2013年04月27日
昔染みなし節
昔染みなし節
んかし すみなしぶし
Nkashi suminashi bushi
◯昔心染めなす唄
語句・すみなし <すみゆん; 染める。+ なすん。 なしゅん; なす。 心を染める。林昌さんは六番で「しみてぃ」と歌っているので「んかししみなしぶし」と読むのかもしれない。
一、真夜中どぅやしが夢にうくさりてぃ 覚みてぃ恋しさや ありが姿 ヨーワンネ
まゆなかどぅやしが いみにうくさりてぃ さみてぃくいしさや ありがしがた よーわんね
mayunaka du yashiga 'imi ni 'ukusariti samiti kuishisa ya 'ari ga shigata yoo waNnee
◯真夜中なのであるが夢に起こされて 目覚めても恋しいのはあの人の姿 ねえ 私は
語句・あり あの人。「ama(あの方)、anuQcu(あの人)よりはぞんざいな形」【沖縄語辞典】。・わんねー 私は。 ちなみに「わん」(私)は後ろに付く語によって形がかわる。「わーが」(私が)。「わんねー」(私は)。「わんにん」(私も)。「わー」(私も)。
二、忘らていとぅむてぃ まくらとぅいかわち 二度とぅ うくさりる夢ぬ辛さヨーワンネ
わしらていとぅむてぃ まくらとぅいかわち にどとぅんうくさりるいみぬちらさ よーわんね
washiratei tumuti Makura tuikawachi nidutu 'ukusariru 'imi nu chirasa waNnee
〇忘れようと思って 枕を取り換えて 再び起こされる夢の辛さよねえ 私は
語句・てい と。 とぅむてぃと思って。
三、朝夕うみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ 胸ぬうむいはりら ヨーワンネ
あさゆうみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ んにぬうむいはりら よーわんね
'asayu 'umichimiti yashihatirubikei 'uchi'akiti Nni nu 'umui harira waNnee
〇一日中思い詰めて 痩せ果てるばかり 打ち明けて胸の思い晴らせたい ねえ 私は
語句・あさゆ 一日中。「朝と夕方」ではない。・びけい ばかり。くらいの。程の。・はりら <はりゆん;晴れる。 の未然形。自分の意思や、仲間への呼びかけを意味する。
四、梅桜でんし節来りば咲ちゅい 節ゆまちみそり 咲ちどぅさびるよーニーサン
んみさくらでんし しちくりばさちゅい しちゆまちみそり さちどぅさびる よーにーさん
'Nmi sakura deNshi shichi kuruba sacyui shichi yu machimisori sachi du sabiru yoo niisaN
〇梅桜でさえ季節が来れば花が咲くもの 時期をお待ちください 花が必ず咲きます ねえ兄さん
語句・でんし でさえ。・しち 季節。時期。「節」(せつ)に対応。・みそり <みそーり。 敬語の命令形。<みせーん;お…になる。 (たとえば、目を「みー」と発音するが、表記では「み」と書くことがある。このように歌の中では、長母音〔伸ばす母音〕を短く表記し、この場合3文字と数える。こういう表記法を詩的許容(poetic license)と言う。)・さちどぅさびる 必ず咲きます。「どぅ」は強調の助詞で、その後の語尾を連体形にする「係り結びの法則」が働くので、「あびーん」という丁寧の敬語が「「あびる」になる。・にーさん うちなーぐちの辞書にはないが、ふつうの「お兄さん」の意味だろう。(ちなみにうちなーぐちで「にーさん」は「遅い」「まずい」の意)。
五、節待ちゅる間や 年や寄い詰みてぃ 寄いちみる年やしらね無蔵や ヨーニーサン
しちまちゅるいぇだや とぅしやゆいちみてぃ ゆいちみるとぅしやしらねんぞや よーにーさん
shichi machuru yeda ya tushi ya yuichimiti yuchimiru tushi ya sirane Nz(y)o ya yoo niisaN
〇時期待つ間に歳を取ってしまって 取ってしまった歳は知らないでしょう 貴女は ねえ兄さん
語句・しらね <しらねー <しゆん;知る。の否定形しらん、の質問形 しらに+や が融合して「しらねー」。 知らないよね、知らないでしょう? ・んぞ 「男が恋する女を親しんでいう語。恋人(女)」【沖縄語辞典】。女性から男性に向けては「里」(さとぅ)。しかし、稀に歌の中では性別に関わらず「恋人」に向かっていう時もある。
六、一人うみちみてぃ んにうちゆ染みてぃ いらなくがりゆる やみぬ蛍 ヨーワンネ
ひちゅいうみちみてぃ んにうちゆしみてぃ いらなくがりゆる やみぬふたる よーわんね
h(w)ichui 'umichimiti Nni'uchi yu simiti 'irana kugariyuru yami nu hutaru yoo waNnee
〇一人思い詰めて 胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
語句 ・いらな いわないで。 <ゆん[言う]の未然形 いら。の否定形
「平成の嘉手苅林昌」に収録。
「染みなし節」は有名だが、こちらの「昔染みなし節」はこのアルバムを開くまで知らなかった。
冒頭の歌詞は「世宝節」でも使われているし、六番はその「染みなし節」の歌詞とよく似ている。
メロディーも、聞きなれた曲にはない。
嘉手苅林昌先生の即興だろうか、そこはわからない。
しかし、いい曲、歌、歌詞である。
さて内容について、いくつか不明なところも多い。
「昔」とついているが「昔の」という意味か、「昔染めた」という意味かわからない。
四番は敬語が使われているから「女性」の気持ちであることはわかる。
そして五番は「無蔵」(んぞ)とあるので「男性」である。
その四番と五番だけに「よー兄さん」とあって、それ以外の「よーわんね」とは違っている。
通常、私は囃子言葉は訳さないで良いと思っている。
それはいくつかの理由があるが、今回はどうも歌詞の内容と関連がありそうなので、訳の中に織り込んでみた。
私の解釈では
女性の想いを寄せる男性が、その思いを抱え夢にまで見、枕も変えたがそれでも夢を見て、やせはてているところに
女性が「いつかは時期がきますよ、お待ちください」と言ったところ、男性は「それでは歳をとってしまうよ」と応えて最後の歌詞になる。
一人思い詰めて胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
この「闇ぬ蛍」を使った琉歌を「琉歌大成」(清水彰) で調べるといくつかでてくる。
その中に
思い身にあらば事のよしあしも言やな焦がゆみ闇の蛍
つらさ身にあまてことのよしあしも言やな焦がれゆみ闇の蛍
この「言やな」を「言らな」と言い換えた歌詞だろう。
youtubeで嘉手苅林昌さんのこの歌が聴ける。
んかし すみなしぶし
Nkashi suminashi bushi
◯昔心染めなす唄
語句・すみなし <すみゆん; 染める。+ なすん。 なしゅん; なす。 心を染める。林昌さんは六番で「しみてぃ」と歌っているので「んかししみなしぶし」と読むのかもしれない。
一、真夜中どぅやしが夢にうくさりてぃ 覚みてぃ恋しさや ありが姿 ヨーワンネ
まゆなかどぅやしが いみにうくさりてぃ さみてぃくいしさや ありがしがた よーわんね
mayunaka du yashiga 'imi ni 'ukusariti samiti kuishisa ya 'ari ga shigata yoo waNnee
◯真夜中なのであるが夢に起こされて 目覚めても恋しいのはあの人の姿 ねえ 私は
