2020年05月17日
浅地紺地
浅地紺地
あさじくんじ
'asaji kuNji
◯浅く染めた布地と濃い藍色に染めた布地
語句・あさじ 琉球藍で染めた布地で藍色が薄いもの。深い愛情を濃い紺色の布地に例え、浅地は浅く薄い愛情、または浮気心などを表すことが多い。
作詞 津波恒徳 作曲 津波恒英
一、紺染みゆとむてい 染みたしが浅地 染みらわんや浅地 色やちかん (色やちかん)
くんずみゆとぅむてぃ すみたしがあさじ すみらわんやあさじ いるやちかん
kuNzumi yu tumuti sumitashiga 'asaji sumirawaN ya 'asaji 'iru ya chikaN
◯紺色の濃い色に染めたいと思って染めたが浅地(浮気、軽い気持ち)だった 染めようとしても浅地 色がつかない
語句・くんずみ琉球藍で何度も染めて濃い藍色に染めたもの。黒に近い。・ゆ 文語で目的格の「を」に当たる。口語では用いない。・すみらわん 染めようとしても。<すみら。染めよう+わん。〜しようとも。・ちかん つかん。付かない。<ちちゅん。付く。否定形。
二、思切らねなゆみ しんじんと切りて たとい志情や 残てぃをうていん (残てぃをうていん )
うみちらねなゆみ しんじんとぅちりてぃ たとぅいしなさきや ぬくてぃうてぃん
'umichiranee nayumi shiNjiN tu chiriti tatui shinasaki ya nukuti utiN
◯諦めないわけにいくまい しみじみと縁を切って 例え愛情が残っていても
語句・うみちらね 諦めない。・なゆみ ならないだろう。・しんじんとぅ 神妙にしているさま。→しみじみと。
三、片糸や浅地 片糸や紺地 かんし染みぐりさ 二人が仲や (二人が仲や)
かたいとぅやあさじ かたいとぅやくんじ かんしすみぐりさ たいがなかや
kataitu ya 'asaji kataitu ya kuNji kaNshi sumigurisa tai ga naka ya
◯片方の糸は浅地 片方の糸は紺地 このように染めにくいものだよ二人の仲は
語句・かんし このように。こんなに。・ぐりさ 難しい。<くりさん。苦しい。
四、肝くみてでんし ちくちゃしがあだゆ 嵐世ぬ恋路 渡いぐりさ( 渡いぐりさ)
ちむくみてぃでんし ちくちゃしがあだゆ あらしゆぬくいじ わたいぐりさ
chimu kumiti deNshi chikuchashiga 'ada yu 'arashiyuu nu kuiji wataigurisa
◯心を込めてすら尽くしたのに仇を 嵐のような世の中 渡り難いものだ
・でんし ですら。だに。・あだ 徒労。無駄。
(コメント)
ままならぬ恋を歌ったウタは沖縄に限らずどこにでもある。
しかし、糸の染め方の強弱で愛情の濃さを表現するウタが現在でも歌われているのは沖縄民謡の特徴の一つと言えるかもしれない。
そういうと中島みゆきさんの「糸」を想起するかもしれないが、縦糸と横糸の関係だけで染色の話ではない。
「浅地紺地」という布(糸)の染め方で恋路の困難さをうたう場合、「浅地」が「浅い恋心」「浮気心」という例えになることも多い。
このウタは何を喩えているのか。意訳してみよう。
一、本気で惚れて愛情を注いできたのに、あなたは軽い気持ちだった。愛情で染めようとしても染まらない。色はつかない
二、あなたをあきらめようと思い、静かに思いを断とうと思う 例え愛情が残っていたとしても
三、あなたは浅地、私は紺地の糸のように、例え組み合わせても染まりにくいだろう、二人の仲は
四、心を込めて、尽くしてきたけれど仇となり、嵐のような世の中は渡り難いものだ
「浅地」について
