2021年08月18日

前田節~サウエン節~稲しり節

前田節
めーんたーぶし
meeNtaabushi
語句・めー 前の。近所の。・ の。・たー田んぼ。 <前ぬ田。 めーぬたー 。(例)前ぬ浜。前の浜。


一、今年前田ぬ稲みんそり 今年飲まん酒ないち飲むが (やてぃからちゅぬちゃーぬまんかなぬでぃあしばな)
くとぅしめーんたーぬ んにみんそーり くとぅしぬまんさき なー いちぬむが (やてぃから っちゅぬちゃ ぬまんかな ぬでぃあしばな)
kutushi meeNtaa nu 'Nni miNsoori kutushi numaN saki naa 'ichi numuga (yatikara cchu nuchaa numaN kana nudi 'ashibana)
今年前の田の稲をごらんください 今年飲まない酒はもういつ飲むのか (そうだから 皆の衆 呑もうではないか 呑んで遊ぼう)
《囃子は以下省略》
語句・'んに 稲。 ・みんそーり 見てください。・ 「あんた、お前さん」「親しい年長者にたいして sai[tai]のように使う言葉」「もう、今や」【琉球語辞典】。  <なー ここでは「もう」と訳す。・やてぃから そうであるから。<やてぃ<やん。そうで。+から であるから。・ちゅぬちゃー みなさん。皆の衆。<っちゅ 人。「っ」が頭に付くのは「声門破裂音」だから。+ちゃー。 たち。・あしばな あそぼうよ。あそびたい。動詞の未然形に「な」が付くと、希望や呼びかけの意味になる。(例)ちかな。→聞こう。聞きたい。


二、今年毛作やあん美らさる 白種子やなびちあぶし枕
くとぅしむじゅくいやあんちゅらさる しらちゃにやなびちあぶしまくら
kutushi mujukui ya 'aNchurasaru shirachani ya nabichi 'abushi makura
今年農作はあのように美しい 稲はなびき田の畔を枕にするほど実り豊かだ
語句・むじゅくい 農業 農作。<毛作りmoo jukuri→mujukui ・あんちゅらさる あのように美しい(よくできた) 連体形。 ・しらちゃに 白種子(sira sani)つまり稲。・あぶしまくら  田の畦は「あぶし」 畦を枕にしてるように稲が穂を垂れる様子 つまり豊作を意味。


三、見事出来らちゃる毛作や蔵に積みくまいう祝さびら
みぐとぅでぃきらちゃるむじゅくいやくらにちみくまいうゆえーさびら
migutu dikiracaru mujukuiya kurani chimikumai 'uyueesabira
見事にうまくしあがっている農作物は蔵に積め入れてお祝いしましょう
語句・でぃきらちゃる  できあがってる =豊作。 <でぃきゆん ・ちみくまい 積め入れて  <ちみゆん(積める)+ くみゆん(入れる)の複合だろう。



サウエン節
さうえんぶし
saueN bushi
◯(歌の囃子から付いた名前)
又は
ピーラルラー
ぴーらるらー
piiraruraa
◯(宮廷音楽の路次楽でつかわれるガクブラ《中国の楽器、いわゆるチャルメラ》の擬音から)


一、くまぬ殿内ぬハンシーメーや御肝美らさぬかながなとぅ
くまぬとぅんちぬはんしーめーや'うぢむじゅらさぬ かながなとぅ
kuma nu tuNchi nu haNshiimee ya 'ujimu jurasanu kanaganaa tu
このお屋敷のおばあさまは御心が美しいので愛想良く
語句・くま ここ。・とぅんち お屋敷。・はんしーめー おばあさま。士族のおばあさんを特にこう呼ぶ。(参考)琉球王朝時代の士族(大名・でーみょーと言われた按司、侍・さむれーと言われた家臣)と平民(百姓・ひゃくしょー)とでは親族の呼び名が違っている。以下括弧内は士族・平民の順、おじいさん(士族たんめー・平民うしゅめー)おばあさん(※んめー・はーめー)※那覇では「はんしー」。おとうさん(たーりー・しゅー)おかあさん(あやー・あんまー)にいさん(やっちー・あふぃー)ねえさん(んみー・あんぐゎー)。・うぢむ お心。う。御。+ちむ。心。連濁で「ぢ」。・かながなとぅ 「愛想良く。仲よく。また、かわいがって。」【沖縄語辞典】。


(サウエン サウエン サーサウエン ササ ピーラルラー ラーラルラーラ 二合ドゥヒャー二合 一升二合酒二合)
さうえん さうえん さーさうえん ささ ぴーらるーらー らーらるらーらー にごーどぅひゃー にんごー いっすにんごーさきにんごー
saueN saueN saa saueN sasa piiraruuraa raa raaraaruraaraa nigoo du hyaa niNgoo issu niNgoo saki niNgoo
サウエン サウエンサーサウエン(不明)ピーラルラー(管楽器の音)二合こそおい!二合一升二合酒二合
(囃子は以下省略)


二、一合がうたびみせら 二合がうたびみせらさだみぐりしゃ
いちごーが うたびみせーら にんごーが うたびみせーら さだみぐりしゃ
'ichigoo ga 'utabimiseera niNgoo ga 'utabimiseera sadamigurisha
一合を下さいますかしら 二合を下さいますかしら 定めにくいことよ
語句・ 「文の疑わしい部分に付く。あとを推量の形(aで終わる)で結ぶ」【沖辞】。ここでは「一合を?くださいますか。二合を?」と「一合」か「二合」かがわからないから。・うたびみせーら くださいますか? <うたびみせーん 「呉れる」の敬語。頂く。その疑問文。・さだみぐりしゃ 定めにくい。予想がつかない。<ぐりさん。し難い。


三、一合や片荷重さぬ 二合やうたびみせーら かみてぃみぐやびら
いちごーや かたにー んぶさぬ にんごーや うたびみせーら かみてぃみぐやびら
'ichigoo ya katanii 'Nbusanu niNgoo ya 'utabimisooree kamiti miguyabira
一合は片荷に重いので二合を下さいますか?頂いて巡りましょう
語句・んぶさぬ 重いので<んぶさん(形) 。形容詞の末尾が「ぬ」になると「・・なので」・かみてぃ頭の上に乗せて。 担いで。頂いて。ここでは「頂いて」。・・みぐやびら 巡りましょう。<みぐゆん。 巡る に丁寧語「あびーん」。


四、くま居て飲まんでさびれ 暑さぬ 飲まりやびらん かみてぃみぐやびら
くま うてぃぬまんでぃさびれ あちさぬ ぬまりやびらんかみてぃみぐやびら
ここで呑もうと言ってください 暑くて飲まれません 頂いて巡りましょう
語句・ぬまんでぃ 呑もうと。<ぬま。呑もう。+んでぃ。と。



稲しり節
んにしりぶし
'Nni shiri bushi
稲(の籾)を摺れ
語句・んに 稲。・しり 籾摺れ。「摺る」(する)は、しゆん。なので「しり」とは命令形。「籾を摺れ」(脱穀せよ)という唄である。ちなみに精米は「しらぎゆん」(白くする)という。


一、今年毛作いやあん美らさゆかてぃ (稲摺り 摺り 米 選り 選り ち 選り 選り 選り け 選り選り 選り あひりひりひりひり)
くとぅしむじゅくいやあんちゅらさゆかてぃ(んにしりしーりくみゆりゆーり ちー ゆりゆりゆり けーゆりゆりゆり あ ひりひりひりひり
kutushi mujukui ya 'aNchurasa yukati ('Nni shiri shiiri 'ara yuri yuuri chii yuri yuri yuri kee yuri yuri yuri 'a hiri hiri hiri hiri)
今年の稲の出来は あんなにすばらしい実りになって(稲摺れ 摺れよ 米 選れ 選れ ちょと選れ選れ選れ ちょっと選れ選れ選れ)
(囃子は以下略)
語句・むじゅくい 「農作。農業に従事すること」【沖縄語辞典】。・ゆかてぃ よく実って。<ゆかゆん。「(作物が)よくできる。よく実る」【沖辞】。・くみ米。「あら」という歌詞もある。それなら、殻。
ゆり 選(よ)れ。「選る」にあたる言葉が辞書にない。が、ここでは「選れ」とする。囃子なので正確な訳は無理と割り切ることもできるが、具体的な労働歌でもあるので作業に準じたことばであることは想像に難くない。・ちー 「動詞の前につき、思い切って・・する、軽く・・するなどの意味を表す。keeーと同じ意味」【沖辞】。・けー 「ちー」と同じ。


二、倉に積ん余ち真積みさびら
くらにちん あまち まじんさびら
kurani chiN'amachi majiNsabira
倉に積み余って真積みしましょう
語句・まじん 「いなむら。農家の庭先に稲を積み重ねたもの。単にmaziNともいう」【沖辞】。


三、銀臼なかい黄金じく立てて
なんじゃ'うしなかい くがにじくたてぃてぃ
naNjya 'ushi nakai kugani jiku tatiti
銀の臼に黄金の軸をたてて
語句・なんじゃ 銀。上質の銀の事を言う。語源は中国の銀山に由来する。江戸時代も中国の純銀に近いものは「南鐐」(なんりょう)と呼ばれた。それが変化したもの。・うし 臼。本によっては「うす=御主」となっていて 下句に「民ましゅる」となっているものもある。臼を使って脱穀する様子を歌っているもの。臼の構造は下にあるように上臼と下臼に分かれ、下臼には中心に突き出た部分があり、上臼の中央に開いた穴と連結する。その間に籾を投入し、凸凹が付いた上下の臼の間で擦られて玄米と籾殻に分けられていく。・なかい に。・くがに 黄金。


四、試し摺り増する雪の真米
たみしすりましゅる ゆちぬまぐみ
tamishi suri mashuru yuchi nu magumi
試しにすり増していく雪のような真米


五、はまてぃしりよ姉の達 しちゅまかみさらや
はまてぃしりうないぬちゃー しちゅまかみさらや
hamati siriyo 'unainuchaa sichumakamisaraya
がんばって摺れよ姉さんたち とれたての米あげよう
語句・はまてぃ 励んで。一生懸命。<はまゆん。はげむ。・うない 「男の兄弟からみた姉妹。兄に対する妹、弟に対する姉。宗教的には男の兄弟に対する守護神」(琉辞)ここでは姉さん達くらいであろう。・しちゅま 初穂祭のこと、転じてとれたての米(「しまうた紀行」より)。
支給米と当て字をしているのは沖永良部民謡集。「しきゅうまい」が「しちゅま」というのもありえる。

解説のついては各曲の項目を参照のこと。


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2019年03月04日

三村踊り節

三村踊り節
みむら うぅどぅいぶし
mimura wuduibushi
語句・みむら 本土にもあるが、沖縄では昔から近隣する二つ、ないし三つの村を並べて呼ぶことが多い。「二村落連称」などと呼ぶ。(例:「スーキカンナー」)同じ名前の村が多いことから区別するため、という説もあるが例外も多く根拠は不明。・うどぅい 踊り。


作者不詳


一、小禄 豊見城 垣花 三村 三村のアン小達が揃とて布織い話 綾まみぐなよ 元かんじゅんど
'うるくてぃみぐしく かちぬはなみむら みむらぬ'あんぐゎーたーが すりとーてぃぬぬ'ういばなし 'あやまみぐなよーむとぅかんじゅんどー
'uruku timigushiku kachinuhana mimuranu 'aNgwaataa ga suritooti nunu'uibanashi 'ayamamiguna yoo mutukaNjuN doo
小禄 豊見城 垣花という三つの村 三つの村の姉さん達が揃って布織り話 模様を間違えるなよ 元が取れず損をするぞ
語句・あんぐゎーたー姉さんたち。「あんぐゎー」は平民の若い女性を指す。+たー 達。・すりとーてぃ 揃っていて。<すりてぃ 揃って。<すりゆん 揃う。+うてぃ<うゆん → 揃って居て。・ぬぬうい 小禄紺地(うるくくんじ)を指していると思われる。小禄紺地とは、17世紀から始まった木綿布で作られた紺地の絣。1611年に儀間真常が薩摩から木綿の種を持ち帰り栽培した。そして儀間真常も木綿の生産を勧めた。木綿を琉球藍で染めることで本土にはない味わいの琉球紺絣が生まれた。戦前まで生産され九州などで好評だったが沖縄戦で伝統が途絶えた。現在復活させる活動が行われている。参照「小禄間切口説」あや 「縞。着物などの縞をいう。」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。・まみぐな <まみじゅん。「取り違える。間違える。」【沖辞】。否定形「まみがん」の命令形は「まみぐな」。・むとぅ 元。・かんじゅん「(負債などを)負う。損をする」【沖辞】。むとぅかんじゅん「(商売)で元がとれずに、損をする。」【沖辞】。



上泊 泊 元の泊と三村三村のニ才達がすりとーて塩炊き話 雨降らすなよ 元かんじゅんど
'うぃーどぅまい とぅまい むとぅぬとぅまいとぅみむら みむらぬにせたーがすりとーてぃまーすたちばなし'あみふらすなよ むとぅかんじゅんどー
'wiidumai tumai mutunu tumai tu mimura mimura nu nisetaa ga suritooti maasa tachibanashi 'amihusasuna yoo
上泊 泊 元の泊という三つの村、三つの村の青年達が揃って塩炊き話 雨を降らすなよ 元が取れず損をするぞ
語句・うぃーどぅまい 現在の「おもろまち」あたりにあった古い村。・とぅまい現在の泊。三山時代から八重山宮古などの船が着く港であり、泊と「浮島」と呼ばれた那覇の間にあった潟原という干潟に塩田があった。・ますたち 塩炊き。塩を作るための工程。たち<たちゅん 炊く、煮る。泊にあった塩田は薩摩から導入された入浜式塩田方式というもの。潮の干満を利用して海水を集め、太陽の熱と砂の毛細管現象を利用してかん水(濃度の高い塩水)を作り、それを薪燃やして煮詰めて塩を生産する方法。雨が降るとかん水も薄まり、塩炊きもできなくなる。