語句・あり あの人。「ama(あの方)、anuQcu(あの人)よりはぞんざいな形」【沖縄語辞典】。・わんねー 私は。 ちなみに「わん」(私)は後ろに付く語によって形がかわる。「わーが」(私が)。「わんねー」(私は)。「わんにん」(私も)。「わー」(私も)。
二、忘らていとぅむてぃ まくらとぅいかわち 二度とぅ うくさりる夢ぬ辛さヨーワンネ
わしらていとぅむてぃ まくらとぅいかわち にどとぅんうくさりるいみぬちらさ よーわんね
washiratei tumuti Makura tuikawachi nidutu 'ukusariru 'imi nu chirasa waNnee
〇忘れようと思って 枕を取り換えて 再び起こされる夢の辛さよねえ 私は
語句・てい と。 とぅむてぃと思って。
三、朝夕うみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ 胸ぬうむいはりら ヨーワンネ
あさゆうみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ んにぬうむいはりら よーわんね
'asayu 'umichimiti yashihatirubikei 'uchi'akiti Nni nu 'umui harira waNnee
〇一日中思い詰めて 痩せ果てるばかり 打ち明けて胸の思い晴らせたい ねえ 私は
語句・あさゆ 一日中。「朝と夕方」ではない。・びけい ばかり。くらいの。程の。・はりら <はりゆん;晴れる。 の未然形。自分の意思や、仲間への呼びかけを意味する。
四、梅桜でんし節来りば咲ちゅい 節ゆまちみそり 咲ちどぅさびるよーニーサン
んみさくらでんし しちくりばさちゅい しちゆまちみそり さちどぅさびる よーにーさん
'Nmi sakura deNshi shichi kuruba sacyui shichi yu machimisori sachi du sabiru yoo niisaN
〇梅桜でさえ季節が来れば花が咲くもの 時期をお待ちください 花が必ず咲きます ねえ兄さん
語句・でんし でさえ。・しち 季節。時期。「節」(せつ)に対応。・みそり <みそーり。 敬語の命令形。<みせーん;お…になる。 (たとえば、目を「みー」と発音するが、表記では「み」と書くことがある。このように歌の中では、長母音〔伸ばす母音〕を短く表記し、この場合3文字と数える。こういう表記法を詩的許容(poetic license)と言う。)・さちどぅさびる 必ず咲きます。「どぅ」は強調の助詞で、その後の語尾を連体形にする「係り結びの法則」が働くので、「あびーん」という丁寧の敬語が「「あびる」になる。・にーさん うちなーぐちの辞書にはないが、ふつうの「お兄さん」の意味だろう。(ちなみにうちなーぐちで「にーさん」は「遅い」「まずい」の意)。
五、節待ちゅる間や 年や寄い詰みてぃ 寄いちみる年やしらね無蔵や ヨーニーサン
しちまちゅるいぇだや とぅしやゆいちみてぃ ゆいちみるとぅしやしらねんぞや よーにーさん
shichi machuru yeda ya tushi ya yuichimiti yuchimiru tushi ya sirane Nz(y)o ya yoo niisaN
〇時期待つ間に歳を取ってしまって 取ってしまった歳は知らないでしょう 貴女は ねえ兄さん
語句・しらね <しらねー <しゆん;知る。の否定形しらん、の質問形 しらに+や が融合して「しらねー」。 知らないよね、知らないでしょう? ・んぞ 「男が恋する女を親しんでいう語。恋人(女)」【沖縄語辞典】。女性から男性に向けては「里」(さとぅ)。しかし、稀に歌の中では性別に関わらず「恋人」に向かっていう時もある。
六、一人うみちみてぃ んにうちゆ染みてぃ いらなくがりゆる やみぬ蛍 ヨーワンネ
ひちゅいうみちみてぃ んにうちゆしみてぃ いらなくがりゆる やみぬふたる よーわんね
h(w)ichui 'umichimiti Nni'uchi yu simiti 'irana kugariyuru yami nu hutaru yoo waNnee
〇一人思い詰めて 胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
語句 ・いらな いわないで。 <ゆん[言う]の未然形 いら。の否定形
「平成の嘉手苅林昌」に収録。
「染みなし節」は有名だが、こちらの「昔染みなし節」はこのアルバムを開くまで知らなかった。
冒頭の歌詞は「世宝節」でも使われているし、六番はその「染みなし節」の歌詞とよく似ている。
メロディーも、聞きなれた曲にはない。
嘉手苅林昌先生の即興だろうか、そこはわからない。
しかし、いい曲、歌、歌詞である。
さて内容について、いくつか不明なところも多い。
「昔」とついているが「昔の」という意味か、「昔染めた」という意味かわからない。
四番は敬語が使われているから「女性」の気持ちであることはわかる。
そして五番は「無蔵」(んぞ)とあるので「男性」である。
その四番と五番だけに「よー兄さん」とあって、それ以外の「よーわんね」とは違っている。
通常、私は囃子言葉は訳さないで良いと思っている。
それはいくつかの理由があるが、今回はどうも歌詞の内容と関連がありそうなので、訳の中に織り込んでみた。
私の解釈では
女性の想いを寄せる男性が、その思いを抱え夢にまで見、枕も変えたがそれでも夢を見て、やせはてているところに
女性が「いつかは時期がきますよ、お待ちください」と言ったところ、男性は「それでは歳をとってしまうよ」と応えて最後の歌詞になる。
一人思い詰めて胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
この「闇ぬ蛍」を使った琉歌を「琉歌大成」(清水彰) で調べるといくつかでてくる。
その中に
思い身にあらば事のよしあしも言やな焦がゆみ闇の蛍
つらさ身にあまてことのよしあしも言やな焦がれゆみ闇の蛍
この「言やな」を「言らな」と言い換えた歌詞だろう。
youtubeで嘉手苅林昌さんのこの歌が聴ける。
2008年02月24日
芋の葉節
芋の葉節'んむぬふぁ ぶし
'Nmu nu hwaa bushi
○芋の葉節
里が張て呉てる(へい ひやるが) むんじゅるの笠や (よ)被んではも涼しや(へい ひやるが)縁がやゆら(よんな)
さとぅがはてぃくぃてる (へーい ひやるが) むんじゅるぬかさや (よー) かんでぃわんしだしゃ (へーい ひやるが)いんがやゆら (よーんな)
satu ga hatikwiteeru (hei hiyaruga)muNjuru nu kasa ya (yoo)kaNdi waN sidasha (hei hiyaruga) iN ga yayura (yooNna)
○貴方が張ってくれていた麦わらの笠はかぶって私も涼しいことよ! 縁であろうか?
語句・くぃてーる くれていた ・かんでぃ 被って <かんじゅん ・いん 縁 「'いん」は「犬」。これは「いん」。 続きを読む
'Nmu nu hwaa bushi
○芋の葉節
里が張て呉てる(へい ひやるが) むんじゅるの笠や (よ)被んではも涼しや(へい ひやるが)縁がやゆら(よんな)
さとぅがはてぃくぃてる (へーい ひやるが) むんじゅるぬかさや (よー) かんでぃわんしだしゃ (へーい ひやるが)いんがやゆら (よーんな)
satu ga hatikwiteeru (hei hiyaruga)muNjuru nu kasa ya (yoo)kaNdi waN sidasha (hei hiyaruga) iN ga yayura (yooNna)
○貴方が張ってくれていた麦わらの笠はかぶって私も涼しいことよ! 縁であろうか?