浅地とは、琉球藍で何度も染めた紺地の濃い色(黒にも見える)に対して薄い色の事である。そういう意味で「浅地紺地」が使われている。しかし必ずしも昔から「浅地」という漢字が使われていたわけではない。
浅地紺染の色分けもないらぬ染めわかちたぼうれ紺屋の主
あさじくんじみぬいるわきんねらん すみわかちたぼり くんやぬあるじ
(歌意)浅葱色なのか、紺色なのか、はっきり染め分けしてください、紺屋の主よ
(引用【琉歌大成】(清水彰))
歌のところは「浅地」と書かれるのに意味では「浅葱」と書かれている。
「あさぎいろ」はウチナーグチ で「あさじいる」と発音する。
asagi iro→asaji iru
「ぎ gi 」は破擦音化で「じ ji」
「ろ ro」は三母音化で「る ru」になる。こういう変化を経てきた。
この古い琉歌をみると、薄い染めか濃い染めか、ではなく「浅葱色」か「紺色」かとい色分けの意味である。けれども浅葱色とは薄い紺色のことでもある。おそらく「あさじ」という読み方になったものに後から当て字をして「浅地」となったのだろう。
「浅地」と書いて薄い紺色という理解でも間違いはないが、「浅地色」には本来、浅葱色という色があり、そうした使われ方があったということを知ることも無駄ではないだろう。
浅葱色とは。
「浅葱色(あさぎいろ)とは、蓼藍(たであい)で染めた明るい青緑色のことです。浅葱とは薄い葱(ねぎ)の葉に因んだ色で、平安時代にはその名が見られる古くからの伝統色。」(参照 浅葱色(あさぎいろ)とは?:伝統色のいろは https://irocore.com/asagi-iro/)
紺地とは
(沖縄県立図書館 記帳資料デジタル書庫 より)
ちなみに「アサギマダラ」という蝶がいる。
(Wikipediaより)
羽根の丸いところの色、薄い水色が浅葱色らしい。
(津波恒英 「おきなわを唄う」に収録)
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あさじくんじ
'asaji kuNji
◯浅く染めた布地と濃い藍色に染めた布地
語句・あさじ 琉球藍で染めた布地で藍色が薄いもの。深い愛情を濃い紺色の布地に例え、浅地は浅く薄い愛情、または浮気心などを表すことが多い。
作詞 津波恒徳 作曲 津波恒英
一、紺染みゆとむてい 染みたしが浅地 染みらわんや浅地 色やちかん (色やちかん)
くんずみゆとぅむてぃ すみたしがあさじ すみらわんやあさじ いるやちかん
kuNzumi yu tumuti sumitashiga 'asaji sumirawaN ya 'asaji 'iru ya chikaN
◯紺色の濃い色に染めたいと思って染めたが浅地(浮気、軽い気持ち)だった 染めようとしても浅地 色がつかない
語句・くんずみ琉球藍で何度も染めて濃い藍色に染めたもの。黒に近い。・ゆ 文語で目的格の「を」に当たる。口語では用いない。・すみらわん 染めようとしても。<すみら。染めよう+わん。〜しようとも。・ちかん つかん。付かない。<ちちゅん。付く。否定形。
二、思切らねなゆみ しんじんと切りて たとい志情や 残てぃをうていん (残てぃをうていん )
うみちらねなゆみ しんじんとぅちりてぃ たとぅいしなさきや ぬくてぃうてぃん
'umichiranee nayumi shiNjiN tu chiriti tatui shinasaki ya nukuti utiN
◯諦めないわけにいくまい しみじみと縁を切って 例え愛情が残っていても
語句・うみちらね 諦めない。・なゆみ ならないだろう。・しんじんとぅ 神妙にしているさま。→しみじみと。
三、片糸や浅地 片糸や紺地 かんし染みぐりさ 二人が仲や (二人が仲や)
かたいとぅやあさじ かたいとぅやくんじ かんしすみぐりさ たいがなかや
