羽(よ)御衣よすらね
ななゆみとぅはてん かしかきてぃうちゅてぃ さとぅが'あけずば んすゆしらに
namayumi tu hateN kashikakiti uchuti satuga 'akezuba Nsu yu shirani
○上等の(布を織るために)糸を綛に掛けておいて 貴方のトンボ羽(のように美しい)御着物を作りたいな
語句・ななゆみとぅはてん 七読と二十読。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・かしかきて (糸を)かせに掛けておいて → 機織のための糸を準備しておいて 「綛掛 かせかけ」(かしかき)は、機織のための製経の工程をあらわす言葉。昔は女性の仕事であった。糸(絹や木綿)を一定の力で張り、まず小さな?(かせ kashi)から枠(わく)に巻き取っていくときに、縦糸の本数を決めていく。その密度の違いが「読」であらわされる。 ・あけずば トンボの羽(のように薄く美しい) 安冨祖流は「あけず」。野村流は「あけじ」と歌う。 ・んす 着物(ちん)の敬語 ・ゆ 文語で「を」 ・すらに したいな→作りたいな <しゅん 文語の未然形は「しら」 + に ・・・したい 希望。
続きを読む
ふぃしぶし
hwishi bushi
語句・ふぃし 「満潮の時は隠れ、干潮になるとあらわれる岩や洲。」(沖)。
(舞踊「綛掛之踊」)
[()は囃子言葉。発音、意味は省略]
七読と二十ん(よ)綛掛けておきゆて里があけず羽(よ)御衣よすらね
ななゆみとぅはてん かしかきてぃうちゅてぃ さとぅが'あけずば んすゆしらに
namayumi tu hateN kashikakiti uchuti satuga 'akezuba Nsu yu shirani
○上等の(布を織るために)糸を綛に掛けておいて 貴方のトンボ羽(のように美しい)御着物を作りたいな
語句・ななゆみとぅはてん 七読と二十読。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・かしかきて (糸を)かせに掛けておいて → 機織のための糸を準備しておいて 「綛掛 かせかけ」(かしかき)は、機織のための製経の工程をあらわす言葉。昔は女性の仕事であった。糸(絹や木綿)を一定の力で張り、まず小さな?(かせ kashi)から枠(わく)に巻き取っていくときに、縦糸の本数を決めていく。その密度の違いが「読」であらわされる。 ・あけずば トンボの羽(のように薄く美しい) 安冨祖流は「あけず」。野村流は「あけじ」と歌う。 ・んす 着物(ちん)の敬語 ・ゆ 文語で「を」 ・すらに したいな→作りたいな <しゅん 文語の未然形は「しら」 + に ・・・したい 希望。
続きを読む
2008年02月16日
早作田節
早作田節はいちくてん ぶし
haichikuteN bushi
(本歌)
春や花盛り深山鶯の匂しのでほける 声のしほらしや
はるやはなざかい みやま'うぐいしぬ にうぃ しぬでぃふきる くいぬしゅらしゃ
haru ya hanazakai miyama 'uguishi nu niwi shinudi hukiru kui nu shurasha
○春は花盛り 深山(の)ウグイスが(花の)匂いしのんでさえずる声のかわいらしいことよ!