語句・くぃてーる くれていた ・かんでぃ 被って <かんじゅん ・いん 縁 「'いん」は「犬」。これは「いん」。 続きを読む
2007年01月28日
芋の時代
芋の時代
'んむ ぬ じだい
'Nmu nu jidai
語句・んむ 'Nmu 芋。甘藷(サツマイモ)。ちなみに「たーんむ taa'Nmu」は里芋科の水芋。「ちんぬく」chiNnuku も里芋。
作詞 浦崎 芳子 作曲 普久原 恒勇
一、夜明けしらじらあかとんち 鶏の唄いる声聞けば 我ったアンマーちがきみそーち シンメーナービに芋煮みそーち 子の達 朝の目クファヤー
ゆあきしらじら'あかとぅんち とぅいぬ'うたいるくいちきば わったー'あんまーちがきみそーち しんめーなーびに'んむにみそーち っくわぬちゃー 'あさぬみーくふぁやー
yuaki shirajira 'akatuNchi tui nu 'utairu kui chikiba wattaa 'aNmaa chigakimisoochi shiNmeenaabi ni 'Nmunimisoochi kkunuchaa 'asa nu miikuhwayaa
〇夜が明け、しらじらと少し明るくなって ニワトリの唄う声を聞いたので うちのお母さんは励みなさって シンメー鍋で芋を煮なさって 子ども達の朝の目覚まし(だ)
語句・あかとぅんち 今帰仁方言に「はーとぅんち」があり、意味は「暁。夜明け。明け方。」【今帰仁方言音声データベース】。「はー」は「赤」のこと。「とぅんち」は不明。首里語を扱った【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)にはない。一般にウチナーグチでは「明け方」は「あかちち」「あきがた」「ゆあき」。・ちがきみそーち 励みになられて。<ちがきゆん。 「精出す。(仕事などに)励む。」【沖辞】。励む(気+kakiyuN)+みせーん ・・される の連用形。・しんめーなーび シンメー鍋。直径が50〜100cmほどの大鍋。シンメーの意味は4枚の鉄板で作るので「四枚」→シンメー という。・っくゎ 子ども。発音は最初に「っ」がつくので注意。声門破裂音という。「くゎ」の最初の「く」と音がでるまえに口の奥を閉じておいて少し空気を溜めて軽く吐き出しながら「く」と発すると「っく」になる。ちなみに「人」も「っちゅ」と発音する。・みーくふぁやー「目ざまし。おめざ。朝などに目を覚ました時に与えるお菓子の類。」【沖辞】。
二 笑いはっちりとーる熱芋や フーフーまーさぬぬくたまて アンマーが煮ちえる芋の味へ ぬーでぃーくぃーくぃーちーちーかーかー 茶もカティガティーまーさ味
わらい(われー)はっちりとーる 'あち'んむや ふーふーまーさぬ ぬくたまてぃ 'あんまーがにちぇーる'んむぬあじぇー ぬーでぃーくぃーくぃーちーちーかーかー ちゃーんかてぃがてぃまーさあじ
warai(waree) hacchiritooru 'achi'Nmu ya huuhuu maasanu nukutamati 'aNmaa ga nicheeru 'Nmu nu 'ajee nuudii kwiikwiichiichiikaakaa chaaN kadikadi maasa 'aji
〇笑いがはちきれている熱い芋は フーフー美味しいので温もって お母様が煮ている芋の味は喉にひっかっかってお茶を飲み飲みしながら美味しい味(だ)
語句・わらい 笑い。ウチナーグチでは「われー」。CDでは「わらい」と唄われている。・はっちりとーる はちきれている。<はっちりゆん。「はち切れる」【沖辞】。・ふーふー 熱くて息を吹きかける様。ふーふー。・まーさぬ 美味しいので。形容詞の最後を「ぬ」にすると「・・ので」と理由をあらわす。・ぬくたまてぃ 暖まって。<ぬくたまゆん。「暖まる。体などが暖かくなる。」【沖辞】。・ぬーでぃー 喉。・くぃーくぃー 見あたる語がないが、「ぬーくぃー」(何やかや)「ぬーんくぃーん」(何もかも)【沖辞】というように語呂合わせで「ぬーでぃー」を補なっているのではないか。・ちーちーかーかー 「食べ物が胸につかえる様」【沖辞】。・ちゃーんかでぃかでぃ 茶も食べ食べ(する時には飲んで)。
<ちゃー(茶)+ん(も) +かでぃかでぃ (かぬん 食べる 同じ言葉を繰り返して強調する畳語)・まーさあじ 美味しい味。<まーさん。+あじ。味。
三 寒くなりばんうびんぢゃち 暑くなりばんうびんぢゃち クーフチ芋の熱コーコーから クラガー 百号 イナヨー芋から 面影立ちゅさあの時分
ふぃーくなりばん 'うびんじゃち ’あちくなりばん 'うびんじゃち くーふち'んむぬ'あちこーこーから くらがーひゃくごー 'いなよー'んむから 'うむかじたちゅさ 'あぬじぶん
hwiiku naribaN 'ubiNjachi 'achikunaribaN 'ubiNjachi kuuhuchi 'Nmu nu 'achikookoo kara kuragaa hyakugoo 'inayoo 'Nmu kara 'umukaji tachusa 'anujibuN
〇寒くなっても思い出し 暑くなっても思い出し 粉吹き芋が出来たての熱々で クラガー百号 イナヨー芋で 面影がたつよあの時分の
語句・ふぃーく 寒く。<ふぃーさん(形)。・なりばん なった時も。<なり+ばー(時)+ん(も)・うびんじゃち思い出して。<'うび'んじゃしゅん 。思い出す。・くーふち 粉吹き。・あちこーこー「ほやほや。煮えたばかりのさま。また料理の熱いうちに」【沖辞】。料理が出来たてのほかほか熱いさまをこういう。・からで。・くらがーひゃくごー クラガー百号という「甘蔗の一種。上等な品種」【沖辞】。「暗い井戸で見つかった」から「暗井戸(ガー)」。・いなよー不明。これもたぶん芋の種類であろう。。
四 クバ笠かんとて夏の日も 冬の寒さる雨の日も むのーちゅはーら腹一杯かで根気ちきやいうみはまりんでち 親のかまちゃる芋の味
くばがさかんとーてぃなちぬふぃーん ふゆぬふぃーさる'あみぬふぃーん むのー ちゅはーらはら'いっぱいかでぃ くんちちきやい'うみはまんでぃち 'うやぬかまちゃる 'んむぬ'あじ
kubagasa kaNtooti nachi nu hwiiN huyu nu hwiisaru 'ami nu hwiiN munoo chuhaara hara 'ippaikadi kuNchi chikiyai 'umihamaNdichi 'uya nu kamacharu 'Nmu nu 'aji
〇クバ笠をかぶって夏の日も 冬の寒い雨の日も 食べ物をお腹一杯食べて根気をつけて励む(ことができる)と言って親が食べさせてくれる芋の味
語句・くばがさ クバの葉で作った笠。・かんとーてぃ かぶっていて。<かんじゅん 「かぶる」【沖辞】。 ・むのー 食べ物を。<むぬ(食べ物)+や 融合してnoo となる。・ちゅふぁーら 「腹一杯。満腹」「十分」【沖辞】。・くんち 「根気」。元気、というくらいに使われる。・ちきやい つけて。<ちちゅん。付く。・うみはまんでぃち 励む(ことができる)と言って。<うみはまゆん。励む。没頭する。 + んでぃち。と言って。
五 三度三度のはんめーや 芋と塩小し腹みちて 命つぃなぢゃるあの志情や 忘てーならんさ親の恩儀 いちぐいちまで忘んなよ
