今回も大阪市内の神社を紹介します。大阪市生野区に鎮座する『清見原神社』は水害で社記が喪失したため創建年は不詳となっています。
大阪メトロ千日前線の小路駅からは徒歩5分ほどのところに鎮座しています。7月下旬に訪れましたが、祭の準備が進められていて境内は人で賑わっていました。
口伝えによると、天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際にこの地で休息を取ったそうです。古事記と日本書紀の編纂はこの天皇の思し召しによるものと言われています。
天武天皇の崩御後、大伴氏によって神社が創建され天武天皇がご祭神として祀られるようになりました。この時社名は、天武天皇宮と付けられたそうです。
明治時代から素戔嗚尊、大山咋命、天水分神、国水分神が合祀されるようになりました。素戔嗚尊は天照大御神の弟神、大山咋命は酒造の神で、天水分神と国水分神は水神です。
明治5年に清見原宮に社名が変更され、現在の清見原神社と呼ばれるようになったのは1942年からとのことです。
境内には春高稲荷社や伊勢神宮遥拝所なども祀られていました。
こちらは神社の塀にひっそりと祀られていました。八剱宮と刻まれています。
生野区の住宅街に天武天皇がかつて立ち寄った場所があることに驚きました。この後布施駅方面へ向かいます。
清見原神社の地図
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口伝えによると、天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際にこの地で休息を取ったそうです。古事記と日本書紀の編纂はこの天皇の思し召しによるものと言われています。
天武天皇の崩御後、大伴氏によって神社が創建され天武天皇がご祭神として祀られるようになりました。この時社名は、天武天皇宮と付けられたそうです。
明治時代から素戔嗚尊、大山咋命、天水分神、国水分神が合祀されるようになりました。素戔嗚尊は天照大御神の弟神、大山咋命は酒造の神で、天水分神と国水分神は水神です。
明治5年に清見原宮に社名が変更され、現在の清見原神社と呼ばれるようになったのは1942年からとのことです。
境内には春高稲荷社や伊勢神宮遥拝所なども祀られていました。
こちらは神社の塀にひっそりと祀られていました。八剱宮と刻まれています。
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