語句・しぬでぃ 「?忍ぶ 耐える?(人目を避けて恋人に)会いに行く」(琉)<しぬぶん しのぶ。 よく琉歌に使われる語句だが、ここではヤマト口の「偲ぶ」(懐かしむ、好む)の意味。 ・ふきる (鳥などが)さえずる <ふきゆん ・しゅらしゃ かわいらしいことよ! <しゅーらーしゃん 文語では しゅらしゃん しゅらさん とも発音する。 愛しい人を意味する「しゅら」や囃子言葉の元でもある。体言止めで「なんと・・ことよ!」となる。
(舞踊 むんじゅる)
若さひと時の通い路のそらや 闇のさくひらもくるまとばる
わかさふぃとぅとぅちぬ かゆいじぬすらや やみぬさくふぃらん くるまとーばる
wakasa hwitutuchi nu kayuiji nu sura ya yami nu sakuhwiraN kuruma toobaru
○若い時の(恋人への)通い路の身空は 闇のきつい坂も車(を置けるほどの)平坦地
語句・すら 身空。 天空の「空」ではなく「若い身空で」という場合のそれ。身の上、境遇という意味がある。・さくひら 急な坂 「【伊波普猷は“saka[坂]+fira”の転としたが、saku[谷間]+fira[上り坂]であろう】」(琉) ・くるま 車。ただしこの歌ができたと思われる琉球王朝時代に人力車も自転車も、ましてや自動車もなかっただろう。沖縄語辞典によると、昔「くるま」といえば「砂糖車」であった。「(製糖工場の屋外に設置し牛を使って回転させた)甘蔗圧搾車。」(琉) ちなみに「西武門節」の「車乗てぃ」は「人力車」。・とーばる 平野 「くるまとーばる」とは「甘蔗圧搾車をすえるのに適した平坦な地」(琉)ということ。
夏や山川の流れ水たゆて 押し連れて互げに涼みぶしやぬ
なちややまかわぬながりみじたゆてぃ 'うしちりてぃたげにしだみぶしゃぬ
nchi ya yamkawa nu nagarimiji tayuti 'ushichiriti tage ni shidamibushanu
○夏は山川の流れる水(を)頼って (人を)連れて互いに涼みたくて(たまらない)
語句・みじ 水 発音は「みじ miji 」「みずぃ mizi 」どちらでもよい。士族男子は右の発音を教育で教え込まれた。教本などには「みづぃ」と書かれている。・しだみぶしゃぬ 涼みたくてたまらない <しだぬん 涼む +ぶしゃん 形容詞の原因形「・・ぬ」→・・ので(あちさぬ 暑いので)。
馬山川におりて髪洗れなづき 里と約束のあてど行ちゅる
ばじゃんがーに'うりてぃ からじ'あれなじき さとぅとぅやくしくぬ'あてぃどぅ'いちゅる
bajaNgaa ni 'uriti karaji 'are najiki satu tu yakushiku nu 'ati du 'ichuru
○ばじゃん井戸に下りて髪の毛を洗うのは口実 貴方と約束があるからこそ行く
語句・ばじゃんがー 八重山民謡の「真謝川」からきた名前で、本島では「馬山川」という名前の芝居で親しまれている。「真謝川」参照 「かー」は「井戸」のこと。
銀臼なかへ黄金ぢく立てて ためしすりましゅる雪の真米
なんじゃ'うしなかいくがにじくたてぃてぃ たみししりましゅる ゆちぬまぐみ
naNja 'ushi nakai kugani jiku tatiti tamishi shiri mashuru yuchi nu magumi
○銀の臼に黄金の軸(きね)を立てて 試しすり(精米)増していく雪のような真米
語句・稲しり節参照 ・うし 臼 <'うーし 'uushi
続きを読む
haichikuteN bushi
(本歌)
春や花盛り深山鶯の匂しのでほける 声のしほらしや
はるやはなざかい みやま'うぐいしぬ にうぃ しぬでぃふきる くいぬしゅらしゃ
haru ya hanazakai miyama 'uguishi nu niwi shinudi hukiru kui nu shurasha
○春は花盛り 深山(の)ウグイスが(花の)匂いしのんでさえずる声のかわいらしいことよ!