三、辻仲島と渡地と三村 三村の尾類小達がすりとーて客待ち話 美ら二才からはい行ちゃらなや
ちーじなかしまとぅ わたんじとぅみむら みむらぬじゅりぐゎーたーがすりとーてぃ ちゃくまちばなし ちゅらにせからはい'いちゃらなや
chiiji nakashima wataNji tu mimura mimura nu jurigwaataa ga suritooti chakumachibanashi chura nisee kara hai'icharanara
辻、仲島、渡地という三つの村 三つの村の女郎達が揃って客(を)待ち(ながらの)話 美しい青年に早く会いたいな
語句・じゅり 女郎。娼妓。「じゅり」という言葉は九州方言と関わりがあるといわれている。「<料理;‘尾類’」と書かれ旧かなは‘づり’;‘料理茶屋の女’意;‘女郎’系ではなく九州諸方言〔鹿児島でジョーリ[料理]の影響らしい〕」【琉辞】遊郭の制度は尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設したことに始まる。背景には薩摩藩からの指示があったと推測される。・はいいちゃらなや 早く逢いたいな。<はい 走って。早く。+ <いちゃゆん 会う。



四、潮平 兼城 糸満と三村 三村のアン小達が揃とて魚売り話安売りすなよ元かんじゅんど
すんじゃかなぐしく'いちまんとぅみむらぬ'あんぐわーたーがすりとーてー'いゆ'ういばなし やし'ういすなよーむとぅかんじゅんどー
suNja kanagushiku 'ichimaN tu mimura mimura nu 'aNgwaataa ga suritooti 'iyu'uibanashi yashi'uisunayoo mutukaNjuNdoo
潮平、兼城、糸満という三つの村 三つの村の姉さん達が揃って魚売り話 安売りをするなよ 元が取れず損をするぞ
語句・いゆ 魚。



五、赤田 鳥小堀 崎山と三村 三村の二才達が揃とて酒たり話麹できらしよ元かんじゅんど
'あかたとぅんじゅむいさちやまとぅみむら みむらぬにせたーがすりとーてぃ さきたりばなし こーじでぃきらしよーむとぅかんじゅんどー
'akata tuNjumui sachiyama tu mimura mimura nu nisetaa ga suritooti sakitaribanashi koojidikirashiyoo mutukaNjuNdoo
赤田、鳥小堀、崎山という三つの村 三つの村の青年達が揃っていて酒醸造話 麹をうまく醗酵させろよ 元が取れず損をするぞ
語句・あかたとぅんじゅむいさちやま 首里の赤田、鳥小堀、崎山という三つの村。泡盛の醸造が盛んだった場所で、醸造所は戦前まで10数軒あった。・さきたり 「酒の醸造」【琉辞】。「たりゆん」は「(酒や醤油)を作る」【琉辞】つまり、醸造の意味がある。・こーじでぃきらし 麹をうまく醗酵させろ。 でぃきらし<でぃきらしゅん 成功させる。 の命令形。 麹の「成功」とは「醗酵する」こと。




概要


那覇市のゆいレールに乗ると、駅ごとに民謡のオルゴール音が流れる仕組みになっていて、この「三村踊り節」は「小禄駅」に接近すると流れてくる。

軽快な早弾きで、沖縄音階で出来ている。人気の高い曲の一つだ。
舞踊曲でもある「取納奉行節」とほぼ同じメロディーである。

歌詞には沖縄本島南部の村の名前を三つ並べて併称し、その地域の名産品にまつわる話を盛り込んでいる。村名を併称するのは民謡「スーキカンナー」にもみられる。

歌詞についてみてみよう。

一番【小禄・豊見城・垣花】について

一番は「布織」をしながら世間話をしている女性達が登場する。
この辺りは小禄紺地(ウルククンジー)の産地で、1611年に儀間真常が薩摩から木綿の種を持ち帰り栽培した。そして儀間真常もこの地域での木綿の生産を勧めた。木綿を琉球藍で染めることで本土にはない味わいの琉球紺絣が生まれた。小禄紺地の特徴は小絣(模様が小さく多い)であること、何度も藍染を重ねていることに特徴があるという。戦前まで生産され九州などで好評だったが沖縄戦で伝統が途絶えた。現在復活させる活動が行われている。

機織りは女性たちの仕事だった。ヤガマーという作業をする家に集まり徹夜の作業もあった。この歌詞では「あんぐぁーたー」、若い女性達が話に気をとられて糸を間違えばやり直しをしなければならず、大損するぞ、と戒められている。

那覇の古地図に三村の位置を書き込んでみる。




(スタンフォード大学がインターネットで公開している大日本帝国陸軍測図の地形図に加筆。1910年頃ー明治40年台に測量されたもの)

古地図といっても測量されたものでは1910年頃のものが最も古い。昔の村の大まかな位置を理解するために古地図に地名を入れた。


二番【上泊・泊・元の泊】について



二番は塩炊きの話だ。地名として出てくる上泊(うぃーどぅまい)は明確ではないが現在の那覇市立泊小学校あたりではないか。はっきりしない。
「元の泊」(むとぅぬとぅまい)は通称で現在の前島(昔潟原と呼ばれる地域で、塩田があった)あたりではないか。

この二番の歌詞「塩炊き」(まーすたち)を理解するためには琉球、泊村での製塩について知らなければならない。

まずはその様子を知る手がかりとして貴重な絵が二つある。


那覇市歴史博物館 デジタルミュージアムより)

「バジルホール・ペリー航海記等関係写真/拡大写真2枚あり/青い目が見た大琉球 P137 写真番号211を参照/那覇と泊の潟原には広大な入浜式塩田が広がっていた。この絵は泊潟原である。遠方に天久聖現時と泊高橋が見える。」(同上)

この絵の下側の絵は上の一部を私が拡大したもので、塩田から塩水(かん水)のようなものを甕に入れて運び手前の窯のようなものに入れている。その下には火を起こしているような人の姿も描かれている。

沖縄の塩、といえば今では「島マース」として人気があるが、その塩の歴史を見るとそれほど古いものではない。

17世紀頃、薩摩藩から製塩の方法が導入された。それまでは海水から塩を作る技術がなく、海水を直接 調理に利用したり、薩摩藩や薩摩商人から高い塩を買わねばならなかった。海水を煮詰めるには大量の薪が必要となり、山が少ない琉球の島々では薪も自由ではなかった。

泉崎の宮城芝香は薩摩の弓削次郎右衛門から入浜式の塩づくりの方法を習得し、1694年(元禄7年)に泊に塩田を作った。この入浜式は琉球諸島にも広がって行くが、米軍の統治下まで続いていたという。

入浜式とは、簡単に言えば、それまでの手で海水を砂にまいて塩分濃度を高めるやり方ではなく、潮の干満を利用してかん水(塩分濃度の高い水)を作る方法。それを炊いて塩を作る。

さてもう一つの絵は「琉球貿易港図屏風」だ。薩摩藩への土産として琉球の絵師達が描いた物だとみられている。そこに泊潟原での塩田が描かれている。


「琉球貿易港図屏風」(浦添市美術館蔵)全体図


部分図。地名を書き込んである。


Google mapからの写真だが、塩田があった潟原は現在は前島という地名だ。那覇市前島1丁目3の公園に「泊塩田之跡碑」がある。



三番【辻・仲島・渡地】について

この三つの遊郭が「仲島節」でも取り上げた「沖縄志」(伊地知 貞馨著)に描かれている。沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫にある。

伊地知(1826-1887)は薩摩藩出身の明治時代の官僚だ。この伊地知が1877(明治10)年に書いたこの本の第1巻に「那覇港圖」がある。





現代の地図、google mapに地名を重ねてみた。




「じゅり」と呼ばれる琉球王朝時代の女郎については、これまでも「さらうてぃ口説」や「仲島節」などでも取り上げてきた。遊郭が制度として薩摩藩からの要請で整備されたということは「じゅり」という言葉が九州方言の「じゅーり」(料理)からきていると言われていることにも表れている。

「さらうてぃ口説」で書いたが、遊郭が長年にわたる女性蔑視、人身売買の根源であることは歴史的に間違いない。しかし、そこで生み出された芸能、文化はきわめて琉球文化を理解する上で重要であるということは私などが言うまでもないことであろう。

例えば、吉屋チルーという琉球時代の女流詩人は読谷に生まれ8歳のとき那覇仲島へ遊女として身売りされた。このように大半が地方の貧困層、つまり士族以外の平民の娘が身売りさせられた。女郎は琉球では「ジュリ」と呼ばれた。遊郭は自治制度があり女性だけで管理され、ジュリアンマー(女郎の抱え親)と呼ばれる人々が母子関係を結び、歌や三線、舞踊などの芸事を教えていった。

遊郭は各地にあったが、尚真王の時代、羽地朝秀(1617ー1675年)が1672年、辻、仲島に遊郭を公設した。背景には薩摩藩からの指示があったと推測されるが、遊郭の管理を王府として行う事で風紀の乱れを防止しようとした。そして琉球王朝が廃藩置県で沖縄県となり、太平洋戦争で米軍によって空襲を受けるまで辻、仲島の遊郭は存在し続けたのである。

沖縄語辞典(国立国語研究所編)には「辻」の項でこうある。

「[辻]那覇にあった遊郭の名。本土人・中国人・首里・那覇の上流人を相手とした高級な遊郭であった。那覇にはciizi,nakasima[中島],wataNzi[渡地]の三つの遊郭があり、ciiziが高級で、nakasimaは首里・中島相手、wataNziはいなか相手と、それぞれ、客の層が違っていた」

本土人とは主に薩摩藩の役人で、中国人とは冊封使のことである。それ以外、商人なども含まれる。遊郭で展開された琉球芸能は表に出ることがほとんどなく記録も非常に少ない。

それでも琉球古典音楽や舞踊、さらには地方の祭祀や芸能も含め、琉球芸能の重要な部分を構成していたと言われている。琉球王朝の文化である古典音楽も含め遊郭の中で展開された芸能との関わりは無視できない。

この三番の歌詞が省略されて歌われることも多い。


四番 【潮平・兼城・糸満】について

糸満は昔から沖縄を代表する漁師町であり、戦前までは大型追い込み漁が続けられていた。
漁をするのは男性で、それを買い、さらに町で高く売る役目は多くは女性だった。
したがって、この四番の歌詞の主人公は女性となっている。

三村の位置を確認しよう。




五番 【赤田・鳥小堀・崎山】について


「首里古地図の全体図」【沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫】より「赤田、鳥小堀、崎山」の地名を書き入れた。

首里三箇(しゅりさんか)」と呼ばれ、この三つのむらでは琉球王朝により酒(泡盛)の醸造が許可された。

当時の醸造所で、現在ものこっているのは瑞穂酒造、咲元酒造、瑞泉酒造、石川酒造場、崎山酒造廠、比嘉酒造、識名酒造。

ほとんど移転してしまい、現在あるのは咲元酒造(鳥堀)、瑞泉酒造(崎山)、識名酒造(赤田)の三醸造所になっている。


琉歌との関係

ところで「琉歌大成」にはこの唄の元になると思われる琉歌は一首だけある。

小禄豊見城垣花三村あんに誰が捨てて布織りばなし
うるく とぅみぐしく かちぬはな みむら あんにたがしてぃてぃ ぬぬういばなし

しかし、この本では珍しく、大意は「不勘」(不詳の意味)と書かれている。「あんに」の意味が不明なのだと思われる。


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2017年04月26日

耳切坊主

耳切坊主
みみちりぼーじ
mimichiri booji
語句・ちり 切り。・ぼーじ 坊主。伝説では琉球王朝時代に首里にいた黒金座主(くるがにざーし)という僧の事。その僧が怪しい術を使って女性をたぶらかし襲っているという事に怒った琉球王が北谷王子に彼の殺害を命じた。北谷王子は黒金座主に囲碁の対局を持ちかけ、黒金座主は両耳を、北谷王子は髷をそれぞれ賭けた。黒金座主が怪しい術で北谷王子を眠らせようとしたところを逆に北谷王子が黒金座主の両耳を切り落として殺した。その後、黒金座主は幽霊となって北谷王子の住む大村御殿を囲う石壁の角に夜な夜な現れた。またそれ以来、大村御殿には男の子が生まれるとすぐ死ぬとう事が続き黒金座主の呪いだと言われた。という伝説である。幽霊云々は別として登場人物は実在しており十八世紀頃の事とされる。


大村御殿の角なかい耳切坊主の立っちょんど
'うふむら'うどぅんぬ かどぅなかい みみちりぼーじぬ たっちょーんどー
'uhumura'uduN nu kadu nakai mimichiribooji nu tachooN doo
大村御殿の角に耳切り坊主がたっているぞ
語句・うどぅん 邸宅、家柄という意味もある。「[御殿]。按司地頭(?azizituu)が首里に構えた邸宅の敬称。もと地方に割拠していた按司(?aji)が中央集権制以降、首里に集められ、住まった邸宅。またその家柄。」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。「大村御殿」は北谷王子の御殿。北谷王子は尚質王の四男、北谷王子朝愛で代々北谷間切の地頭を務めた。・たっちょーん たっている。<たちゅん。立つ。の現在進行形。「たっちゅんどー」(立つぞ)という歌詞もある。


幾人幾人立っちょがや 三人四人立ちょんど
'いくたい'いくたいたっちょーがやー みっちゃい ゆったいたっちょーんどー
'ikutai'ikutai tacchooga yaa micchai yuttai tachooN doo
何人何人たっているかね?三人四人立っているぞ
語句・いくたい 幾人。「たい」は「人数を表す接尾語」【沖辞】。人数の数え方 は次のようになる。一人 ちゅい。二人 たい。三人 みっちゃい。 四人 ゆったい。 五人 いちたい。 六人 むったい。 七人 ななたい。 八人 やったい。九人 くくぬたい。しかし、「五人以上はguniN(五人)、rukuniN(六人)のように言うことが多い」 【沖辞】。・みっちゃい 三人。・ゆったい 四人。「ゆっちゃい」と歌う歌詞もある。