さんどぅさんどぅぬはんめーや 'んむとぅまーすぐわーしわたみちてぃ 'いぬちちなじゃる'あぬしなさきや わしてーならんさ'うやぬ うんじぇー 'いちぐ'いちまでぃわしんなよー
saNdusaNdu nu haNmee ya 'Nmu tu maasugwaashi wata michiti 'inuchi chinajaru 'anu shinasaki ya washitee naraN sa 'uya nu uNjee 'ichigu'ichimadi washiNna yoo
〇三度、三度の食料は芋と塩でお腹を満たして、命(いつもの元気)を繋いでいるあの志情けは 忘れてはならないよ 親の恩義は一生何時までも忘れるなよ
語句・はんめー糧食。食料。・し で。・うんじぇー 恩義は。<うんじぇー<うんじ。恩義+や。は。融合して、うんじぇー。
(コメント)
沖縄で人気がある新民謡のひとつ。
一昔前の沖縄の普通の家庭の食事を支えていた芋(んむ)。
曲は、テンポがよくエイサー曲にも使われている。
お母さんが朝早くから芋を煮て子ども達に食べさせる。
笑いがこぼれる食卓、できたてをフーフーしながら喉に詰まらせる子どもたちに
お茶を飲み飲み食べないなさいと。
そして子ども達も大きくなり、振り返る。寒くて暑くても思い出す、あのいろいろな芋の味。
クバ笠をかぶった夏も寒い冬もお腹を一杯にして根気をつければ頑張れる、と親がいつも
いって聞かせてたべさせてくれた、あの味。
まずしかったけれど、芋と塩だけで元気、命を繋いでくれた親の情け、恩義は絶対に忘れてはいけない。それを受け継いでいくかなくては。
というような意訳。
私のこどものころ(1959年生まれ)でも、芋はよくたべさせられた。
おやつに、ご飯にまぜて。
さすがに子どものころは「もう、いらん〜」といっていたが、
年をとると芋の味は懐かしい。
朝食を食べない、食べさせない家庭が増え、すぐに「切れる」子どもが増えた。親も格差社会で、苦しみながら、ついついコンビニの食事に頼る親の責任も重いが、社会の構造にも問題がある。
しっかり朝ご飯を食べる、手作りのものを食べる、親が昔からの食事を見直し子どもに伝える。
こんなあたりまえのことがおろそかになっている時代になった。
昔の人のバトンをどこかに落としてしまったのだ。
次の世代、私たちは何のバトンを渡そうか。
【芋の琉球、本土への伝搬】
野国総管
琉球に芋(現在の甘蔗、唐芋、サツマイモ)が伝わったのは1605年。現在の嘉手納にあたる野国村(ぬぐん)生まれの野国総管(総管とは進貢船の役職名。本名は「与那覇松」だと言われている。)が明(中国)の福州から持ち帰った甘蔗の苗を植えたことに始まる。
台風などによる天災により旱魃や飢饉をなんとかしたいという思いであったという。
儀間真常
野国総管が持ち帰り栽培した芋を儀間村生まれの儀間真常が琉球各地に広めた。これが種子島(1698年)、薩摩(1705年)に伝わる。
薩摩では「唐芋(カライモ)」と呼ばれた。
江戸には青木昆陽によって伝わった(1734年)。栽培方法が確立し全国へ広まった。江戸で「薩摩芋」と呼ばれた。
宮古島には別のルートで甘蔗が伝わった(1597年)。
このように芋(甘蔗、サツマイモ)は中国から琉球を経て薩摩や本土に広がっていったのである。
(嘉手納町にある野国総管を祀る神社)
(同上)
(説明板)
2016年10月28日に筆者撮影。
【「あかとぅんち」を巡って】
一番の歌詞に出てくる「あかとぅんち」。なんとなく意味はわかるようで、わからない。
なんとなく「あかつき」にも似てるから、そうなんだろうと歌っている方も多い。
沖縄語辞典(国立国語研究所編)、琉球語辞典(半田一郎)にも「あかとぅんち」の項はない。
SNSのfacebookに「うちなーぐち講座」というグループがあり、そこで伺ってみた。
沖縄で現在「あかとぅんち」を使っているかどうか、と。すると、「聞いたことがない」という返事を頂いた。また、この作詞をされた浦崎芳子さんは伊江島だから「伊江島ムニー」(伊江島の言葉)かもしれないというご示唆も受けた。
それで今帰仁方言音声データベースで検索すると、「あかとぅんち」ではなく
ハートゥンチ (名詞)暁。夜明け。明け方。
という言葉が出てきた。
さらに「ハー」を検索すると
ハー (名詞)赤。haa<aka あかーともいう。
と出てきた。
実際に伊江島ご出身の方に、上述の「うちなーぐち講座」の方が伺ってくださったところによると
アハトゥンチという。暁、夜明け、朝陽に使う。
つまり、暁の意味で、伊江島ではアハトゥンチ、今帰仁ではハートゥンチということがわかった。
つまりこの歌の作者浦崎芳子さんは、自分のシマ(故郷)の言葉で「あかとぅんち」という語句を選択されたのだ。
ところで「とぅんち」とはなにか。
普通は「殿内」と書く「大きなお屋敷」と思う。
しかし、それでは「あかどぅんち」というように連濁のために「どぅ」となるだろう。例えば「ぬんどぅんち」(ヌールーぬ屋敷) などのように。
暁(あかつき)を語源辞典でみると
あか、とき。だという。奈良時代はそうであり、その後、あかつき、になったとある。
すると琉球では、
あかとき、が、あかとぅき、に変化し、あかとぅんち、になったと考えるのも不自然ではない。
沖縄古語辞典の「あかつき」の項に
「アカツィチ 明け方。夜明け。『あかつき』の古形は「あかとき」(明時)で、沖縄北部方言にはアカトゥンチがある」
とある。
奈良時代は「あかとき」、平安時代以降は「あかつき」に変化していく前の「あかとき」が北部には残っていて「あかとぅんち」になったということだ。
私たちはこの「芋の時代」を歌うたびに、奈良時代の「あかとき」の痕跡を残す「あかとぅんち」という言葉を歌っていることになる。
'んむ ぬ じだい
'Nmu nu jidai
語句・んむ 'Nmu 芋。甘藷(サツマイモ)。ちなみに「たーんむ taa'Nmu」は里芋科の水芋。「ちんぬく」chiNnuku も里芋。
作詞 浦崎 芳子 作曲 普久原 恒勇
一、夜明けしらじらあかとんち 鶏の唄いる声聞けば 我ったアンマーちがきみそーち シンメーナービに芋煮みそーち 子の達 朝の目クファヤー
ゆあきしらじら'あかとぅんち とぅいぬ'うたいるくいちきば わったー'あんまーちがきみそーち しんめーなーびに'んむにみそーち っくわぬちゃー 'あさぬみーくふぁやー
yuaki shirajira 'akatuNchi tui nu 'utairu kui chikiba wattaa 'aNmaa chigakimisoochi shiNmeenaabi ni 'Nmunimisoochi kkunuchaa 'asa nu miikuhwayaa
〇夜が明け、しらじらと少し明るくなって ニワトリの唄う声を聞いたので うちのお母さんは励みなさって シンメー鍋で芋を煮なさって 子ども達の朝の目覚まし(だ)