語句・しぬでぃ 「?忍ぶ 耐える?(人目を避けて恋人に)会いに行く」(琉)<しぬぶん しのぶ。 よく琉歌に使われる語句だが、ここではヤマト口の「偲ぶ」(懐かしむ、好む)の意味。 ・ふきる (鳥などが)さえずる <ふきゆん ・しゅらしゃ かわいらしいことよ! <しゅーらーしゃん 文語では しゅらしゃん しゅらさん とも発音する。 愛しい人を意味する「しゅら」や囃子言葉の元でもある。体言止めで「なんと・・ことよ!」となる。
(舞踊 むんじゅる)
若さひと時の通い路のそらや 闇のさくひらもくるまとばる
わかさふぃとぅとぅちぬ かゆいじぬすらや やみぬさくふぃらん くるまとーばる
wakasa hwitutuchi nu kayuiji nu sura ya yami nu sakuhwiraN kuruma toobaru
○若い時の(恋人への)通い路の身空は 闇のきつい坂も車(を置けるほどの)平坦地
語句・すら 身空。 天空の「空」ではなく「若い身空で」という場合のそれ。身の上、境遇という意味がある。・さくひら 急な坂 「【伊波普猷は“saka[坂]+fira”の転としたが、saku[谷間]+fira[上り坂]であろう】」(琉) ・くるま 車。ただしこの歌ができたと思われる琉球王朝時代に人力車も自転車も、ましてや自動車もなかっただろう。沖縄語辞典によると、昔「くるま」といえば「砂糖車」であった。「(製糖工場の屋外に設置し牛を使って回転させた)甘蔗圧搾車。」(琉) ちなみに「西武門節」の「車乗てぃ」は「人力車」。・とーばる 平野 「くるまとーばる」とは「甘蔗圧搾車をすえるのに適した平坦な地」(琉)ということ。
夏や山川の流れ水たゆて 押し連れて互げに涼みぶしやぬ
なちややまかわぬながりみじたゆてぃ 'うしちりてぃたげにしだみぶしゃぬ
nchi ya yamkawa nu nagarimiji tayuti 'ushichiriti tage ni shidamibushanu
○夏は山川の流れる水(を)頼って (人を)連れて互いに涼みたくて(たまらない)
語句・みじ 水 発音は「みじ miji 」「みずぃ mizi 」どちらでもよい。士族男子は右の発音を教育で教え込まれた。教本などには「みづぃ」と書かれている。・しだみぶしゃぬ 涼みたくてたまらない <しだぬん 涼む +ぶしゃん 形容詞の原因形「・・ぬ」→・・ので(あちさぬ 暑いので)。
馬山川におりて髪洗れなづき 里と約束のあてど行ちゅる
ばじゃんがーに'うりてぃ からじ'あれなじき さとぅとぅやくしくぬ'あてぃどぅ'いちゅる
bajaNgaa ni 'uriti karaji 'are najiki satu tu yakushiku nu 'ati du 'ichuru
○ばじゃん井戸に下りて髪の毛を洗うのは口実 貴方と約束があるからこそ行く
語句・ばじゃんがー 八重山民謡の「真謝川」からきた名前で、本島では「馬山川」という名前の芝居で親しまれている。「真謝川」参照 「かー」は「井戸」のこと。
銀臼なかへ黄金ぢく立てて ためしすりましゅる雪の真米
なんじゃ'うしなかいくがにじくたてぃてぃ たみししりましゅる ゆちぬまぐみ
naNja 'ushi nakai kugani jiku tatiti tamishi shiri mashuru yuchi nu magumi
○銀の臼に黄金の軸(きね)を立てて 試しすり(精米)増していく雪のような真米
語句・稲しり節参照 ・うし 臼 <'うーし 'uushi
続きを読む
2007年12月10日
ぶちゅい小
ぶちゅい小節
ぶちゅい ぐわ ぶし
buchui gwa bushi
○未熟者
語句・ぶちゅい 発育不良 (琉) <ぶちゅーい<ぶ 不 + ちゅーゆん 強くなる 育つ の名詞形 師匠から「未熟者」くらいの意味だと教えられた。
(女)いえな主いえ 待ちんそれ
いぇーな すー 'いぇー まちんそれ
'yeenaa suu 'yee machiNsore
○ねえ おとうさん ねえ 待ってください
語句・いぇー ねえ おい 「目下」への呼びかけ 「いぇ」とひらがな書きしてあるが「い」という発音はなく、「yee」の前に「声門破裂音」がある。少し空気を溜めて喉(声門)から「っえー」と発音するのに近い。