〈ここは以下のような歌詞もある。
幾人幾人立っちょやびが三人四人立ちょんど
'いくたい'いくたいたっちょやび(ー)が みっちゃい ゆったいたっちょんど
'ikutai'ikutai tacchoyabiiga micchai yuttai tachoN doo
何人何人たっておられるか?三人四人立っているぞ


鎌も小刀も持っちょんど泣ちゅる童耳グスグス
'いらなんしーぐんむっちょーんどー なちゅるわらべーみみぐすぐす
'iranaN 'shiiguN mucchooN doo nachuru warabee mimi gusugusu
鎌も小刀も持っているぞ 泣いている子供は耳ザクザク
語句・いらな 鎌。「kamaともいう。」【沖辞】。・ も。・しーぐ 「小刀。ナイフ。」【沖辞】。・わらべー 子供は。<わらび。子供。+ や。は。biとjaが融合してbee、つまり「わらべー」となる。・ぐすぐす 「物を切るさま。さくさく。ざくざく。」【沖辞】。


ヘイヨーヘイヨー泣かんど ヘイヨーヘイヨー泣かんど
へいよーへいよーなかんど
hei yoo hei yoo nakaN doo hei yoo hei yoo nakaN doo
◯(囃子言葉)泣かないよ(泣くんじゃないよ)



概要

沖縄本島に琉球王朝時代から伝わる童歌(わらべうた)、子守歌である。
いつ頃誰が作ったか、記録はない。

「怖い怖い耳を切る坊主が立っているぞ~たくさんいるぞ~刀やカマを持って泣く子は耳を切られるよ~ だから泣くなよ~」と泣いている子を泣きやますわけだ。
この歌を歌って寝かしつけられた方や寝かしつけた側の方もおられるかもしれない。

それにしても恐ろしい幽霊を登場させたものだ。鎌や小刀を持って大村御殿の角に三人、四人立っていて寝ない子の耳を「切ってしまうぞ」というのだから。そう言われたら、たとえ大村御殿に行ったことない小さな子どもでも想像を膨らませて「早く寝なくては」と思うだろう。

モデルとされる人物たちとウタの背景

耳切坊主とされる黒金座主(くるがにざーしゅ)は実在していたという。各地の伝承では黒金座主は波上宮の一部だった真言宗の護国寺の盛海(じょうかい)和尚のことだとされている。盛海和尚は隠居生活を若狭町の護道院で送ったが、三世相(さんじんそう)という占いをしているため多くの女性が訪れていたが、伝承ではその女性達を誑(たぶら)かし術にかけ金を巻き上げ暴行までしたということになっている。

ところが仏教界では、盛海和尚は当時の北谷王子の悪政を批判し、琉球における仏教界の社会的地位向上を訴えるリーダー、いわばヒーロー的存在だったという逆の見方もあったのである。

悪行を働く黒金座主を成敗した北谷王子は北谷朝騎(1703~1739)だったとされる。(大村御殿の一世である北谷朝愛だという説もある)朝騎は琉球第二尚氏王統第十二代国王尚益王の次男で大村御殿二世である。

時代背景をみると1722年に徳川幕府が行った享保検地により薩摩藩は支配下の琉球に増税を課す。琉球王府の政治財政を主導していた蔡温は緊縮財政をさらに進め、僧侶や寺院の財政への制限も加えていくことになる。

こうした図式の中での「悪事を働いた妖僧」黒金座主と「王から妖僧の退治を命じられた」北谷王子との成敗劇が各地に伝承されている。緊縮財政を進めたい王府や蔡温と、琉球に仏教界の影響を強めたい盛海和尚の対立があったことがうかがい知れる。

黒金座主の「悪行」や妖術を知れば知るほどこのウタのリアリティーが増し「耳切坊主」の存在がさらにグロテスクな印象になっていく。耳を切られた黒金座主の幽霊が「みっちゃい、ゆったい」(三人、四人)現れたのは座主の元に仕えていた小坊主のことであろうか。おそらく小坊主達も成敗されたのだろう。

一方この大村御殿の主だった北谷一族には代々男の子が生まれず、養子を迎えざるを得なかったことを耳切坊主の呪いだという伝承もあり、話にリアリティーを加えている。

このウタの解釈は、妖僧黒金座主が北谷王子への逆恨みで大村御殿の角に幽霊として小坊主を引き連れて立っていた、ということになるが、別の見方では緊縮財政を強化し仏教界へも圧力かけていた王府と蔡温を批判した黒金座主、つまり盛海和尚への粛清を恨んだ幽霊の話ということにもなる。

幽霊が立ったのかも含め何が真実だったのかは今では知る由もないが、琉球王朝と仏教界の対立を背景にこのウタが生まれ、それが子守唄となり今日にまで伝わってきたことだけは事実である。

現在の大村御殿

2017年3月の大村御殿の様子をレポートしてみた。


大村御殿は首里城の北西側にある龍潭池のちょうど北側にある。この写真は大村御殿側から龍潭池、首里城を撮ったもの。


現在は周囲を囲む石垣の壁のみが残っている。


龍潭通りからの眺め。


「大村御殿の角なかい」というので角に立ってみる。


この辺りに「耳切坊主」の説明板がある。


残念ながら文字が消えかかっていて読めない。



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Posted by たる一 at 14:31Comments(2)ま行

2014年12月17日

宮古のあやぐ(宮古民謡)

宮古のあやぐ
みやくぬあやぐ
miyaku nu 'ayagu

(「宮古民謡工工四」與儀栄巧編から)


一、道ぬ美らさや假屋ぬ前 あやぐぬ美らさや宮古ぬあやぐ イラヨーマーヌユー 宮古ぬあやぐ エンヤラスゥリ
みちぬちゅらさや かいやぬめー あやぐぬちゅらさやみやくぬあやぐ [いらよーまーぬゆー みやくぬあやぐ えんらやすーり]
michi nu churasa ya kaiya nu mee 'ayagu nu churasa ya miyaku nu 'ayagu ['ira yoo maa nu yuu miyaku nu 'ayagu]
([ ]は囃子言葉。以下省略)
道が美しいのは仮屋(薩摩藩在番奉行所の事)の前。歌が美しいのは宮古の歌だ。
(詳細は「あやぐ節」を参照)



二、宮古女ぬ心情深さ 池間岬巡るまでん ただ立ちどうし
みやくいなぐぬちむぶかさ いきまざきみぐるまでぃん ただたちどーし
miyaku yinagu chimi bukasa 'ikimazaki migurumadiN tada tachidooshi
宮古女は思い遣りの深いことだ!池間岬を巡るまでもずっと立ち通しだ
語句・ ちむ
「心。心情。情。」【沖縄語辞典(国立国語研究所)】(以下【沖辞】と略)。・ふかさ なんと深いことよ!形容詞が「さ」で終わる時は感嘆の表現。・いきまざき この工工四には「いけまざき」とフリガナがあるが沖縄でも宮古でも「いきま」または「いちま」が「池間」の呼称だろう。この岬が「西平安名崎」を指しているのか、どこなのかは不明。「平安名崎」は、東も西も昔は「ピャウナザキ」と呼んだ(「地名を歩く」南島地名研究センター編著)。ちなみに「根間の主」には「池間岬(イキマザキ)」が出てくる。


三、沖縄参ば沖縄の主 うてんだぬ水やあみさますうなよ ばんた女童香ぬうてばやりやよ
うきぃなんまゃばうきぃなぬしゅ うてぃんだぬみじや あみさますなよ ばんたがみやらびかざぬうてぃばやりやよ
'ukïnaa 'Nmyaba ukïnaa nu shu 'utiNda nu miji ya 'amisamasuna yoo baNta miyarabi kaza nu 'utiba yariya yoo
沖縄へ参られたら沖縄の貴方、落平の水は浴びないで。私たち娘たちの香りが落ちれば(私たちの恋は)破れるだろうからね
語句・うてぃんだ 那覇にある。こちらも「あやぐ節」参照。・やりやよ 破れるだろうからね。<やり。破れる。+や。<やん。である。+よー。ねえ。



「島うた紀行」(仲宗根幸市編著)の「〈第2集〉八重山諸島 宮古諸島」にはこの歌はない。

「宮古民謡工工四」(與儀栄巧編)にある「宮古のあやぐ」。

その解説にはこうある。

「今から五、六十年前は帆船で旅したものである。沖縄本島から宮古に来る場合は北風の節(九月十月頃)に来て翌年の三月四月頃南風が押すまで滞在するので船員たちは宮古で女を探していたものである。そしてその間情けをかけ交わした彼女達との別れの時が来ると船員たちは、沖縄に帰っても私たちのことを忘れないでくださいと歌ったものである。(歌詞一、二番は沖縄の主が歌ったもので、三番は宮古の女が歌ったものである)」

確かに一、二番はウチナーグチ(首里語)であり、三番は発音、語句には宮古語が使われている。

二番の歌詞が独自で、本島のものにはない。

曲ー工工四は「あやぐ節」とほぼ同じといっても良い。

これは二揚げ。「あやぐ節」は三下げで歌われることが多いが、二揚げのものもある。

曲が本島の「あやぐ節」とほぼ同じことから、宮古民謡の古謡「トーガニアヤグ」を元に本島で作られ流行った「あやぐ節」がまた宮古島に逆輸入され、二番が加えられたのではないかと推測する。

トーガニアヤグ→本島の「あやぐ節」→「宮古のあやぐ」(宮古民謡)。

次回は、「あやぐ節」、この「宮古のあやぐ」の本歌と言われる本島の「トウカニー節」を見る。







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Posted by たる一 at 10:04Comments(0)ま行宮古島民謡

2014年07月22日

マーラン船

マーラン船
まーらんしん
maaraN shiN
マーラン船
語句・まーらんしん 「馬艦船」と書き「まーらんしん」と読み、または「山原船」(やんばらーぶに)とも呼ばれた物資運搬を主とする帆船。琉球国内、日本との交易、運送などのために近世まで使われた。中国のジャンク船(四角い帆を持つ帆船)の建造技術で18世紀頃琉球で作られたといわれている。


作詞・作曲 久米仁
唄三線 仲宗根 創

一、昔マーラン船や与那原出てぃ (※ヨンサー ヨンサー)瓦積どーてぃ (※繰り返す) 汀間んかい (やさ 汀間んかい ※)
んかしまーらんしんや ゆなばるんじてぃ (よんさー よんさー)かーらちどーてぃ (よんさー よんさー)てぃーまんかい (やさ てぃーまんかい よんさー よんさー)
Nkashi maaraNshiN ya yunabaru 'Njiti (yoNsaa yoNsaa )kaara chidooti (yoNsaa yoNsaa )tiima Nkai (yasa tiima Nkai yoNsaa yoNsaa )
昔マーラン船は与那原を出発し(※は囃子言葉なので省略)琉球瓦を積んで 汀間へ(そうだ 汀間へ ※省略)
語句・んかし 昔。・ゆなばる かつては島尻ー大里間切。現在は与那原町。中城湾に面して天然の良港があった。特産は赤瓦。・かーら 瓦。与那原の特産品。・ちどーてぃ 積んで(いて)。<ちぬん 積む。・てぃーま 国頭ー久志間切。現在は名護市字汀間。



二、夏や南風 千鳥ん嬉さ (※)冬や北風 (※) 波荒さ (やさ波荒さ ※)
なちやふぇーかじ ちどぅりんうりさ ふゆやにしかじ なみあらさ
nachi ya hweekaji chiduriN 'urisa huyu ya nishi kaji nami 'arasa
夏は南風吹き 千鳥も嬉しいことよ 冬は北風 波は荒いことだ
語句・ふぇーかじ 「南」を「ふぇー」と言う。・ も。強調する時なども使う。・うりさ 嬉しいことだ! <うりさん。うりしゃん。琉歌で形容詞の体言止めは感嘆する気持ちを表現することが多い。「うりさ」は「うれしさ」と訳すと気持ちが弱い。・にしかじ 「北」は「にし」と呼ぶ。「北」を「にし」と呼ぶ理由については諸説ある。「北風」を「にし」と呼ぶことからという説。「去〔イニ〕」説。「子(にー)」説(二ヌファブシ=北極星)など。【琉球語辞典】では「私見」と断った上で[本来ニシは西であったが(幅のある)北西方面からの風の総称に転じた後」ゆるやかな捉え方から「北」を「にし」と呼ぶようになった]とある。



三、ありや阿麻和利 勝連城 (※) くりや平安座ぬ (※) 八太郎 (やさ 八太郎 ※)
ありやあまわりかちりんぐしく くりやふぇんざぬ はったらー
'ari ya 'amawari kachiriN gushiku kuri ya hweNza nu hattaraa
あれは阿麻和利の勝連城 これは平安座のハッタラー
語句・あり あれ。・あまわり 阿麻和利。15世紀に悪政を敷いた前按司(領主)を倒し勝連城の按司となり、民衆を助けたという人物。・くり これ。・ふぇんざ 中頭ー与那城間切。現在はうるま市に属し、海中道路で勝連半島と結ばれている。昔の発音は「ひゃんざ」hyaNza である。・はったらー 昔、平安座島にいたとされる大男で力持ちの人物名。



四、船や汀間ぬ港に繋ぢ(※)姉小志情き (※)瓶ぬ酒 (やさ瓶ぬ酒 ※ )
ふにやてぃーまぬ んなとぅにちなじ あんぐゎーしなさき びんぬさき
huni ya tiima nu Nnatu ni chinaji 'angwaa shinasaki biN nu saki
船は汀間の港に繋ぎ 娘さんの情けがつまった瓶の酒
語句・あんぐゎー 「①姉。ねえさん。平民についていう。②ねえさん。娘さん。娘。平民の若い娘をいう」【沖縄語辞典】。時と場合によるが、ここでは汀間の若い娘をさすだろう。



五、薪 砂糖 積み荷ん済まち (※) 戻るマーラン船や (※)真帆上ぎてぃ (やさ真帆上ぎてぃ ※ )
たむん さーたー ちみにんしまち むどぅるまーらんしんや まふあぎてぃ
tamuN saataa chimini ni shimachi muduru maaraNshiN ya mahu 'agiti
薪(たきぎ)と黒砂糖を積み荷にして 戻るマーラン船は追い風をうけて一杯に張った帆をあげて
語句・たむん 「たきもの。たきぎ。まき。」【沖縄語辞典】。汀間は汀間川が深くマーラン船も奥まで入ったという。ヤンバルからの薪や竹を船に積んだ。・ちみに 積み荷。・しまち 済ませ。<しますん。しましゅん。済ます。終わらせる。・まふ 風をうけていっぱいに張った帆。または、二つある帆を両方あげている状態という意味もある。