語句・あかとぅんち 今帰仁方言に「はーとぅんち」があり、意味は「暁。夜明け。明け方。」【今帰仁方言音声データベース】。「はー」は「赤」のこと。「とぅんち」は不明。首里語を扱った【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)にはない。一般にウチナーグチでは「明け方」は「あかちち」「あきがた」「ゆあき」。・ちがきみそーち 励みになられて。<ちがきゆん。 「精出す。(仕事などに)励む。」【沖辞】。励む(気+kakiyuN)+みせーん ・・される の連用形。・しんめーなーび シンメー鍋。直径が50〜100cmほどの大鍋。シンメーの意味は4枚の鉄板で作るので「四枚」→シンメー という。・っくゎ 子ども。発音は最初に「っ」がつくので注意。声門破裂音という。「くゎ」の最初の「く」と音がでるまえに口の奥を閉じておいて少し空気を溜めて軽く吐き出しながら「く」と発すると「っく」になる。ちなみに「人」も「っちゅ」と発音する。・みーくふぁやー「目ざまし。おめざ。朝などに目を覚ました時に与えるお菓子の類。」【沖辞】。
二 笑いはっちりとーる熱芋や フーフーまーさぬぬくたまて アンマーが煮ちえる芋の味へ ぬーでぃーくぃーくぃーちーちーかーかー 茶もカティガティーまーさ味
わらい(われー)はっちりとーる 'あち'んむや ふーふーまーさぬ ぬくたまてぃ 'あんまーがにちぇーる'んむぬあじぇー ぬーでぃーくぃーくぃーちーちーかーかー ちゃーんかてぃがてぃまーさあじ
warai(waree) hacchiritooru 'achi'Nmu ya huuhuu maasanu nukutamati 'aNmaa ga nicheeru 'Nmu nu 'ajee nuudii kwiikwiichiichiikaakaa chaaN kadikadi maasa 'aji
〇笑いがはちきれている熱い芋は フーフー美味しいので温もって お母様が煮ている芋の味は喉にひっかっかってお茶を飲み飲みしながら美味しい味(だ)
語句・わらい 笑い。ウチナーグチでは「われー」。CDでは「わらい」と唄われている。・はっちりとーる はちきれている。<はっちりゆん。「はち切れる」【沖辞】。・ふーふー 熱くて息を吹きかける様。ふーふー。・まーさぬ 美味しいので。形容詞の最後を「ぬ」にすると「・・ので」と理由をあらわす。・ぬくたまてぃ 暖まって。<ぬくたまゆん。「暖まる。体などが暖かくなる。」【沖辞】。・ぬーでぃー 喉。・くぃーくぃー 見あたる語がないが、「ぬーくぃー」(何やかや)「ぬーんくぃーん」(何もかも)【沖辞】というように語呂合わせで「ぬーでぃー」を補なっているのではないか。・ちーちーかーかー 「食べ物が胸につかえる様」【沖辞】。・ちゃーんかでぃかでぃ 茶も食べ食べ(する時には飲んで)。
<ちゃー(茶)+ん(も) +かでぃかでぃ (かぬん 食べる 同じ言葉を繰り返して強調する畳語)・まーさあじ 美味しい味。<まーさん。+あじ。味。
三 寒くなりばんうびんぢゃち 暑くなりばんうびんぢゃち クーフチ芋の熱コーコーから クラガー 百号 イナヨー芋から 面影立ちゅさあの時分
ふぃーくなりばん 'うびんじゃち ’あちくなりばん 'うびんじゃち くーふち'んむぬ'あちこーこーから くらがーひゃくごー 'いなよー'んむから 'うむかじたちゅさ 'あぬじぶん
hwiiku naribaN 'ubiNjachi 'achikunaribaN 'ubiNjachi kuuhuchi 'Nmu nu 'achikookoo kara kuragaa hyakugoo 'inayoo 'Nmu kara 'umukaji tachusa 'anujibuN
〇寒くなっても思い出し 暑くなっても思い出し 粉吹き芋が出来たての熱々で クラガー百号 イナヨー芋で 面影がたつよあの時分の
語句・ふぃーく 寒く。<ふぃーさん(形)。・なりばん なった時も。<なり+ばー(時)+ん(も)・うびんじゃち思い出して。<'うび'んじゃしゅん 。思い出す。・くーふち 粉吹き。・あちこーこー「ほやほや。煮えたばかりのさま。また料理の熱いうちに」【沖辞】。料理が出来たてのほかほか熱いさまをこういう。・からで。・くらがーひゃくごー クラガー百号という「甘蔗の一種。上等な品種」【沖辞】。「暗い井戸で見つかった」から「暗井戸(ガー)」。・いなよー不明。これもたぶん芋の種類であろう。。
四 クバ笠かんとて夏の日も 冬の寒さる雨の日も むのーちゅはーら腹一杯かで根気ちきやいうみはまりんでち 親のかまちゃる芋の味
くばがさかんとーてぃなちぬふぃーん ふゆぬふぃーさる'あみぬふぃーん むのー ちゅはーらはら'いっぱいかでぃ くんちちきやい'うみはまんでぃち 'うやぬかまちゃる 'んむぬ'あじ
kubagasa kaNtooti nachi nu hwiiN huyu nu hwiisaru 'ami nu hwiiN munoo chuhaara hara 'ippaikadi kuNchi chikiyai 'umihamaNdichi 'uya nu kamacharu 'Nmu nu 'aji
〇クバ笠をかぶって夏の日も 冬の寒い雨の日も 食べ物をお腹一杯食べて根気をつけて励む(ことができる)と言って親が食べさせてくれる芋の味
語句・くばがさ クバの葉で作った笠。・かんとーてぃ かぶっていて。<かんじゅん 「かぶる」【沖辞】。 ・むのー 食べ物を。<むぬ(食べ物)+や 融合してnoo となる。・ちゅふぁーら 「腹一杯。満腹」「十分」【沖辞】。・くんち 「根気」。元気、というくらいに使われる。・ちきやい つけて。<ちちゅん。付く。・うみはまんでぃち 励む(ことができる)と言って。<うみはまゆん。励む。没頭する。 + んでぃち。と言って。
五 三度三度のはんめーや 芋と塩小し腹みちて 命つぃなぢゃるあの志情や 忘てーならんさ親の恩儀 いちぐいちまで忘んなよ
さんどぅさんどぅぬはんめーや 'んむとぅまーすぐわーしわたみちてぃ 'いぬちちなじゃる'あぬしなさきや わしてーならんさ'うやぬ うんじぇー 'いちぐ'いちまでぃわしんなよー
saNdusaNdu nu haNmee ya 'Nmu tu maasugwaashi wata michiti 'inuchi chinajaru 'anu shinasaki ya washitee naraN sa 'uya nu uNjee 'ichigu'ichimadi washiNna yoo
〇三度、三度の食料は芋と塩でお腹を満たして、命(いつもの元気)を繋いでいるあの志情けは 忘れてはならないよ 親の恩義は一生何時までも忘れるなよ
語句・はんめー糧食。食料。・し で。・うんじぇー 恩義は。<うんじぇー<うんじ。恩義+や。は。融合して、うんじぇー。
(コメント)
沖縄で人気がある新民謡のひとつ。
一昔前の沖縄の普通の家庭の食事を支えていた芋(んむ)。
曲は、テンポがよくエイサー曲にも使われている。
お母さんが朝早くから芋を煮て子ども達に食べさせる。
笑いがこぼれる食卓、できたてをフーフーしながら喉に詰まらせる子どもたちに
お茶を飲み飲み食べないなさいと。
そして子ども達も大きくなり、振り返る。寒くて暑くても思い出す、あのいろいろな芋の味。
クバ笠をかぶった夏も寒い冬もお腹を一杯にして根気をつければ頑張れる、と親がいつも
いって聞かせてたべさせてくれた、あの味。
まずしかったけれど、芋と塩だけで元気、命を繋いでくれた親の情け、恩義は絶対に忘れてはいけない。それを受け継いでいくかなくては。
というような意訳。
私のこどものころ(1959年生まれ)でも、芋はよくたべさせられた。
おやつに、ご飯にまぜて。
さすがに子どものころは「もう、いらん〜」といっていたが、
年をとると芋の味は懐かしい。