(男)誰がカマド小どやんな あんしあわてとて さんさんすしが女童なーくーてん落ち着きわるやんどや
たーがかまどぅぐわどぅやんな 'あんし'あわてぃとてぃ さんさんすしが みやらびなーくーてん 'うちちきわるやんどーや
taa ga kamadugwa du yaNna 'aNshi 'awatitoti saNsaNsushi ga miyarabi naa kuuteN 'uchichiki waru yaN doo ya
○誰?カマドちゃんだね そんなにあわてて そわそわしているが 娘(は)もうすこし落ち着いているもんだよ
語句・かまどぅぐわ カマドちゃん <竈(かまど) ・さんさん そわそわ ・くーてん すこし ・わる ばぞ <わどぅ 「d」と「r」が入れ替わっている。)意思を表す。ここでは 「・・ものだよ」とさとす意味。
(女)うぬ主よ あんし好かんど 我ね童あらんさ 十七八なればいっぺちゅとんて肩ね切り小んけうるち
'うぬすーよ 'あんししかんど わんね わらび'あらんさ じゅうしちはちなりば 'いっぺーちゅーとぅんてー かたねーちりぐわんけー'うるち
'unu suu yo 'aNshi shikaN doo waNne warabi 'araN sa jyuushichihachi nariba 'ippee chuutuNtee kata nee chirigwaN kee 'uruchi
○その〔そんな〕お父さん だから嫌いよ 私は子供ではないよ 十七、八才なれば 十分育って肩上げ(を)下ろしちゃってよ
語句・ちゅーとぅんてー 育っていて <ちゅーゆん 強くなる 育つ(琉) ・かたねーちりぐわ 肩上げ (子どもが長い着物を着やすいように袖を上げて縫うこと) ・けーうるち 下ろしちゃってよ けー(ちょっと・・する。 ・・しちゃう。)+ うるち うるしゅん 下ろす 命令形
(男)ちゅーとん ちゅーとん ひるましむん
ちゅーとん ちゅーとん ひるましむん
chuutooN chuutooN hirumashimuN
○育った 育った 珍しいもの
語句・ひるましむん ひるまし<ふぃるましゃん 奇妙だ 怪しい 珍しい +むん 者 お父さんが娘を皮肉って言っている
(女)うね主よ道端居とて うひななあびみせね 村の人にちかりいね いっぺ恥ずかさしが 赤顔小我ねなゆしが
'うねすーよ みちばた'うとーてぃ 'うひ〔ふぃ〕な'あびみせねー むらぬふぃとぅにちかりーねー 'いっぺーはじかさしが 'あかがうぐわわねなゆしが
'une suu yo michibata 'utooti 'uhwina 'abimiseenee mura nu hwitu ni chikariinee 'ippee hajikasashiga 'akagaugwa wane nayushiga
○ほら!お父さん道端で そんなに大きくわめきになられると村の人に聞かれたときにはとっても恥ずかしいのだけど 赤顔(に)私なるのだけど
語句・うね ほら! 感嘆 ・うひ(うふぃ)な そんなに大きく ・あびみせねー わめきになったら <あびゆん わめく 叫ぶ +みせーん 敬語 (お父さんには敬語を貫く)+ねー ・・すると (<ni+ja ・・するときには)
(男)まぎくあびりわる村の美ら二才達が カマド小くいがんでいち イッスイカッスイそて あわてて来うさカマド小
まぎく'あびりわるむらぬちゅらにせたーが かまどぅぐわくぃがんでぃ'いち 'いっすいかっすいそーてぃ 'あわてぃてぃちゅーさかまどぅぐわ
magiku 'abiriwaru mura nu chura nisetaa ga kamadugwa kui ga Ndi 'ichi 'issuikassui sooti 'awatiti chuusa kamadugwa
○大きくわめいたら村の美青年たちが 「カマドちゃんの声か」って言って いそいそとあわてて来るんだよ カマドちゃん
語句・あびわる わめいたらこそ→わめいたら・・・だよ。 あび<あびゆん 叫ぶ わめく +わる=わどぅ<「ばどぅ」(・・すればこそ)の弱まった言い方 ・くいが 声か? ・んでぃ ・・と 引用。 ・いっすいかっすい いそいそとする様子
(女)んじな主女童十七八なればぬーがな小持ちゅんで云ゆしが 本当やみな主 友小達から我ねちちやしが