沖縄の若手で新進気鋭の唄者、仲宗根創さんが唄っている「マーラン船」。
歌をつくられたのは「島々美しゃ」や「娘ジントーヨー」の作詞をした久米仁さん。

仲宗根創さんのアルバム「歌ぬ糸」に収録されている。



「ヨンサー」という囃子言葉がくりかえし出て来て、ゆったりと風に乗って進むマーラン船に乗っているかのような気持ちになる名曲。昔の情景が織り込まれている。

YouTubeに仲宗根創さんが歌う「マーラン船」がある。





(たるーが描いたマーラン船)  

Posted by たる一 at 14:10Comments(0)ま行

2014年02月28日

まんがにすっつぁ節

まんがにすっつぁ節
まんがにすっつぁ ぶすぃ
maNgani suqtsa bushï
本当に羨ましい
語句・まんがにすっつぁ 「本当に羨ましい。『マンガニ』[(発音省略)]は真金で、黄金と同じ意味であろう。」【石垣方言辞典】(宮城信勇)(以下【石辞】と略す)。「すっつぁ」は「羨ましい」の意味。この歌の題名において、表記が「すざ」「すぃざ」「そざ」などいろいろあるが、発音に近いと思われる「すっつぁ」とした。



一、宮里村まーりわーり( ティユイガンナーヨー)西表小松ゆ 欲しゃんど (ティユイナー マンガニ スッツァ ウヤマーリ ワーリ
みゃんざとぅむら まーりわーり (てぃゆがんなーよー)いりむてぃ くまちゆ ふしゃんどー (てぃゆいなー まんがに すっつぁ うやまーりわーり)
myaNzatu mura maari waari (tii yuigaNnaa yoo)'irimuti kumachi yu hushaN doo (tii yui naa maNgani suqtsa uyamaari waari)
(括弧の囃子言葉は以下略す)
黒島の宮里村廻って来られて 西表クマチを欲しいぞ
語句・みゃんざとぅ 竹富町黒島の昔の村の名称。黒島節を参照のこと。・まーりわーり 「まーり」で「周辺」や「めぐる」などの意味があるが【石辞】、「まーりわーり」では見当たらない。【精選八重山古典民謡集(三)當山善堂 編著】には黒島の方言として「わーり」(来られて)の解説がある。・いりむてぃ 西表家の。屋号。


二、仲本村まーりわーり 本原ンガイゆ 欲しゃんど
なかんとぅむら まーりわーり むとぅばらんがい ゆ ふしゃんど
nakaNtu mura maari waari mutubara Ngai yu hushaN doo
黒島の仲本村廻って来られて 本原ンガイを欲しいぞ


三、東筋村まーりわーり 高那ブナリゆ 欲しゃんど
ありしんむら まーりわーり たかなぶなり ゆ ふしゃんど
'arishiN mura maari waari takana bunari yu hushaN doo
黒島の東筋村廻って来られて高那ブナリを欲しいぞ


四、伊古村まーりわーり 屋良部マントゥゆ 欲しゃんど
いくむら まーりわーり やらぶまんとぅ ゆ ふしゃんど
'iku mura maari waari yarabu manntu yu hushaN doo
黒島の伊古村廻って来られて屋良部マントゥを欲しいぞ


五、保里村まーりわーり 前盛タマニゆ 欲しゃんど
ふりむら まーりわーり まいむりたまに ゆ ふしゃんど
huri mura maari waari maimuri tamani yu hushaN doo
黒島の保里村廻って来られて前盛タマニを欲しいぞ


六、保慶村まーりわーり 赤嶺クヅラゆ 欲しゃんど
ふきむら まーりわーり あかんにくづらゆ ふしゃんど
mura maari waari 'akaNni kuzura yu hushaN doo
黒島の保慶村廻って来られて赤嶺クヅィラを欲しいぞ


黒島節を追ってきた。

◯祝儀歌としての黒島節(正月ゆんた)。

◯元歌であろう黒島節

◯本島の舞踊曲「松竹梅」にとりいれられた黒島節

◯「まんがにすっつぁ節」としての「黒島節」。

「正月ゆんた」が「黒島節」と呼ばれ、元歌の黒島節は「まんがにすっつぁ節」として別の曲となって生きている、そう見える。
囃子の最後は「まんがにすっつぁ うやーりわーり」という囃子でうたう歌詞もある。

「まんがにすっつぁ節」のyoutubeがあるので貼っておく。
石垣島の「いしゃなぎら青年文化発表会」。
若者たちが継承できる文化がある地域というのは素晴らしいと思う。
こうした文化が廃れている現状に憂うばかりだ。




(2014年2月 黒島にて筆者撮影)
  

Posted by たる一 at 08:56Comments(0)ま行八重山民謡

2012年11月10日

木綿花節

木綿花節
むみんばなぶし
mumiNbana bushi
木綿花の唄


一、木綿花作てぃ 木綿がし掛きてぃ 布美らく織やい(ヨーンゾヨ) 里が手巾(ヨーンゾヨ)
むみんばなちゅくてぃ むみんがしかきてぃ ぬぬちゅらくうやい(よーんぞよ)さとぅがてぃさじ(よーんぞよ)
mumiN bana chukuti mumiN gashi kakiti nunu churaku 'uyai (yoo Nzo yo) satu ga tisaji (yoo Nzo yo)
木綿花を作って、木綿を織るための綛(かせ)に掛けて 布を美しく織って(ねえ貴女よ) あの人の手ぬぐいを(ねえ貴女よ)
(以下囃子言葉は省略)
語句・むみんがし 木綿を織るための木綿の繊維を巻く機織りの道具。詳しくは「干瀬節」に。・てぃさじ 手ぬぐい。


二、花に実ならち 実に花さかち 御万人ぬまじり 真肌添ゆさ
はなにみならち みにはなさかち うまんちゅぬまじり まはだすゆさ
hana ni mi narachi mi ni hana sakachi 'umaNchu nu majiri mahada suyu sa
(木綿の)花に実をつかせ 実から花を咲かせて すべての人々の素肌に添う木綿を
語句・うまんちゅ すべての人々。 「慣用では‘御万人’と書かれるが‘御真人〔おまひと〕’の転または‘'uma〔'nmaの古形〕+nu+qcu’[そこらの人]」【琉球語辞典】  つまり、「御真人」あるいは「そこらの人」の意味。・まじり 「すべて。全体」【琉辞】。 


三、木綿機なかい 白縄うちはきてぃ 無蔵に紡がしゅる 木綿小花
むみんばたなかい しらなうちはきてぃ んぞにちんがしゅる むみんくばな
mumiN bata nakai sirana 'uchihakiti Nzo ni chiNgashuru mumiN kubana
木綿の機に白縄をかけて貴女に紡がせる様子は木綿の小花
語句・なかい …に。なかに。 ・しらな 白縄。ここでは糸を紡ぐ車を廻すベルトの役割をする縄のこと。


四、後当原下りてぃ 花むゆる女 色美らさあしが 年や知らん
くしとーばるうりてぃ はなむゆるゐなぐ いるぢゅらさあしが とぅしやしらん
kushitoobaru 'uriti hana muyuru winagu 'irujurasa 'ashiga tushi ya shiraN
後当原(地名)に下りて木綿花を摘む女よ 美しいけれど年を知らない、いくつか?
語句・むゆる 摘む。<むゆん もぐ。


五、あに走る馬に ぶちゆかきみせが ぶちやひけみしょり わ年語ら
あにはゆるんまに ぶちかきみせが ぶちやひけみしょり わとぅしかたら
'ani hayuru 'Nma ni buchi kakimiseega buchi ya hikee misyori wa tushi katara
あの走る馬に鞭を叩いておられますが 鞭をお控えなされば私の年を教えましょう
語句・あに あの。<あ あれ、あの。+に に。・ぶち ムチ。鞭。・ひけ 控える。<ふぃけーゆん。

引き続き久米島の民謡を取り上げる。

木綿花節は「古くは『後当原(くしとーばる)』と称し、ウスデーク唄であったようだ」(「島うた紀行」仲宗根幸市氏)。

島袋盛敏氏の「琉歌大観」には「綿花節」というのがあり

木綿花作て木綿かせかけて布きよらく織らばゑけりが手巾
むみんばなちゅくてぃ むみんかしかきてぃ ぬぬちゅらくうらばえけりてぃさじ
mumiNbana chukuti mumiN kasikakiti nunu churaku 'uraba yekeri ga tisaji

「木綿花を作って、木綿のかせをかけてきれいな布を織らば、それから兄弟のために手拭を作ってあげたい」(琉歌大観)

兄弟が旅に出るときに、姉妹が旅の安全を願って手ぬぐいをつくるのが昔からのならわしだったようだ。

上の「木綿花節」の四番、五番は仲宗根氏によると「具志川按司とウラシマミツガネとの恋愛歌だという」。


ちなみに、「島うた紀行」では四番に

木綿紐作てぃ はてん布織やい 里があけず羽ぬ御衣ゆしらに
という歌詞が入っている。





(筆者撮影。2012年10月28日)
具志川城跡に下りていく坂の上にあった。  

Posted by たる一 at 09:32Comments(0)ま行

2011年03月06日

ムリカ六星

ムリカ六星
むりかむちぶし
murika muchi bushi
昴(すばる)群星
語句・むりか「昴(すばる)星」【石垣方言辞典】ムリブスィmuribushU+EFとも。「ムリカの[murika]のカ[ka]は愛称接尾辞カー[ka:]のつまった形」【石辞】ともある。 ・むちぶし すばる。プレアデス星団。「ぶりぶしburibushi」ともいう。「群星〔特に、天の川〕;〔八重山ではmuru-bushiとして〕すばる[プレアデス星団]」【琉辞】。「六」という数字はすばるが肉眼では六個ほどの星に見えることとにもかけている。

作詞/照屋林助 作曲/照屋林賢


一、ムリカ六星や群りてぃ盛り上がる天ぬまなかみち渡る清らさ
むりかむちぶしやむりてぃむりあがる てぃんぬまなかみちわたるちゅらさ
murika muchibushi ya muriti muriagaru tiN nu manaka michi wataru churasa
スバル群星は群れて盛り上がる 天の真ん中の道を渡るのが美しいことよ!


二、天ぬ御心ゆ委細に聞ちうがでぃ世間ぬたみしゅんでぃ渡るいそさ
てぃんぬみくくるゆいせにちちうがでぃ しけぬたみしゅんでぃわたるいそさ
tiN nu mikukuru yu 'ise ni chichi ugadi shike nu tamishuNdi wataru 'isosa
天の御心を詳しく拝聴し 世界を試すために渡ることの嬉しさ
語句・いせ <いせー 'isee  「委細;明細」「詳しく」「明確に」【琉辞】 詳しく。・うがでぃ 拝む。お会いする。ここでは「ちちうがでぃ」直訳すれば「聞き拝む」→「拝聴する」。・たみしゅんでぃ 試すために。<たみし。<たみしゅん 試す。+んでぃ ために。・いそさ <いそーしゃ。 いしょーしゃ。嬉しさ。


三、むちり星でんさ夜毎むちりやいムヅクイ期節ゆ知らす嬉しゃ
むちりぶしでんさ ゆぐとぅむちりやい むじゅくいぬとぅちゆしらすうりしゃ
muchiri bushi deNsa yu gutu muchiriyai mujukui nu tuchi yu shirasu 'urisha
群れた星であるからなるほど夜ごとに仲良くして 農業の時季を知らせることの嬉しいことよ!
語句・でんさ 八重山方言の「でんさー」、「尤もだ、その通りだ」【琉辞】。ここでは接続後的に使用され「・・だからなるほど」くらいに訳せる。・むちりやい仲良くして。<むちりゆん。仲睦まじくする。仲良くする。・むじゅくい 農業。農作。


四、節々ゆ違んムリカ星影にムヅクイんゆかてぃみるく世果報ムリカ六星
しちしちゆたがんむりかぶしかじに むじゅくいんゆかてぃ みるくゆがふ むりかむちぶし
shichishichi yu tagaN murikabushikaji ni mujukuiN yukati mirukuyugahu murika muchibusi
季節を区別するスバルの星影に 農業は豊作となり五穀豊穣を迎える スバル群星
語句・しちしち 季節。・ を。・たがん <たがゆん たがいん。「違う、違える」【琉辞】。ここでは「季節を区切る、区別する」役割をスバルの星影(位置)が担うということであろう。


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Posted by たる一 at 10:36Comments(0)ま行

2010年10月24日

真心ぬ花 2

真心ぬ花
まぐくるぬはな
magukuru nu hana
真心の花

作詞・作曲 当銘由俊


一、(男)ありが志情ん仇になち我身や 闇路迷たしやゆるち呉りよ (二人が真心ん 咲ちゅらでむぬ)
ありがしなさきん あだになちわみや やみじまゆたしや ゆるちくぃりよ (たいがまぐくるん さちゅらでむぬ)
'ari ga shinasakiN 'ada ni nachi wami ya yamiji mayutashi ya yuruchikwiri yo (tai ga magukuruN sachura demunu)
あの人の情けをも仇にして私は闇の道を迷ってしまった 許してくれよ(二人の真心も咲くだろうから)
※括弧は以下省略。
語句・さちゅら <さちゅん 咲く。未然形。さくだろう(か)。・でむぬ ~だから。


ニ、(女)かりすみぬ縁とぅかにてぃ知りなぎな 浮世ならわしぬ有りし今宵
かりすみぬいんとぅ かにてぃしりなぎな うちゆならわしぬ ありしくゆい
karisumi nu yiN tu kaniti shirinagina 'uchiyu narawashi nu 'arishi kuyui
はかない縁だと最初から知っていながら 浮世のしきたりがある今夜
語句・かりすみ かりそめ。はかない様。 ・かにてぃ 「以前;あらかじめ」【琉辞】。 ・なぎな <なぎーな 「・・ながら、・・なのに」【琉辞】。 ・ならわし <ならーし 習慣。しきたり。