朝食を食べない、食べさせない家庭が増え、すぐに「切れる」子どもが増えた。親も格差社会で、苦しみながら、ついついコンビニの食事に頼る親の責任も重いが、社会の構造にも問題がある。
しっかり朝ご飯を食べる、手作りのものを食べる、親が昔からの食事を見直し子どもに伝える。
こんなあたりまえのことがおろそかになっている時代になった。
昔の人のバトンをどこかに落としてしまったのだ。
次の世代、私たちは何のバトンを渡そうか。
【芋の琉球、本土への伝搬】
野国総管
琉球に芋(現在の甘蔗、唐芋、サツマイモ)が伝わったのは1605年。現在の嘉手納にあたる野国村(ぬぐん)生まれの野国総管(総管とは進貢船の役職名。本名は「与那覇松」だと言われている。)が明(中国)の福州から持ち帰った甘蔗の苗を植えたことに始まる。
台風などによる天災により旱魃や飢饉をなんとかしたいという思いであったという。
儀間真常
野国総管が持ち帰り栽培した芋を儀間村生まれの儀間真常が琉球各地に広めた。これが種子島(1698年)、薩摩(1705年)に伝わる。
薩摩では「唐芋(カライモ)」と呼ばれた。
江戸には青木昆陽によって伝わった(1734年)。栽培方法が確立し全国へ広まった。江戸で「薩摩芋」と呼ばれた。
宮古島には別のルートで甘蔗が伝わった(1597年)。
このように芋(甘蔗、サツマイモ)は中国から琉球を経て薩摩や本土に広がっていったのである。
(嘉手納町にある野国総管を祀る神社)
(同上)
(説明板)
2016年10月28日に筆者撮影。
【「あかとぅんち」を巡って】
一番の歌詞に出てくる「あかとぅんち」。なんとなく意味はわかるようで、わからない。
なんとなく「あかつき」にも似てるから、そうなんだろうと歌っている方も多い。
沖縄語辞典(国立国語研究所編)、琉球語辞典(半田一郎)にも「あかとぅんち」の項はない。
SNSのfacebookに「うちなーぐち講座」というグループがあり、そこで伺ってみた。
沖縄で現在「あかとぅんち」を使っているかどうか、と。すると、「聞いたことがない」という返事を頂いた。また、この作詞をされた浦崎芳子さんは伊江島だから「伊江島ムニー」(伊江島の言葉)かもしれないというご示唆も受けた。
それで今帰仁方言音声データベースで検索すると、「あかとぅんち」ではなく
ハートゥンチ (名詞)暁。夜明け。明け方。
という言葉が出てきた。
さらに「ハー」を検索すると
ハー (名詞)赤。haa<aka あかーともいう。
と出てきた。
実際に伊江島ご出身の方に、上述の「うちなーぐち講座」の方が伺ってくださったところによると
アハトゥンチという。暁、夜明け、朝陽に使う。
つまり、暁の意味で、伊江島ではアハトゥンチ、今帰仁ではハートゥンチということがわかった。
つまりこの歌の作者浦崎芳子さんは、自分のシマ(故郷)の言葉で「あかとぅんち」という語句を選択されたのだ。
ところで「とぅんち」とはなにか。
普通は「殿内」と書く「大きなお屋敷」と思う。
しかし、それでは「あかどぅんち」というように連濁のために「どぅ」となるだろう。例えば「ぬんどぅんち」(ヌールーぬ屋敷) などのように。
暁(あかつき)を語源辞典でみると
あか、とき。だという。奈良時代はそうであり、その後、あかつき、になったとある。
すると琉球では、
あかとき、が、あかとぅき、に変化し、あかとぅんち、になったと考えるのも不自然ではない。
沖縄古語辞典の「あかつき」の項に
「アカツィチ 明け方。夜明け。『あかつき』の古形は「あかとき」(明時)で、沖縄北部方言にはアカトゥンチがある」
とある。
奈良時代は「あかとき」、平安時代以降は「あかつき」に変化していく前の「あかとき」が北部には残っていて「あかとぅんち」になったということだ。
私たちはこの「芋の時代」を歌うたびに、奈良時代の「あかとき」の痕跡を残す「あかとぅんち」という言葉を歌っていることになる。
2006年03月06日
稲しり節
稲しり節
んにしりぶし
'Nni shiri bushi
◯稲(の籾)を摺れ
語句・んに 稲。・しり 籾摺れ。「摺る」(する)は、しゆん。なので「しり」とは命令形。「籾を摺れ」(脱穀せよ)という唄である。ちなみに精米は「しらぎゆん」(白くする)という。
一、今年毛作いやあん美らさゆかてぃ (稲摺り 摺り 米 選り 選り ち 選り 選り 選り け 選り選り 選り あひりひりひりひり)
くとぅしむじゅくいやあんちゅらさゆかてぃ(んにしりしーりくみゆりゆーり ちー ゆりゆりゆり けーゆりゆりゆり あ ひりひりひりひり
kutushi mujukui ya 'aNchurasa yukati ('Nni shiri shiiri 'ara yuri yuuri chii yuri yuri yuri kee yuri yuri yuri 'a hiri hiri hiri hiri)
◯今年の稲の出来は あんなにすばらしい実りになって(稲摺れ 摺れよ 米 選れ 選れ ちょと選れ選れ選れ ちょっと選れ選れ選れ)
(囃子は以下略)
語句・むじゅくい 「農作。農業に従事すること」【沖縄語辞典】。・ゆかてぃ よく実って。<ゆかゆん。「(作物が)よくできる。よく実る」【沖辞】。・くみ米。「あら」という歌詞もある。それなら、殻。
・ゆり 選(よ)れ。「選る」にあたる言葉が辞書にない。が、ここでは「選れ」とする。囃子なので正確な訳は無理と割り切ることもできるが、具体的な労働歌でもあるので作業に準じたことばであることは想像に難くない。・ちー 「動詞の前につき、思い切って・・する、軽く・・するなどの意味を表す。keeーと同じ意味」【沖辞】。・けー 「ちー」と同じ。
二、倉に積ん余ち真積みさびら
くらにちん あまち まじんさびら
kurani chiN'amachi majiNsabira
◯倉に積み余って真積みしましょう
語句・まじん 「いなむら。農家の庭先に稲を積み重ねたもの。単にmaziNともいう」【沖辞】。
三、銀臼なかい黄金じく立てて
なんじゃ'うしなかい くがにじくたてぃてぃ
naNjya 'ushi nakai kugani jiku tatiti
◯銀の臼に黄金の軸をたてて
語句・なんじゃ 銀。上質の銀の事を言う。語源は中国の銀山に由来する。江戸時代も中国の純銀に近いものは「南鐐」(なんりょう)と呼ばれた。それが変化したもの。・うし 臼。本によっては「うす=御主」となっていて 下句に「民ましゅる」となっているものもある。臼を使って脱穀する様子を歌っているもの。臼の構造は下にあるように上臼と下臼に分かれ、下臼には中心に突き出た部分があり、上臼の中央に開いた穴と連結する。その間に籾を投入し、凸凹が付いた上下の臼の間で擦られて玄米と籾殻に分けられていく。・なかい に。・くがに 黄金。
四、試し摺り増する雪の真米
たみしすりましゅる ゆちぬまぐみ
tamishi suri mashuru yuchi nu magumi
◯試しにすり増していく雪のような真米
五、はまてぃしりよ姉の達 しちゅまかみさらや
はまてぃしりうないぬちゃー しちゅまかみさらや
hamati siriyo 'unainuchaa sichumakamisaraya
◯がんばって摺れよ姉さんたち とれたての米あげよう
語句・はまてぃ 励んで。一生懸命。<はまゆん。はげむ。・うない 「男の兄弟からみた姉妹。兄に対する妹、弟に対する姉。宗教的には男の兄弟に対する守護神」(琉辞)ここでは姉さん達くらいであろう。・しちゅま 初穂祭のこと、転じてとれたての米(「しまうた紀行」より)。