'んじな すー みやらびじゅうしちはちなりば ぬーがなぐわむちゅんでぃ'いゆしが ふんぬやみなすー どぅしぐわたーからわねちちやしが
'Njina suu miyarabi juushichi nariba nuuganagwaa muchuNdi 'iyushiga fuNnu yamina suu dushigwataa kara wane chichiyashiga
○本当?お父さん 娘十七八なれば 何か持つって言うけれど本当かねえお父さん 友達から私聞いたのだけど
語句・んじな「〔真偽を確かめる問い返しの〕そう?[ほんと?]」(琉)
(男)主アンマーも若さたいね 持っちるうとりとる大ぎさる石やても一人しる持っちゃしが 今の童ひるましもの 胴やびったいくわったいそて親ど使ゆさ ひるましむん
すー'あんまーんわかさたいねー むっちる'うとぅりとる まぎさる'いしやてぃん ちゅいしるむっちゃしが なまぬわらびふぃるましむん どぅーやびったいくわったいそてぃ 'うやどぅちかゆさ ふぃるましむん
suu 'aNmaa wakasatainee mucchi ru 'uturitooru magisaru 'ishi yatiN chui si ru mucchashiga nama nu warabi hwirumashimuN duu ya bittaikwattai soti 'uya du chikayusa hwirumashimuN
○お父さん(の)母さんも若い時には 持ちきれないほどの大きな石であっても一人で持ったが 今の子ども(は)奇妙な者 自分は[びったいくわったい 不明]していて親を使うよ 奇妙な者だ
語句・むっちるうとぅるとる 持ってこそ衰える→持ちきれないほどの <むちゅん むっち 持って +る=どぅ こそ 強調 + うとぅりゆん 衰える 連体形(どぅ の係り結び) ・どぅー 自分 ・びったいくわったい 「くわったい」を使った畳語(じょうご 語句を重ねて意味を強調する)に「ゆったいくわったい」(水が たっぷんたっぷん 揺れるさま)があるが、「びったい」を使った畳語が辞書にない。今度師匠にうかがっておく。
(女)うぬ主よ あんし好かんど 誰が石んで言ゆたが 石も土もあらんさな 十七八なれば男と女と
'うぬすーよ 'あんししかんどー たーが'いしんでぃ'いゆたが 'いしん'んちゃん'あらんな じゅうしちはちなりば うぃきがとぅうぃなぐとぅ
'unu suu yo 'aNshi shikaN doo taa ga 'ishi Ndi 'iyutaga 'ishiN 'NchaN 'araNna juushichi hachi nariba wikiga tu winagu tu
○そういうお父さん だから嫌いよ 誰が「石」って言ったの? 石も土の(関係)ないわよ 十七八なれば 男と女と
(男)男と女と
うぃなぐとぅうぃきがとぅ
winagu tu wikiga tu
○男と女と
(女)ニービチて
にーびちてー
niibichi tee
○結婚だよ
語句・てー ・・だよ
(男)今ね わかとさカマド小
なまねー わかとーさかまどぅぐわ
namanee wakatosa kamadugwa
○今にわかるよ カマドちゃん
(女)家んじ語ゆさ通いんそれ
やー'んじかたゆさ とぅーいんそーれー
yaa 'Nji katayusa tuuiNsooree
○家出て語るよ 行きましょうね
語句・かたゆさ 語る <かたゆん 語る + さ (「かたゆん」には契りを交わすという意味もある。「いかたれーぐわ」の「いかたれ」のように。「かた」が「味方」と同根であるという。) ・とぅーいんそーれー 通りましょうね→ 「行きましょうね」くらいの意味(by師匠) ただし「行きましょうね」と言っても自分の意思を示す。
(男)とー通れ
とー とぅーれー
tuu tuuree
○さー行け
続きを読む
ぶちゅい ぐわ ぶし
buchui gwa bushi
○未熟者
語句・ぶちゅい 発育不良 (琉) <ぶちゅーい<ぶ 不 + ちゅーゆん 強くなる 育つ の名詞形 師匠から「未熟者」くらいの意味だと教えられた。
(女)いえな主いえ 待ちんそれ
いぇーな すー 'いぇー まちんそれ