三、(男)実ならん梅に頼らりてぃからや ぬんでぃ踏み迷てぃ浮名立ちゅが
じちならんんみにたゆらりてぃからや ぬんでぃふみまゆてぃ うちなたちゅが
jichi naraN 'Nmi ni tayurariti kara ya nuNdi humimayuti 'uchina tachu ga
実のらない梅にあてにされたけれど どうして迷って噂がたつのか


(女)ありん恨みゆる事や又ねさみ  露たぬでぃ咲ちゅる花ゆやりば
ありんうらみゆるくとぅやねさみ ちゆたぬでぃさちゅるはなゆやりば
'ariN 'uramiyuru kutu ya nesami chiyu tanudi sachuru hana yariba
あの人を恨むことはもうありません 露を頼って咲く花であるから


(男、女)語る言ぬ葉んなまになてぃみりば 明雲とぅ散りる花どぅやたみ
かたるくとぅぬふぁん なまになてぃみりば あきぐむとぅちりるはなどぅやたみ
kataru kutu nu hwaN nama ni nati miriba 'akigumu tu chiriru hana du yatami
語る言葉も今になってみれば明け方の美しい雲と散る花であったのか  続きを読む

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2010年10月16日

真心ぬ花

真心ぬ花
まぐくるぬはな
magukuru nu hana
真心の花


作詞・作曲 当銘由俊
唄三線 嘉手苅林昌 (CD「Japan - Folk Songs Of Okinawa 沖縄しまうたの真髄」より)


一、及ばらんたきに天に橋かきてぃ 落てぃてぃ 損なてぃる身ぬ上知ゆる 二人が云語れや 夢どぅやたん
うゆばらんたきに てぃんにはしかきてぃ うてぃてぃすくなてぃる みぬうぃしゆる たいがいかたれや いみどぅやたん
'ujubaraN taki ni tiN ni hashikakiti 'utiti sukunati ru mi nu wi shiyuru tai ga 'imi du yataN
叶えられない恋なのに 天に橋をかけて落ちて(しまったように)失ってはじめて自分の身の程を知った 二人の仲は夢だったのだ
語句・うゆばらん <うゆぶん 及ぶ。琉歌では「思いが届かない」「叶えられない」「添い遂げることができない」など意味多様に使われる。・たき 「たけ、身長」【琉辞】。「身分」という意味もある。・すくなてぃ <すくなゆん 「損なう、壊す」【琉辞】。・ =どぅ 強調の係り助詞。「ぞ、こそ」【琉辞】。「r」と「d」が入れ替わったもの。・うぃ<うぃー。('wii) ①上。②以上。③老い。 ・いかたれ <いかたれー。「(恋)のかたらい、(男女の)契り」【琉辞】。このように男女が語り合うさま、という意味合いから「男女の仲」「契り」という意味まで幅がある。それは「かたれー」に「語る」という意味と「味方、仲間になる」という意味も含むから。


二、夢やたんとぅむてぃ忘らていすしが まさてぃ思くとぅや 我肝染みてぃ 二人がいかたれや 夢どぅやたん
いみやたんとぅむてぃ わしらていすしが まさてぃうむくとぅや わちむしみてぃ たいがいかたれや いみどぅやたん
'imi yataN tumuti washiratei sushiga masati 'umukutu ya wachimu shimiti tai ga 'ikatare ya 'imi du yataN
夢だったと思って忘れようとするが(かえって)思いが強くなり私の心を染めて 二人の仲は夢だったのだ
語句・とぅむてぃ <とぅ+うむてぃ と思って。・てい =てぃやい。・・と言って。・・と。・まさてぃ <まさゆん 強くなる。


三、梅桜でんし 節くりば咲ちゅい 節よ待ちみそり 咲ちどぅさびる 二人が真心ん咲ちどぅさびる
んみさくらでんし しちくりばさちゅい しちよまちみそり さちどぅさびる たいがまぐくるん さちどぅさびる
'Nmi sakura deNshi shichi kuriba sachui shichi yo machimisori sachi du sabiru tai ga magukuruN sachi du sabiru
梅桜でさえ季節がくれば咲くもの 季節よお待ちください (かならず)咲きます 二人の真心も(かならず)咲きます
語句・でんし でさえ。・さちどぅさびる かならず咲きます。「どぅ」の強調を「かならず」で表現。


四、節待ちゅる間や 歳や寄いちみてぃ 寄いちみる歳や 戻しぇならん 真心ぬ花ん咲ちがすゆら
しちまちゅるいぇだや とぅしやゆいちみてぃ ゆいちみるとぅしや むどぅしぇならん まぐくるぬはなんさちがすゆら
shichi machuru yeda ya tushi ya yui chimiti yuchimiru tuchi ya mudushe naraN magukuru nu hanaN sachi ga suyura
季節を待つ間に歳も寄ってしまい 寄ってしまった歳は戻せはしない 真心の花も咲くだろうか
語句・ゆいちみてぃ<ゆゆん ゆい 寄り。+ ちみゆん 詰まる。「歳が寄り詰まる」→ 歳が寄る。年寄る。・むどぅしぇ<むどぅしぇー<むどぅし 戻すこと。+や は。→戻すことは。
 


五、くぬ世うてぃ二人や結ばらんありば あぬ世んじ 二人や結びたぼり 真心ぬ花ん 自由に咲かさ
くぬゆうてぃたいや むしばらんありば あぬゆんじ たいやむすびたぼり まぐくるんはなん じゆにさかさ
kunu yu uti tai ya mushibaraN 'ari ba 'anu yu 'Nji tai ya musubitabori magukuruN hanaN jiyu ni sakasa
この世にいて二人は結ばれないのであれば あの世に行って二人を結んでください 真心の花も自由にさかせたい
語句・んじ <んじゆん 出る。「あの世に出る」→「あの世に行く」。・さかさ<さちゅん 咲く。→ さかさ 未然形。さかせたい。さかせよう。
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2010年10月10日

三村踊り節 2 (切り捨て節)

三村踊り節(切り捨て節)
ちりしてぃぶし
chiri shiti bushi
切り捨て節
語句・ちり 沖縄で「ちり」とは「塵」、つまりゴミ。ゴミ(として)捨て節、と訳すこともできる。

歌詞参照;「正調琉球民謡工工四 第四巻」


一、(女)あんねえる かき包丁小やよ 豆腐ん切りらんむん(何うすが ちゃん投ぎれえ)
あんねーる かきほーちゃーぐゎやよ とーふんちらんむん(ぬーすが ちゃんなぎれー)
'aNneeru kaki hoochaa gwaa ya yoo toohuN chiraraN muN (nuu suga chaN nagiree)
[()は以下三番、五番、七番において略す]
あのような欠けた包丁はね 豆腐も切ることができないからさ 何に使う?捨ててしまえ
語句・あんねーる 「あの[その]ような、そんな」【琉辞】。 ・むん・・ものだから。 ・ちゃんなぎれー <ちゃんなぎゆん 「投げ捨てる、捨ててしまう。」【琉辞】。命令形。


二、(男)よそきバーチー うり捨てぃんなよ うりやよ 鍋小ぬ底かちむぬ 
     何うゆかさらそうむん (ようそき ようそき うり捨てぃんなよ)

よーそーきばーちー うりしてぃんなよ うりやよ なびーぐゎぬすくかちむぬ (ぬーゆかさらそーむん よーそき よーそき うりしてぃんなよ)
yoosooki baachii 'uri shitiNna yoo 'uri ya yoo nabii gwaa nu suku kachi munu (nuu yuka sarasoomuN yoosooki yoosooki 'uri shirtiNna yoo)
[()は以下四番、六番において略す。八番は「よーそき」以下だけ略す]
やめておけおばさん それ捨てるなよ それでね 鍋の底を掻く(掃除する)んだから 何より大事なんだから やめとけ やめとけ それ捨てるなよ
語句・よーそーき <よーそーちゅん 「やめて[しないで、ほって]おく。」【琉辞】。命令形。・ばーちー 「(平民の)叔母(さん);小母さん。」【琉辞】


三、(女)あんねえる尻ふぎバーキやよ 芋ん洗りらんむん
あんねーるちびふぎばーきやよ んむんあらりらんむん
'aNneeru chibi hugi baaki ya yoo 'NmuN 'arariraN muN
あんな底に穴の開いたザルはね 芋も洗えないから
語句・ちび 尻。ここでは「底」。 ふぎ <ふぎゆん 穴があく。九州でも「穴ほげた」(穴があいた)などという。・ばーき 「(目の粗い)笊〔ざる〕」【琉辞】。


四、(男)ようそきバーチー うり捨てぃんなよ うりやよ鶏小ぬ卵産しむぬ 
よーそーきばーちー うりしてぃんなよ うりやよ とぅいぐゎぬ くがなしむぬ
yoosooki baachii 'uri shitiN na yoo 'uri ya yoo tuigwaa nu kuganasi munu
やめとけおばさん それは捨てるなよ それはねニワトリの卵を産む(所で使う)から
語句・くがなし <くーが 卵。 +なし <なしゅん 産む。 


五、(女)あんねえる肩うてぃ着物小やよ袖ん通ーさりらんむん
あんねーるかたうてぃちんぐゎやよ すでぃんとーさりらんむん
'aNneeru kata 'uti chiN gwaa ya yoo sudi toosariraN muN
あのような肩(袖?)が落ちた着物はね 袖も通されないから


六、(男)ようそきバーチーうり捨てぃんなよ うりやよ童ぬ尻当てぃやー小
よーそーきばーちー うりしてぃんなよ うりやよ わらびぬちびあてぃやーぐゎ
yoosooki baachii 'uri shitiN na yoo 'uri ya yoo warabi nu chibi 'atiyaa gwaa
やめとけおばさん それを捨てるなよ それはね 子どもの尻に当てるもの(おむつ)


七、(女)あんねえる かきマカイ小やよ 物ん入ってん食まらん
あんねーる かきまかいぐゎやよ むぬんいってぃんかまらん
'aNneeru kaki gwaa ya yoo munuN 'ittiN kamaraN
あのような欠けた茶碗はね 食べ物入れても食べられない
語句・まかい どんぶり。茶碗。・かまらん食べられない。 <かぬん 食べる。→ かまらん 食べられない。


八、(男)よそきバーチー うり捨てぃんなよ うりやよ豚小ぬ物食さー小 いっちがさらそうむん
よーそーきばーちー うりしてぃんなよ うりやよ うりやよ わーぐゎぬむぬかまさーぐゎ いっちがさらそーむん
yoosooki baachii 'uri shitiN na yoo 'uri ya yoo 'waa gwaa nu munu kamasaa gwaa 'icchiga sarasoomuN
やめとけおばさん それを捨てるなよ それはね豚にえさをやるもの(に使う)いつでも大切なんだよ
語句・わー 豚。発音に注意。「わたし(の)」は「waa」。豚は「'waa」。この「'」はこのブログでは「声門破裂音」「グロッタルストップ」を表しているが、特に沖縄本島のウチナーグチの特徴の一つで、これがあるなしで、意味が大きく違う場合がある。  続きを読む

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2009年09月20日

無情の月

無情の月
[むじょうのつき]


一、千里陸道や思れ自由なゆい 一里船道や自由ぬならん
しんりりくみちや'うむれじゆなゆい 'いちりふなみちやじゆんならん
shiNri rikumichi ya 'umure jiyu nayui 'ichiri hunamichi ya jiyuN naraN
千里の陸の道は思い自由になる(通える)が一里の船道は思い自由にならない


二、我肝ひしひしと干瀬打ちゅる波や 情思無蔵が思みど増しゅる
わちむふぃしふぃしとぅふぃし'うちゅるなみや なさき'うみんぞが'うみどぅましゅる
wachimu hwishihwishi tu hwishi 'uchuru nami ya nasaki 'umiNzo ga 'umi du mashuru
私の心をひしひしと干瀬を打つ波は 愛した貴女への思いが強くなる
語句・ふぃしふぃし 「ひしひし(胸にこたえるさま)、ずきずき(痛むさま)」【琉辞】。 波が打つ音と胸に響く思いを掛けている。 ・ふぃし 「干潮時に現れる洲、礁原[しょうげん]」【琉辞】。沖縄の海は珊瑚礁で囲まれているが、それが盛り上がった所に波があたる。


三、貫ちたみて置ちょて知らさなや里に 玉切りて居てど袖ぬ涙
ぬちたみてぃ'うちょてぃしらさなやさとぅに たまちりてぃうてぃどぅすでぃぬなみだ
nuchi tamiti 'uchoti shirasanaya satu ni tama chiriti uti du sudi nu namida
貫きためて置いておいて知らせたいよ貴方に 玉を切っておき袖の涙
語句・しらさな 知らせたい。


四、我身に幸しぬ光ねんあしが 無情に照る月や光まさて
わみにしあわしぬふぃかりねん'あしが むじょにてぃるちちやふぃかりまさてぃ
wami ni shiawashi nu hwikari neN 'ashiga mujo ni tiru chichi ya hwikari masati
私自身に幸せの光はないのであるが 無情に照る月は光強くなって
  