支給米と当て字をしているのは沖永良部民謡集。「しきゅうまい」が「しちゅま」というのもありえる。
「前田節」「ピーラルラー(二合節)」に続く三曲目。
沖縄本島では少ない労働歌のひとつ。
奄美民謡、沖永良部島民謡としての「稲摺り節」「稲すり節」については別にとりあげる。
銀臼なかい黄金じく立てて
ここでは籾を籾殻と玄米に分ける木臼(または土臼)の事を指す。
(稲摺りの様子と木臼の形状)
▲左の下臼には中心に突き出た部分があり、それを上臼の穴に通して上下の臼がセットされ、それを二人がかりで上臼に結んだ紐を右、左、右、左と引くことで上臼が行き戻りして上から投入した籾が分離されていくという仕掛け。分離された籾殻と玄米は周囲に。
二人が息を合わせるために本土でも沖縄でも作業のためのウタが作られていた。このウタもその一つであろう。
ちなみに収穫した稲を米にするまでの工程には、まず「脱穀」がある。そして籾の選別、籾摺りをして玄米を取り出して精米する。
沖縄では籾の選別にはミージョーキという竹を編んで作った大きな円形のザルを使った。
ウチナーグチでは籾摺りの「摺る」(籾殻と玄米に分離する)は「しゆん」「しいん」。
命令形は「しり」。
そして精米は「しらぎゆん」「しらぎいん」。
稲作は琉球に古くから伝わっていたが戦後の米軍基地の建設や、キューバ危機で高騰した砂糖の価格のために稲作よりサトウキビ栽培が奨励された結果、一部にしか稲作が残っていない。
現在でも基幹作物はサトウキビで全耕地面積の66%、米はわずか2%にすぎない。したがって米は本土からのものが多い。
前田節としてこのCDに収められている。
んにしりぶし
'Nni shiri bushi
◯稲(の籾)を摺れ
語句・んに 稲。・しり 籾摺れ。「摺る」(する)は、しゆん。なので「しり」とは命令形。「籾を摺れ」(脱穀せよ)という唄である。ちなみに精米は「しらぎゆん」(白くする)という。
一、今年毛作いやあん美らさゆかてぃ (稲摺り 摺り 米 選り 選り ち 選り 選り 選り け 選り選り 選り あひりひりひりひり)
くとぅしむじゅくいやあんちゅらさゆかてぃ(んにしりしーりくみゆりゆーり ちー ゆりゆりゆり けーゆりゆりゆり あ ひりひりひりひり
kutushi mujukui ya 'aNchurasa yukati ('Nni shiri shiiri 'ara yuri yuuri chii yuri yuri yuri kee yuri yuri yuri 'a hiri hiri hiri hiri)
◯今年の稲の出来は あんなにすばらしい実りになって(稲摺れ 摺れよ 米 選れ 選れ ちょと選れ選れ選れ ちょっと選れ選れ選れ)
(囃子は以下略)
語句・むじゅくい 「農作。農業に従事すること」【沖縄語辞典】。・ゆかてぃ よく実って。<ゆかゆん。「(作物が)よくできる。よく実る」【沖辞】。・くみ米。「あら」という歌詞もある。それなら、殻。
・ゆり 選(よ)れ。「選る」にあたる言葉が辞書にない。が、ここでは「選れ」とする。囃子なので正確な訳は無理と割り切ることもできるが、具体的な労働歌でもあるので作業に準じたことばであることは想像に難くない。・ちー 「動詞の前につき、思い切って・・する、軽く・・するなどの意味を表す。keeーと同じ意味」【沖辞】。・けー 「ちー」と同じ。
二、倉に積ん余ち真積みさびら
くらにちん あまち まじんさびら
kurani chiN'amachi majiNsabira
◯倉に積み余って真積みしましょう
語句・まじん 「いなむら。農家の庭先に稲を積み重ねたもの。単にmaziNともいう」【沖辞】。
三、銀臼なかい黄金じく立てて
なんじゃ'うしなかい くがにじくたてぃてぃ
naNjya 'ushi nakai kugani jiku tatiti
◯銀の臼に黄金の軸をたてて
語句・なんじゃ 銀。上質の銀の事を言う。語源は中国の銀山に由来する。江戸時代も中国の純銀に近いものは「南鐐」(なんりょう)と呼ばれた。それが変化したもの。・うし 臼。本によっては「うす=御主」となっていて 下句に「民ましゅる」となっているものもある。臼を使って脱穀する様子を歌っているもの。臼の構造は下にあるように上臼と下臼に分かれ、下臼には中心に突き出た部分があり、上臼の中央に開いた穴と連結する。その間に籾を投入し、凸凹が付いた上下の臼の間で擦られて玄米と籾殻に分けられていく。・なかい に。・くがに 黄金。
四、試し摺り増する雪の真米
たみしすりましゅる ゆちぬまぐみ
tamishi suri mashuru yuchi nu magumi
◯試しにすり増していく雪のような真米
五、はまてぃしりよ姉の達 しちゅまかみさらや
はまてぃしりうないぬちゃー しちゅまかみさらや
hamati siriyo 'unainuchaa sichumakamisaraya
◯がんばって摺れよ姉さんたち とれたての米あげよう
語句・はまてぃ 励んで。一生懸命。<はまゆん。はげむ。・うない 「男の兄弟からみた姉妹。兄に対する妹、弟に対する姉。宗教的には男の兄弟に対する守護神」(琉辞)ここでは姉さん達くらいであろう。・しちゅま 初穂祭のこと、転じてとれたての米(「しまうた紀行」より)。
支給米と当て字をしているのは沖永良部民謡集。「しきゅうまい」が「しちゅま」というのもありえる。
「前田節」「ピーラルラー(二合節)」に続く三曲目。
沖縄本島では少ない労働歌のひとつ。
奄美民謡、沖永良部島民謡としての「稲摺り節」「稲すり節」については別にとりあげる。
銀臼なかい黄金じく立てて
ここでは籾を籾殻と玄米に分ける木臼(または土臼)の事を指す。
(稲摺りの様子と木臼の形状)
▲左の下臼には中心に突き出た部分があり、それを上臼の穴に通して上下の臼がセットされ、それを二人がかりで上臼に結んだ紐を右、左、右、左と引くことで上臼が行き戻りして上から投入した籾が分離されていくという仕掛け。分離された籾殻と玄米は周囲に。
二人が息を合わせるために本土でも沖縄でも作業のためのウタが作られていた。このウタもその一つであろう。
ちなみに収穫した稲を米にするまでの工程には、まず「脱穀」がある。そして籾の選別、籾摺りをして玄米を取り出して精米する。
沖縄では籾の選別にはミージョーキという竹を編んで作った大きな円形のザルを使った。
ウチナーグチでは籾摺りの「摺る」(籾殻と玄米に分離する)は「しゆん」「しいん」。
命令形は「しり」。
そして精米は「しらぎゆん」「しらぎいん」。
稲作は琉球に古くから伝わっていたが戦後の米軍基地の建設や、キューバ危機で高騰した砂糖の価格のために稲作よりサトウキビ栽培が奨励された結果、一部にしか稲作が残っていない。
現在でも基幹作物はサトウキビで全耕地面積の66%、米はわずか2%にすぎない。したがって米は本土からのものが多い。
前田節としてこのCDに収められている。
2005年12月31日
芋掘り宮古根
芋掘い宮古根
'んむふい なーくにー
'Nmuhui naakunii
◯芋堀り宮古根
一、(男)芋掘や小あば小 何月やが芋や
'んむふいやーぐわー'あばぐわー なんぐゎちゃーが 'んむや
'Nmuhuiyaa gwaa 'abagwaa naNgwachaaga 'Nmuya
○芋掘る人のお姉ちゃん 何月の芋ね?