'yeenaa suu 'yee machiNsore
○ねえ おとうさん ねえ 待ってください
語句・いぇー ねえ おい 「目下」への呼びかけ 「いぇ」とひらがな書きしてあるが「い」という発音はなく、「yee」の前に「声門破裂音」がある。少し空気を溜めて喉(声門)から「っえー」と発音するのに近い。
(男)誰がカマド小どやんな あんしあわてとて さんさんすしが女童なーくーてん落ち着きわるやんどや
たーがかまどぅぐわどぅやんな 'あんし'あわてぃとてぃ さんさんすしが みやらびなーくーてん 'うちちきわるやんどーや
taa ga kamadugwa du yaNna 'aNshi 'awatitoti saNsaNsushi ga miyarabi naa kuuteN 'uchichiki waru yaN doo ya
○誰?カマドちゃんだね そんなにあわてて そわそわしているが 娘(は)もうすこし落ち着いているもんだよ
語句・かまどぅぐわ カマドちゃん <竈(かまど) ・さんさん そわそわ ・くーてん すこし ・わる ばぞ <わどぅ 「d」と「r」が入れ替わっている。)意思を表す。ここでは 「・・ものだよ」とさとす意味。
(女)うぬ主よ あんし好かんど 我ね童あらんさ 十七八なればいっぺちゅとんて肩ね切り小んけうるち
'うぬすーよ 'あんししかんど わんね わらび'あらんさ じゅうしちはちなりば 'いっぺーちゅーとぅんてー かたねーちりぐわんけー'うるち
'unu suu yo 'aNshi shikaN doo waNne warabi 'araN sa jyuushichihachi nariba 'ippee chuutuNtee kata nee chirigwaN kee 'uruchi
○その〔そんな〕お父さん だから嫌いよ 私は子供ではないよ 十七、八才なれば 十分育って肩上げ(を)下ろしちゃってよ
語句・ちゅーとぅんてー 育っていて <ちゅーゆん 強くなる 育つ(琉) ・かたねーちりぐわ 肩上げ (子どもが長い着物を着やすいように袖を上げて縫うこと) ・けーうるち 下ろしちゃってよ けー(ちょっと・・する。 ・・しちゃう。)+ うるち うるしゅん 下ろす 命令形
(男)ちゅーとん ちゅーとん ひるましむん
ちゅーとん ちゅーとん ひるましむん
chuutooN chuutooN hirumashimuN
○育った 育った 珍しいもの
語句・ひるましむん ひるまし<ふぃるましゃん 奇妙だ 怪しい 珍しい +むん 者 お父さんが娘を皮肉って言っている
(女)うね主よ道端居とて うひななあびみせね 村の人にちかりいね いっぺ恥ずかさしが 赤顔小我ねなゆしが
'うねすーよ みちばた'うとーてぃ 'うひ〔ふぃ〕な'あびみせねー むらぬふぃとぅにちかりーねー 'いっぺーはじかさしが 'あかがうぐわわねなゆしが
'une suu yo michibata 'utooti 'uhwina 'abimiseenee mura nu hwitu ni chikariinee 'ippee hajikasashiga 'akagaugwa wane nayushiga
○ほら!お父さん道端で そんなに大きくわめきになられると村の人に聞かれたときにはとっても恥ずかしいのだけど 赤顔(に)私なるのだけど
語句・うね ほら! 感嘆 ・うひ(うふぃ)な そんなに大きく ・あびみせねー わめきになったら <あびゆん わめく 叫ぶ +みせーん 敬語 (お父さんには敬語を貫く)+ねー ・・すると (<ni+ja ・・するときには)
(男)まぎくあびりわる村の美ら二才達が カマド小くいがんでいち イッスイカッスイそて あわてて来うさカマド小
まぎく'あびりわるむらぬちゅらにせたーが かまどぅぐわくぃがんでぃ'いち 'いっすいかっすいそーてぃ 'あわてぃてぃちゅーさかまどぅぐわ
magiku 'abiriwaru mura nu chura nisetaa ga kamadugwa kui ga Ndi 'ichi 'issuikassui sooti 'awatiti chuusa kamadugwa
○大きくわめいたら村の美青年たちが 「カマドちゃんの声か」って言って いそいそとあわてて来るんだよ カマドちゃん