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2009年03月22日

桃売アン小

桃売アン小
むむ'うい'あんぐゎ
mumu 'ui 'aNgwa
桃売りねえさん
語句・あんぐゎ 「①姉、姉さん②姐(ねえ)さん〔平民の若い女性〕」(琉)。


一、(女)桃売やい我んね サユン布買うてえくとぅ 此りし着物縫やーい かなしアヒ小に我ね着しゆん
むむ'うやいわんね さゆんぬぬこーてーくとぅ くり(っ)しちんのーやい かなし'あふぃぐゎにわねくしゆん
mumu 'uyai waNne sayuN nunu kootee kutu kuri(s)shi chiN nooyai kanashi 'ahwigwa ni wane kushiyuN
桃を売って私はサユン布買ってあるので これで着物を縫って 愛しい兄さんにわたしは着せるの
語句 ・うやい 売って。<うゆん 売る う + やい ・・して。 ・さゆん 「sayumi【貲布:サヨミ、サイミ〔ヨミは機[はた]の筬[おさ]の目数〕】織り上げてまだ水通ししていない布。〔sayunとも〕」(琉)。 ちなみに貲布(さよみ)とは国語辞典では「〔「狭読(さよみ)」の意〕カラムシの繊維で細かく織った布。奈良時代に調(ちよう)として上納された。のちには粗く織った麻布をいう。さいみ。さゆみ。さよみのぬの。」ともある。・こーてー 買ってある。 買った。<こーゆん 買う。 ・くとぅ ・・なので。・くりっし これで。これを使って。<くり これ。+っし ・・で。・・を使って。歌の中では「っ」を省略して歌われている。したがって括弧をつけた。・のーやい 縫って。<のーゆん 縫う。 + やい ・・して。 ・あふぃぐゎ 平民の兄、兄さん。ちなみに士族は「やっちー」。・くしゆん 着せる。ちなみに「着る」は ちゆん。


二、(女)此りし着物縫やい着りぬ余ゆくとぅ 我身ぬ着物ぬ袖に付きてぃ我ね着ゆん此ぬ着りや
くり(っ)しちんのーやいちるぬ'あまゆくとぅ わみぬちんぬすでぃにちきてぃわねちゆん くぬちりや
ku(s)shi chiN nooyai chiri nu 'amayukutu wami nu chiN nu sudi ni chikiti wane chiyuN kunu chiri ya
これで着物を縫って切れ端が余るので 私の着物の袖に付けて私はこれを着るわ この切れ端を
語句・ちり 布の切れ端。「ゴミ」といういう意味もある。・ をば。


三、(男)着物どぅ洗ゆるい 布どぅ晒するい 水や我が汲むさ 疲てや居らに イェー無蔵よ
ちんどぅ'あらゆるい ぬぬどぅさらするい みじやわがくむさ うたてぃやうらに 'えーんぞよ
chiN du 'arayuru i nini du sarasaru i miji ya waga kumu sa utati ya urani 'ee Nzo yo
着物洗うよね 布晒すよね (その)水は私が汲むよ 疲れてはいないかい? なあお前
語句・あらゆるい 洗うよね? <あらゆん 洗う。 前の「どぅ」との係り結びで連体形「あらゆる」 +い 疑問。 ・さらするい 晒すよね?同左。・うたてぃ 疲れて。 <うたゆん 疲れる。


四、(女)此りし着物縫やーいアヒ小に着しゆくとぅ今からぬ後や他所とぅ毛遊びすなようやー
くり(っ)しちんのーやい 'あふぃぐゎにくしゆくとぅ なまからぬ'あとぅやゆすとぅもー'あしびすなよーやー
kuri(s)shi chiN nooyai ahwigwa ni kushiyu kutu nama kara nu 'atu ya yusu tu moo'ashibi suna yoo yaa
これで着物縫って兄さんに着せるから今後他所の人と毛遊びしないでね


五、(男)誠真実ぬ形見どぅんやりば今からぬ後や他所とぅ毛遊び我ねすんなあ
まくとぅしんじちぬかたみどぅんやりば なまからぬ'あとぅやゆすとぅもー'あしびわねすんなー
makutu shiNjichi nu katami duN yariba nama kara nu 'atu ya yusu tu moo'ashibi wane suN naa
誠真実の(愛の)形見なのであるから 今後他所の人と毛遊びを私がするものか
語句・かたみ 男女の契りとして交わす記念品 ・すんなー するものか?するか?<すん する。+なー 軽い疑問。


六、(女)云ちゃんどうやイェーあひ小(男)変わるなよ互に(男女)親に云ち二人や夫婦にならな我っ達二人
'いちゃんどーや'えー'あふぃぐゎ かわるなよたげに 'うやに'いちたいやみーとぅにならな わったーたい
'ichaN doo ya 'ee 'ahwigwa kawaruna yo tage ni 'uya ni 'ichi tai ya miitu narana wattaa tai
言ったわね ねえ兄さん 変わるなよ互いに 親に話して二人は夫婦になろうね 私たち二人
語句・いちゃん 言った。<ゆん 言う。 



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2009年02月14日

盛え栄え

盛え栄え
むて−さけ−
mutee sakee
茂り栄え


作詞 上江洲由孝
作曲 普久原恒勇


、(サーサー)巖抱き松の根の張りも見事 百枝の清らさ 千代の栄い (サーサーユーイヤサー)世代万代盛え栄え〔囃子言葉は以下省略〕
'いわおだちまちぬ にぬはいんみぐとぅ むむいだぬちゅらさ ちゆぬさかい ゆでーまんでー むていさかい
'iwao dachi machi nu ni nu haiN migutu mumuida nu churasa chiyu nu sakai yudee maNdee mutei sakai
岩(を)抱く松の根の張りも見事(である)たくさんの枝の美しさ 千代の栄え すべての人がいつの世までも茂り栄え
語句・いわお 岩。 ・むむいだ たくさんの枝。「むむ」は数字としての「百」だけでなく「たくさんの」というたとえ。 ・ゆでーまんでー <ゆーでーまんでー すべての人がいつの世までも。 辞書にはない語句だが、「世代」は「せだい」と読むこともできる。「すべての人がいつまでも」くらいに訳せよう。・むていさけい <むてーゆん 「(体が)太る;茂る;栄える」(琉)。 むてー+い → 茂ること。 + さかい 繁栄。 題名の読み方と異なる。


二、心慰めの歌や節々に 謡の道一道一期でもの
くくるなぐさみぬ'うたやふしぶしに 'うたぬみち ちゅみち いちぐでむぬ
kukuru nagusami nu 'uta ya hushibushi ni 'uta nu michi chumichi 'ichigu demunu
心を慰める歌は節々(曲々)に 歌の道はひとつの道(に) 人生なのだから
語句・いちぐ 人生。「一期一会」の「一期」。 ・でむぬ 「・・だから、・・なので」(琉)。


三、花や咲ち揃て匂い清らしゃ香ばしゃ 御万人の肝に染めてさびら
はなやさちするてぃ にうぃじゅらしゃかばしゃ 'うまんちゅぬちむに すみてぃさびら
hana ya sachisuruti niwi jurasha kabasha 'umaNchu nu chimu ni sumiti sabira
花は咲き揃って匂いはなんと清らかで香り高いことよ! すべての人の心に染めてください
語句・じゅらしゃん <ちゅらさん 清らかな。美しい。 体言形で感嘆を表す。「なんと・・なことよ!」。沖縄語の形容詞の特徴は、美しい→「ちゅらさん」<ちゅらさ + あん と分解できる。 つまり「美しさがある」。語句により語末が「さん」または「しゃん」となるが、士族以外は「しゃん」という発音が「さん」となるので区別はなかった。ここでは「ちゅらさん」となるのが普通だが、歌では「ちゅらしゃん」と歌われている。 ・かばしゃ <かばしゃん 良い香り。

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2008年12月06日

めでたい節 

めでたい節
めでたいぶし
medetai bushi
(意味省略)


今日のほこらしゃやなをにぎやなたてる つぃぼでをる花の(さんさ)露きゃたごと (めでたい めでたい すりすりめでたい めでたい めでたい) 
(以下 括弧の囃子は省略)
きゆぬふくらしゃや なうにじゃなたてぃる ちぶでぃうるはなぬ ちゆちゃたぐとぅ
kiyu nu hukurasha ya nau ni janatatiru chibudi uru hana nu chiyu cata gutu
今日の嬉しさは何にたとえることができる(か) 蕾の花が露に出会ったようなこと
語句・ふくらしゃ 嬉しさ。<ふくらしゃん。 嬉しい。 「誇」という当て字がされるが意味は「嬉しい」である。とはいえ「誇らしい」も「嬉しい」も人間の気持ちとして同根ではあろう。・なうにじゃなたてぃる 「何にたとえることができる(か)」と訳されるが、「かぎやで風」の項で書いたように「じゃなたてぃる」は語句としては不詳である。「なうに」ですら現在の「ぬーに」(何に)であろうと推測されるだけではっきりした根拠があるわけではない。ほぼ上記のような意味で古典曲「かぎやで風節」で歌われている歌詞が転用されている。


心うちあわち 願た事かなて 互にうちはれて遊ぶ嬉さ
くくる'うち'あわち にがたくとぅかなてぃ たげに'うちはりてぃ'あしぶ'うりしゃ
kukuru 'uchi 'awachi nigatakutu kanati tage ni 'uchihariti 'ashibu 'urisha
心をしっかり合わせて願ったことが叶って 互いに(気持ちが)すっかり晴れて遊ぶのは嬉しいことよ!
語句・うちあわち 「うち」は「うちふりてぃ」(すっかり惚れる)とか「うちかなゆん」(兼ね備える)のように、「すっかり」とか「まったく」くらいの意味で動詞を補完している語句。あまり強い意味がない場合もあるから訳しなくてもよいこともある。・うちはりてぃ よく使われるフレーズであるが、この場合の「はりてぃ」が「気がはれる」などの「はりてぃ」からきていると思われる。また「ハレの日」というように「おめでたい」というニュアンスもあるかもしれない。「ハリクヤマク」を参照。


千年経る松の緑葉の下に亀が歌しりば鶴や舞方
ちとぅしふぃるまちぬみどぅりばぬしちゃにかみが'うたしりばちるやめかた
chitushi hwiru machi nu miduriba nu shicha ni kami ga 'uta shiriba chiru ya mekata
千年経た松の緑葉の下に亀が歌えば鶴は踊る


御万人や揃て踊り跳ね遊で 獅子や毬連れて踊り遊ぶ
'うまんちゅやするてぃうどぅいはにあしでぃ ししやまりちりてぃうどぅい'あしぶ
'umaNchu ya suruti udui hani 'ashidi shishi ya mari chiriti udui 'ashibu
庶民は揃って踊り跳ね遊んで 獅子は毬を連れて踊り遊ぶ
語句・うまんちゅ 庶民。「【慣用では‘御万人’と書かれるが‘御真人[おまひと]’の転または‘'uma〔'nmaの古形〕+nu+qcu’[そこらの人]】庶民。」(琉)。 だから人数を強調した表現ではないことに留意。


豊かなる御世や御万人のまぎり 能羽しち 遊ぶ事の嬉しさ
ゆたかなるみゆや'うまんちゅぬまじり ぬふぁにしち 'あしぶくとぅぬ'うりしゃ
yutakanaru miyu ya 'umaNchu nu majiri nuhani shichi 'ashibu kuru nu 'urisha
豊かなこの世は民衆が総出で芸能をして遊ぶことは嬉しいことだ!
語句・まじり 「文語 すべて。全体」(琉)。 ・ぬはに 「nufa  【‘能羽’と書かれる;nuza〔‘能作’〕と‘踊り跳ね’の混成か】〔古〕芸能〔踊りなど〕。」(琉)。 つまり「歌や踊り」などの芸能。「ぬふぁ」が普通だが、「跳ねる」の意味を込めて「ぬはに」としてあるのだろう。文字数も「ぬふぁ」では足りない。


石なごの石の大瀬なる迄ん うかきぶせみしょり拝でぃしでぃら
'いしなぐぬ'いしぬ'うふしなるまでぃん 'うかきぶせみしょり うがでぃしでぃら
'ishinagu nu 'ishi nu 'uhushi narumadiN 'ukakibuse mishori ugadi shidira
お手玉遊びの小石が岩になるまでもご統治ください 拝んでお受けいたします
語句・いしなぐ <いしなぐー ishinaguu 「女の子のお手玉遊び(に使う小石)」(琉)。 ・うふし 岩。 uhu 大 +'ishi 石 → 岩。 ・うかきぶせ <うかきぶせー ''ukakibusee 「(国王の)御統治。」(琉)。 ・しでぃら <しでぃゆん 頂戴する。


御門見りば美らしゃ内入りば香ばしゃ だんじゅ福徳ぬ御宿みせる
'うじょみりばちゅらさ 'うち'いりばかばさ だんじゅふくとぅくぬ'うやどぅみせる
'ujo miriba churasa 'uchi 'iriba kabasa daNju hukutuku nu 'utadumiseru
御門を見ると美しいことよ!中に入れば良い香りがすることよ!だんぜん福徳のお泊りなされている
語句・うやどぅみせる う 御 +やどぅ<やどぅゆん 泊まる。 +みせーん ・・なされる。 連体形で終わっているのは不明だが、「どぅ」があれば係り結びになりわけだが、ここでは「だんじゅ」にそのような働きがあるのだろうか。


我したまでぃ今日や誇しゃどあゆる 踊てたち戻ら誇て戻ら
わしたまでぃきゆやふくらしゃどぅあゆる うどぅてぃたちむどぅら ふくてぃむどぅら
washita madi kiyu ya hukurahsa du 'ayuru uduti tachi mudura hukuti mudura
我々まで今日は嬉しい気持ちなのだ 踊って帰りたい 喜んで戻りたい


八重山の「めでたい節」が本島に渡り、このように歌い替えられている。

三線の手の違い
三線の手も八重山の「めでたい節」にはなかった「七」が使われる。
もちろん「尺」の位置も変わる。

余談だが、八重山曲が本島で歌われる場合、この「尺」の位置が下がる。
つまり 「合」を「ド」とした場合の「シ」の位置に「尺」がくる。

それはなぜかというと、沖縄音階(ドミファソシド)を表現する場合、
合=ド なら 尺=シにならないとできないからである。
(合ド 老ミ 四ファ 上ソ 尺シ 工ド)

つまり、同じ「めでたい節」でも八重山曲と本島曲とでは三線の手に七があるなしという違いだけではなく
尺の音が変わることで沖縄音階が多くなり、雰囲気も変化している。

囃子言葉の違い

八重山 サンサ メデタイ メデタイ

本島  サンサ メデタイ メデタイ スリスリ メデタイ メデタイ メデタイ

 
歌詞について
琉球王朝を意識した歌詞が多くなっているが、なぜか「古典」には「めでたい節」はない。
もちろん古典に入っていない民謡は数々あるのだから不思議ではないが、その割に
歌詞的には庶民的ムードは少ない。