語句・んむ 'Nmu 芋 普通さつまいもをさす。・ふやーぐわー huyaa gwaa 掘る人。 <ふゆん。 huyuN を掘る人にする場合 語尾を伸ばす。 たとえば アメリカ人は 'amerikaa 。ぐわーgwaa は①小さい ものへの愛称 ②子供の名前 ③少量 ④蔑称 'うしゅめーぐわー'ushumeegwaa じじい などと用法は多様。その場その場で使い分けるので注意。ここでは 芋を掘る人。くらいなのであえて訳さなかった。・あばー 'abaa 姉さん。
二、(女)芋や七月や小我んね18才
'んむやしちぐわちやぐわー わんねーじゅうはちせー
'Nmuya shichigwachigwaa waNnee juuhachisee
○芋は7月のよ ワタシは18才
三、(女)芋や掘てあしが上げる人居らん見ず知らず里前上げてたぼり
'んむやふてぃあしが 'あぎるふぃとう'うらん みじしらじさとぅめあぎてぃたぼり
'Nmuhuti'ashiga 'agiruhwitu 'uraN mijishiraji satumee 'agititabori
○芋は掘ってあるが 上げる人がいない 見ず知らずのあなた上げてくださいな
四、(男)芋や上げゆこと云語れやちゃやが村はじし毛小の松の下に
'んむやあぎゆくとぅ'いかたれーや ちゃやが むらはじしもーぐわーぬまーちぬしちゃに
'Nmuya'agiyukutu 'ikataree ya cha ya ga murahajishi moogwaa nu maachi nu shicha ni
○芋は上げるから 恋の語らいはどうかね 村はずれの草むらの松の下に
語句・くとぅ kutu ~なので・いかたれー 'ikataree 男女の契り 語らい・むらはじし murahajisi 村はずれ。
五、(女)里や草刈や小
さとぅやくさかやぐわー
satu ya kusakayaagwaa
○あなたは草を刈る人
(男)無蔵や芋掘や小
んぞや'んむふやーぐわー
Nzo ya 'Nmuhuyaagwaa
○貴女は芋掘る人
(男女)志情がやゆら縁がやゆら
しなさきがやゆら いぃんがやゆら
shinasaki ga yayura yiN ga yayura
○志情けだろうか 縁なのだろうか
(コメント)
宮古根にもいろいろあるが、面白い歌詞のそれもある。
芋ほりという日常作業とからめた男女の出会い、
ユーモラスでちょっと色っぽい。
男性も積極的だが女性もなかなかという面白さもある。
宮古根の歌詞で、まじめに「'うむくとぅやー'あまたー (思うことはたくさん)」と歌う歌詞があるが
それと出だしが良く似ていておもわず噴出しそうになる。。
さてさて、みなさん今年も今日が最後となりました。
私は広島に住んでいますが、今日は帰省先の宮崎でこれをかいています。
明日は沖縄に行きます。
私自身の勉強のためにこれを書いていますが、こんなつたない研究でも
見ていただいている方もおられるようで、ありがたいやら恥ずかしいやら。
知らないことばかりで先生方にお世話になりながらここまでやってきました。
来年も少しづつ自分のために唄を調べ訳しながら、沖縄民謡への愛情を深めたいと
思っております。
いろいろご指摘などもありましたらどうぞ書き込みしてください。
ではみなさん、よいお年をお迎えください。
ありがとうございました。
たるー
'んむふい なーくにー
'Nmuhui naakunii
◯芋堀り宮古根
一、(男)芋掘や小あば小 何月やが芋や
'んむふいやーぐわー'あばぐわー なんぐゎちゃーが 'んむや
'Nmuhuiyaa gwaa 'abagwaa naNgwachaaga 'Nmuya
○芋掘る人のお姉ちゃん 何月の芋ね?
語句・んむ 'Nmu 芋 普通さつまいもをさす。・ふやーぐわー huyaa gwaa 掘る人。 <ふゆん。 huyuN を掘る人にする場合 語尾を伸ばす。 たとえば アメリカ人は 'amerikaa 。ぐわーgwaa は①小さい ものへの愛称 ②子供の名前 ③少量 ④蔑称 'うしゅめーぐわー'ushumeegwaa じじい などと用法は多様。その場その場で使い分けるので注意。ここでは 芋を掘る人。くらいなのであえて訳さなかった。・あばー 'abaa 姉さん。
二、(女)芋や七月や小我んね18才
'んむやしちぐわちやぐわー わんねーじゅうはちせー
'Nmuya shichigwachigwaa waNnee juuhachisee
○芋は7月のよ ワタシは18才
三、(女)芋や掘てあしが上げる人居らん見ず知らず里前上げてたぼり
'んむやふてぃあしが 'あぎるふぃとう'うらん みじしらじさとぅめあぎてぃたぼり
'Nmuhuti'ashiga 'agiruhwitu 'uraN mijishiraji satumee 'agititabori
○芋は掘ってあるが 上げる人がいない 見ず知らずのあなた上げてくださいな
四、(男)芋や上げゆこと云語れやちゃやが村はじし毛小の松の下に
'んむやあぎゆくとぅ'いかたれーや ちゃやが むらはじしもーぐわーぬまーちぬしちゃに
'Nmuya'agiyukutu 'ikataree ya cha ya ga murahajishi moogwaa nu maachi nu shicha ni
○芋は上げるから 恋の語らいはどうかね 村はずれの草むらの松の下に
語句・くとぅ kutu ~なので・いかたれー 'ikataree 男女の契り 語らい・むらはじし murahajisi 村はずれ。
五、(女)里や草刈や小
さとぅやくさかやぐわー
satu ya kusakayaagwaa
○あなたは草を刈る人
(男)無蔵や芋掘や小
んぞや'んむふやーぐわー
Nzo ya 'Nmuhuyaagwaa
○貴女は芋掘る人
(男女)志情がやゆら縁がやゆら
しなさきがやゆら いぃんがやゆら
shinasaki ga yayura yiN ga yayura
○志情けだろうか 縁なのだろうか
(コメント)
宮古根にもいろいろあるが、面白い歌詞のそれもある。
芋ほりという日常作業とからめた男女の出会い、
ユーモラスでちょっと色っぽい。
男性も積極的だが女性もなかなかという面白さもある。
宮古根の歌詞で、まじめに「'うむくとぅやー'あまたー (思うことはたくさん)」と歌う歌詞があるが
それと出だしが良く似ていておもわず噴出しそうになる。。
さてさて、みなさん今年も今日が最後となりました。
私は広島に住んでいますが、今日は帰省先の宮崎でこれをかいています。
明日は沖縄に行きます。
私自身の勉強のためにこれを書いていますが、こんなつたない研究でも
見ていただいている方もおられるようで、ありがたいやら恥ずかしいやら。
知らないことばかりで先生方にお世話になりながらここまでやってきました。
来年も少しづつ自分のために唄を調べ訳しながら、沖縄民謡への愛情を深めたいと
思っております。
いろいろご指摘などもありましたらどうぞ書き込みしてください。
ではみなさん、よいお年をお迎えください。
ありがとうございました。
たるー