語句・あびわる わめいたらこそ→わめいたら・・・だよ。 あび<あびゆん 叫ぶ わめく +わる=わどぅ<「ばどぅ」(・・すればこそ)の弱まった言い方 ・くいが 声か? ・んでぃ ・・と 引用。 ・いっすいかっすい いそいそとする様子
(女)んじな主女童十七八なればぬーがな小持ちゅんで云ゆしが 本当やみな主 友小達から我ねちちやしが
'んじな すー みやらびじゅうしちはちなりば ぬーがなぐわむちゅんでぃ'いゆしが ふんぬやみなすー どぅしぐわたーからわねちちやしが
'Njina suu miyarabi juushichi nariba nuuganagwaa muchuNdi 'iyushiga fuNnu yamina suu dushigwataa kara wane chichiyashiga
○本当?お父さん 娘十七八なれば 何か持つって言うけれど本当かねえお父さん 友達から私聞いたのだけど
語句・んじな「〔真偽を確かめる問い返しの〕そう?[ほんと?]」(琉)
(男)主アンマーも若さたいね 持っちるうとりとる大ぎさる石やても一人しる持っちゃしが 今の童ひるましもの 胴やびったいくわったいそて親ど使ゆさ ひるましむん
すー'あんまーんわかさたいねー むっちる'うとぅりとる まぎさる'いしやてぃん ちゅいしるむっちゃしが なまぬわらびふぃるましむん どぅーやびったいくわったいそてぃ 'うやどぅちかゆさ ふぃるましむん
suu 'aNmaa wakasatainee mucchi ru 'uturitooru magisaru 'ishi yatiN chui si ru mucchashiga nama nu warabi hwirumashimuN duu ya bittaikwattai soti 'uya du chikayusa hwirumashimuN
○お父さん(の)母さんも若い時には 持ちきれないほどの大きな石であっても一人で持ったが 今の子ども(は)奇妙な者 自分は[びったいくわったい 不明]していて親を使うよ 奇妙な者だ
語句・むっちるうとぅるとる 持ってこそ衰える→持ちきれないほどの <むちゅん むっち 持って +る=どぅ こそ 強調 + うとぅりゆん 衰える 連体形(どぅ の係り結び) ・どぅー 自分 ・びったいくわったい 「くわったい」を使った畳語(じょうご 語句を重ねて意味を強調する)に「ゆったいくわったい」(水が たっぷんたっぷん 揺れるさま)があるが、「びったい」を使った畳語が辞書にない。今度師匠にうかがっておく。
(女)うぬ主よ あんし好かんど 誰が石んで言ゆたが 石も土もあらんさな 十七八なれば男と女と
'うぬすーよ 'あんししかんどー たーが'いしんでぃ'いゆたが 'いしん'んちゃん'あらんな じゅうしちはちなりば うぃきがとぅうぃなぐとぅ
'unu suu yo 'aNshi shikaN doo taa ga 'ishi Ndi 'iyutaga 'ishiN 'NchaN 'araNna juushichi hachi nariba wikiga tu winagu tu
○そういうお父さん だから嫌いよ 誰が「石」って言ったの? 石も土の(関係)ないわよ 十七八なれば 男と女と
(男)男と女と
うぃなぐとぅうぃきがとぅ
winagu tu wikiga tu
○男と女と
(女)ニービチて
にーびちてー
niibichi tee
○結婚だよ
語句・てー ・・だよ
(男)今ね わかとさカマド小
なまねー わかとーさかまどぅぐわ
namanee wakatosa kamadugwa
○今にわかるよ カマドちゃん
(女)家んじ語ゆさ通いんそれ
やー'んじかたゆさ とぅーいんそーれー
yaa 'Nji katayusa tuuiNsooree
○家出て語るよ 行きましょうね
語句・かたゆさ 語る <かたゆん 語る + さ (「かたゆん」には契りを交わすという意味もある。「いかたれーぐわ」の「いかたれ」のように。「かた」が「味方」と同根であるという。) ・とぅーいんそーれー 通りましょうね→ 「行きましょうね」くらいの意味(by師匠) ただし「行きましょうね」と言っても自分の意思を示す。
(男)とー通れ
とー とぅーれー
tuu tuuree
○さー行け
続きを読む