kataitu ya 'asaji kataitu ya kuNji kaNshi sumigurisa tai ga naka ya
◯片方の糸は浅地 片方の糸は紺地 このように染めにくいものだよ二人の仲は
語句・かんし このように。こんなに。・ぐりさ 難しい。<くりさん。苦しい。
四、肝くみてでんし ちくちゃしがあだゆ 嵐世ぬ恋路 渡いぐりさ( 渡いぐりさ)
ちむくみてぃでんし ちくちゃしがあだゆ あらしゆぬくいじ わたいぐりさ
chimu kumiti deNshi chikuchashiga 'ada yu 'arashiyuu nu kuiji wataigurisa
◯心を込めてすら尽くしたのに仇を 嵐のような世の中 渡り難いものだ
・でんし ですら。だに。・あだ 徒労。無駄。
(コメント)
ままならぬ恋を歌ったウタは沖縄に限らずどこにでもある。
しかし、糸の染め方の強弱で愛情の濃さを表現するウタが現在でも歌われているのは沖縄民謡の特徴の一つと言えるかもしれない。
そういうと中島みゆきさんの「糸」を想起するかもしれないが、縦糸と横糸の関係だけで染色の話ではない。
「浅地紺地」という布(糸)の染め方で恋路の困難さをうたう場合、「浅地」が「浅い恋心」「浮気心」という例えになることも多い。
このウタは何を喩えているのか。意訳してみよう。
一、本気で惚れて愛情を注いできたのに、あなたは軽い気持ちだった。愛情で染めようとしても染まらない。色はつかない
二、あなたをあきらめようと思い、静かに思いを断とうと思う 例え愛情が残っていたとしても
三、あなたは浅地、私は紺地の糸のように、例え組み合わせても染まりにくいだろう、二人の仲は
四、心を込めて、尽くしてきたけれど仇となり、嵐のような世の中は渡り難いものだ
「浅地」について
浅地とは、琉球藍で何度も染めた紺地の濃い色(黒にも見える)に対して薄い色の事である。そういう意味で「浅地紺地」が使われている。しかし必ずしも昔から「浅地」という漢字が使われていたわけではない。
浅地紺染の色分けもないらぬ染めわかちたぼうれ紺屋の主
あさじくんじみぬいるわきんねらん すみわかちたぼり くんやぬあるじ
(歌意)浅葱色なのか、紺色なのか、はっきり染め分けしてください、紺屋の主よ
(引用【琉歌大成】(清水彰))
歌のところは「浅地」と書かれるのに意味では「浅葱」と書かれている。
「あさぎいろ」はウチナーグチ で「あさじいる」と発音する。
asagi iro→asaji iru
「ぎ gi 」は破擦音化で「じ ji」
「ろ ro」は三母音化で「る ru」になる。こういう変化を経てきた。
この古い琉歌をみると、薄い染めか濃い染めか、ではなく「浅葱色」か「紺色」かとい色分けの意味である。けれども浅葱色とは薄い紺色のことでもある。おそらく「あさじ」という読み方になったものに後から当て字をして「浅地」となったのだろう。
「浅地」と書いて薄い紺色という理解でも間違いはないが、「浅地色」には本来、浅葱色という色があり、そうした使われ方があったということを知ることも無駄ではないだろう。
浅葱色とは。
「浅葱色(あさぎいろ)とは、蓼藍(たであい)で染めた明るい青緑色のことです。浅葱とは薄い葱(ねぎ)の葉に因んだ色で、平安時代にはその名が見られる古くからの伝統色。」(参照 浅葱色(あさぎいろ)とは?:伝統色のいろは https://irocore.com/asagi-iro/)
紺地とは
(沖縄県立図書館 記帳資料デジタル書庫 より)
ちなみに「アサギマダラ」という蝶がいる。
(Wikipediaより)
羽根の丸いところの色、薄い水色が浅葱色らしい。
(津波恒英 「おきなわを唄う」に収録)
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