上にも書いたが「ハリクヤマク」でも書いたように
「うちはりてぃ」には面白い解説がある。

上原直彦さんの 「そぞろある記 語やびら島うた」那覇出版社に

「『ハリク』だが、古老の言によれば様々な古謡に登場する『うちはりてぃ遊しば』の『はりてぃ』に共通し身も心も神にゆだねてオープンにすることであるという。研究家の与那覇政牛先生(故人)も『うちはりてぃ』は『はれる、一糸まとわぬ、つまり裸であって裸舞である』としている」

歌詞のところどころにでてくる「はりてぃ」が古く、「神遊び」としての踊りに由来しているという説で、強い根拠があるわけではなさそうだが、面白い。
民衆は王朝が成立する以前から、神=自然と一体になって願い、歓びを表現してきたのだろう。



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Posted by たる一 at 09:29Comments(0)ま行

2008年11月29日

目出度節(八重山民謡)

目出度節
めでたい ぶし
medetai busï
語句・めでたい 石垣方言辞典(以下(石)と略す)によると、「めでたい」にあたる語句は「イークトゥ」「カリー」「ニファイ」、「めでたし」は「サラバサラバ」。本島でも「カリユシ」「カリー」「ユルクビ」などで、「めでたい」という標準語そのものの呼び方は本島にも八重山にもないことになる(古語の検証はしていないが)。よってこれはあえて標準語を採用したのではないだろうか。歌がつくられたとされる1843年は明治維新の数年前ということもあり本土(薩摩藩)との関係を連想させる。また後にみる「さんさ」という囃子言葉も本土との結びつきを連想させるものがあるが詳細は不明。


今年作たる稲粟や実り出来たい (サンサ) 面白ゑ (メデタイ メデタイ)
※括弧の囃子言葉は以下省略。
くとぅしちくたる'いに'あわや みぬりでぃきたい 'うむしるえ
kutushi chikutaru 'ini'awa ya minuri dikitai 'umushiru e
今年作った稲粟は実り良く出来ただろう?面白いことよなあ!
語句・ちくたる (石)によると「つくる」は「チゥクルン」、つまり「chïkuruN」で中舌母音が入る。しかし、どの本を見ても「ちくたる」とあり、中舌母音がない理由は不明。・ 多くの本では「・・したことは」と訳されている。 しかし「動詞(志向形)+い」は「自分の意思について相手の同意を求めるために問いかける時の文末につく」(石)。 したがって「・・出来ただろう?」と、相手への同意を誘う意味を含んでいると思われる。  ・ <えー おい。なあ。などの感動詞ではないだろうか。・さんさ 八重山民謡で「さんさ」を囃子言葉にする曲はこれだけである。ちなみに「さんさ」の意味は不明だが、東北の秋田や、関東の日立、山口などに「さんさ」が付く囃子や踊りがあり、全国に広がった流行の囃子言葉と見ることができる。その一つであるかどうかは興味深いが不明。


年貢上納は不足なくに捧ぎ上げたい 誇らしゃや
にんぐじょーぬはふしくなくにささぎ'あぎたい ふくらしゃや
niNgu joonu wa hushiku naku ni sasagi 'agitai hukurasha ya
年貢の上納は不足ないように捧げあげたよなあ?嬉しいことよ!
語句。じょーぬ (石)には「じょーのー」(上納)とある。何故「じょー」なのか不明。 ・ 前の句の「い」と同じと思われる。つまり「あげたよなあ」。 ・ふくらしゃ 「めでたさ。よろこばしさ。『誇らしさ』の意。歌謡のなかで本島からの借用語として用いる」(石)。・ 感嘆詞としての「や」。


捧ぎ残いやあまたありて 酒やみきとぅむ造りとーてぃ
ささぎぬくいや'あまた'ありて さきやみきとぅむ ちくりとぅてぃ
sasagi nukui ya 'amata 'arite saki ya miki tumu chikurituti
捧げて残りはたくさんあって酒や神酒共(に)造っておいて
語句・ありて 「ありてぃ」と読まず「ありて」と標準語的に読む。理由は不明。・とぅてぃ 歌詞を参考にした「八重山古典民謡工工四 大濱安伴 編著」では「とーてぃ」と表記があるが、「とぅてぃ」と表記したものが多い。「ちくりてぃ+うてぃ」の融合したもの「ちくりとぅてぃ」ではないだろうか。


今日ん明日にん遊ぶ嬉しゃ ありに三四とぅくりに五六
きゆん'あちゃにん 'あしぶ'うりしゃ 'ありにさんしとぅ くりにぐるく
kiyuN 'achaniN 'ashibu 'urisha 'ari ni saNshi tu kuri ni guruku
今日も明日も遊ぶ(ことは)嬉しいとこよ! あれに三四とこれに五六
語句・ありにさんしとぅくりにぐるく 不明。「島うた紀行」では「不詳。サミなど手指を使って勝負を競う遊びを仲間でやることの意か」とある。「八重山古典民謡歌詞集」では「中国から伝来された酒座の遊び賭博の一種」とある。


遊び歓いや踊いしゃびら 禹呉夏ぬ御代や宮良村に
'あすび'あまいやうどういしゃびら 'うぐかぬみゆやみやらむらに
'asubi 'amai ya uduishabira 'uguka nu miyu ya miyaramura ni
遊ぶ歓び(に)は踊りましょう 「動かない」御代は宮良村に 
語句・あまい <あまいん 「うれしがる。喜ぶ。楽しむ。」(石)。 ・うぐかぬ 当て字で「禹呉夏」とあるが、「禹」とは伝説上の中国の古代王朝「夏」の始祖の名前。呉も古代王朝名である。「動かない」という意味に、古代中国王朝名などを「言葉遊び」的に重ねたものか、それ自体に意味があるか不明。宮良村は石垣島。本によっては「うかぬ」という表音もある。


(松竹梅)
松は千年ぬ齢を保ち 老いてぃ若やく事ぬ嬉しゃ
まちわちとぅしぬゆわいをたもち 'ういてぃわかやくくとぅぬ'うりしゃ
machi wa chitushi nu yuwai wo tamochi 'uithi wakayaku kutu nu 'urisha
松は千年の年を保って 老いて若くなることの嬉しいことよ!
語句・ 「や」ではなく「わ wa」と大和口の影響大と思われる。 ・ 「ゆ」ではなく「を」。大和口。 ・たもち 「たむち」ではなく「たち」。大和口。


庭ぬ呉竹節々毎に君が万代ぬ齢くみてぃ
にわぬくりだきふしぶしぐとぅに きみがゆるずぬゆわいくみてぃ
niwa nu kuridaki hushibushi gutu ni kimi ga yuruzuyu nu 'yuwai kumiti
庭の呉竹(が)節々毎に 君の万代の年齢をこめて
語句・ゆわい 年齢。(石)には「ゆわい」も「いわい」もない。「齢」は大和口で「よわい」(よわひ)。それのウチナーグチ読み(三母音化)で「ゆわい」。 ・くみてぃ こめて。<くみゆん 入れる。込める。


軒端ぬ梅は初春毎に花ん匂いんまさるなり
ぬきばぬ'んみわはちはるぬぐとぅに はなんにうぃんまさるなり
nukiba nu Nmi wa hachiaru nu gutuni hanaN niwiN masarunari
軒のあたりの梅は初春ごとに花も匂いも勝るのだ


君は百歳私九十九まで共に白髪の生えるまで
きみわひゃくさいわしゃくじゅくまで とぅむにしらがぬはいるまでぃ
kimi wa hyakusai washa kujuku madi tumu ni shiraga nu hairu madi
君は百歳 私は九十九歳まで共に白髪の生えるまで


今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌いば鶴や舞方
きゆぬざしちわゆわいぬざしち かみが'うたいば ちるやめかた
kiyu nu zashichi wa yuwai nu zashichi kami ga 'utaiba chiru ya mekata
今日の座敷は祝いの座敷 亀が歌えば鶴は踊り役

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2008年10月14日

昔の若さ

昔の若さ
むとぅぬわかさ
mutu nu wakasa
昔の若さ

作詞 儀保ナビ
作曲 国吉真勇


一、年ん寄いしみて 八九十んなとい 繰戻ち見ぶさ 昔の若さ 繰戻ち見ぶさ 昔の若さ
(繰り返し部分、以下略)
とぅしんゆいしみてぃ はちくじゅんなとい くいむどぅちみぶしゃ むとぅぬわかさ
tushiN yuishimiti hachikujuN natoi kuimuduchimibusha mutu nu wakasa
年も寄りせまり八、九十になっており くり戻してみたいものだ 昔の若さ
語句・ゆいしみてぃ<ゆゆん 寄る。+しみゆん 迫る。・なといなっており。<なとーい。短縮されている。・くいむどぅち くいもどして、くりかえして。<くいむどぅしゅん。


二、寄る年戻ち 若くならりゆみ 親の楽しみや 嫁の心
ゆゆるとぅしむどぅち わかくならりゆみ 'うやぬたぬしみや ゆみぬくくる
yuyuru tushi muduchi wakakunarariyumi uya nu tanushimi ya yumi nu kukuru
寄る年を戻して若くなられまい 親の楽しみは嫁の心


三、又と拝まらん 此の世間や宝 子孫うちするて 百歳御願
またとぅうがまらん くぬしけやたから しすん'うちするてぃ ひゃくさ'うにげ
mata tu ugamaraN kunu shike ya takara shisuN 'uchisuruti hyakusa 'unige
二度と拝めないこの世界は宝 子(や)孫勢揃いして百歳お願い
語句・しけ 世界。「世間」は「しきん」。<しけー。


四、わじか此の世間や 一代世の暮し 浮世楽々と 暮ちいかな
わじかくぬしけや いちでゆぬくらし 'うちゆらくらくとぅくらち'いかなwajika kunu shike ya 'ichideyu nu kurashi 'uchiyu rakuraku tu kurachi 'ikana
わずかこの世界は一代世の暮らし 浮世は楽々と暮らしていきたい
語句・わじか わずか。 文語的表現。・いかな いきたい。いこう。動詞の未然形について希望をあらわす。


五、たとい世の中ぬ 変て移るとん 昔遺言葉や忘て呉るな
たとぅいゆぬなかぬ かわてぃ'うちるとぅん んかし'いくとぅばや わしてくぃるな
tatui yu nu naka nu kawati'uchirutuN Nkashi 'ikutuba ya washite kwiruna
たとえ世の中が移り変わっても昔の言い伝えは忘れてくれるな
語句・うちるとぅん<うちゆん 移る。+とぅん …しても。・わして 忘れては。<わしゆん 忘れる。→わしてぃ+や 融合して→わしてー。後に否定文がくる場合が多い。


六、想ば懐かしや昔し想影ぬ 肝にうみ染て 忘りぐりさ
'うみばなちかしや んかし'うむかじぬ ちむに'うみすみてぃ わしりぐりさ
'umiba nachikashi ya Nkashi 'umukaji nu chimu ni 'umisumiti washirigrisa
思えば懐かしいのは昔面影が心に思い染めて忘れがたいことよ!


七、我が身ちりんちる 他人ぬ上ん知ゆる 無理するな 友達情びけい
わがみちりんちる ゆすぬ'うぃんしゆる むりするな どぅしぐゎなさきびけい
waga mi chiriNchi ru yusu nu 'wiN shiyuru murisuruna dushigwa nasakibikei
我が身(を)つねってみてこそ 他人の(身の)上をも知る 無理するな 友達(よ)情けばかり
語句・ちり 切れ。 <ちぬん つねる。命令形。 「ちぬん」には「積む。積もる。摘む。詰める。つねる。」などの意味があり、ここでは、「つねる」を採用。「ちでぃ」→「ちり」(那覇方言では「R」と「D」の区別がなくなる。つまり「ちでぃ」も「ちり」も同じとなる) ・んち ・・してみて。<んじゅん。見る。→んち。 ・うい <ういー 上。 上下だけでなく身の上、という意味もある。
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2008年06月08日

真福地之はいちやう節

真福地之はいちやう節
まふくじぬふぇーちょーうぶし
mahukuji nu hweechoo bushi
語句 ・まふくじ 高嶺間切国吉村(たかんみまじりくにしむら)が歌の発生した場所とする説と、現在の糸満市にあたる喜屋武間切福地村(きゃんまぎりふくちむら)が歌の出自という説がある。(「歌三線の世界」勝連繁雄著) ・ふぇーちょー 早盃。ちなみに辞書で「盃」は「さかじち」「ちぶ」。上掲書によると「旅の無事を祈って回し飲みをする盃は船が無事に回って早く戻ってくるのにかけて早盃(ハイマー)と名づけられ、ハイチョウという名になったという」
 

真福地のはいちゃうや 嘉例なものさらめ いきめぐりめぐり 元につきやさ
まふくじぬふぇーちょーや かりなむぬさらみ 'いちみぐいみぐい むとぅにちちゃさ
mahukuji nu hweechoo ya kari na munu sarami 'ichimigui migui mutu ni chichasa
真福地(地名?)の早盃は 縁起のよいものであろうぞ 行きめぐりめぐって元に着いたよ
語句・かりー もともとは航海の安全を祈願する言葉「かりゆし」からきたもので、一般に縁起のよいものとして使われている。現在では「乾杯」のときの発声に使われるが、それは近年の話。・さらみ であろうぞ。断定に用いる。・ちちゃさ 着いたよ。 ちちゃ<ちちゅん 着く。+さ よ。


くりかへち結ぶ御縁まちめしやうれ そめてあるかなの あだになゆめ
くりかいちむしぶぐいんまちみそーり すみてぃ'あるかなぬ 'あだになゆみ
kurikaichi mushibu guiN machimisoori sumiti 'aru kana nu 'ada ni nayumi
繰り返し結ぶご縁(を)お待ちください (心)染めてある愛する人のあだになるでしょうか


染めてあるかなの あだなゆめやすが もしかながらへてくたはきやしゆが
すみてぃ'あるかなぬ 'あだなゆみやしが むしかながらいてぃ くたわ ちゃすが
sumiti 'aru kana nu 'ada nayumi yashiga musika nagaraiti kutawa chasuga
染めてある愛する人のあだにならないだろうが もしか長らえて 朽ちたらどうするか
語句・くたわ 朽ちたら。<くた<くたしゅん 朽ちらせる。+わ=ば 


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2008年05月08日

戻り駕籠(サイレン節、白保節、唐船どーい)

戻り駕籠
むどぅりかぐ
muduri kagu
戻り駕籠 
作詞 玉城盛義


【サイレン節】
(男)駕籠に乗したる美ら女 うぬ年春ぬ若みどり 遠山目眉に芙蓉ぬ色 昔ぬ楊貴妃うりがやら
かぐにぬしたる ちゅらうぃなぐ 'うぬとぅし はるぬわかみどぅり [えんざん]みまゆに ふゆぬ'いる んかしぬよーきひ'うりがやら
kagu ni nushitaru chura winagu 'unu tushi haru nu wakamiduri [eNzaN]mimayu ni huyu nu 'iru Nkashi nu yookihi 'uri ga yara
駕籠に乗せた美しい女 その年(は)春の若い芽 遠山のようになだらかな目眉に芙蓉のような美しい色 昔の楊貴妃その(人)であろうか
語句・みどぅり新芽 緑。ここでは「芽」。・えんざん 大和口で「遠山の眉」とは「遠山のように薄くなだらかな眉」美人の眉のたとえ。・ふゆ 芙蓉 <ふゆー アオイ科の落葉低木。美人のたとえによく使われる。


(男)牡丹芍薬百合ぬ花 年やニ八ぬ花盛り 匂いぬ芳さや梅の花 ぬぶしんさがゆさ 鼻はんち
ぶたんしゃくやくゆいぬはな とぅしやにはちぬはなざかい にうぃぬかばさや'んみぬはな ぬぶしんさがゆさ はなはんち
butaN shakuyaku yui nu hana tushi ya nihachi nu hanazakai niwi nu kabasa ya 'Nmi nu hana nubushiN sagayusa hana haNchi
牡丹芍薬百合の花 年は16(くらい)の花盛り 匂いの芳しさは梅の花 のぼせも下がるよ 鼻はじけ
語句・にはち 2×8=16 16くらいの。 ・ぬぶしん のぼせも <ぬぶし のぼせ 上気 ・はなはんち 直訳すれば「鼻(を)はじけ」 はんち<はんちゅん はじく。


(男)まじくま降ち汗入ってぃ憩やい駕籠ぬあぬ女 出じゃち話さな一人旅 する訳聞ちんだ寄しかきてぃ
まじくま'うるち'あし'いってぃ ゆくやいかぐぬ'あぬうぃなぐ 'んじゃちはなさなひちゅいたびするわきちちんだ ゆしかきてぃ
maji kuma 'uruchi 'ashi'itti yukuyai kagu nu 'anu winagu 'Njachi hanasana hwichui tabi suru wachi chichiNda yushikakiti
まずここに下ろして涼んで休憩して 駕籠のあの女出させて話したい 一人旅する訳を 聞いてみたい 近づいて
語句・まじ まず ・くま ここ 「二人称」では「あなたさま」、「三人称」では「あの方」という使い方もある。ここでは場所だろう。・あしいってぃ 汗を入れて→涼んで ・ちちんだ 聞いてみたい。<ちち<ちちゅん 聞く 連用形 + んだ<んんじゅん 見る 未然形 ・・・してみたい。・ゆしかきてぃ 寄せ掛けて→近づいて。


(男)駕籠ぬ中ぬあぬ女 我妻なゆんどぅんやりば 妻ぬバチ小やちゃんなぎてぃ むる肝打ち呉てぃ儘なゆしが
かぐぬなかぬ'あぬうぃなぐ わーとぅじなゆんどぅんやりば とぅじぬばーちぐゎやちゃんなぎてぃ むるじむ'うちくぅいてぃままなゆしが
kagu nu naka nu 'anu winagu waatuji nayuN duNyariba tuji nu baachigwa ya chaNnagiti murujimu 'uchikwiti mamanayuru
駕籠の中のあの女 私の妻にでもなれば 妻のカカアはほうり投げ捨てて 心すべてあげて一緒になるのだけども
語句・どぅん ・・でも。「duの強意」(琉)。ここでは「なりば」と結んで「もしも妻になるようなことでもあれば」と願いを強調。 ・ばーちぐゎ 普通、「バーチー」は「叔母さん、小母さん」くらいだが、ここでは卑小の「小」をつけて、妻をさす「かあちゃん」「カカア」ぐらいが適当。短縮して「ばち」・ままなゆしが 一緒にになるのだけども。 「まま」は「思い通りに」。「ままなゆん」で「一緒になる」「結婚する」くらい。


(男)汝やむる肝 また我んねえ 蛸のまちぶい ちゃーまちぶい バチ小や捨てぃやい あぬ女妻しば極楽 しかきてぃんだ
'やーやむるじむ またわんねー たくぬまちぶい ちゃーまちぶい ばちぐわゎやしてぃやい 'あぬうぃなぐとぅじしばぐくらく しかきてぃんだ
'yaa ya murujimu mata waNnee taku nu machibui chaa machibui bachigwa ya shitiyai 'anu winagu tujishiba gukuraku shikakitiNda
お前は全ての心 また私も(同じ) タコがからみつく(ように)ずっと離れられない カカアは捨ててあの女(を)妻にすれば極楽 (話し)しかけてみたい
語句・むるじむ 直訳で「全ての心」。二人の男が美人に「惚れまくった」くらいか。 ・まちぶい タコがからみくっついた様子。・ちゃー ずっと…している。・んだ …してみたい。<んんじゅん 見る …してみる。


(男)・思ゆる女やただ一人 男や余てぃ中たなか
'うむゆるうぃなぐやただひちゅい うぃきがや'あまてぃなかたなか
'umuyuru winagu ya tada hwicui wikiga ya 'amati nakatanaka
思う女はただ一人 男は余って仲(は)二つ仲
語句・なかたなか 仲は二つの仲→女性を巡り対立している様。<なか+たー 二つの+なか。


(男)喧嘩てぃ勝ちゅしが妻すゆん とう早くしかきり 我ね負きらん
'おーてぃかちゅしが とぅじすゆん とーふぇーくしかきり わねまきらん
'ooti kachushi ga tuji suyuN too hweeku shikakiri wane makiraN
決闘して勝ったほうが妻にする さあ早く(決闘)仕掛けろ 俺は負けない
語句・おーてぃ 喧嘩して。決闘して。・かちゅし 勝った者。 「し」は動詞について名詞化する。


(男)我んにん負きらん 女ぬたみなかいどぅ生ちちょる とーしかきり 
わんにんまきらんうぃなぐぬたみなかいどぅ'いちちょる とーしかきり 
waNniN makiraN winagu nu tami nakai du 'ichichoru too shikakiri
俺も負けない 女のためにこそ生きているのだ さあ仕掛けろ
語句・なかい に。


【白保節】
(女)女を我ん一人 男や二所 語れないびらん 今から後を友小なやい 踊てぃ遊ば
うぃなごーわんちゅい うぃきがやたとぅくる かたれーないびらん なまから'あとーどぅしぐゎなやい 'うどぅてぃ'あしば
winagoo waN chui wikiga ya tatukuru kataree naibiraN nama kara 'atoo dushigwa nayai 'uduti 'ashiba
女は私一人 男は二人 仲間になりましょうよ 今からずっと友達になって踊り遊びたい
語句・うぃなごー 女は<うぃなぐ+や 融合して語尾が「ごー」となる。「わん」(私)が「わんねー」(私は)となる原理と同じ。「や」は「短いi,a,uに終わる語に付く時はそれらの母音と融合し、ee、aa、ooとなる。」(沖)。・かたれー 「仲間になること。仲間入りを約束すること」(沖)。・ないびらん なりましょうね。<ない<なゆん+びら<あびゆん ます。→あびら 希望を表す未然形。+ん 強調を表す。・あとー 後は。<あとぅ+や。上述参考。


(男)我んねえしむしが汝やちゃーすが 
わんねーしむしがやーやちゃーすが
wanee shimushiga yaa ya chaasuga
俺はかまわないがお前はどうするか?
語句・しむしが かまわないが。<しむん 済む。終わる。「しむさ」いいよ。


(男)我んにんゆたさんてー 
わんにんゆたさんてー
waNniN yutasaNtee
俺もいいよ
語句・ゆたさん よい。よろしい。形容詞。・てー よ。


【唐船ドーイ】
でぃちゃよ 押し連れてぃ眺みやい遊ば 今日や名に立ちゅる十五夜でむぬ 
でぃちゃよ'うしちりてぃながみやい'あしば きゆやなにたちゅるじゅぐやでむぬ
dicha yoo 'ushichiriti nagamiyai 'ashiba kiyu ya na ni tachuru juguya demunu
さあ一緒に連れ立って眺めたりして遊ぼう 今日は有名な十五夜なのだから
語句・でぃちゃ さあ。・でむぬ ・・だから。・・なので。 


琉球舞踊の大家、玉城盛義の振り付け、作。
とはいえ、元は大和の歌舞伎舞踊というジャンルでは有名な『戻駕籠色相肩』(もどりかご いろにあいかた)。
それゆえ大和言葉、表現が多い。

駕籠に乗せた女性の客をめぐり、それを担ぐ男の滑稽で、かつリアルな葛藤、そして対立が笑える。
けれども結末は二人の思いとは正反対に。
曲は、サイレン節から白保節、締めは唐船どーい。
白保節などは、よく替え唄と曲があっている。

個人的には広島の県人会総会などで、この滑稽芝居を見た。
女性は、実は男扮する、壮絶な(笑)美女。

男たちの欲望は、リアルであり、見るものをひきつける。
世間というものを二人の駕籠かきに凝縮している。
沖縄では今でも、どこかでこの芝居が演じられている。

youtubeにあった「戻り駕籠」。(漫才の後です)



  

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2008年02月24日

三拝云

三拝云
みふぁいゆー
mihwai yuu
ありがとうございます
語句・みふぁいゆー 石垣語辞典によると「ニファイ」は「①ありがたいこと。「御拝」と書き、首里、那覇で古風にはmihwee(ミフェー)という。シカイットゥ ニファイドー(大変ありがとう)。②おめでたいこと。ニファイユー(おめでとうございます)。(本)nihwee」とある。(発音記号等省略) 「ゆー」は同辞典で終助詞として「敬意」をあらわすとある。(例)「アンジユー」(そうでございます)。
「みふぁいゆー」は本島の「ニフェー」「ニフェーデービル」(ありがとう)に相当するものということだが、(琉球語辞典)によると「古くはミフェー」といったらしいから「ミフェー→ニフェー」と時系列で変化したようだ。ちなみに石垣島では「ニフェー」といいうのに対し竹富島では「ミフェー」という違いがあるのは竹富島に古風な発音が残っているということか。漢字で「三拝云」と当て字がしてあるが「御拝」「美拝」とも書く。


作詞作曲  ミヤギマモル
(発音部の「し」や「shi」は「中舌母音」をあらわす。歌詞内の[]はヤマトグチ)


一、ヤファヤファと吹く風のぐとぅに島人の変わらぬ肝心 変わらぬ島のうた
やふぁーやふぁとぅふくかじぬぐとぅに しまぴとぅぬかわらぬ ちむぐくる かわらぬ しまぬ'うた
yahwaayahwa tu nu gutu ni shimapitu nu kawaranu chimugukuru kawaranu shima nu 'uta
穏やかに吹く風のように村人の変わらない真心 変わらない村の歌
語句・やふぁーやふぁ 穏やかに (石) ・ちむぐくる 真心。「ちむ」は本島の発音。石垣では「きむぐくる」(石) 


ドゥシンちゃと語らい オジーの笑い顔 いちまでぃん いちまでぃん 長生きしたぼり
どぅしんちゃーとぅ[語らい] [おじー]ぬわらいがう 'いちまでぃん 'いちまでぃん ながいきしたぼり
duchiNchaa tu [語らい] [おじー]nu waraigau 'ichimadiN 'ichimadiN nagaikishitabori
友達と語らい おじーの笑い顔 いつまでも いつまでも 長生きしてください
語句・「語らい」、「おじー」はヤマト口である。


みーはいゆー みーはいゆー 貴方に しかいとみーはいゆー
みはいゆー みはいゆー [あなたに]しかいとう みはいゆー
mihaiyuu mihaiyuu [あなたに]shikai tu mihaiyuu
ありがとうございます ありがとうございます 貴方に しっかり ありがとうございます
語句・しかいとぅ 石垣方言で「しっかり」


人やけーらゆぬ生まりら 生まり上下やねーぬら
ぴとぅや けーら ゆぬ まりら 'んまりじょーぎや ねーぬら
pitu ya keera yunu marira 'Nmari joogi ya neenura
人は皆同じ生まれだ 生まれ(に)上下はないのだ
語句・けーら 「みんな。すべて。」 ・ゆぬ 同じ ・ 念を押す場合につく。(石) ・じょーぎ 「上下」は「ういした」「かみしむ」と(石)にある。「じょーぎ」と読むかどうか不明。


どぅーしどぅどぅぬ 道や開きいこーる 
どぅし どぅ どぅーぬ みちやぴらき'いこーる
dushi du duu nu michi ya piraki 'ikooru
友達こそ自分の道をば開き行き会う
語句・どぅし 石垣では「どぅし」 友達 ぴらきいこーる <ぴらくん 開く。 + いこーん 行き会う 出会う。→開き行き会う


雨風んしぬでぃ ワン守りたる親ぬ
'あみかじんしぬでぃ わんむりたる'うやぬ
'amikajiN shinudi waN muritaru 'uya nu
雨風もしのいで 私を守りたる親の 


し情け肝に染てぃ いちまでぃん 忘しららん
しなさき ちむにすみてぃ 'いちまでぃんわしららん
shinasaki chimu ni sumiti 'ichimadiN washiraraN
愛情(を)心に染めて いつまでも 忘れられない


※くりかえし  続きを読む

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